松野涼子の独白Ⅲ
このスペースはそこまで広いというわけではないため、よほど小さい声でない限り声が周りに届かないということはない。
つまり、お世辞にも声が小さいとも言えない柚月さんの声などこのスペースでは簡単に通ってしまうわけである。
「松野さん大変っすね」
「木下を御し切れるのなんてうちに松野さんしかいませんよ」
営業部に所属する男性二人がそこにいた。
もともと柚月さんは営業に一年間配属されていたこともあり、彼女の人となりを知った上でのものだろう。
「そうかしら。可愛いものじゃないですか?」
「可愛らしくはあるんでしょうけど、なにぶんねぇ?」
「木下は、なあ?」
彼らは二人で見合っている。私の知らないところでは彼女は敬遠されているのだろうか?
「そんなに柚月さんは馴染めていなかったんですか?」
「あぁ、いえそういうわけではなくてですね。なにぶん俺らじゃ木下を相手できなかったっていうか」
「ちゃんと向き合ってやれなかったっていうか」
そういうと彼らはまたも向き合って苦い顔をしていた。
柚月さんは普段は口調も粗野で天真爛漫といった感じだが、先輩に対してはちゃんと敬意を払えるいい子だ。
「その点松野さんは木下のことちゃんと見てあげられてるでしょう?」
「私が?」
「そうですよ。俺らも最初は木下のなんでも聞いてくるところとか、容量はいいのにおっちょこちょいなところとか可愛らしく思えたんですけど」
「時間が経つにつれ俺らなんかじゃフォローしてあげられなくって。だから松野さんみたいな自分のことだけじゃなくて相手のこともフォローできる人、すげーなーって思ってたんすよ、ずっと」
「そういうことですか」
確かに彼女は爪が甘かったり抜けてるところがあるかもしれないが、心根はただ役に立ちたいという思いなのが伝わってくるため、それにどうしても答えてしまうのが常だった。
すると周りからはこういう見られ方をしても仕方もないのかもしれない。
「そういえば松野さんって今年からユナイトの方の総務になったんでしたっけ」
「えぇ、そうですね」
「うちも最近ユナイト関連の営業ばっかでなかなか新しい仕事持って来れないんですよねぇ」
「ま、今は仕方ないだろ」
「そうだよなぁ。最近はライブ関連でいろんな会社を右往左往。あっちで契約精査をしてると思ったらスポンサーの連絡が滞っていたり、こっちで納期の確認をしてたら器具の見積書のゼロが一個多いのを見忘れそうになったり。あぁつれぇ」
「人数が少ないんだ。俺らがやんなきゃどんどん廃れていっちまう。それに、二年前より楽しいだろ?」
「確かに。忙しいっちゃ忙しいが、やりがいが半端ねぇよ。今日もうちのタレントがこうも褒められてりゃ楽しくないわけがない」
そう言って彼らはスマホを指差していた。今日も行われていた月一の公式放送のことだろう。
「松野さんは今回現場でしたか?」
「えぇ、見ているだけでしたけどね」
「いいなぁ。たまには俺も見に行きたいなぁ」
「別に社員なんですから来ても構いませんよ?」
「ほんとですか!?俺ら部署が違うから少し怖気付いてて……。なかなか生で見られないんですよね」
「構いませんよ。しっかり話を通していれば時間も調整できますし」
「じゃあ、次空いてたらお邪魔してもいいっすか?」
「えぇもちろん」
それを聞くと彼らは二人で喜び合っていた。
こうも喜ばれるとこれまでストイックに仕事をこなしてきただろうことがわかり、少し申し訳なく思ってしまう。
現状だと社内で閉塞的な空気感が生まれてしまっているのかもしれない。
彼らはひとしきり願望を吐露していたが、ふと二人のうちの一人がスマホを持って休憩室を出て行った。
どうやら確認のためにでなければいけないらしい。残った一人もコーヒーを足早に飲んだ。
「では松野さん。俺ら行きますね」
「えぇ、頑張ってください」
「はい。あっ、そうそう。もしまだツイッターを見てなかったら見てみるといいですよ。ではお疲れ様です」
そういうと残る一人もまた、空の紙コップを持って出て行った。
そして彼が最後に残した言葉。
私も一応仕事用のアカウントを持ってはいるが、運用もリツイートばかりであまり活用していない。そんな私のツイッターを開いてみる。
するとそこに並んでいたのは私がフォローしている人、ライバー達がトレンドのスクショを上げているというものだった。
そこにはトレンド一位という文字が並んでいて、なおかつそれに付随してある著名人のツイートがぶら下がっていた。
「絢辻カレン!?」
今を輝く時の人、歌手としてデビューし今では女優業も行なっているスーパースター、絢辻カレンその人だった。
そのツイートにはこうある。
『初めてこういったライブを見ましたが、視聴者数が二万人近くいるのは驚きました。それに加え演出もテレビには引けを取らない素晴らしいもので、最後に至ってはVRの技術の進歩を感じさせられました。まだ見たことがない人は明日動画が上がるそうなのでぜひ見てみてください』
そして末尾には、この月一の公式放送に使われるタグである、”#月一ユナイテッド”がしっかりと書かれていた。
最近では、月一ユナイテッドも放送時間が土曜の五時からということもありトレンド一位を取る機会が多くなっている。
ただ、こういった著名人のツイートなどもらうことなどなく、細々とその時刻でのトレンドを飾り続けていた。
しかし今回は一位と言っても、そのツイート数は過去のものより二倍近いツイートがされている。
まだ終わって時間がさほど経っていないことからも、そしてあの絢辻カレンさんがツイートしたことも相まって、加速度的にツイート数が増えていっている。
それに彼女のツイートはまた一つ下に続いており、引用リツイートもしていた。公式が放送後すぐにツイッターにあげた、七々扇紫音の告知切り抜きである。
『特にこの動き。アクロバットに近いけどまったく同じ技ではなく、多分センスのままの動き。シルエットだけでもここの3D技術は目を見張るものがありますが、それよりこの人。特にあの動きのセンスには目を見張るものがありますね』
片桐君がパフォーマンスした部分について彼女は一つ掘り下げて書き込んでいた。
それらのツイートは一時間と経って既に一万近くのいいねがつけられ、いろんな人の目にこのユナイトという組織を知られた瞬間であった。
それにしても、今回の放送は近年稀に見るバズりを見せていくように思える。
その感想の口々には『バーチャルライバーって何?』というものから、『多分コートだと思われるこの服装、まじでVRとは思えない作り込みでヤバイ』『この回ってる技、素人っぽいのに完成度が高い。絢辻さん言うところのセンスの塊』と言った、その道のプロあたりも巻き込んでいた。
そんな有識者集う中にも厄介な民が集まるもので、『これVRじゃなくてグリーンバックで背景抜いた人間じゃね?』とか『こんな動きするやつおらんやろ、どーせMMDで動かしてるんだろ』など苦言を垂れるも、一つ一つ有識者によって論破されていくと言うあまり見られることのない光景が作り上げられていた。
「これも全て、片桐君の力ゆえということでしょうか」
ふと私は彼を不採用にしようとしていたことを思い出す。
我が社には扱いきれない人材だと、持て余してしまうと思い不採用にしようとしていた。
しかし私は面接の最後の瞳に、何か彼の本質を感じとったような気がして、どこか心の奥底で彼の報われる世界を夢想していた。
私が勝手に彼はここには似合わないと思い込み、私が勝手に彼の心が救われていないと決めつけて、私が勝手にここだからこそ彼は救われるんじゃないかと夢想する。
そこに私の意思は存在していなくて、ただ私の意思じゃないどこかの部分で、彼の不採用の道を断った。
彼と二度目にあった時、どこか面接で会ったときとは顔つきが違うように感じた。
いや顔つきは変わらず凛々しいままだったような気がする。
変わっていたのはあの瞳だった。
どこか空げに見えた瞳が、何か見つけられるような希望の光を灯らせていたように感じたのだ。
実際今の私には結局どうすれば良かったのかはわからない。
彼の意思が前を向いたのならそれが正解なのかもしれない。
しかし、果たしてこの始まりは彼にとって最善だったのだろうか。
本来であれば七々扇紫音は細々とした告知をしていくものだった。アクロバティックな演出もして見せなかったし、気の利いたパフォーマンスもしない。
その3Dの技術を世間は推し量ることはできないし、絢辻カレンも認知などしなかっただろう。
ただ、その本来の道を辿らなかった。
七々扇紫音は片桐雫によって、デビューの前から周りが求める七々扇紫音を演じなければいけなくなった。
別にそんなことはしなくていいかもしれない、がそれをすればきっと七々扇紫音は終わる。
一度消えた火を再び燃やすことは至難の業だ。
だがその一方で周りが求める七々扇紫音を演じることが、一体片桐君の何になるのだろう。
もしかしたら私は本質的なところで片桐君に自由であって欲しかったのかもしれない。
彼と初めて会ったときの空な目と、特殊な経歴、彼の大学を行かない境遇。
私はそれでも彼が我が社に似合わないと言い訳した。
でも本当は、彼に自由でいて欲しかったのかもしれない。
かつて私が裏切ってしまった私の憧れの人のように。
自分のエゴに正直な真っ直ぐな人のように。
そして今の彼にはその瞳の意思を感じている。
だから私は思案する。
私が彼をこの自由を束縛する世界へ送り込んだのだから。
これから彼がどんな道を進もうとも私は彼の選択を尊重していこう。
彼の求めるものを追い続けるための盾となろう。
彼が彼であり続けられるように、私は彼を見守ろう。
きっとそれが私のできる答えだと信じて。
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