偽らざる思いⅢ


「片桐君!!」


 誰かの声がおぼろげな意識の中、微かに聞こえる。


「片桐君!大丈夫!?」


「雫!?」


 声的に綾香と光輝だろうか。

 姿はどうにも確認できなかった。


 もう、体が言うことをきかないのだ。

 それもずっと走りっぱなし。

 久しぶりにサッカーをしたからってはしゃぎすぎというものだ。

 ほんと、何年ぶりなんだか。

 

「ごめ、ん。ちょっと、意識が保てそうもない……」


 肩を担がれたのか、閉じかける視界の中で光輝の影を見た。

 前の時からは考えられないくらい、その影は淡く映る。


「この様子じゃまた今度だな」


 俺はその言葉を最後に意識を手放した。


 




「おい、光輝!なんだあれは!?」 


 光輝は雫を室内の医務室に運び込ませた後コートに戻っていた。

 今日はこの後、合同練習をユースとやる予定でもあったから。

 元々は合同練習の後に練習試合をする予定だったのだが、雫のやってくる時間に合わせたためでもある。


 そんな背景もあり、このまま少し休憩したのち練習に移ろうとする光輝だが周りはそうはいかないらしくみんな地に伏している。

 とことん走り尽くしたらしい。


 そんな時にベンチでずっと口を開いていたユースの監督が光輝に話しかける。


「何って片桐雫ですよ、彼が」


「そういうことじゃない!というか何から聞けばいいんだか、聞きたいことが多すぎる。んんん、あぁ焦ったい!もう驚くことがこうも目の前に迫るとこうも言葉に詰まるもんなのか」


「落ち着いてくださいよ、監督」


「……お前は変に落ち着いてるようだな?というか何か変わったか?」


「わかりました?まぁちょっと。しこりが取れたような気がするんですよ。ずっと雫と戦ってみたくてそれが叶ったっていうのもあると思うんですけどね」

 

 光輝は静かに微笑んでみせる。

 これまでより一層爽やかに。


「はぁぁ、全く。情報が多すぎるってんだ。去年までの牙はどうしたんだってくらいお前は丸くなったみたいだしなぁ」


「運動はしてますよ?」


「そうゆーとこだっつーの」


 確かに監督からすれば光輝はひどく変わったように見えていた。

 去年まで光輝はユースという身でありながらその実力を誇示しても驕らない性格で、まるで一匹狼のような印象が強かった。

 そして決まって高校サッカーの舞台である全国大会では暴れまわって見せていた。

 

 しかしそんな光輝がプロからのスカウトも受けずに大学サッカーに籍を置いた。

 それが監督にとっての混乱の種になっていないはずがない。


 jリーグの下部組織に入っていながらプロの道に行かなかったのだから。

 それもその資格を持っていて。


 それが意味するのが今回のことなのだと結びつけるのはそう難しくない。

 

 ユースにはその後一切の連絡をよこさなかった光輝がある日突然、あの頃の牙を剥いたような顔で迫るのだ。

 片桐雫という過去の神童の名を携えて。


「片桐雫、か。聞きたいことは山ほどあるが、初めに聞いてもいいか?」


「はい」


「お前がついぞ言ってた目的ってのは果たせたか?」


 練習の日々で時折漏らしていた目的という言葉。

 監督の推測ではその言葉がこれまで光輝を強くしたものなのだと思っているのだ。

 そしてその推測は間違っていない。


「果たせませんでしたよ。俺は弱いままでした。雫の足元に及ばないほど」


 光輝にとっては憧れでありその才能に嫉妬した雫が目的だった。

 その強さの頂に並ぶことが目的だった。


 その夢が叶わなくて一旦は諦め、そしてその夢が今日目の前に現れた。

 でももしかしたらその夢は本当は夢であって欲しかったのかもしれない。


 現実は時に想像より悲惨な事実を映し出す。

 圧倒的な壁を感じさせるほどに。


 しかし監督は言う。


「それは違うぞ。確かに誰の目から見ても片桐は上手いし、強い。あそこまでのプレーができるやつなんて指で数える程度の人数だろうさ。だがな、それはお前が決して劣ってるわけじゃねぇ。俺にとってお前も指折りの人物のうちの一人なんだがな」


「俺が……ですか?」


「お前はずっとユースの時もトップ下、ボランチあたりの位置に固執したよな?まぁ、事実これまでそのポジションでやってきたから言ってるんだろうし、きっとそのポジションにも特別思い入れもあるんだろう」


 そのポジションは雫の位置でもあったから。


「だがお前、本当にそのポジションでいいと自分で思うか?自分がそのポジションで自身のポテンシャルを発揮できてると思うか?」


「仕方ありませんよ。だってこのポジションの絶対を知ってるのは俺だけですから」


「いや…………それも、そうか」


 光輝はそのポジションの最善を知ってしまっている。

 一番雫のそばでそれを見てきてのだ。

 それが意味することをわからない光輝ではなかった。


 だからこそそれを知った光輝にとって、他の人が雫のポジションを担ったところでチームとしての強さが発揮されることはなかった。

 だから光輝は自分がそのポジションについたのだ。

 きっと雫への憧れがそうさせてもいた。


 でも、光輝はそれ以上に知ってもいた。


「お前は知ってるんだな。自分がストライカーであることを。そしてなお、自分が弱いと思ってんのか」

 

「そうですよ。俺はずっと昔から人一倍ボールをゴールに運ぶことだけ考えてました。それでもその過程でチームを意識していつか天才って言葉を間に受けて自分の個性を失いかけた。中学に入って本物を見て、そしてその本物が俺になんて言ったか分かります?お前天才だよ、って。俺はそんな雫のパスを受けてゴールを入れてきました。多分外したことは一度もない。でも、だからこそ、俺がストライカーでいられたのは雫あってこそなんです。あのパスでちょうどいいタイミングでこちらの意図がわかっているように。そんなのを知ってしまったら自分の強さなんてちっぽけなものなんですよ」


「だが、お前がユースで見せた得点のほとんどがお前のものでもある。それは十分に……」


 決定力のある選手であることには変わりないはず。

 だがしかし、それと同時に監督はその非情な事実も知っていた。


 光輝の入れたゴールにはアシストが入っていることがなかったのだ。

 つまりは誰かからのパスを受けてボールを決めていないということ。

 自分一人でボールをゴールに運ぶか、フリーキックやコーナーキックなどで直接ゴールを決めるか。

 その二つだった。


「それを知って夢から覚めて俺は諦めて。そして今日あってこうして戦って決めたんです。もう、終わりにしようって」


「なっ、やめるのか!?」


「やめるかは……まだわかりません。大学ではゆっくりとサッカーをするつもりなので。でも監督が期待しているようにはならないと思いますよ?雫はもう、サッカーをすることはないでしょうから」


「っ、なんで……!?」


「監督には話したと思いますけどあいつ、あれだけのことをしでかしといてここ数年サッカーしてこなかったんですよ?それに俺にはプレーで伝わってきたんです。これが最後だって」


「そ、そんな」


 監督にとって雫という存在は火に油を注ぐようなものだった。

 これからの世代の希望になり得るほどの才覚を感じられるほどだ。

 それもあれでブランクがあるという。


 そんな存在が本気でプロになろうものならどうなるのか、夢見ないわけがなかった。

 それも目の前にはストライカーの卵が転がっているのだ。

 

 きっとすごいことになると期待していた。


「監督自身も言っていたでしょう?今更プロどうこうと。あいつにとってもサッカーというのは今更のこと、なんですよ」


 光輝は雲の間から伸びる細い光を見た。

 まるでその先には雫がいるような気がして、その先に手を伸ばして。


「それに、あいつにはきっと居場所がある」


 そしてゆっくりと後ろに振り返る。

 俺が謝るのはまた今度だなと言わんばかりに、ひどく温かい表情で光輝は雫のいる方向を見る。

 

 ごめんな、雫。

 でもありがとう。



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