変化の一日Ⅱ
「雫くんはさ。そんなに頑張って何かしたいことでもあるの?」
ここはアルバイトで入っている飲食店の休憩室。
同じタイミングでシフトに入ったバイトの先輩である木下水月先輩が同じ時間に休憩室でコーヒーを飲んでいた。
「いいえ?特には」
「じゃあなんでそんなに頑張っているんだい?」
彼女はなかなか淡白な性格をしており、なんでもずけずけと話すことで有名である。
もちろんその妖艶なる美貌とセットで語られるものだから、何が良しなのかはわからないが良しとされている。
「頑張ってなんていませんよ?俺は」
「そんなことないでしょ。こんなバイトで、その年で異例の週5日労働。それも、本来シフトの時間じゃない時間にも出張る時だってあるじゃないか」
「だからといって頑張ってるってわけじゃあないんですよ」
彼女はため息をこぼした後ガックリと顔を落としたように見せた。
「なら余計心配じゃない」
少しの静寂が部屋を支配したかと思えば、先輩がコーヒーを口にし、カップの受け皿であるソーサーに無造作に置いて音をつくる。
「昨日、新宿を歩いていたら雫くんにあったのよ」
「――そうでしたっけ?」
「まぁ、あなたはわからなかったでしょうけど私は見間違えないわよ。そんな綺麗な髪をしてるんだもの」
「判断材料は髪ですか……」
目にまでかかる長くなった前髪を触ってみせる。そういえば最近髪を切りに行くことも減ってしまった。
「あぁ、あとその端正な顔立ちもあったわね」
そうニコニコと笑顔をつくる先輩は、その年齢に似合わない無邪気な笑みを浮かべて言っていた。
「まったく、口が減りませんよね、先輩は」
「なんだぁ?その言い草は。君は後輩くんなんだぞ?」
先輩はこれまで一番の後輩でもあったからこそ、俺と言う後輩ができたことで優越感を少し感じている節があるらしい。
「失礼しました、先輩」
「うんうん」
「それで新宿の話はなんなんですか?」
そうして先輩はあぁそうそう、と言ってから言葉を繋げた。
「雫くん、君さバイト掛け持ちしてるでしょ」
「えぇ、してますよ」
「――そんなあっけらかんと言われると探偵が犯人を間違えた、くらいの間抜けさを感じてしまうんだが」
「なんですかその例え。別に隠すことでもないですし、今時掛け持ちなんてごまんといるでしょう」
「いや、普通は飲食店のバイトを週5日で入れてる人間がバイトを掛け持ちしてるって知ったら、その人は何か膨大な借金を抱えているか、お金を必要とする何かをしようとしているか考えるものじゃないかい?」
すごい剣幕をした先輩が机で遮ってある俺らの間を乗り上げて迫ってくる。
「考えが極端すぎやしませんかねぇ、先輩」
「そんなことないさ!私のような境遇に合えばきっと八割方の人間がそう思うに違いない」
「それは過言でしょう……」
一息会話に間が取られるとホールからヘルプが入った。時間を見ればそろそろ夕方に差し掛かろうとする、ザ学生タイムである。
「仕方ない、そろそろ行こうか、雫くん。君の掛け持ちについては気になる一方だけどね」
「気にしないでいいですよ。特にやることもないのでっていう理由ですから」
「それもそれで余計気になるじゃないか」
そしてまぁ頑張れ、と言い残して先輩は身嗜みを整えながら扉から出て行った。
「俺も行きますか」
それから数時間もしないうちにシフトの時間が終わり、六時あたりになって太陽がビル群の中に消えて行った。
今日は夜にかけてのシフトに入っていないから賄いもないし、家に置いてある食材のストックも切れかけている。
足取り重くスーパーに向かって食材を買い足しに行く。
今日の夜は時間もそんなにかけたくないし、チャーハンにするとして今後の食材についてもいろいろと買い足しておかないといけないとなると、今日持ってきたエコバッグだと心許なかった。
「仕方ない、明日また来るか……」
「――ん?片桐くん?」
キャベツの大きさに内心愚痴を溢していたのを聞いていたのか、お隣から声がかかった。どうやら知り合いであったらしい。
「――綾香か?おまえ」
「うん、そう。いきなりごめんね」
彼女は少し困ったかのように顔を歪ませるとあの頃と同じように髪を耳にかける仕草をして見せた。
「変わったな、綾香は」
「まぁね、片桐くんは……なんていうか、よりかっこよくなった」
「そうか」
彼女は俺の知っている頃よりだいぶ綺麗になっていた。
目が悪いために少し厚めのメガネをして、その顔の大部分をあまり整えていない髪で隠していたのが中学生の時の彼女だ。
一ノ瀬綾香。それが中学生の時の同級生で、唯一の彼女だった女の子の名前だ。
高校の頃は同じ学校だということは知っていたが、なにぶんクラスが違ったものだから会う機会もなく、一度も目にすることはなかった。
それよりも前、中二の冬からでもあるが。
「大学がこの近くなの、私」
「そうか」
「それでこの辺のアパートで一人暮らしをし始めてる」
「そうか」
「その荷物、片桐くんも一人暮らし?」
「まぁ、そうだな自炊のための食材だ」
彼女の持つカゴの中にも魚やミリン、その他調味料らしいものが細々と入っている。彼女の持ってきているバッグの大きさからしても、一人暮らしというのも納得だ。
「そっか、自炊してるんだ、片桐くん。同じだね」
「綾香も自炊してるのか。すっかり綺麗になって最初わからなかったよ」
「えへへ、そう?嬉しいな。……そういえば片桐くんもこの辺の大学なの?もしかして同じとこだったり」
柔らかに頬を吊り上げて見せる彼女の健かな笑顔は中学の頃から変わっていないらしい。
「いや、俺は違うよ」
「そっか、じゃあ東大とかかな。片桐くん頭良かったもんね」
「いや、それも違う。……俺は落ちたよ」
「あ……ごめん」
それはもう自分が悪いオーラを全開にして、それを顔に映してまで謝る。
あの頃の彼女は目をあまり見ることができなかったが、これまでもずっとこういう表情をしていたのだろうか。
そういえば話が途切れてしまう沈黙を彼女はよく嫌っていたことを思い出した。
きっとこれも話題をうまく繋げられなかったことに対する申し訳なさや自責の念が込められているのだろう。
「別にいいよ。綾香もこの辺って言ったら央大あたりだろ?これからも頑張れよ」
「うん……」
「」
「」
「じゃあ、またな」
すでに買うものは選んでいるからあとはレジで会計を済ませるだけの段階。
彼女の後ろを通ってレジの方へと足を運んだ。
「ま、まって」
すると彼女は俺の背中を少し摘んで引き留めていた。
「まだ、謝れてない……から。謝らせて欲しいの」
「ん?今謝ってくれただろ」
「ち、ちがうの。そうじゃなくて、中学の時のこと……」
「ん、あぁ、あの時はまぁ仕方なかったんじゃないか?俺らはどっちも子供だったんだ」
「それでも!……ごめん、ごめんなさい」
彼女はその綺麗な髪が地面につきそうなほど頭を下げて、腰を曲げて誠心誠意で謝ってくれた。
「別に今更だろ?中学生の恋愛なんてそのほとんどが自然になくなっているもんだ。それに俺の方も悪かったよ、ごめんな」
「そんなことない。片桐くんは、あの頃からずっと優しかった」
「それこそ、そんなことないよ」
それからすぐにスーパーでやることでもないな、と気づきそれぞれ別にレジに向かって会計を済ませた。
スーパーを出たのち本当にごめん、と彼女に再三謝られたのち連絡先を交換しようということになり、交換してからまた会って欲しい旨を伝えられた。
――――――
そろそろ一人暮らしを始めて一ヶ月と経とうとしているが、あまりここが家だと認識できていない自分がいる。
というのもほぼ毎日をバイト漬けの日々にしているからこの部屋にいる時間もそう長いわけではないから。
綾香に言われて気づいたものだが、携帯もなかなかに質素である。
高校まで使っていたものも、もう型が古くなって機能が落ち始めていたものだから、一人暮らしを始めるにあたって新しいものに変えているおかげで連絡先には誰もいなかったからである。
データを引き継ぐこともできたがまぁ古い方も解約したものの使えなくなったわけではないから、インターネットが完備してあるこのアパートではルーターさえ用意すればWifiが使えるため、十分に使える。
まぁとくに連絡を取り合ったりしているわけではないのだが。
そして部屋に着いたらとりあえずというように俺は、今日買ってきたもので早めに夜ご飯を作ってしまう。
今日はチャーハンにする予定でもあるため、あらかじめ調べておいたレシピを開く。
「受かったのか……」
その過程でメールの通知が届いていたものだから何かと思えば、この携帯で三つしか登録していないメールアドレスのうちの一つ、つまりアルバイトについての知らせだった。
あの二次選考での動画が琴線に触れたのだろうか。そこには合格の旨のメッセージと、最終選考の面接の日時が記されていた。
三月二十五日の土曜日、となると飲食店のバイトも入っていない。あと一週間もないくらいである。
まぁもともと受かった時の希望日時は聞かれているから問題はないのだが、いよいよ面接である。
この一ヶ月、特に知らなかった企業について調べるのはなかなかない経験であったが、どうもこのアルバイトは特殊なものらしい。
応募要項を見た時点でその特殊さは窺っていたが、実際その内容を調べてみてはっきりとした。
その業務内容といえば、一言でいうと配信稼業である。
なんでもバーチャルライバーと呼ばれるものらしく、仮想の体を使ったクリエイティブな配信を一般向けに提供したものだろうか。
モーショントラッキングという技術を使っているらしく、実際の動きを仮想の体でも反映させて表情の変化や、動き方の変化、しまいは指の細かな動きまで再現して見せるという技術らしい。
そして調べていく中でかなりの衝撃を受けたのは費用であり、その専用機器もそれなりにするばかりか、動かす仮想の体にうん十万と金がかかっているのはびっくりした。
イラストの依頼料なんかとは比にならないもので、次元が一段階増えただけでここまで違うのかと嘆いたものだ。
そんなバーチャルライバーと呼ばれるものを企業側が提供し、それにあった動いてくれる中身、ここでは魂というらしいが、そういう人物を雇用するという。
調べれば調べるほど胡散臭く、これまではモーショントラッキングを使った製作についていろいろな結果がネット上に挙げられているが、このバーチャルライバーと呼ばれる類でしかもその技術を配信に使うというものはここ一、二年で出来たいわゆる文化、ミームらしい。
配信を見る視聴者は順調に増えていっているらしいが、こんな安定するかわからない文化に対して巨額の資金を投資してまでやるこの企業は一体なんなのだろう。
成功すれば先見の明があると称されるのだろうが、失敗すれば資金の浪費、ただのバカと称されかねないのだから。
きっと稀代の博打うちがいるに違いない。
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