俺が生まれた日
「それじゃ、おいてきますよー」
「ちょ、待って……雫くん……は、速すぎ……ゔっ」
「先輩こそもうちょっと体力つけた方がいいですよ。UEとコンビニ生活、そろそろやめませんか?」
「それは、雫くんが作ってくれると言うことかい!?」
「いいえ?違いますけど」
そして彼女は膝から崩れ落ちるそぶりを見せそんな……、と呟くのであった。
「先輩が参加してから一週間は経とうとしてますけど、一向に運動量が増えないのですが……」
時の流れは速いもので先輩が朝の運動についてくるようになって一週間がたっていた。最近は特に時の流れを早く感じる。
「そんなつれないこと言わないでくれよ。傷つくじゃないか」
「そんな減らず口が聞けるならこのペースで帰れますね」
「じ、地獄……。この悪魔め、いつか痛い目見せてやらねばならぬ」
そこでにこやかに笑みを浮かべて彼女の前に立つと、途端に息を潜む音が聞こえた。
「す、すみません。誠心誠意走らせていただきます!」
「よろしい」
行きの時間の倍はかかっていつもの河川敷に着くと、今日は朝から用事のある先輩が先に帰らなければいけないこともありすぐに解散となる。
ちなみに今日が大学の春休み明け最初の講義らしく、急いで風呂に入って支度しなければならないと言って、棒になっているはずの足を必死に走らせていた。
俺はというと、もう一つのバイト、バーチャルライバーについて正式に採用という形になった。
そのメールが届いたのが、先輩と会った日の後で良かったとつくづく思う。
もしかしたら先輩に会わなくても自分で完結していたかも知らないが、彼女のおかげで道を選ぶ余裕ができたことは疑いようのないことでもあるため、本当に良かったと思うのだ。
そして、今日が正式に採用されてから初めて事務所に訪れる日であり、また配信のサポートをするマネージャーとの初対面の日でもある。
そこについてから始めて自分の仮想の体である肉体とのご対面でもあり、正式な契約を結ぶことになっている。
デビューとして初配信を行う日が、四月の二十一日。
今日が八日であることも考えれば二週間もないという、かなりの急ピッチで進んでいる。
まぁ、そのくらいの時間があれば十分準備の時間は取れるし、備えることはできるだろう。
何せ、やろうとしていることはもう決まっているから。
慣れないスーツに身を包み、コネクト株式会社と書かれたビルへと足を運んだ。
面接の時にも通った道で覚えのあるままに進み、ロビーで名前を言うと五階の第二応接室で対応するとのことで、そこで待つように言われた。
これから俺が働くのは、コネクト株式会社の新規事業プロジェクト、よく浸透した名前で言うと、ユナイト所属となる。
現在このユナイトから発信されているバーチャルライバーは計十一人で、女子七人男子四人という内訳だ。そこに十二人目として加入するのが俺で、今回の採用面接やらを含めたオーディションで唯一残ったのが俺とも言えるらしい。
正面のエレベーターに乗って五階へと向かうが、普通にビル社内ということもあってスーツ姿の会社員がちらほら。
すれ違う数人と目があったが、なかなかに注目されているのは気のせいではないんだろう。
「あれ?君新人?」
やってきたエレベーターに乗ると、すでに乗り合わせていた女性から声がかかった。
「その入館証。ずばりまだ社員証が発行されてないと見る。その無駄にキチッとしたスーツに折り目の新しい裾。入社したばかりと推測するがいかに!」
「…………?」
すごい剣幕で迫ってくる。その平均より少し小さめな女性の身長と、ボブカットにされた黒髪を揺らしてその人は見上げていた。
すると、ん?と少し凝視され、一体なんなんだと思うことには口早に捲し立てる。
「いや、それにしても君、実にもったいない。君はこんなとこで新人研修するには惜しいよ。なんだいその綺麗な黒髪に切れ長の目。モデルさんと言われた方がまだ納得できる。まるで二次元を体現したようじゃないか。ゔっ」
彼女が苦悶の声を上げると言葉がまだ続く。
「いや、すまないね。僕は少し美しいものに目がないんだ。これは持病の発作でもあるんだ。実は少しこれから用事があってね、緊張してたんだ。いきなり突っかかってゴメンよ」
「いえ、別に構いませんが……。そもそも私は新人では……」
「ゔっ、君はいい声をしているね。古の閲覧者(オタク)たる僕でも直接お目にかかったことのないほどの逸材だっ……」
話の腰は折られ、割り込みもいいところではあるがそれよりすごいのがこのメンタルたるや。
よくもまぁ自分のフィールドにして喋るのが上手い人だ。
エレベーターがついた音と同時に「すまなかった、また会おう」と言葉を残して彼女は言ってしまった。
いつのまにか着いていた五階に俺も足を運ぶ。
結局誰なのかわからないまま去ってしまったもので、一体なんなのかわからないまま第二応接室に向かった。
異様にテンションの高い人だったが、どこか先輩に似た性格をしているな、と感じると案外そういう人は多いのかもしれないと自答した。
第二応接室のドアをノックしたところすぐにどうぞ、と声がかかりソファーに腰掛けるように勧められた。
すぐに担当のものが迎えにくると報告されると、足早に部屋に据え置きされているウォーターサーバーから水を入れてもらった。
するとしばらくして失礼しますと声がかかり扉が開かれる。そこに立っていたのは、面接の時の女性だった。
そしてその後ろにさっきのボブカットの女性もスーツを正して立っていた。
ボブカットの女性は目を見開いて口をアングリと開けていたが、目の前の状態から察するに上司と見える人が立っているからか声は上げていなかった。
「こんにちは、片桐雫様。面接を担当させていただいた、松野涼子と申します。こちらがいきなりの紹介ではありますが、本人立っての希望で片桐様のマネージャーとなる木下柚月でございます」
「ご紹介に預かりました、木下柚月です」
彼女らは対面のソファーに座り名前を名乗った。
さっきの様子とのギャップを感じざるを得ないが、しっかり公私は分けている人のようだ。
「今回コネクト株式会社、ユナイトプロジェクトに正式に採用される運びとなりました片桐雫です。よろしくお願いします」
自己紹介をして頭を下げる。こういう時は首だけでなく、腰から三十度を意識して前に倒す。そういうものなのだとバイト中に習った。
「ではさっそくですが、片桐様のタレント専属契約についてもう一度言及しておきましょう。すでに別途メールで送付させていただいた通り、今回片桐様が当社と結んでいただく契約はタレント専属契約に基づく物です」
すでに内容を確認している通り、契約の内容をすり合わせる。
基本的な内容としては、当社のモデルを使って配信活動をすることに際して、名称やモデルについては著作権を会社が所有し、自社への専属性が発生するのと、善管注意義務が働くこと、そして当該者に対する秘密保持に関する条項が定められている。
そして肝心の報酬は、完全歩合制。
自分の成した成果でのみ報酬が支払われ、出来高に応じて報酬が上下する仕組みである。
「以上のような内容でありますが、何か疑問点はありますか?」
「では一つだけ。もし私が今後の活動で創作したものは、その著作権が会社に発生することはありますか?」
「その場合、その権利はもちろん片桐様に発生いたします。ただし、著作物の販売や展開について、もし発展させるつもりがある場合のみ当社も協力したマネジメントをさせていただくことはあります。名義が会社である性質上、個人での販売は不可能であるというくらいのものです」
「……なるほど、ありがとうございます」
「他に何か疑問点はありますか?」
「いえ、特にありません」
「では、契約についてはこれで終了とさせていただきます。書類については話の最後にお渡ししますので後日お願いいたします」
そこでひと段落つくと、水を一杯飲み干した。
対面にいる松野さんは資料を整理し、新たな資料を取り出す。
その一方で隣に座る先輩と名字が同じ木下柚月さんは手を膝の上に乗せ、姿勢正しく座っていた。
その姿勢はまるで山の如く全く微動だにしていないところを見ると、話半分で聞いている状態だろうか。
目も定まっていないように見える。
「では次にマネジメントの話に移ります。先ほど説明したように、今回当社から片桐様専属のマネージャーとして木下柚月さんを候補に挙げさせていただきました。本来なら男性のマネージャーがつくことが常なのですが、なんでも本人が知り合いであり、気兼ねなく話せる仲でもあると申していまして、それで今回マネージャーとして紹介させて戴きました」
その話がされているなか、視線を隣に移してみると手を胸辺りで揃えて、目を細めて懇願するかのような表情をしているのが見えた。
「まだデビューも先ということもありますが、何かご不満や変更の希望がありましたら随時お話しください」
「はい」
「では、柚月」
そういうと松野さんは柚月さんに声をかける。
「はい!今回片桐雫さんの専属マネージャーとならせていただきます、木下柚月です!誠心誠意やらせていただくのでどうぞよろしくお願いします!」
「は、はい。よろしくお願いします」
「では柚月。簡単にプロフィールを」
「は、はい!私は今年で入社二年目となります。一年目は営業の方で研修も兼ねた仕事を行い、二年目にはマネジメントの下請け作業を行なってまいりました!マネージャーとしての経験は浅いですが、マネジメントの内容は一通り把握していますので、気軽に声をかけてください。大抵のことには答えられる自信があります!」
まるで運動会で宣誓をする人かのように迫力を持った声で言い放っていた。
「柚月……もういいですよ……」
「はっ、はい!以上です!」
これ以上猶予を与えるとまだまだ話しそうな気配がしたため、松野さんはその前に待ったをかける。
「えー、この木下柚月さんですが、本人も言うように業務については申し分ないと思われます。もし何か不手際をしていたらすぐにおっしゃってください。すぐに対処いたしますので」
松野さんは少し睨むかのように彼女を一瞥すると、柚月さんは少し萎縮していた。
「ではこの辺でマネージャーの紹介を終わらせていただきまして」
そう言って取り出していた資料を俺のほうに回してくれた。それに加えて松野さんはそのバッグからタブレットを取り出す。
「いよいよモデルの方の紹介に移らせていただきます。これが片桐様のモデルになる、七々扇紫音です」
そう言って見せられたのは黒髪の長身キャラで、目鼻立ちは整っていて、切れ長な目。身長はおよそ一八〇センチほどある。
服装は黒のパーカーを着て、下にはデニムパンツを履いており、その上から膝の位置まで伸びたロングコートを羽織っている。
冬のコーデとして整ったモデルをしていた。
キャラをジャンプさせてみればコートは翻り、パーカーのフードも浮かぶ。
しかもフードが頭の近くに近づくとフードを被った状態にもなり、かなり完成度の高い3Dモデリングになっていた。線は細そうに見えるがこのキャラにはどこか既視感があった。
「そうだよ!どこかで見たことがあると思ったら、キャラのモデル!まさかの紫音の魂が同じ顔してるんだもん」
「柚月……」
「っ!」
タブレットに映し出されたキャラクターを柚月さんも見ると、何かが繋がったかのように声を漏らしてしまっていた。
短く松野さんに睨まれると怒られた子供のように小さくなってしまった。
それほど唐突に出てしまったものなんだろう。
「とりあえず、片桐様が活動するにあたってモデルとなるのがこの七々扇紫音で、このキャラとして活動していってもらうことになります。契約が完了し次第、我が社のアプリケーションをダウンロードしてあるUSBをご自宅に帰ってパソコンに移してしまえば、3Dのモデルを簡単に動かすことができるようになります」
説明を聞いている間もタブレットの中で自由に動き回っている紫音のモデルを凝視していた。
その演算処理もすごいが、なによりその造形がかなり自然に近く、精巧に作られている。
次第に顔がアップになると、ある決定的な部分が映し出された。
そして俺は右目の少し下の部分をおもむろに触ってた。
「なんで……」
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ。なんとなく俺に似ているような気がして」
キャラのモデルには俺と同じ位置に同じくらいの大きさのホクロがついていた。
「確かにそうですよね」
松野さんが同じように話し続けた。
「正直私たちはこのキャラクターを持て余していたんです」
「持て余す……?」
「えぇ。一年と少し前からコネクトはこの事業に手を出し始めましたが、その最初のキャラクターということもあって、最初期の二人はかなりの高クオリティのモデルを使用していました。事実それが功を成して、ここまで事業を拡大させていくことができたのですが、その時期にかなり小規模でしたが高クオリティのモデルを個人が作った、という情報がSNSでまことしやかに流されていました。よく見てみればモデルとしての完成度だけでなく、演算処理も完璧に近く、すでに3Dとして完成品に近いものが出回っていたのです」
「そんなものを個人が……」
改めて見てみれば、一つ一つの動きに幾つの演算処理をしなきゃいけないのか分からないほどに干渉しあい、足を動かせば髪先が揺れるし、ジャンプすれば全てが自然であったかのように翻り元に戻っている様子が見て取れる。
「当然我が社での買取を検討して、ある契約の元でこのモデルを売ってもらったのです。それは、このモデルに最も合う人以外が使用することを遠慮して欲しいというものでした」
「そんな契約を……」
「はい。ですからこれまでずっと眠っていたものでもあります。そんな中、オーディションの中に七々扇紫音が紛れ込んでいると人事部から聞かされました。それを見てみればまさにその人。片桐様、あなたのためのモデルと言っても過言ではないものでしょう」
「本当に俺がこれを使ってもいいんですか……?」
「えぇ、きっとこれから片桐様以上に適役は現れないと言ってもいいでしょうから」
「そうですか……なら、ありがたく使わせていただきたいと思います」
無名の個人がこんな素晴らしい作品を作ったことは実に驚いたし、そんな条件をつけてまで売った理由もわからないが、それ以上にこの作者は俺のことを知っている人物なのだろうことに、驚きを隠せないでいた。
こんな素晴らしい作品が一年やそこらで完成するとも思えないことも考えると、俺の過去の姿からどんな大人に成長するかを想定して作ったのだろう。
こんなものが作れる人物がいたなんて全く知らなかった。
その後、松野さん同伴のもとで正式に契約書にサインし、晴れてユニオン所属の名を受けた。松野さんと柚月さんからは名刺をもらい、さらに加えてPCにダウンロードするUSBも渡された。
「そういえば最後に聞いておかなければいけないことがありました」
「はい、なんでしょうか」
「ーーあなたには今後、活動をしていく覚悟がありますか?」
ふと、松野さんが面接で最後に質問したことが思い返される。
最後に彼女が質問してきたのは、今と同じような覚悟の話であった。
あの時は面接ということもあって、そんなの当たり前であるかのように頷いていた。
ただし、今はしっかりと答えることができる。
「あります」
その時の目は多分だけど先輩に”危うい”と言われた目にはなっていなかったように思える。
なんだかそんな気がした。
「そうですか」
松野さんは目を閉じてフッと口角を上げた。
それは、できる女社員の風貌に華やかさが生まれるかのような柔らかい微笑みであった。
「良い目をする様になりましたね」
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