俺が生まれた日Ⅲ


 防音室らしいディスプレイがおびただしく並ぶスタジオにて俺は説明を受け終わったところだった。


「つまり、本来この企画の最後に新人ライバーの告知として、七々扇紫音のシルエットを適当に動かすというイベントを持って配信を締めようと思っていたところに、紫音本人がちょうどよく来てくれたから、本人に何かシルエットの状態でパフォーマンスをしてもらうためにここに呼んだ、というわけですか?」


「そうね。それに竹さんから聞いたけど、しっかり筋肉もついてるって聞いてるわよ。ちなみに竹さんはさっきのマネさんね」


 そういうとその化粧で分厚くなった唇を舌舐めずりした。


「本当はアタシが見てあげたかったんだけど、もう始まっちゃったしね。紫音君の出番はあと1時間後ぐらいだけど何をするか考えといてね」


「本当にやるんですか?」


「えぇ、もちろん。せっかく機会ができたんだし、やってみるのが吉じゃない?どうせもともとはくるっと一回転するくらいしか予定していなかったもの。やるだけ徳よ?声も出さないんだし」


「くるっと一回転ですか……」


「えぇ、シルエットでもモデルの完成度はプンプン伝わってくるからね。それで十分だったのよ」


 そう彼がいうと、今生放送している画面を覗く。

 なんかとこかで聞いたことのある声だと思っていたが、あのエリカさんの声は配信者エリカその人だった。

 初期の方からこのユナイト所属のライバーであり、最近三十万人突破という響也とタメを貼るライバルの位置である彼女だ。

 そしてまたあのキョーヤさんは言わずもがなの響也であり、男のバーチャルライバーの中ではトップを走る人物でもある響也だ。

 動画内ではタメ口で少年心全開といったスタイルであるため、なかなか気づくことができなかった。

 だが実際会ってみるとしっかりとした青年であり、その上で何にでも楽しめる性格のようで、きっちりとしているものだな、と思った。


 今日行っている生配信は月一でやっている公式の企画らしく、毎回二、三人のライバーが呼ばれてバーチャルならではのことを初見の反応を交えながら企画を進めていくものらしい。

 それで今回選ばれたのがエリカと響也だったというわけだ。

 

 今回の企画は他の企画に比べてはありきたりではあるらしいが、VRのホラゲーマップに取り残された二人、という設定らしい。

 二人の微妙なライバル的距離感がなんともいえない空気感を作っており、反応もなかなか面白かった。

 それに配信のされ方にも工夫があり、響也視点、エリカ視点の二つに加え、二人のモデルを傍目から見ることのできる三視点を適宜切り替えながら放送を行なっていた。

 配信のUIも綺麗にまとまってるし、運営として十分なサポートをかんじられる配信内容だ。


 視聴者数も二万人が見ており……?

 ――二万人も見ているのか……。

 

 日々の配信で五千人やら八千人と見ているのは知っていたが、言ってしまえばたかが一配信を同時に二万人も見てるとなるとかなり凄みがある。

 こんな中で彼らは彼ららしく振る舞っているのか。

 

 コメント欄にもいろいろなコメントが送られている。


「キョーヤの声が草」


「女々しいぞ」


「草」


「今とっさにエリーの後ろに隠れたろ!」


「根性見せろー」


 響也に対して辛辣なリスナーたちであるが、一度エリカが悲鳴を上げると、


「かわいい」


「かわいい」


「可愛い」


「助かる」


「音聞こえなくなったんだが」


「あれ?喋ってる?」


 といろいろなコメントがすぐに流れては消えていく。

 生配信の特徴にこういったリアルタイムな生の声を聞けるところがあり、一視聴者としても他のコメント欄のみんなと一緒に楽しむことができる感覚が何より面白いのかもしれない。


 そんなふうに見入っていると1時間というのはあっという間で、もうそろそろホラゲーも終盤に差し掛かり、最後の告知まで刻一刻と迫ってきていた。




「準備はいいかい?紫音君」


「はい。俺の思うようにやればいいんですよね」


「そうよ。もう紫音は君なんだから。君の思うようにやるも何も、君のやったことが紫音君をつくるのよ」


「……俺のやったことが紫音をつくる」


 なんだか最近はよくそんなこと聞く気がした。

 ――キミの思うキミであれ

 なんだか先輩のその言葉が重なって聞こえるようでもあった。


「じゃあいってらっしゃい紫音君」


「はい」


 一つ扉を隔てたスタジオの方に足を運ぶ。

 すでに急造ではあるが俺のサイズに合わせていたベルトで止めるタイプのモーションキャプチャーの器具が並べられ、正面のディスプレイには、ほかでもない七々扇紫音が直立していた。


「じゃあこれをつけて待機をお願いします。番組終了までおよそ二十分といったところなので作業しながら詳細を話しますね」


 そう言って竹さんと呼ばれていた響也のマネージャーさんは俺に器具を取り付けてくれた。

 話によれば、番組が終了する雰囲気で暗幕を閉じたところにテロップで緊急告知、と流してから始めるらしい。

 十分とって新たにライバーが一人追加されることをテロップで流したあとそれに併せて音楽を流し、それから暗幕が少し開いたところでプロデューサー側から合図が入るため、その合図で少し横にずれてそのシルエットを暗幕の間に晒す算段であるという。

 そこで十秒に満たない時間でパフォーマンスをして暗幕が閉じ、その後すぐに蓋絵が挿入され配信終了という運びのようだ。


 配信画面はスタジオの壁面にプロジェクターで写すため、そこで自分が中央に立っているかの確認をした後パフォーマンスをするらしい。

 その内容は任されている。


「ということなので、申し訳ありませんがよろしくお願いします」


「はい、できることをやってみたいと思います」


 そういうと竹さんはその物腰柔らかな顔を微笑ませた。


「じゃあ最後に動作確認しましょうか」


 その言葉と同時に配信画面を映していた壁面に七々扇紫音を映し出した。


「これからいう通りに体を動かしてみてください」


 右手上げて、左手上げて、ジャンプ、などなど簡単な動きをしてモデルがちゃんと動いているか確認する。


「うん、問題ありませんね。出番まであと十分ほどなので何か準備することがあれば今のうちにお願いします」


「わかりました」


 この部屋のスタジオはいわゆるタレントが動く領域とプロデューサーやディレクターのいる領域とがガラスの部屋で分けられているため、竹さんは元の場所に戻っていった。


 そして改めてタレント側の部屋の奥のスペースを見やる。

 そこにはVRゴーグルを装着した響也とエリカがちょうどクリアしたあたりらしく、その手でゴーグルを外しているところだった。

 俺とは違い胸元にしっかりマイクもつけているため、そこまで大きくないながらの会話でもしっかり音を拾えているのだろう。

 感想が出て締めに入ろうとすれば次は俺の出番にもなるため、俺は俺なりに準備をしよう。



 壁面はすでに配信画面を映しているが、近くにあるディスプレイには紫音のモデルが俺と同期している状態で映っているため十分確認できるだろう。

 俺は屈伸と伸脚で軽く体を動かし、くるっと一回転する。

 ちなみにこのスタジオ、一面にマットを引いているから特に問題もなくパフォーマンスができる。

 今日の朝も当然の如くこなしてきた日課であるため危なげもなくできるバク転。

 自分自身が回ってちゃ確認できないできないと思われがちだが、しっかりディスプレイを視界に抑えながら回れば問題はない。


 もしかしたら反映されないかもしれないと思っていたが、七々扇紫音は綺麗なフォームでバク宙していたのを視界で捉えて、改めてその技術力に感服していた。

 あとはいかに暗幕の間の狭いスペースで魅せることができるのか、ということであるがバク転、バク宙だと動きが一辺倒で画面の動きが少ない。

 シルエットでやることからしても、動きが上下に変化するものよりも、左右に動かしたり、それこそくるっと一回転することで翻るコートを演出した方が映像に動きが出る。

 ――くるっと一回転……。


「いや、ひねりか?」


 くるっと一回転するのも実質体の軸から上半身を捻ることでそれに伴うコートの変化で動きを出していると考えれば、体をひねることが重要だろうか。


 そうなると過去にフィギュアスケートを見て着想を得た、内傾一回転半ひねりが一番最適だろうか?

 フィギュアスケートでは氷の上でのスピードと大きな足の振り子を利用した踏み切りでアクセルジャンプしていると解釈するとしたら、その応用でスピードのつけられない状態からジャンプして回転する方法を模索したりした。


 スピードがつかず足でダメなら上半身を揺らして緩急をつければいい。

 そしてより回転させるために足の踏み切り時、内側に倒れ込むようにして上半身の捻りを加えれば、踏み切りまでに上半身を捻らせた分だけジャンプをした時足がその回転分追従し、一回転半のひねりがジャンプ中に加えられるというわけだ。


 ちなみに俺はその技と呼べるかは分からない技を習得した頃に、アニメのやられ役で主人公に殴られ空中を三回転する奴が現れたときはこの技術を応用して再現できるのではないかと思ったほどだ。

 流石に三回転は無謀だったが。


 その内傾一回転半ひねりの勢いのまま片手ロンダートをすれば着地も綺麗に決められるだろうか。

 唯一不安であるのはこの内傾一回転半ひねりは着地が内側に体を傾けていることもあり、先に片足のつく着地であるためどうしても安定しない。

 となればそこからロンダートに移るのも困難になるわけだが、いったいどうしたものか。とりあえず数回体にひねりを覚えさせて飛んでみたが、着地の体制はやはり不安定な形で安定している。


 ふとそこでさっきバク宙の時ディスプレイを視界に捉えていた時、体の側面を意識していたことを思い出した。

 わざわざ側転の体制から両足を着地させるロンダート。

 ならわざわざロンダートにする必要はないのかもしれない。

 回転の勢いのまま両足で踏み切って前宙気味な側宙をすればいけるだろうか。



 そんな思考をしていると、耳に入る奥二人の会話が収まってきていた。

 締めに入ったのだ。

 それと同時にプロデューサーの指示が入っているのも見える。

 その時に親指を立たせて突き出してきているのも捉えてしまった。つまりはそういうことなのだろう。



 一度目を閉じて、よく緊張していた時にしていた仕草を思い出す。

 どんな時も目を閉じて自分を客観的に捉えようとすればひどく冷静になれる。

 俺の後頭部を俺は捉えていて、部屋の奥の方では二つの人間の影が見えている。


 そして次第に冬空に佇むような心持ちになっていく。

 それこそ自分が自分でないような感覚に陥るほどに。



「では、今月もありがとうございました〜」


「ありがとうございました!」


「また、来月お送りしまーす」


「お疲れ様でした〜〜!じゃなっ!」


「お疲れ様でした!またお会いしましょう」


 そんな言葉が聞こえるとスタジオ壁面の配信画面に暗幕が垂れる。

 その数秒後、焦らすような音楽がかかって暗幕からデカデカと緊急告知、と書かれたテロップが出現していく。

 指示を見ると5と書かれたボードを持ってそこからカウントダウンするように紙が付け足されていく。

 その紙が0を示した時、俺は体を左にずらし、暗幕の間の中央にそのモデルを動かした。そして一度会釈して場の中央に躍り出る。



 あの、画面の中でしか存在していなかったバーチャルライバーを、今この瞬間自分が動かしていた。

 そのことに俺はどこか感慨深いものを覚える。

 放送画面には出会ってまだ数時間と経っていない俺のシルエットが映し出されている。

 あの二万人といた視聴者のいる中で。綺麗に整った髪型の影、フードとコートの外形で作られるシルエット。

 その全てが今、全世界に発信されていた。



 いつしか俺は、自分のことを何者でもない存在としか思っていなかった。

 現に今だってそうなのかもしれない。

 七々扇紫音という皮をかぶっているという点において、俺は俺という存在が何者であるかなんて関係がないことなのだ。

 俺が紫音なのだから。俺が何者であってもそれが紫音で、何者でありたくても、その様が紫音になるのだ。

 だから俺はこれを機に前を向こう。俺が俺であるために。


 その時俺は、冷徹なものの中の何かが燃え始めたのを感じていた。

 

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