第46話 とくになし

1〜2時間ほど経っただろうか。

広橋以外の客もちらほら来たが、普段の客入りより今日は人が少ない。

和泉は幹生さんと花音さんの計らいにより、割と広橋の相手に集中できている。


「そろそろ帰るね。今日は楽しかった」


広橋が、席を立った。


「ありがとう。俺も楽しかったよ」


和泉は少し寂しげに礼を述べると、グラスを洗い始めた。

そんな和泉を見て、幹生さんが会計を終えた引き留める。


「ちょっと待っててくれませんか」

「いいですけど、どうしてですか?」

「和泉くん、今日はあがっていいよ」

「はい?」

「あ、じゃあグラス洗い俺が代わりますわ」

「助かるよ、櫻木くん」

「あの、俺は」

「和泉くんは、こちらの女性を送って差し上げなさい。これ、業務命令だからね」

「……はい。広橋、着替えてくるから待ってて」

「うん」


更衣室に下がる和泉の顔は、はっきりと綻んでいた。






「……あの、幹生さん」

「なんだい」

「俺も、来年の誕生日早くあがっていいですかね」

「それは無理」

「なんで!?」








和泉を送り出した後、特に問題が発生することもなく、つつがなくその日の業務は終了した。

深夜2時、寝ようとした俺に着信が入る。

できる限り静かにベッドを抜け出し、ベランダに出てスマホを見ると、画面には「広橋歩」と表示されていた。


「……はい、もしもし」

『こんばんは。相談に乗ってください』

「……『夜分遅くにすみません』くらいは言いなさい」

『夜分遅くにすみません』

「よろしい。で、なんだ」

『和泉くんから、私の話聞いてませんか』

「ん? どういうこと?」

『その、私のこと好きだとか、そういう話です』


ふむ、気づいたか。

しかし、俺からバラしても面白くないし、無粋だ。

なにより、和泉のためにならない。

むしろ、ここは広橋を焚き付けてやるか。


「一切ないけどな。なんで?」

『え、マジですか? 一切?』

「マジの大マジ。そもそも恋愛興味なさそうだし」

『うーん、確かにそんな感じはしますけど……』

「なんかあったのか?」

『そもそも、和泉くんから誘ってきたんですよ。「今日誕生日なのにバイトだから、来てほしい」って』

「おー、そうだったんだ」

『で、帰り道、「広橋が来てくれて嬉しかった」とか、「これ、大切にする」って言ってくれたんですよ』

「よかったじゃん。それで?」

『終わりです。他には特にありませんでした』

「へえ」

『いや、「へえ」じゃなくて。和泉くん、私のこと好きなのか興味ないのかわかんないんですよ。で、櫻木さんに何か和泉くんから相談してたりしないかなって』

「知らん。知ってたとしても、言わん』

『なんでですか』

「そもそも、なんで広橋はどっちかわかんないんだよ」

『だって、手を繋ごうともしないし、「上がっていく?」って聞いても普通に断って帰ったんですよ』

「別に、普通じゃねえの。俺だってそんな感じだったじゃん」

『え、そうなんですか? 櫻木さんは私のこと好きじゃないからわかりますけど、私のこと好きなのに家に上がっていかないとかあります?』

「あるだろ。なんでそう思うんだよ」

『好きな人とは出来るだけ長くいたいじゃないですか。それに、2人きりですよ? あわよくばエッチだってできるかもしれないんですよ?』

「……あのさ。前半はともかく、後半は間違ってるぞ。好きだからこそ、体目当てだと思われたくないってことだよ。和泉が広橋のこと好きなら、だけどな」

『……なるほど』

「なあ……和泉のこと、信じてやれないか?」

『……まだ、わかんないです。和泉くん、誰にだって優しいですし……私以外にも、あんな感じかもしれないですし』

「そうか。まあ、俺が結局何を言いたいかっていうと、『今までのクソ男どもと俺の大切な後輩を一緒にすんな』ってこと。広橋が和泉のこと好きになるかはともかくとして、きちんと真摯に向き合え。以上」

『……すみませんでした。それと、ありがとうございました。こんな遅くに』

「うむ。じゃあ俺は寝るぞ。おやすみ」

『はい、おやすみなさい』



結局、和泉の好意を半ばバラしたような形になってしまった。すまん、和泉。

広橋だって、変わろうとはしているんだ。

和泉は、それを焦らず待てばいい。

和泉と広橋のそれぞれに向かって心の中でエールを送りつつ、部屋に戻る。

窓を閉めると、ベッドの中がもぞもぞと動いた。


「……誰」

「広橋」

「なに」

「和泉のこと」

「へえ」

「心配?」

「ちょっとだけ」

「ごめん」

「いいよ」


今日は、もうベッドを抜け出せそうにないらしい。



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