第2話 陽だまりの日々に消えた初恋 -01-
街外れの古びた孤児院が、私の唯一の居場所だった。孤児院での日々はいつも通り、けれど大切な毎日だった。
両親の顔を私は知らない。物心ついた時にはすでにこの孤児院にいたから。
寂しくないと言ったら嘘になる。けれど、淋しくはなかった。だって、私にはたくさんの“大切な家族”がいたのだから。
「んっ、眩しい……」
差し込む朝陽が眩しくて、まだ早い時間に目が覚める。それもそのはず、窓を覆うはずのカーテンがその役目を果たせてないのだから。
吹き抜ける隙間風が華やかな花の香りを運び、鳥たちの囀りが春の訪れを教えてくれる。
春は出逢いと別れの季節だと言うけれど、私には関係のない話。
私はいつも通り、代わり映えのない毎日を送るだけだから。
けれど、幸せだからそれで良かった。
孤児院の朝は早い。朝食よりも先に朝の掃除から始まる。
みんな眠い目を擦り、お腹が空いたと文句を言いながらも、各々掃除をし始める。
けれど、私はこの時間がとても待ち遠しくて、今日も箒を片手に、心を弾ませながら裏庭へと向かう。
「おはよう、テオ! 今日こそは負けないからね!」
「またかよ? そろそろ諦めたらどうだ?」
ふわぁ〜と一際大きな欠伸をし、ぶつぶつと文句を言いながら、裏庭の掃除を始めようとしていたテオに向かって、私はお決まりの朝の挨拶をする。
「隙ありっ!」
箒を振り上げて、勇猛果敢に立ち向かう。
カッ、カッ、と辺りに響く小気味の良い音に負けないように「えいっ、やあっ!」と、私は懸命に箒を振り下ろす。
それをテオは自身の持つ箒で、全て軽々と受け止めてしまう。
カンッ、と一際高く大きな音が鳴り響き、そして今日もまた一本の箒が宙を舞う。
「あぁっ!! もう、また負けたぁ!!」
地面に膝をつけて悔しがる私に、ふふんと鼻を鳴らすテオは、いつも通り私の目の前に優しく手を差し出してくれた。
その手を私は素直に取らない。決まって一度は、怒ったふりをする。
ぷうっと頬を膨らませれば、テオは目を細めて笑ってくれるから。
「面倒臭いなぁ」と文句を言いながらも、
私は、この瞬間がとても好きだ。
きっと、先ほどまで悔しがっていたことも忘れて、満面の笑みを浮かべているに違いない。
それに、嬉しそうにしているのは私だけではないことを、私だけが知ることができるのだから。
私とテオは同い年の12歳。
出会ったころのテオは、私より少しだけ背が低かった。
それなのに、いつの間にか身長は抜かされて、少しだけ低くなったテオの声が私の耳を擽る。
細いながらも骨格は意外とがっちりとしていて、なんとなく悔しい。
テオは男の子だから、女の子の私とは身体の作りが違うことくらい分かっている。
けれど、どんどん置いていかれる気がして、私の知らないテオになっちゃうんじゃないかって、時々無性に不安になる。
いつか、テオもいなくなっちゃうんじゃないかって……
「ま、ソフィアは女の子にしては強いんじゃない? しかも、そんなに小さい身体で」
「小さくないもん! それに、そんなの励ましにもならないよ。次こそは絶対に勝つんだから!!」
そんな会話をもう何百回としてきた。今までに私がテオに勝てたことは一度もない。
「ソフィア、手は大丈夫?」
「手? あぁ、大丈夫、大丈夫。放っておけば治るよ」
「ソフィアおねえちゃん、だめだよ。メルがなおしてあげる」
ふと目を見やれば、私の右手からは、真っ赤な血が少しだけ流れていた。
毎日のように間違った使い方で酷使され続けていた箒が、とうとうささくれたらしい。
私にとってはこれくらいかすり傷。けれど、見逃してくれないのは、私たちの決闘を特等席で見守っていてくれたメルだ。
有無を言わせず、小さな可愛らしい手で私の右手を包み込み、優しい魔法をかけ始める。
「いたいの、いたいの、とんでいけ〜!!」
その姿はとても愛らしい。私とテオは思わず目を細めてにやけてしまう。
メルはこの孤児院の最年少の5歳の女の子。私とテオのとても可愛い妹だ。もちろん血の繋がりはないけれど。
「わあ! メルありがとう。もう全然痛くないよ。さすが聖女様だね」
そう言いながら、私は左手でメルの頭を「いい子いい子」と優しく撫でる。
すると、メルは弾けるような笑顔を浮かべ「えへへ」と声をあげて笑うものだから、私の心が癒される。可愛いな、と本気で思う。
言い伝えに聞く聖女様は、メルの憧れの存在みたい。
人々の怪我や病を癒し、世界を安寧へと導く特別な魔法、聖なる魔法を使うらしい。
早くに流行病で両親を亡くしたメルは、私と同じように、物心がつくかつかないかの小さいうちに、この孤児院にやってきた。
そんなメルを実の妹のように、時に母のように、私は心から可愛がっている。むしろ、私が可愛いメルに癒されているとも言える。
メルのように、この孤児院にいる子供たちはみんな、それぞれの理由があって集まっている。
年齢順に、最年少のメル、本が大好きなトレッサ、やんちゃなボブ、口が達者なジョー、双子のアーサーとアーチー、私、テオ、少し頼りないトーマス兄さん、しっかり者のクロエ姉さん。
みんな実の兄弟のように仲が良い。みんな私のかけがえのない大切な家族だ。
そんな私たちの保護者はイライジャ先生一人だけ。
「ソフィア、来なさい」
「はい、イライジャ先生」
今日もまた、私一人だけがイライジャ先生に呼ばれた。嫌だ、行きたくない。
けれど、拒否権なんて私にはない。
間もなく朝食の時間だというのに、そんなことはもちろんお構いなしだし。
お腹が空いたと文句の一つでも言いたいけれど、もちろん言えるはずがない。
「……じゃあ、私は行ってくるね」
服をパタパタと叩き、念入りに砂埃を払う。少しでも汚れていると、イライジャ先生に怒られるから。
私は、イライジャ先生が苦手だ。
「……ソフィア、大丈夫か?」
「ふふ、心配してくれるの? 大丈夫、きっとすぐに戻って来れるよ。朝ごはん、私の分まで食べちゃだめだからね!」
そう言い残すと、急いでイライジャ先生の元へと向かった。
イライジャ先生に連れて来られたのは、薄汚れた孤児院には場違いなほど、豪華な装飾品や調度品に囲まれた応接室。
天井で輝くシャンデリアが眩しくて、私は直視できない。透き通るようなガラス玉がキラキラと反射して、とても綺麗なはずなのに。
「いつも通り、やるんだよ」
「はい、分かりました」
そう言って、私はいつも通り、壁に嵌め込まれたクローゼットの中へと入る。
一見してクローゼットだとは思えない壁と一体となったデザインで、この中に入った私のことなんて、きっと誰にも見つけることなんてできないと思う。
クローゼットの中は身体の小さい私なら、辛うじて立ったり座ったりできるくらいの広さだ。決して居心地の良いところではないけれど。
私が膝立ちをしたちょうど目の高さの位置に、唯一、外の様子が見られる小さな穴がある。
昔は、それだけが外の世界との唯一の繋がりのような気がして、私は必死にその穴を覗き込んだ。けれど、とうの昔にそんな気力も消え失せた。
私はクローゼットの中に入り、息を殺す。すると、すぐに外側からガチャンと鍵をかけられる。
まるで、罪人にでもなったのではないかとの錯覚を起こすほど、とても重苦しい音を奏でて。
でも、それは錯覚ではないのかもしれない。
その中で一人、私は合図があるまでひたすら待つ。この暗闇の世界に、私の存在意義などどこにもない。
この状況が普通ではないことくらい分かっている。けれど、私にとって特別なことなど何もない。
全て、いつも通りのことだから……
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