第51話 Calling Calling

「……お邪魔します」

「……どうぞ」


3分ぶりの玄関。

とてつもなく気まずい空気の中、和泉大輔と広橋歩は靴を脱いだ。


「……やっぱ俺、歩いて帰る」

「ダメ」


踵を返そうとする和泉の手首を、広橋が掴む。

そのままその手を引っ張り、強引に居室に連れ込む。


「はい、タオル。防犯用に干す男物の服と下着が、これとこれ。シャツとスウェットは大きめのだけど、これとこれ」

「……なんでシャツとスウェットまであるんだよ」

「昔、櫻木さん連れ込んでやろうと思って買ってあったの。捨てるに捨てられなくて、奥の奥に押し込んであったんだよね」

「……そうか」


和泉は少し複雑な気持ちを抱えたが、汗と共にシャワーでそれを排水溝に流した。

シャンプーやリンス、ボディソープは広橋のものを当然借りることになる。

湯上がりの自分からの普段とは違う甘い香りを感じながら、女子会用にストックしてあると言っていた使い捨ての簡易ブラシで歯を磨く。


広橋が、入れ替わりでシャワーを浴びる。

和泉から、普段の湯上がりの自分と同じ匂いがする。

その事実に声もなく悶えてヘッドバンギングをするが、頭から邪念は消え去ることはなかった。



「……ただいま」

「……おかえり」


普段より長めに湯上がりのスキンケアをして、軽いメイクまでした広橋が戻ると、和泉は目を閉じて体育座りをしていた。

入浴中の自分を想像してくれているのであれば、あと一押し。

そう考えた広橋は、あえて和泉の隣に同じく体育座りをした。

思春期の童貞男子(19)には非常に刺激が強く、和泉は先ほどまでの妄想と合わさって限界寸前のところまで来ていた。


「……和泉くん」

「……なに」

「……寝よっか」

「……そうだな」


広橋は掛け布団をめくると、ぽんぽんとその下の敷布団を叩いた。

和泉は、彼女が新しく布団を敷いて自分を寝かせる気がないことを悟ると、右腕を下にして、壁の方を向いて横になった。

その後ろから、広橋も同じく右腕を下にして横になる。

和泉の背中に手を当てると、広橋にはっきりとその鼓動が感じられた。


――焦んなよ。


そう、和泉大輔に言われた。

けれど、櫻木慎吾がいつだか話していた。

西野真奈美への告白前に、和泉大輔に贈られた言葉。


――一歩踏み出す勇気。


今、自分に必要なのは、どっち?

広橋歩にとっては、考えるまでもないことだった。


「和泉くん、今から私の昔話をします。つまらなかったら寝てもいいです。返事もしなくて大丈夫です」


広橋の言うとおりに、和泉は返事をしない。


「私、高校の頃ね、とある男に告白されたことがあったんだ」


「そいつ、サッカー部のキャプテンでね」


「私も、一応弱小とはいえ女バスのエースみたいな感じだったから、友達はお似合いって言ってくれたんだよ」


「けれど、関係ない女からの嫉妬が始まった」


「事実無根の噂が、いっぱい流れた」


「その彼は、私を信じてくれなかった」


「結局、別れることになった」


「それでも、噂は止まなかった」


「文ちゃんみたいに、仲良かった女の子は守ってくれたんだけどね」


「男はみんな、私を目で見てきた」


「そんな中で、たったひとりだけ、私を守ってくれた男がいた」


「友達でもないのに、正面切って反論してくれて」


「ちょっと暗い感じの男の子だったんだけどね」


「すごくカッコよかった」


「当然、好きになった」


「けれど、突然、その男は私と話さなくなった」


「その男の幼馴染が、その男と寝た」


「今まで幼馴染って関係に甘えてたけど、私と仲良くしてるのを見て、危機感が出たんだって」


「私みたいなのに寝取られる前に、寝たんだって」


「それから、私は思ったんだよ」


「『体で繋ぎ止めておけば、離れることはない』って」


「それから、何回も男と寝た」


「私、おっぱい大きいからね。簡単だったよ」


「結局、体目当ての男と寝ては別れの繰り返し」


「だーれも、私の中身になんて興味なかった」


「大学入って、櫻木さんと真奈美ちゃんの話聞いて、衝撃だった」


「そんな純情男がいるなんて、信じられなかった」


「エッチに誘ってみたけど、断られた」


「じゃあデートからってなったんだけど、空回りしまくってさ」


「そしたら、『ちゃんとお互いのこと知ろう』って言ってくれて」


「櫻木さんは、きちんと私の中身を見てくれた」


「本気で好きになった」


「でも、ダメだった」


「フラれる時、あの人に言われた」


「『俺以外にも、広橋の中身を見てくれる男はいる』って」


「そんな男なんて、どうせいないと思ってた」


「でも、いた」


「絶対に、私の目を見てくれる」


「ううん、私の目の奥を見てる人が、いた」


「びっくりしたよ、櫻木さんより奥手だもん」


「変な所でクサい台詞言うし、なんかカクテルでこっそり気持ち伝えてくるし」


「ふふっ、実はカクテル言葉なんてのがあるって、知ったのは最近だけどね」


「しかも、自分の誕生日にお店に誘って、ねえ?」


「そういうことするくせに、さ」


「こないだまで、手すら繋がなかったし」


「さっきだって、歩いて帰ろうとしたよね」


「私のこと、大切にしてくれてるからこそ、だよね」


「まあ、ただのチキン野郎の可能性もあるけど」


「ごめんね」


「そんな気持ちを、今から裏切るかもしれない」


「私、もう我慢できない」


「彼氏彼女でもない相手と、しないって決めてるのはわかってる」


「だから、私は彼女になりたい」


「和泉くんの、彼女になりたい」


「和泉くんに、彼氏になってほしい」


「和泉くん」


「和泉くんっ、私」

「広橋」

「――っ」

「シャツ、離して。広橋の方、向けないから」

「……うん」

「よっ、と」

「和泉、くん、ごめんなさい」

「謝るなよ、広橋は何も悪くないだろ」

「でも」

「広橋」

「……はい」

「辛かったな」

「……うん」

「俺にはさ、その苦しみをわかってあげることは、できないかもしれない」

「……うん」

「でも、忘れさせてあげることは、できるかもしれない」

「……うん」

「俺からも、言わせてほしい」

「……うん」

「好きです。俺と、付き合ってください」

「……はい。よろしくお願いします。……んっ」

「んむっ……ぷぁ、いきなりかよ」

「嬉しくて、つい」

「……もう、我慢しなくていいからな」

「それは、和泉くんの方も――」

「『和泉くん』?」

「へっ?」

「歩、もう、彼氏だよ? 俺」

「……あ」

「歩」

「……大輔」

「歩」

「大輔」









「おいで」


「うんっ」









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