第9話 宣戦布告
カクテルパーティー効果、だっけか。
いや、正確にはそれと違うかもしれない。
ともかく、突如投げかけられた後輩からの質問に、周囲の話し声や歌声は全て無音と等しい存在になった。
「いないよ」
喫煙所からの帰りに注いできた烏龍茶に一口つける。
後輩の真っ直ぐこちらを射抜く視線から目を逸らす口実として、どうしようもないほどに襲いかかる口内の渇きを利用した。
「へえ、西野さんとは付き合ってないんですね」
「付き合ってただけだよ。広橋さんも知ってるでしょ。だから、『いま』って言い方したんじゃないの」
再び彼女に視線を向けることはせず、もう一口――今度は、コップの残りを全て飲み干す。
喉を烏龍茶が通過する音すらやけにうるさく感じられる中、広橋さんはこちらに体を寄せ、左手も僕の太ももに乗せてきた。そしてその両手を支えにすることで、僕との垂直方向の距離を詰める。
「ね、抜け出しちゃいませんか?」
耳元で囁かれたその一言は、ともすればそれだけで僕の理性を吹き飛ばしかねないほど、甘ったるく、そして刺激的だった。
「一旦2人きりで話がしたい」と一旦返事を保留し、まだ人が利用していない寝落ち部屋に入る。
途中、部屋を出る口実として立ち寄ったドリンクバーでメロンフロートを入れる。
指示通り2分後に広橋さんは入ってきた。
同時に男女が部屋を抜け出すのは、ともすればそういう目で見られかねないため、時間差をつけることを要求した。
「櫻木さん、もしかしてここで始めようってことですか?」
「違う。寝落ち部屋をそんな目的で使ったら永久追放だわ」
「なんだ、ちょっと残念です。それで、お話ってなんですか?」
広橋さんが、再び俺の左隣に座る。
誰もいない部屋では先ほどのように密着の必要はないのだが、肩と肩が触れそうなほど近くに座ってきた。
1度適切な距離をとろうと尻を動かしたが、その広がった距離は5秒で詰められてしまった。
はぁ、と大きくため息をつき、無駄な抵抗をすることはやめにして、本題に入る。
「さっきの、どういうつもり?」
「どういうつもりだと思います?」
「先輩をからかうんじゃない。あと、質問に質問で返すな」
「先輩だって、わからないほど鈍感じゃないでしょう?」
「付き合ってもないしよく知りもしない相手と、そういう行為はしたくない」
「これから知っていけばいいじゃないですか。まずはカラダからです」
ふふっ、と官能的に微笑む彼女の主張は、僕にはどうにも理解できなかった。
流石に結婚までしないなどと主張するレベルではないが、付き合うまではプラトニックな恋愛をしたい。
それに、このまま流されて広橋とセックスをしたとして、脳内にとある女性がチラつくのは間違いなかった。それは、2人対して失礼だ。カラダだけの関係で、そんなこと気にはしなくてもいいのかもしれないが。
「俺の趣味じゃない」
「私のカラダがですか?」
「面倒だから、そういうことにしておく」
「なんで、私じゃダメなんですか」
「色々あるんだよ、俺にだって」
「私が全部まとめて上書きしてあげます」
「……なんで、俺なんだ」
「なんででしょうね。雰囲気? この人私と相性良さそう、みたいな」
「そうでもなかったらどうするんだよ」
「普通にワンナイトの関係で終わりです。今までだってありましたよ、そのパターン。普通に長続きしたパターンもちゃんとありますよ。浮気されてどっちも終わりましたけど」
お試しで体を重ね、相性がいいからと付き合い始めて。もっと相性のいい女がいれば、そっちに行く。そういうものなんだろうか。
「櫻木さん、浮気とか絶対にしなそうですね」
「したことはないし、これからもしない自信がある。だから、君とそういう関係にはならない」
「いま彼女いないんですよね」
「いないね」
「付き合ってないんだったら、浮気になりませんよ」
「それとこれとは話が違う」
「……西野さんですか」
こちらの顔を覗き込んでくる彼女には目を合わさず、ぶっきらぼうに「さあな」とだけ返したが、どうせ見破られているだろう。
彼女は大きなため息をつき、少し声を震わせる。
「未練タラタラってわけですか……ムカつくなあ」
「勝手にしろ」
「そうさせてもらいます。私、諦めませんから。むしろ敵がいると燃えるタイプなんで」
「……勝手にしろ」
自分のコップを持って出て行く彼女を、座ったまま見送ると、フロートをストローで思い切り吸い込む。
かなり溶けてしまってはいるが、それでもまだ十分に冷たかった。
告白、されたんだよな。一応。
女性経験は真奈美以外皆無だった俺にとって、彼女の恋愛観は異世界のものとすら思えた。ただ、あっちからしたらアレが一般的で、俺が異世界の人間なのだろう。
それを「相性良さそう」とか思えるんだから、彼女の感覚は大してあてにならないんじゃなかろうか。
さて、そろそろいい頃合いだし俺も戻るか、と寝落ち部屋のドアを開ける。
よく確認もせず出ようとしたため、ちょうど入ろうとしてきた人とぶつかってしまった。
「ごめん」と謝り、誰か確認しようと目線を下に向ける。
――そこには、真奈美がいた。
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