第6話 およそ10センチの距離

2回生前期3セメの講義の第1回目は、全てガイダンスで終わった。

憂鬱な月曜日が実質講義なしで終わるのは誠に有り難い限りである。

通常、4限の講義が終わるのは16時20分で、墨キャンからでは原付だと法定速度を守っていればギリギリになってしまうのだが、有難いことにかなり早めに体育館に到着することができた。

中に入ると、バッシーが既に着替えて待機していた。


「お疲れー」

「お疲れ、早いな」

「4限ガイダンスで終わったわ、まじ神」

「それは神だわ」

「バッシーは月曜2限までだっけ」

「そそ。暇だから空中楼閣で軽く打ってきた」

「勝った?」

「1k負け、実質トントン」

「なんだ、つまんね」


空中楼閣とは、キャンパスすぐ近くにある雀荘の名前だ。

金曜や土曜の深夜は麻雀ジャンキー達による貸卓で店はほぼ満員になり、そこでは打ち足りない人間や、大学近くで用事があるが時間が少しある人間は、フリーに単騎で乗り込む。


「軽く1on1でもやるか?」

「やってる感出して新入生にアピりたいだけだろ」

「その通り」

「しゃあねえな、付き合うよ。新入生来たらいい感じに抜かれてやる」

「いいダチを持って俺は嬉しいぞ、サク」


数分後、新入生の女子が3人「お疲れです」と入ってくるのが確認できた。

「お疲れ」と挨拶を返して、手筈通りにフェイクに引っかかった感じで抜かれる。

我ながら名演技だ。自分を褒めてやりたい。


「バッシー、もう1本」

「いいぞ」


もう2本目は、さっきよりは粘っていい感じにフリーにさせてのジャンプシュートを打たせる感じにしよう。

キュッ、キュッとバッシュと床が擦れる音が響く中、それははっきりと聞こえた。


「お疲れです」


予定変更。

バッシーがディフェンスを振り切ってジャンプシュートを打つのを先読みし、容赦なくブロックしてやる。

はたいたボールは数回バウンドして、たった今体育館に到着した真奈美に拾い上げられた。


「よっ」

「今のブロック、すごかったね」


背中から少し恨めしげな視線を感じるが、振り返ってはいけない。

俺にだってカッコいいところを見せたい相手はkるのだ。

とはいえ、流石にバッシーには申し訳ないので、真奈美が来る前の1本目は見事に抜かれた話はちゃんとしておいた。





昨日の新歓レクとさして変わらない内容の練習とゲームを終えた後、真奈美が「一緒に帰ろう」と誘ってきた。

その場にいたウタとバッシーが無言で肩を殴ってきた。おい、地味に痛いのはやめろ。



真奈美に何が食べたいかのリクエストを問うが、とりあえず宅飲みしながら何か食べられればいいとのことだったので、道中にあるスーパーで酒とツマミになりそうな惣菜をいくつか見繕う。

ツマミを自作できないわけでは決してないが、運動した後にそんな気力は湧かないのが実情だ。


帰宅後、こないだは広げていた麻雀マットを片付けて、コタツ机の上に買ってきたものを広げる。

酒類は一旦全て冷蔵庫に入れて、予め冷えているビールを2缶取り出す。


「じゃ、乾杯」

「乾杯」


値段の割に悪くない味の惣菜おつまみと酒を交互に口に運びつつ、他愛のない会話が続く。

この1年お互いどうだったとか、大学生活での心得だとか、CROSSOVER内の恋愛事情だとか。

気付けば真奈美に許可を取らないうちに俺はタバコに火をつけていたが、真奈美はそれを咎めることはなかった。

むしろ真奈美も、一昨日から机に置きっぱなしだった箱に残った19本からまた1本を抜き取り、火をつける。


「こないだはよくわかんなかったけど、これすごいレモンの味するね」


吸い口にあるカプセルを前歯で噛むと、レモンの味がするオプションメンソール。普段俺は、レモン系とメロン系を1箱ずつ交互に吸っている。


「慎吾って、なんでタバコ吸い始めたの?」

「なんとなく。深い理由なんてないよ。なんで酒飲み始めたのか聞いても無駄なのと一緒」

「そんなもんか」

「そんなもんだよ」


世の中の喫煙者も、だいたい同じ答えをするだろう。

興味本位とか、もらいタバコがきっかけとか、そんな程度だ。

二十歳になったから、なんて人もいると思う。

普段よりハイペースで煙を吐き続けた俺が吸い切った頃、真奈美のタバコはまだ半分残っていた。

もう1本吸うか、と自分の吸っている同銘柄の5ミリの箱から1本取り出し、ライターに手を伸ばす。


「あ、ちょっと待って」


俺が取る寸前、ライターは真奈美に掠め取られる。


「漫画で読んで、やってみたかったんだよね」


そして、真奈美は自分のタバコの先端を、俺の咥えているタバコにくっつけた。

所謂、シガーキス。


「まだ口に触れていい身分じゃないのはわかってるけどさ、これくらいは許してよ」


にへら、と笑った真奈美は、僕の知っているどの真奈美よりも大人びて見えた。

それとは逆に、僕の口内は甘酸っぱいレモン青春の味で満たされているのであった。







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