松野涼子の独白Ⅱ


 そして会議室についた頃、プロジェクターで映し出された画面に椅子を近づけて見ている男性陣と、テーブルに手をつけて鑑賞しようとしている女性陣に分かれて群がっていた。


「お!きたか、木下!ちょうど始めるところだから、座っとき……」


「こんにちは。私も柚月さんに誘われたので、見せていただいてもよろしいですか?」


「は、はい!もちろんです」


 そういった問答が少しありながら、部屋を暗くして電気を消す。スピーカーの音を確認したと思ったところで、プロジェクターで映像が映し出されようとしていた。


「それにしてもアニメってすごいね。まだオーディション自体の母数も少ないのにそんなすごい応募があるなんて」


「ま、これからどうなるかなんて知れたことじゃないけどね」


「むぅ、またそんなこと言って。私知ってるんだからね。響也君の配信かかさず見てるの」


「ちゃんと配信できてるか確認してるだけだし。配信UI考えてるのあたしだもん」


「またぁ、そんなこと言っちゃって」


 女性陣はそんな話があったり、男性陣では自分の男性タレントの自慢をしているマネージャーにやっかみを入れたりだとか、そんな空間があったものの、映像が始まろうとする頃には一斉に静かになった。

 それにしてもそんなにすごいと言われるのなら先に誰の作品なのかを聞いておけばよかった。

 もしかしたらこの人の方が片桐君より適しているかもしれないのだから。

 なんだか、そんな思いに否定したくなる感情を巡らせながら始まるのを待っていた。




『ある日、僕は夢を見ていた』


『この小さな暗がりから僕が救われるのを、誰かが望んでいて欲しくて』


 真っ暗な背景にただ淡々と声と文字が映し出されるようにして始まった。

 その声はどこか聞いたことがあるかのような聞き心地のいい声だったが、それより演技が上手いとたった二言で思わせてしまうその表現力に驚いていた。


『おーーい!このうすのろ野郎!衛兵なら捕まえてみろってんだ!』


 舞台は中世あたりの貴族階級が蔓延る社会にポツンと溶け込む都の果てのスラム街。

 そこに住むそろそろ十になるくらいの少年と、その街の衛兵の物語であった。



 閑話休題



 エンディングでは少年たちスラムの子供たちが貴族とみられる人に身請けさせられているのを見ると、傭兵は何かを出汁にして貴族の養子の話を取り付けていたのだとわかった。

 それからの日々は見違えるように輝かしく、笑顔が各所で咲いていた。

 領主はその地位を剥奪され、スラムには孤児院が立ち、解体の話も消えていった。

 そして街は何事もなかったかのようにこれまでと同じ日々が流れていくのが見えた。

 

 そして、エンディングが終わって白いモヤがかかり、何者かの足が見えたところで映像が止まる。


 その観賞会が終わり、その空間に残ったのはなんとも言えない感傷だった。


「ゔっ、凄すぎるよコーーウ」


「まさか領主の陰謀を一衛兵が解決させたってこと!?」


「世界観がすげぇ作り込まれてる……」


「本当は誰かに救われたかったんだろうな。だからコウに……」


 口々に感想を口にするも、その感想もしっかりとした内容に対する意見で本当に一つの作品としてこのアニメを見てしまっていた。

 それが一人の人物によって作られたものだと忘れさせてしまうほどに。


「にしても街の書き込みもさることながら、衛兵と少年の丘の上で空を見上げるシーンの空、めっちゃ綺麗じゃなかった?」


「いやいや、それより子供なりの直情的な真っ直ぐな感情を表現できてる声がすげぇよ」


「それより随所で流れてた音楽。どれもシーンにハマった曲調だった。そんな曲を提供されてんのが凄い」


「でもシーンの切り方とか、キャラの見せ方、人の動かし方がめっちゃ自然に描かれてて、めっちゃ綺麗に見せてたでしょ」


「いや絵だよ」


「いや声だ」


「曲だろ」


「構図よ」


 前列で争いもしているが、彼らの言うようにこの作品は完成度がかなり高かった。しっかり一枚一枚書かれたアナログな制作方法だろうから、十分程度だとしてもかなりの枚数の絵を描かなければいけなかっただろう。

 それにしても本当にこれは何者の作品だろうか。

 多分声優が複数必要であるだろうから何人かの手を借りて作っていると推察できるが、一体どんな伝手をもって作っているのだろう。


「そういえばエンディングでちゃんとスタッフロールみたいなの流れてませんでしたか?みんなその背景に見入ってたようですが。まぁ私もですけど」


「それだ」


 そういえばしっかり書かれていたと今になって思い出す。

 そうしてリモコンを持った男はスキップを使ってアニメの最後の方に飛ばして見せる。



「え」


「うそ……」


「おいおい」


「マジかよ」


 そこに書かれていたのは制作者と思われる人の名前が書かれていた。

 というより”その人”しか書かれていなかった。

 あらゆる場面でその名前である“片桐雫"が流れていく。

 そしてすべての役割を紹介し終えたところで片桐雫以外の名前が出てくることはなかった。

 その時私は彼を形容するにふさわしい言葉を思い出していた。


 ――天才、そして万能。

 私は彼自身を見たけれど彼のその実績を直接目をにしたわけではない。

 だから今、初めて彼の才能を目にしてなにも声が出せなくなっていた。




――――――




 かくして私は彼の前に立っていることを思い出す。

 彼の類稀な魅せ方というのは、こういった経験の末の技術なのであろう。


「あれ、松野さん。いらしてたんですね」


「えぇ、一応サポートとして入らせていただいてました」


「お疲れ様です」


「いえ、そちらこそお疲れ様です。なんでも伊達さんに無理をさせられていると聞きましたから」


 彼は少し首を傾げたように見せると私はそういえばと注釈を入れた。


「伊達さんはこの番組のプロデューサーをしている恰幅の良い、少し口調が女性らしいお方です」


「あぁ、なるほど。伊達さんというんですね。どうせお世話になりますし挨拶とかしたほうがいいですよね?」


「伊達さんはそこまで格式張ったものに拘らないので、今回の件について尋ねてみる形がいいかもしれませんね」


「了解です。助かりました、松野さん」


「いえ、片桐君も出だしは好調で何よりです」


 ピタッと彼の動作が止まったかと思うと、私の方に顔が向いていた。


「あっ、すみません。失礼な呼び方をしてしまって……」


「いえいえ、なんていうかその呼び方の方が変に固くならずに済みそうなので、そのままでお願いします」


 彼は柔らかい笑みを浮かべて答えてくれた。

 それが愛想笑いだと分かっていても、なんだかそこにはなんでも許してくれそうな包容力があった。年上顔負けの。


「では今度こそ、失礼しますね松野さん」


「は、はい。では」


 彼はそう言って伊達さんのもとに向かっていった。

 番組が終わるとそのライブ映像は一時的に非公開にされ、簡単な編集を加え一日以内に公開されるのが常だ。

 そのため、プロデューサーは今回の配信の見どころを随所にメモしており、そこから不要な部分をカットしていく作業を指示していく。


 簡単な字幕と効果音も最近では入れる余裕ができてきていた。

 私も編集側として番組に携わる機会があったが、それぞれの役割通りにやるべきことを決めておき、その通りに編集することを念頭に置いておくと、不思議と配信を見ているときにも編集の仕方を勝手に考えながら視聴するようになる。

 故に、既に十数回と迎えるこの番組は、タレントとサポーターが一蓮托生となった人気を誇っていると我々は思っている。


 私はといえばこれから特に用事はないのだが、多分何かあって逃げ出したのだろう柚月さんを迎えに行かなければならない用事ができた。

 なんでも彼が巡り巡ってこんなことになったのは、部屋を飛び出した柚月さんの仕業とも言えるだろう。

 少なくとも、この社内にいる間だけでもマネージャーとして側でサポートすることを意識してもらいたいものだ。



 少しスタジオから歩いて反対側に向かうとそこには休憩スペース並びに談話スペースがある。

 彼女は何かあったとき、よくこういったところの角に居座ることが多い。

 現に今も、そのボブショートの髪にイヤホンを隠してスマホを眺めている。

 我が社では事業がネット関連だからそういった光景も稀ではないのだが、彼女はそれには当てはまらない。


 いわゆる社員でありながらしっかりとしたオタクなのである。

 特に我が社のタレントの配信によく仕事用のアカウントで訪れ、荒らしやスパムに対処しているのを私も見かける。

 多分殆どのチャンネルで五回は経験しているだろうと言った働きぶりだ。

 そんなの本当に楽しんでいなければできないだろう。少なくとも私にはできない。


「うへへへ。今日も僕のマイエンジェル、ミリスたん。愛してるぅ」


 私が背後に来たことに一ミリも気にせず、彼女は配信を視聴し始めた。


「はろはろー、っと」


「こんにちは、ハロー?」


「ん?こんにち、は……。って先輩っ!いるなら先に言ってくださいよ。あはは」


 そうして彼女は片耳のイヤホンを外してトホホと呟いた。


「これから善処しますね。それより今はミリスさんにご執心ですか?柚月さん」


「えぇそうなんですよ。なんと言ってもあの清楚で、可憐な姿を持ってしてみんなを浄化してくれるような声を備えて、なおそこにギャップような男らしいたくましさを時々感じさせる。そんなミリスたんに恋しないわけもない……ってなに言わすんですか!先輩!」


「いや、自滅でしょう、それは。まったく。あなたも一端のマネージャーになるんですからこれからはより一層気を引き締めてくださいね」


「もっちろんですよ。この私が骨の髄までサポートして見せます」


「それは随分意味合いが変わりますけど、まぁいいでしょう。ただし、そこまで言うんですから今日もこの後ちゃんと向かってあげてくださいね」


 そういうと、彼女は少し首を傾げていた。まるで何かあったっけと必死で思い出そうとする様子が愛くるしい。


「ユナイテッドは見てないんですか?」


「あぁその時間はちょっと今後の準備のために資料を作っててみれなかったんです。最初見逃したら見ないようにしてるので後日また見ようと思ってます」


「それなら、仕方、ないですかね?」


「もしかしてなんかあったんですか……?」


 少し顔に悲壮感を漂わせて彼女は言った。何か問題でもあったのか、と思ってしまったのかもしれない。


「いえ、そういうわけではないんですけど。今回の最後の告知に、七々扇紫音のシルエットが発表される予定があったのは知ってますよね?」


「えぇ、簡単に動いているところ見せる感じって聞いてましたけど……」


「その役割をたまたまスタジオに現れた片桐君が担ったんですよ。おかげさまで今日の番組を片桐君が一人で掻っ攫ってしまったのですけどね」


 すると彼女は心底驚いたように目を開いていた。

 彼女も既に帰ったものだと思っていたらしい。


「えっ、でも告知部分って動いてるところは十秒もないって聞いてましたけど」


「その十秒で番組内容を掻っ攫ってしまうほどのパフォーマンスをして見せたんですよ、彼は」


 そう聞くと今度は困惑といった感じの雰囲気を醸し出していた。


「一体なにを……。っとそれより情報感謝します先輩!今から向かいますのでご容赦を」


「えぇ、いってらっしゃい」


 するとすぐに手に持っていたスマホとイヤホンを手早く鞄にしまっていた。

 ただ椅子のそばには柚月さんのものと思われるハンカチが落ちている。


「柚月さん……は、もういってしまいましたか」


 まったくせっかちなものだと思いながら今度会ったときに渡そうと思った。

 女子にしては質素な無地のハンカチだと思っていたが、彼女自体そこまで女らしさを求めていないようなものだからこの時はまだ何も感じてはいなかった。

 そのハンカチには手縫いの刺繡がされていたのにも特に気にもしていなかった。


 彼女にとって、それが重要なものだとも知らずに。

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