俺が生まれた日Ⅱ
「では、また連絡してくれよ!紫音!」
「いや俺は雫ですし、第一まだデビューしてないですからね?」
「こういうのは呼ばれ慣れておくのが一番重要なのさ。要は慣れさせとけって話。ちなみに、僕は君のことを紫音、ってスマホに登録してるから、今後ずっとそう呼ぶことを覚悟しておくことだね」
松野さんが先に退室し、残りの時間はマネージャーとの打ち合わせの時間として柚月さんが残ることとなっていた。
「それにしても、先輩はなんか貫禄があると思わないかい?僕なんて彼女を前にするとどうしてもブルブル震えちゃうのさ。うぅ今でもあの冷たい目が僕を貫いているよ……」
そうブルブル震えて見せる彼女は肉食動物を恐れる草食動物かのように見えた。そんな彼女を俺も冷ややかな瞳で覗くことにしていた。
「待て紫音、君もなのか。僕のことをそんな目で見るなんて……!でも僕は怖気付かないよ!なんたって君のマネージャーなんだからねっ!」
そんな彼女に本日何度目かのため息をして見せた。なんだかもう何年分のため息をだしたかわからないほどだし続けている気がする。
「それより、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい?僕のスリーサイズはダメだよ。まだ成長の余地があるんだ。数値を口に出すとサイズが変わらなくなってしまうからね。僕を貧相と言ったあいつとあいつとあいつに言い返すまで僕は僕のスリーサイズすら確認できないのさ」
「いや知らないですけど。それより、俺のこと知り合いって通していた話ですよ」
「ん?あぁその話か。先輩に言及されなくて助かったよ。もしバレでもしたら……」
彼女はあっけらかんとした態度のままだった。
「それで?あれは一体どういうことなのか、と」
「そんなの、簡単なことさ。君も薄々感づいているだろうが、君も知ってるだろう木下水月の、姉だよ」
「あ、ね……?」
「引っかかるのはそこか!?」
「いやだって、先輩は身長も一七〇センチはありましたし……その全体的に、大きかったですし……」
「なんだよ!君も僕を貧相だって、チビだっていうのかい!あぁわかったよ、君はそういう人間だったってわけか」
それから止まらない柚月さんの爆速愚痴タイムが始まり、自虐が際限なく出てきていた。
しまいには「僕だって」と項垂れるようにして地面に拳を叩きつけて、目も当てられなくなってしまったのは俺のせいなのだろうか。
「あぁ、わかりましたから。柚月さんも十分魅力的ですよ。別に身長だって低いわけじゃありませんし、髪質だってキューティクルがかかって綺麗じゃないですか」
「えっ、そうかい?やっぱりわかっちゃう?僕って結構髪は自信あるんだよね〜。そこを見抜いちゃうとは、紫音も良い目を持ってるね〜」
この人、チョロい。頬は完全に緩み切っているし、褒められたことにめっちゃ嬉しがっている。
大して褒められ慣れていないのか、むちゃくちゃチョロい。
「それに隠しているつもりかもしれませんが、指先に古い切り傷が多い。少し袖を見ればわかりましたが、自分でスーツも仕立てているんですね。まだ出会って少ししか経っていませんけど、柚月さんが努力家なのは見てわかりますよ」
「えっ……。そ、そうかな……」
少したじろぐように指先を合わせ始めたが大丈夫か?
「もちろん。皆さん柚月さんの努力を知っているから柚月さんの力になりたいって思ってるんですよ。松野さんだってきっとそうです」
「…………」
いつのまにか彼女はその綺麗な前髪で顔を隠すほどに俯いてしまった。やりすぎたか……?
「柚月さん……?」
「そ、」
「そ?」
「そんなに褒めたって、何も出ないんだからな〜!」
そういうと彼女は頬を赤く染め上げて部屋を出て行ってしまった。結局なぜ俺を知り合いとしてまでマネージャーとなってくれたのか、わからずじまいのまま。
「行ってしまった……」
とりあえず打ち合わせという名の顔合わせを終えたら帰っても良いと言われていたため、荷物を持って帰ることとする。
そうして、手をドアノブにかけ扉を開いたと同時に聞こえてくる声がした。
「ちょっ、待っ、そこどいてぇぇ」
「?」
頭に疑問符を浮かべていると、開いた扉の反対側に一メートルと距離のない私服の青年が全速力で手に飲み物を持って迫っていた。
折り合いの悪いタイミングで開けてしまったものだからせめて受け止めようとしたのだが、なぜかその青年は手に持つ飲み物を押し付けるようにして手を前に出していた。
「まっ」
次の瞬間には開いた扉に背中を預けて座り込んでいて、コーラのかかったスーツの姿の俺がそこにいた。
幸い俺を押し飛ばす形になった青年はたたらを踏んでいたが、俺を踏みつける前に扉に手をつけて静止してくれたからまだよかった。
「ほんっとにすみません。ちょっと急いでて、あぁこれスーツ弁償ですかね……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。こんなのすぐ落ちるので。それより、そちらこそお怪我はありませんでしたか?」
「俺の方は大丈夫です。こっちこそ突き飛ばす形になっちゃってほんっとにすみませんでしたっ!」
九十度に折り曲げた体をもう大丈夫ですから、といって直させる。
「すみません、本当に。今から帰るところでしたよね……。着替えかなんかがあれば良いんですけど……ちょっと人に聞いてみますね」
「いや、良いですって。あなたも何か急ぎのようがあるんでしょう?そっちを優先してください。こっちはなんとかなるので」
「そんなわけには……。俺が注意してればこんなことにならなかったわけですし、そもそも初めから急いでいればこんなギリギリにならなくて済んだんですから、これは俺のせいです。なんとかさせてください」
それから数回日本人特有の恩着せがましさを発揮した後、その均衡が崩されるのにそんなに時間はかからなかった。
二人の均衡に三人目が現れればそれはもう保てなくなるのも必然で、今回もそうなったことに他ならない。
「ちょっとキョーヤ、遅いわよ!」
どことなく聞いたことがあるような声が背後から聞こえた。
「え、エリカ……。いやちょっとこの人に着替えを」
「何つべこべ言ってんの!みんな待たせてるわよ!とにかく着いてからにしなさい!」
「いや、待って引っ張らんで……この人もいるんだし」
「この人この人って、いったい誰のこ……と……」
キョーヤと呼ばれた青年がエリカと呼ばれた女性に引っ張られることによって、必然的に扉の影に隠れてしまっていた俺を認識する。
少し驚いたのもつかぬま、俺の濡れた髪とスーツ、そして彼の持つコップを確認した彼女ははぁ、と大きくため息をつく。
「あんた何やってんのよ。とりあえず着いてきてもらいなさい。スタジオの方で着替えとかシャワーを手配してくれる人を探せばいいでしょ」
「それもそうか。ほんっとに申し訳ありません。ちょっと着いてきてもらえますか?多分着替えとかも置いてあるんで」
「は、はい」
とんとん拍子に話が進み、彼らの向かうスタジオに一緒に向かうこととなった。彼らのいうスタジオは六階にあるらしく、階段で一階分上に上がり足早にスタジオまで向かっていた。
スタジオの前に着くと、その重そうな扉を開き中に入った。防音仕様の扉なのだろうがかなり厚みがある。
「キョーヤ連れ戻しました!」
「エリカさん、ありがとう!もう時間もないから準備を整えたらすぐにスタジオに入ってちょうだい。キョーヤ君も」
「わかりました!あとこの人、ちょっと迷惑かけちゃってスーツも汚してしまったので対応してくれると助かります。改めてすみません、じゃあこれで失礼しますね」
「わかったわ。そのことは任せてもらって良いから言ってちょうだい」
その言葉を聞くとエリカさんとキョーヤさんは別の部屋の扉に向かって行き、このデスクトップの並ぶ環境に置いていかれる。
「ごめんなさいね。キョーヤ君が迷惑かけちゃったみたいで」
そう言って初めて俺の方を見る、多分プロデューサーらしき人であるが、少し表情を凍らせたあとなるほどね、と呟いていた。
「あなたが七々扇紫音ね。噂には聞いていたけど……」
値踏みをするかのような視線を向けてきたが、ある程度判断し終えたのか満足げに微笑んだ。
「とりあえず部下に案内させるから、シャワーと着替えをし終えたらこの場所に戻ってきてちょうだい」
「ここに、ですか?」
「えぇ、ちょっとやってもらいたいことができちゃった」
少し強面とも言える形相からウインクがいきなり飛んでくるものだからびっくりした。
しばらくしてキョーヤさんのマネージャーと名乗る人に案内してもらってシャワーを浴び、着替えを用意してもらった。案外着替えはラフな格好で、さっきの厳粛な空気感の中にいて問題ないか考えてしまった。
そういえばキョーヤさんあたりは私服に近い格好をしていたし、問題もないのか?
そんな考えをしながら再びキョーヤさんのマネージャーさんに連れられながら、さっきの部屋の隣にやってきた。
「さっきのところに戻るんじゃないんですか?」
「戻る前に一度調整しておいたほうがいいと思いまして」
そういうと、ちょっと体触りますね、と注釈を入れながら体の隅々まで図られた。何かベルト式のものを手や足につけて外し、つけては外しを繰り返された。
「問題なさそうですね」
「何がです?」
「あれ聞いてませんでしたか?紫音さんには是非トリを飾って頂こうと思いまして」
「ん?」
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