第3話 陽だまりの日々に消えた初恋 -02-
私の世界は真っ黒だ。光のないその世界で私は一人、息を殺してじっと待つ。
私、何をしてるんだろう……
時折り、焦燥感に苛まれる。私のその思いを打ち消すものなどない。打ち消してくれる人も、ここにはいない。
ただ一人、この狭い箱の中で膝を抱えて、じっと
どれだけの時間を待っただろうか。ようやくイライジャ先生がお客様を連れて応接室の中に入ってきた。
その時の「ガハハッ」と一際大きくて下品な笑い声が耳につき、私の心はさらに滅入りそうになる。
きっと、全身を高価な装いで身を包んだ、どこぞの成金貴族のような恰好をした人が来たのだろう。
私がこの中に入る時は、だいたい趣味の悪いギラギラと輝くものを身につけている人がやってくる。
昔は、切羽詰まった様相のお客様が来ることもあったのだけれど、それはほんのひと握り。今ではもうほとんど見ない。
イライジャ先生に、お客様を見るな、と強く言われていることもあって、あまりよくは見ない。--見たくもないし。
私が相変わらず息を殺して、イライジャ先生とお客様の話を聞いていると、どのお客様も口を揃えたように決まって同じようなことを言い始める。
「調子が悪い」
「足が痛い」
「腰が痛い」
今日もまた、聞こえてきた。--本当に嫌になる。
不調を訴えるその声を、耳を澄ませて聞きとった私は、そのお客様のために……
祈る。
すると、決まって感嘆の声が上がる。「天から光が」と。大袈裟なくらい大きな声で。
確かに応接室のシャンデリアはキラキラと輝いて眩しいとは思うけれど、そんなわけないのに。--バカバカしい。
大袈裟に述べる感謝の声が、私の耳にまで聞こえてくる。--もう、うんざり。
耳を閉ざしたくなるけれど、それもしてはいけない。だから、心を閉ざす。
お付きの人が、大きなカバンの中から、普通ならお目に掛かれないような束を、ドサッとイライジャ先生の前に置いた。お金だ、それも大金……
「聖女様の力は本物だ」
そう言いながら、お客様は嬉々として去っていった。
その言葉に、心を閉ざしていたはずの私の胸が抉られる。罪悪感に苛まれる。
バカバカしいのも、うんざりなのも、全て私がやっていることだから。見たくもないのも、嫌になるのも、全て私自身のことだから。
真っ黒なのは私の世界だけではない。私という存在自体が真っ黒だ。汚れた黒。
きっと、眩い光の世界は似合わない。この孤児院の中、クローゼットの中がお似合いなんだと思う。
だから、私が外の世界に出ることなんて決して叶わない。
その後も、私はひたすらクローゼットの中でじっと待っていた。イライジャ先生が鍵を開けてくれるまで、ただひたすら。
すぐに来てくれる時もあれば、忘れ去られて夜を越える時もある。
それでも私は声をあげてはいけない。もう慣れたから、何も思わない。慣れって怖い。異常なことにも気付かないから。
いや、気付いてないふりをしてしまうのだろう。ほんの小さな幸せを知っているから、それを壊されたくなくて。
みんな朝ごはん食べ終わっちゃったかな?
明日こそはテオに勝つんだから。
そんな日常の些細な毎日を、壊されたくないから。
運が良いことに、今日は早めにイライジャ先生が鍵を開けに来てくれた。
それだけで、今日は良いことがあるかも知れないと思ってしまう私がいる。自分でも単純だと思う。けれど、これも些細な幸せだから。
「もういい、さっさと行け」
「はい、イライジャ先生。失礼します」
応接室を出ると、駆け足でみんなの元へと戻った。汚れを振り払うかのように、夢中で走った。犯罪の現場から逃げ去るように。
途中、ふと右手を怪我していたことを思い出し、私は立ち止まる。
----聖女様の力は本物だ
私は左手で右手の傷を押さえて祈りを捧げる。すると、右手の傷が……
「治るわけないじゃない、私は偽聖女だもの」
ぽつりとそう吐き捨て、再び逃げるように走りだした。
私は罪人だ、みんなを騙しているのだから。聖女だなんて崇められて、大金を詐取して、きっと、誰も許してはくれない。
そう思うと、自然と涙が零れ落ちた。泣く資格なんて私にはあるはずもないのに、私の涙は止まらなかった。
「ソフィア!」
聞き慣れたその声に、私は涙を拭い一気に口角をあげて、無理矢理にでも笑顔を作った。
気付かれてはいけない、心配をかけたくない。
だから、私は笑わなきゃ。
「ふふ、テオったら、そんなに急いでどうしたの? 朝ごはんの時間に間に合えた?」
「残念。ソフィアの分はもうないかも」
「えぇっ!?」
「嘘だよ。ゆっくり食べてきて大丈夫だから」
「もう!!」
他愛のないやりとりが、黒く澱んだ私の心を救ってくれる。
だから、絶対に気付かれてはいけない。
……はずなのに、私の瞳に、真剣な眼差しで私を見つめるテオの姿が映った。
だめだ、これ以上見られてしまったら、きっと気付いてしまう。泣いていたことをテオに知られてしまう……
私は焦った。でも、目を逸らすこともできない。ドキドキという私の胸の鼓動だけが、私の世界に響きはじめた。
今だけ、
ふと、テオの視線が私の右手に移ったことで、私はほっと胸を撫で下ろす。
止まっていた
どうしてか、少しだけ残念だと思ってしまった。ずっとそのままいたかったと思えるほどに。
「あ、気になる? でも大丈夫だよ、全然痛くないから」
私は、わざとらしく「ふふっ」と笑って誤魔化した。
だって、そうしなければ気付かれてしまうから。気付かれてしまったら、きっと引き返せなくなってしまう。
私が必死で誤魔化そうとしているのに、そんなことはお構いなしに、テオは私の右手をとり、その傷口に--口付けをした。
「!?」
ゆっくりと、私の右手から唇を離すテオの表情が、一連の仕草が、まるで神聖な儀式のようで。
不覚にも、見惚れてしまった。
長い睫毛にかかった前髪が、はらりと揺れて、その隙間から見えた、燃える夕陽にも似た綺麗な瞳が目に焼き付いて、私を捉えて離さない。
テオと私だけが別世界にいるような錯覚を再び起こさせる。
だから……
「……消毒」
ぽつりと呟かれたその声に、私はハッと我に返る。
ちらりとテオを見やれば、にこりと笑い、いつものテオの優しい眼差しに戻っていたことに気付き安堵するも、テオは決して見逃したりはしてくれなかった。
次の瞬間には、意地悪な笑みを浮かべているではないか。なんとなく、次の言葉は聞いてはいけない気がするんだけれど……
「ふっ、何を、期待した?」
「よ、余計にバイ菌がはいるでしょぉぉぉ!!」
急いで右手を引っ込めて、私は文句を言った。文句を言うことしかできなかった。
私の気持ちがダダ漏れしているだろうことは、目に見えて明らかだったから。
“好き”の一言が欲しいだなんて。
私たちは“家族”なんだから、そんなこと、絶対に気付かれてはいけないのに。
欲張っても良いことなんてない。期待した分だけ辛くなるのは分かっているはずなのに。
私は今のままでも幸せなんだから。
……でも、もう自分の気持ちを誤魔化しきれないだろうことなんて分かっている。気付いてないふりなんてできそうにもない。
「今が夕方なら、“夕陽のせいだ“って誤魔化せたのにな」
私はテオに聞こえないように、熱を帯び真っ赤に染まった頬を両手で隠しながら呟いた。
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