一条光輝の驚嘆


 試合開始のホイッスルが鳴った。

 始めは相手方、ユースチームのボールから動き出す。


 くしくも雫は俺と同じポジションであるトップ下に位置している。

 トップ下は主に攻撃の基盤になり得る場所に位置するポジションでもあるため、それこそ戦局を把握し最適なパスを生むことが前提のところだ。

 だからこの一戦の攻防の行方を辿れば必ず関与してくるポジションだ。

 きっとその流れで雫と俺、どちらが優れているか、わかる…………



 いや、そうじゃない。

 あぁダメだ。

 頭ではわかっていてもこれまでに培ってきた経験が自然と雫と優劣をつけたがってしまう。


 違うだろ?

 優劣で語るんじゃないだろ。


 どれだけ楽しんだかだ。


「こっちパス!」


 ボールを相手チームから奪ったところでパスを要求する。

 俺の位置はまさに今、盤上の中心だ。

 ここでパスを受けることができれば、相手がユースチームであろうとディフェンスを掻い潜れる。

 うちの右のサイドハーフ、つまるところ右前にいる先輩は足に自信がある。

 その人に大きく走らせて相手のコーナー側にパスを送り、中央にパスしてもらうセンタリングをすれば身長差で勝る俺らに有利に働く。


 その一連の動作をシミュレートしたところで、ボールが俺の足元に届こうとする。


 完璧な位置だ。


「左寄って!」


 俺が足元にボールを収めたと思った頃、ボールは俺の後ろ側へと抜け、雫の足元に吸い付かれるように位置していた。


 取られた!?

 いつ!?


 俺が一瞬にして切り返すものの、雫の出した声の通りに動いた相手の左側の選手に雫はスムーズなパスを通す。


 しかし、うちのディフェンスラインは強固。

 鉄壁と呼ばれた大地に加え、ゴリラ先輩のつくうちのディフェンスは並大抵の攻撃は通らない。


 ただ、なんだこの違和感。


 相手はボールを持ったまま、フィールドの中央でパスを繋げるだけだ。

 いや、別にそれがおかしいわけでもなんでもない。

 むしろこういうプレーの仕方は良くユースがやる手口の一つだ。


 でも何故かそのプレーに違和感を感じる。


「…………あれ、雫は……!」


 俺がここ数年見てきたプレーだから気づかなかった。

 そうだ、雫はこういう回りくどいプレーすら必要ないほど盤上のコントロールに長けた人間だ。

 こんなプレースタイルをただ盤石に守っていたんじゃ、イレギュラーである雫には対応できなっ……!


 そう思いたる頃には、どこからともなく少ないスペースに誰の視界にも入らずに位置した雫に鋭いパスが送られていた。


 本来四年もブランクのある人なら受け取ることすらできないような現役のユース選手のパス。

 それを流れるようにミートし、その勢いのままゴールへと走る。

 その前にはうちの誇るディフェンス陣が……待っているはずだった。


 蓋を開けてみれば体勢が十分でない大地の姿のみ。

 ゴリラ先輩はオフェンスに無意識に体が寄っているせいで、雫の方向に背を向けている状態だ。

 いわゆる場外の動きを完璧に把握した上でのポゼッション。

 雫からすればディフェンスとの一対一を越えればゴールと言っても過言ではない領域だ。


「大地!見ろ!!」


 俺はたった一言そう言う。

 そういえば気づくはずだ。


 この間のワンオンワン。

 やればやるほどにドツボに嵌められた大地。

 相手の揺さぶりを間に受けてしまったが故の失敗だ。


 だから俺は一言、見ろと言う。

 大地なら見れば取れる、そのポテンシャルがあるのだから。


 大地はその言葉の意味を感じ取ったかのようにただ雫の動きを見ていた。

 その視線の動きも体の向きも、足の動きも。


 そして磐石に構えた大地は何者をもその後ろには通さない。

 はずだ。


「なっ!?」


 そのはずだった。

 しかし、その背後にはボールを浮かせて大地を抜いた雫の姿があった。


「あんなのアリかよ……」


 誰かのぼやきが俺にも聞こえた。

 あぁそうだ、これが片桐雫ってやつだった。

 どうしようもなく天才で神童だったあの片桐だ。


 あいつはボールを爪先で少し浮かせたと思えば、膝でボールを前方向に押しつけるように蹴り出し、そしてまた爪先で自分の胸に吸い付かせるように浮き上がらせた。

 それも大地が反応したのとは逆の方向へ胸を動かすようにして。


「ハハッ、やっぱスゲェーよ雫」


 これが四年のブランクを積んだ奴の動きか?

 サッカーを辞めた奴の動きだって?


 もう笑いが込み上げてくる。

 比べるまでもねぇじゃんか。


 でもそれより俺はうちのチームの失点になろうと言うのに、今この瞬間すごい嬉しいって思ってしまったんだ。


 だって、あいつがああいう笑い方をするのは本気でサッカーを楽しんでる時の顔だったから。

 いっつも隣で見てきたあのいけすかない顔だったから。

 

 でもそっか。

 そう思ってくれてるんだな。



 ゴールに入ったホイッスルが鳴り響く。

 相手側の先制点だ。


 多分今、俺だけが雫という存在を誰よりも理解しているんだろう。

 大学のチームメイトも、ユースの面々も、監督でさえ、その一連の動きだけで圧巻といった表情だ。


 なんか滑稽だ。

 これまでに築いてきたこと全てが否定されたような気分だろ?

 これまでの全てがなんだったのかと思うほどの衝撃がこの数分で感じられただろう?

 でも、あいつは雫はただ楽しんでるだけなんだぜ?


 笑っちまう。

 ただ強くあろうとしてきたユースの人より、ただ楽しむためにボールを蹴ってきた雫の方が何倍と上手いんだから。

 俺もずっとそれに囚われ続けてきたんだ。

 お前らも少しは味わうといいさ。


 今のユースには圧倒的な強者がいない。

 チームとしても強いし、個人技も確かに一つ頭が抜けて上手いだろう。

 でも、その中でさらに頭一つ抜ける存在がいない。

 それがいなければどんどんレベルは下がる一方。

 そのレベルで満足し出しているのが今のユースだ。

 だが、たった一試合だが、その存在が目の前に現れるんだ。

 いい刺激だろう?

 なぁ、監督さん。



「雫!」


「ん?」


「次は絶対に止める!!止めてみせる!!」


「あぁ、来い!」


 雫は口角を自然と持ち上げ、不敵な笑みを浮かべた。

 俺は今の俺を正しく認識できていないが、それでもこれだけはわかる。


 俺の顔は雫と同じような顔をしていただろうことが。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る