第66話 帰省(2日目-午前)

夢すら見ないほどの深い眠りから覚めてスマホの画面を見ると、画面には「09:43」の文字列。

多分10時間くらいは寝たと思う。

長時間の移動の疲れとは恐るべきものだという実感とともにリビングに降りると、既に両親共に仕事に出かけていたようで、「朝ごはんと昼ごはんは勝手に作って食べなさい」との書き置きがあった。

キッチンには昨日のご飯が大きめの深皿に盛られてラップされていたので、1杯ぶんを茶碗によそってレンジのスイッチを押す。

その間に冷蔵庫から納豆を取り出して、フタやフィルム類のゴミを捨てておく。

チン、という音と同時にレンジのドアを開けて茶碗を取り出し、納豆と一緒にテーブルに持っていく。


「いただきます」


ひとりぼっちの朝。

なんだかんだでほぼ毎日真奈美が家にいて、真奈美と朝を過ごすことがほとんどだった生活に慣れると、いくら自分以外の人間が暮らしている実家でも、いや実家だからこそ、このひとりの朝食がひどく寂しい。

いつだか真奈美に「1人の生活に一生戻れなくなりそう」とか言ったが、もうそうなってしまっていた。

去年まではこんなことが当たり前だったのに、半年も経たずに人はこうも変わるものかと自嘲して、納豆をかき混ぜる。


お互い実家でダラダラ過ごそうと決めた帰省2日目。

いざこうなってみると、やることが全くない。

こんな片田舎に娯楽施設なんてあるわけもなく、二度寝をするか、たいして興味もないテレビ番組を見るかの2択を迫られている。

……寝るか。

納豆のパックを捨てて茶碗を洗うと、俺はまた2階に戻ることにした……のだが、階段を3歩登ったところで、チャイムが鳴った。

玄関を開けると、真奈美が汗だくで息を切らして、膝に手をついて立っていた。


「ひぃ、はぁ、おはよう慎吾、冷房の効いた部屋に入れて、いますぐ」

「お、おう。おはよう」


リビングに真奈美を案内すると、俺がさっきまで座っていた席にどかっと腰掛けて、思い切り椅子の背にもたれかかった。


「あっっっっっっっつい、しんどい」

「まさか真奈美、チャリ漕いできたのか」

「そのまさかだよ。いやー、数年前はこの距離漕いでたと思うと、信じられないや」


俺は冷凍庫を開けて、棒アイスを2本取り出す。

1本を真奈美に差し出すと、茹だって溶けていた真奈美の顔が、一気に明るい笑顔になった。


「慎吾、神。マジ神。最高」

「たかがアイスで大袈裟な。お礼は母さんに言ってくれ」

「あぁ、お義母かあさま、ありがとうございます」


なんか変な言い方だったけど、まあいいか。


「てか、なんで来たんだ?」

「いやー、家にいてもヒマでさ。つい」

「ついじゃねえだろ」

「どうせ慎吾もヒマだったくせに」

「そうだけど」

「私に会えなくて寂しかったくせに」

「………………」


そうだけど。


なんだかそれを認めたら負けな気がして、返答の代わりにアイスを多めに齧った。


「ふーん。図星か」

「うるせえ。で、なんで来た」

「慎吾と一緒にいたいから」

「……っ」


それは、反則だろ。

にしし、と笑いながらアイスを齧る真奈美の背中に、小さく黒い羽根がパタパタとはためいているように見えた。

食べ終わったアイスの棒を見事にゴミ箱に放り入れると、真奈美は持ってきた袋を指さした。


「あそこ、何入ってると思う?」

「……さあ」

「こないだ買った水着の、黒の方」

「え? 今日だっけ? 日焼け止め、ちゃんとあるか?」

「要らないよ。海に行くの、明日でしょ?」

「は? ……あっ」


一気に、血流が一箇所に集中する。

まさか、そういう目的で買っていたのか。


「……今、うち誰もいないんだけど」

「知ってる。ふたりとも仕事でしょ」

「日焼け止め、俺の貸すよ」

「だから、要らないって」

「背中、手届かないだろ」

「……なるほど。へえ、そういうことね」

「なんだよ」

「なんでもない」

「部屋で待ってる」

「うん。洗面所借りるね」


俺は、足早に階段を登る。

高校時代、真奈美が家に泊まりに来た日。

使うつもりはなかったけれど、もしかしたらもしかするかもと、お守りで買ったまま引き出しに眠っている箱を取り出した。

使用期限は、まだ切れていなかった。



けれどやっぱり怖いという話をしたら、真奈美が普通に下宿先から持ってきていたので、そっちを使った。

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