一条光輝の追憶Ⅱ


 俺と大地は小学校の頃からずっと同じだった。

 初対面から意気投合していろんなことを二人でやってきた。

 それからサッカーをやるのにそう時間もかからずに。

 

 多分俺らはいわゆる才能ってやつがあったんだと思う。

 初めてボールを触れた時もどう動かせばいいのかとかそんなこと考えもせずにまっすぐシュートを打つことができたし、ドリブルもそこら辺の経験者を抜けるくらいには十分にできた。

 言葉にはしなかったがきっと大地もそんな感じだった。

 だって最初っから俺らはずっと互いを練習相手として研鑽していったから。

 俺と大地、いつも互いを高め合って互いが天才であると疑ってこなかった。


 でも中学に入ってからそんなものが幻想だって気づいた。

 多分俺らはこのまま小さな輪の中で生きていれば何も問題もなかったのに。


 なぜって?

 そんなの簡単だ。

 本物、を見たから。


 あいつは俺たちと同じ一年生としてサッカー部に入部してきた。

 身長は普通くらいで今みたいに一つ頭が抜けているわけでもなく、美少年と形容するのが正しかった。

 

「片桐雫、一年です!これまでずっと一人でやってきましたが、全国大会に出られるように頑張りたいです!」


 開幕一番に言ったことがこれだ。

 もちろんみんなそんな言葉を間に受けてなどいなかった。


 何せこの桜蔭中学は無名も無名。

 地区予選で四苦八苦するような弱小なのは周知の事実だったから。

 全国なんて夢のまた夢で隣の中学にどう勝つかを毎年うねっている程度なんだ。


 俺はそいつを見た時世間知らずなやつだな、程度にしか思わなかったし、みんなそう思っていたに違いない。

 きっとサッカー部っていうものに夢を持った少年なんだと。


 しかし違った。


 あいつは片桐雫は天才だった。

 俺らのような内輪で誇張した天才とは程が違う。

 本物の天才だ。


「お前……本当にチームに入ってなかったのか……?」

 

 部活の三年、区内の優秀選手程度の実力を持っていると言った先輩の言葉である。

 

「はい。何か、おかしかったですかね?」


 それも初めに一年の実力を見る体で始めたミニゲームに近い練習試合でだ。

 それも二、三年の混合チームにたった五分で三点をとったのだから。


 俺もそれにあやかっていたからわかる。

 あいつのパスの精度も、あいつのコート内でのゲームメイクも、あいつ自身のシュート精度も全てが完璧でいつのまにか俺もゴール前でフリーでボールを蹴っていた。


 まさに天才、神童だ。

 あいつを見る目がガラリと変わった瞬間でもあった。



 それからの躍進は伝説と言ってもよかった。

 

 新人大会では一年ながらトップでのスタメン入りで、見事ハットトリック。

 夏の支部予選では準優勝で都大会まで進み、惜しく全国入りならず。

 トップに入った雫を徹底マークされ、パスが通らなかったからでもあり、その試合を三対二で敗北を期した。


 それを去年まで無名の中学がやってきたのだ。

 それもたったの一名。

 おおよそ一人でできるだけの力でこうも躍進するなど誰もが信じられないほどに。


 だからこの一年時ですでにこう名前が浸透していった。


 ――神童、片桐と。


 そんな圧倒的な姿を俺は目の前で見たのだ。

 俺だって本物でないながら天才を自称したんだ。

 それに見合うだけの努力も、研鑽も重ねた。

 そして一年ながらもサイドハーフを任せられ、何度か出場したのだ。


 でもそれが最も惨めだった。

 一番目の前で才能の差を叩きつけられるのだ。


 あいつは常に首を振って周りの状況を確認して俺に視線を送ってくるのだ。

 俺だけじゃない、おおよそ全員の動きを把握しているように動く。

 トップの位置で多くのマークをつけられているのにだ。


 それがひどく惨めで、それに従って動くのが一番だということも分かっていたからこそ、俺は辛かった。

 それも、あいつのプレーが美しいと俺自身が感じてしまったことも。



 二年になって去年までの三年生が引退し、新三年生主体で部活が進められるようになった。

 ただし、その世代はくしくも俺がいた三年の間で一番奮わなかった時代でもあった。


 というのもこの新三年生、ほとんどの人が去年スタメン入りを果たせなかった人たちだったのだ。

 主にあいつによって。


 トップのポジションを約束されていたフォワードの人はもちろん、練習態度が悪かったり素行が悪い選手は軒並みポジションから外されたのだ。

 俺も知らなかったことだが、あいつがここにくるまで部活としてそこまで活気があるわけでもなかったから。

 あいつが来てから周りに活気というか、やる気を生ませていたのは間違いなかったという。

 全国まであと一歩というのもあいまったんだとか。


 だからだと思う。

 俺らが二年になって半ば強制的に雫をスタメンから外し、三年生主体のチームに変えていわゆる年功序列を築こうとしていたのは。


 始めはそれでもいいと思ってた。

 何より一番近くでいてしまった俺は誰よりもあいつのプレーを理解しているし、それゆえに今の三年生ではチームとして機能しないことはわかっていたから。

 だから俺は俺が出られればそれでよかった。


 しかし、雫は試合に出られないならと言って、より練習に力を入れ始めた。

 三年生にとって練習とは自らのプライドと威厳を保つための最低限の行為としてしかとらえていない練習でもあるため、練習も自然と分けられた。

 三年生と一、二年生に。


 それがまた驚愕に値することなのは今も忘れられない。

 ずぶの素人であったはずの一年生をたったの数ヶ月で都大会で競ることができるほどまで育て上げてしまったのだ。

 

 それはひどくわかりやすくて、一応の経験者である俺も所々で感心してしまうほど。

 例えばドリブルにしても、ボールと自分の距離を把握することが重要である、とか。

 パスにしてもただ仲間のいる方に蹴るんじゃなくて、味方の進みたい方向にボールを運んであげるイメージだとか。

 そういう基本的なことすらも丁寧にするから余計に基礎が出来上がっていっていた。


 そして夏の大会。

 一回戦では雫を抜きながらも三年生の地力の意地で勝ち上がり、都大会への切符を手にしようというくらいまでいけそうだった。

 しかし、相手は都内でも強豪。

 去年決勝で敗れたチームでもあった。


 そういえばその時こう聞かれたんだっけ。


「二十番はどうした」


 って。

 それだけで察してしまったんだ。

 俺らなんて眼中にない。

 初めから二十番の背番号を背負っていたあいつだけが相手にとっての脅威なんだって。

 俺なんか脅威のきの字すら感じてもらえていなかったんだって。


 そして後半戦、三体〇でよもや負けようという頃、苦渋の決断とでもいうように三年生は雫を登用した。

 中学の試合は前後半三十分ずつでもあるから、残り三十分とない時間からである。

 

 しかし、まるでなんでもないかのように当の本人である雫は笑顔でピッチに返り咲いた。

 一つのアシストと、ハットトリックを決め相手に攻めさせる隙を与えず見事逆転してみせた。

 

 その時ばかりは何故かホッとしてしまったのを覚えている。

 何故だかはわからない。


 

 そして三年になって運命の時が迫っていた。

 この時代はまさに黄金期。

 確実に全国で活躍できるほどにチームが出来上がっている時期でもあった。


 俺と大地は言わずもがな。

 三年生メンバーは言いたくはないがこの二年間、ずっと雫と共に練習してきたからこそこないだまでは素人だったのを感じさせない動きを見せている。

 二年も言わずもがな。

 今年こそ優勝できるんじゃないか、ってどこかで思ってた。


 それが俺らの中で疑惑に変わったのは全国大会の一回戦目だ。

 去年は結局三年の横暴によって雫の登用はなされず、都大会一回戦負け。

 今の三年も二年も全国大会へは初めての挑戦だった。


 しかし、世の中はそう甘くない。

 どこかで俺らは勘違いしていたんだ。

 俺らがここまで勝ち上がってきたのは俺らが努力してきた成果だと俺ら自身がそう思ってた。

 でも違ったんだ。


 その日の朝、一本の連絡が入った。


 電車の人身事故で雫が前半出られないかもしれない、という連絡が。


「本当は緊張してるんじゃね?」


「ま、いつも通りやれば俺らならいけるって」


「むしろ俺らで大差つけて雫を驚かせようぜ」


 控室でそんな会話を耳にしていた。

 内心俺もそれだけのことはしてやろうと思ってた。


「光輝も!俺がパス出すからいつもみたいに決めちゃってくれよ!」


「あぁもちろん」


 俺もそうなることを疑っていなかったし、俺もハットトリックを決められるほどの技術を磨いてきたつもりだった。


 

 そして試合開始のホイッスルが鳴り、相手側からのボールで始まった。

 前半に雫がいないこともあって、今回は俺が雫のポジションであるトップ下に入り大まかなゲームメイクを任されている。

 

 周囲の状況を把握して声を出す。

 雫もそうやって指示を出すことが多いし、必要であれば目線で人を動かしていた。

 まぁ雫がいない状態もチームで練習することはあったし問題なかった。

 と思っていた。


 それが綻び始めたのは試合開始十分と経ったくらいだった。


「はぁはぁ…………あれ……?」


 まだ始まって十五分だ。

 息が切れるには早すぎる。


「九番後ろ行ってるぞ!光輝!!」


「っ!?」


 俺が息を整えようと体勢を整えたその一瞬、俺の背後を九番が飛び出していた。


「なっ、」

 

 なんでボールがまだ相手のディフェンスラインにあるのにこうも無鉄砲に走ったのか。

 そんなこと考える隙すら与えてくれない早さで俺の後ろをかけ、ディフェンスの間へ走り込んでいた。


 もとより俺の位置はトップの下。

 本来ならもっと前にいるべきだった。


 しかし、相手によって動かされていたのだ。

 俺が後ろにポジションすればより相手からしたら空間を広く使えるから。


「しまっ!!」


 しまった。

 そう思った頃には、さっきまで俺がいたところに相手の十番が位置し、そこから軽快なパスワークでディフェンスの間へと走り込んでいた九番にパスを繋げる。

 完全にフリーの体勢だった。


 そして響くのはゴールのホイッスル。

 この試合二度目の、しかも相手側のゴールだ。


「くっそ」

 

「ドンマイドンマイ、次行こうぜ光輝!」


「あ、あぁ」


 そして前半が終わって蓋を開けてみてみれば三失点ゼロ得点。

 防戦一方の試合でただ走らされただけ、明らかに実力差のある試合だった。

 そんな時だ、こんな言葉を聞いたのは。


「十番いないのか」


 まるで俺らが視界に入っていないかのような言葉。

 その抑揚や表情も相まって俺らに対する無関心をひとかけらも隠そうとしないその態度に、俺は唖然とするしかなかった。



 いつからか俺は雫を、あいつを認めてしまっていた。

 あいつは凄いし天才だが、あくまで初めだけ。

 俺だってここに入って三年目なのだから、あいつには追いついていて、互いに実力を伸ばし合うくらいにはなっているのだ、と。

 そして俺もまた、あいつのように天才と呼ばれるほどの実力がついているのだろうと。

 そう思ってしまっていた。


 だってあいつ自らが言うのだ。


「光輝はここぞというときの決定力もあるし、ドリブルも上手い。きっと勝てる」


 と、そう言うのだ。

 俺はあいつを見て自分を惨めだと言った。

 でもそんなことを気にする暇があるなら努力しようと、その惨めな気持ちなど放って、それ故に一番に尊敬しているあいつと切磋琢磨したつもりだった。

 その結果がきっとその惨めな気持ちを塗りつぶしてくれる思うほどに。


 しかし、そうじゃなかった。

 

 俺はあいつのようにはならなかった。

 あいつのように上手いと、相手にとっての脅威になっているとそう思うには状況が悲惨すぎた。


 そして一番俺にとっての悲劇なのは雫が入った後半戦で逆転勝ちしてしまったことだ。

 それも前半とは違って、俺らが圧倒する形で。


 そんなのを見せられてこう感じないと言うには無理があるだろう。


 ――俺らは片桐雫なしでは弱い。


 のだと。



 それが何度も俺の、いや俺だけじゃない、きっと雫だけが感じ取っていなかったことだ。

 雫だけが感じ取れなかったことだ。


 俺らの心を蝕んだことを。


 日々の練習が次第に苦痛に感じるようになっていった。

 雫の懇切丁寧な説明もまるで俺らを下に見ているような錯覚に陥らせた。

 雫の圧倒的なゲームメイクも俺らをもののように使っているだけなんだと思い始めた。


 試合ではいつも俺の欲しいところにボールが運ばれ、いつも俺の前にはキーパーしかいない。

 そのフォローに回っている雫を見ると「お前が外したところで俺が決める」と言われているようにも感じさせた。

 でもそれだけは俺の本能が否定するように、毎回ゴールにボールを収めた。


 そして一つ一つ勝っていくごとに、俺らに向けられる賞賛の瞳が、本当は俺らを蔑むように見ているんじゃないかって思い始めた。


 ――あれが片桐雫のチームか。


 どこかの監督が口にした些細な言葉も、その全てが俺らを圧倒的に下の存在だと思って言っているんだって思うしか無くなってしまった。

 もう末期だった。


 俺らが俺らという存在が否定されていると感じるようになるのに、もう時間は必要なかった。





「今日が正念場だ!ここで勝てば決勝に進める。相手は現在二連覇中の相手だが、俺らなら勝てる!今日までに培ったもの全てを尽くして頑張るぞ!!」


 俺らは多分、ずっと我慢してきたんだ。

 俺らなら勝てる?違うだろ。

 俺がいるから勝てる、だろ。


 今日までに培ったもの?

 そんなもの、もう、どうだっていい。



 多分、片桐雫という人物は何より人のことを想える。

 何より人のことを考えられる。


 でも、それが俺らにとって苦痛なのだと知らないのだ。


 だって俺らの苦痛そうな表情を感じ取れば、いつだって親身に寄り添ってくれた。

 相談に乗ってくれた。

 それを俺らは跳ね除けたのだ。

 お前なんかにわかるか、と。




 試合開始のホイッスルが鳴った。


 そこに残ったのは、棒立ちの十人とボールをコツンと転がして前へ走ろうとする雫。

 困惑の色を残した相手チームの姿だった。


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