起
夏休みも終わってしまい、休みボケももうそろそろ抜けてきた9月中旬の休日。俺はプロ部の部室で栄子とB子の見守る中、一人でダイブする練習をやっていた。
「いい分かった?ちゃんと集中して、今回は因子の反応とか無いからとりあえず、自由にしていいけど、ちゃんと、二重世界に入るのよ。そのあとで私たちもあんたを追いかけるけど、いい?ちゃんと集中して、」
あーうるさいなー。さっきから俺が集中しようとすると邪魔をしてくる栄子。顔も邪魔する気満々の悪い笑顔だ。その隣でB子が苦笑いを続けている。
「なによ、あんた。これくらいで集中できないようだと、これから先なにも出来ないわよ。ほら、早く、集中して。」
まったく。こいつのこういう時のイジりは天才的とも言える。もっとほかに、その情熱を傾けるところがあるだろうが。いかんいかん。集中集中。しゃがんだ状態で、目をつぶり、大きく息を吸い込み、ふーっとそれを吐き出す。よし。俺は思い切って、栄子から借りた二重世界往路切符とでかでかと印字されたボールペンで自分を囲むように床に円を描く。光の線が描かれたことでその円の中が輝きだし、俺はずんずんとその円の中に沈んでいく。
「しっかり、イメージするのよ。」
さっきまでの茶化した感じではなく、しっかりとした口調で伝えてくる栄子。俺はそれに短く分かってるよ。と返事する。やがて、視界があのダイブの時特有の虹色の世界を映し出した。大丈夫。俺はやれる。虹色の世界からあの真っ白な空間をイメージする。大丈夫。イケる。ふっと、足元が無くなる感覚が俺を襲う。その次の瞬間には虹色の視界が真っ白な二重世界のものに変わっていた。よし!俺はガッツポーズした。イケた。一人でのダイブを無事やりおおせた。自分でやってきた真っ白な二重世界はとても輝いているように見えた。何より、自分自身の成長を実感できていた。ちょっと前だったらこんな感情に出会えるなんて想像もしなかった。山本先輩の言葉がふと蘇る"気付いたもんだけに優しい世界はいい世界って言えるんか"。先輩が思い描く世界では、この今の思いも気付けない気がする。だったら、やっぱり今の世界の方がずっといいのではないか。そんなことを思っていると、
「ふー。どうやら無事辿り着けたみたいね。」
振り返ると、栄子とB子が安心した顔を浮かべてこちらに歩いてきている。こんなん余裕だぜ。と、うそぶいてみる。ホントはドキドキしてたけど。
「それくらい言えれば大丈夫ね。でも、ちゃんと元の世界に戻るまで気を抜かないことね。ちょっと休んでからにする?」
そうだな。しばらく、二重世界でB子と光る剣で互角稽古をやって元の世界に戻った。戻るとき、出来るかどうかちょっと不安だったが、無事戻ることが出来た。B子には全然勝てなかったけど。
「はぁ。どっかに良い出会い落ちてねーかな。」
無事、一人ダイブにも慣れて来た今日この頃。3限と4限の間の休み時間に俺の隣の席のやつが休みなのをいいことに、そこを陣取って英太が文句を言っている。
「落ちてないかなってそんな言い方ないと思うなー。」
俺の前の席の土井は、ぼやく英太を戒めるように注意する。
「でもなー。どうしたらいいんだよ。このぽっかり空いてしまった俺の心をよー。」
こいつはさも被害者のような面で寂しそうに答える。夏休み前のこいつとは同一人物とは思えないほど変わってしまった。まぁ、こっちが素であることは間違いないが。
「自業自得だと思うなー。僕、ちゃんと聞いてるんだからね。あんまりだよ。僕は絶対、女の子紹介したりしないからね。」
「別に頼むとは一言も言ってないだろ。まったくー。あー。」
こいつは数日前、夏休み前から付き合い始めた彼女と別れた。それ以来、ふと思いつくと、こうして新しい彼女が欲しいと俺たちに文句を言ってくる。休憩時間終了を告げるチャイムが鳴り、トボトボと自分の席に戻っていく。まったく反省してないな。しかし、どうにも英太を土井のように責めることが俺には出来なかった。別れた原因というのが、求めすぎた結果だったからだ。そりゃ、彼女の気持ち的には、キスとか諸々のそういうことだけガンガン求められて、それ以外がおざなりになってしまったら嫌だろう。嫌だと理解は出来るが、うーん。まぁ、ダメなもんはダメなんだけどな。そんなことを思いながら、最近楽しくなってきた数学の授業を聞いていた。
「先輩、もうすぐ誕生日なんですか?」
夏休み明けから、すっかりルーティン化してしまった栄子、B子、江藤君、深瀬さんとの5人での帰宅中、深瀬さんが聞いてくる。まーなと答える。
「じゃあ、せっかくだし、誕生日会やりますか。」
ぶほぉ、思わず、さっき売店横の自販機で買ったお茶を吹き出してしまった。
「ちょっと、汚いわね。かかっちゃったじゃない。もー。」
すかさず、文句を言ってくる栄子。そして、
「そうねー。いつもだったら、家で親とかとやってるだけだけど、それもいいかもねー。それだったら、調理部にも声かけてみましょうよ。」
と続ける。魂胆は丸見えである。こいつの誕生日もあと2か月でやってくるのである。はぁ。と心の中で俺はため息をつく。そりゃ、嬉しくないわけではないのだが、どうしても高校生にもなってとちょっと恥ずかしさがこみ上げてくるのだった。そんな俺をよそに栄子と深瀬さんはどんどん話を進めていく。おいおい、
「あのー。それだったら、私の家でやりませんか?居間とか無駄に広いんで。」
まさかのB子も乗り気。分かった、分かった。勝手にしてくれ。ホントは照れ隠しだったのは、言うまでもないことだった。
誕生日前日の夜。俺はB子に呼び出され、近くの公園のベンチに座っていた。流石に上にもう一枚羽織って来ればよかったかな。若干の肌寒さを感じつつ、B子を待つ。しばらくして、B子はやや大き目の紙袋を持って現れた。
「すいません。お待たせしてしまって。」
いや、別にいいぞ。それでどうかしたか?B子にこんな風に誘われたことは一度もなかったので少しドキドキしながら聞く。
「これ、誕生日プレゼントです。」
そう言うと持っていた紙袋をこちらにぐっと突き出した。おっおう。俺は少し拍子抜けした気持ちでそれを受け取った。しかし、なんでまた前日に?どうせ、明日お前ん家に昼前から集合だろ?俺は素朴な疑問を口にする。
「えっとですね、それは先輩との約束と言いますか、未来の先輩とのって言ったらいいんでしょうか?とりあえず、受け取ってください。」
あ、あぁ。そうやって生返事をするしかなかった俺を置いて、B子はそのまま小走りに消えた。公園に残ったのは茫然とした俺だけだった。
「あっ、おかえり。」
自宅の部屋に戻った俺の視界には、まるでこの部屋の主のように窓際に設置された勉強机で漫画本を読んでいる栄子が映っていた。なんなんだよ、まったく。文句を言う気にもなれない。ベットの前に座った俺はB子からもらった紙袋をベットの上に置き、早速中身を開けてみることにした。
「何よ、それ?」
うん?B子からの誕生日プレゼント。明日でもいいよーな気がするんだけど、なんか未来の俺との約束なんだってさ。よく分かんねーけど。そんなことを言いながら綺麗にラッピングされた包みを丁寧にはがす。中に入っていたのは、ベージュのカーディガンだった。さっと、それを羽織って、どうだ?と思わず栄子に聞いてみる。さすがにこいつでもB子からのプレゼントを無下にも出来まい。しかし、栄子の表情は俺が予想したモノとははるかにかけ離れていた。なんだろう悲しそうって訳ではないんだが、落ち込んだ時とはまた違う、諦めとも何か違うようなとても複雑な表情の栄子がそこにいた。どうしたんだ?
「えっ?うん、やっぱりっちゃ、やっぱりなんだけどね。分かってはいたんだけどね。うーん。」
どうにも歯切れが悪い。なんなんだ、いったい。どう反応するべきなのか悩んでいると、
「大丈夫、大丈夫。ちょっと、急でびっくりしただけ。そういやあんたって何時ごろ生まれたとか覚えてる?」
は?いきなり、どうしたんだ?確か朝だとは聞いた気がするな。9時とか10時とか?多分そん位の時間じゃなかったかな?昔、小学校の宿題かなんかでやった覚えがある。それを伝えると栄子は満足そうな顔をして、
「そんじゃ、その時間。そうね、9時過ぎには必ずそのカーディガンを着てること。B子ちゃんがせっかく用意してくれたんだからね。それじゃ、私、今日は戻るわ。」
そう言いたいことだけ言った栄子はそのまま窓から自分の部屋に戻っていった。今日は一体何なんだ。B子といい、栄子といい。まったくもー。誕生日前日、俺だけが知らないところで何かが動いているというなんとも変な感覚を味わいながら、俺は眠った。
誕生日当日。俺は8時前には目が覚め、栄子の家で少し遅めの朝食を終え、9時過ぎには自分の部屋の姿見でカーディガンを羽織った自分の姿を見ていた。しかし、なんでまた俺は律儀にも栄子の言うことを聞いているんだろう。B子の屋敷に行くのは11時ごろでまだ家を出るのに1時間ほど間が空くというのに。自分のこういう変なところの律義さをどうにかしたいと思いつつも、まぁ別に困る訳じゃないしなーと思いながら俺は机に視線を向ける。あともう少しで完成するプラモデル。でも、完成してしまったらそれこそ、純子さんとの思い出がすべて消えてしまうような気がして、なかなか完成させられないプラモデル。その隣に置いてあるデジタル時計は9時46分を指していた。なんとなく、ぼーっとその時計の数字が変わるまでのあいだずっとその数字を見ていた。カチッ。6から7に数字が変わったその瞬間、俺の右腕はとんでもない光を放ち始めた。
なんだ、どういうことだ?俺の右腕はどうなってしまったんだ。この光。とても直視できないほど輝きが段々強くなってきている気がする。
「あちゃー。遅かったか。」
まるでこうなることを知っていたかのように、てか、知ってただろ絶対。ばっちりサングラスをした栄子がベランダから窓を開けて入って来ていた。おっおい。どういうことだ、これは。
「大丈夫、大丈夫。あんたならなんとかするって。とりあえず、事前情報としてはあんたのそれ、能力がダブルブッキングしちゃってるのよ。だから、その一つをどっかに移さなきゃなんだけど、あー、それより、あんた定規持ってるでしょうね?」
は?そりゃ持ってるけどそれがどうかしたのか?いつもズボンのポケットに入れることにしている。着替えの際は必ず確認する。もはやルーティンである。今日も着替えた後一番最初にやったのはそれである。
「なら、OK。そんで移すんだ___
そこから先は聞き取れなかった。俺の右腕の光が俺を包み込み、二重世界のダイブ同様のあの虹の世界を映し出したからだ。まったくどうなってんだよ。薄れゆく意識の中、俺はさっきの言葉の意味を考えていた。能力のダブルブッキングっていったい?
目が覚めて一番最初に目に入ったのは、そう、知ってる天井だった。全然、見覚えある天井だった。起き上がり右腕を眺める。ぼんやりとまだ光っている。カーテン越しに外から差し込む薄明りの中、周りを見渡す。確かに俺の部屋なんだけど、どうもおかしい。本棚や机やベッドの位置はそのままなのだが、不思議な感じがする。てか、寒っ。窓でも空いてんのか?ベッドから立ち上がり、カーテンを開ける。綺麗な満月が見える。道理で明るいわけだ。俺は瞬間寒いのも忘れ、ベランダに出てみることにした。口から白い息が漏れる。今はいったいいつなんだ?ふとそんなことを考えていると、ベランダ越しの栄子の部屋の明かりが付き、窓が開いた。俺は隠れるべきなのかどうか悩んだが結局そのままでいた。そこには中学生くらいだろうか?見覚えのある小さな栄子に似た人物がいた。その栄子に似た人物はこちらに向かって手招きしている。どうやら、俺を知っているみたいだった。俺はベランダの柵を乗り越え、栄子の部屋に入った。
「いや、信じてなかった訳じゃなかったんだけど、ほんとに来るとは思わなかったわ。」
まさしくこいつは栄子に違いない。俺は何故かホッと胸を撫でおろした。それから、俺はここが俺のいた時から5年前だということを聞いた。しかし、なんでまたこんなところに飛んできたんだ?しかも、自分の家に?
「あんた、何も知らないでここにいるの?」
あー、そうなんだよ、とりあえず、お前、未来のお前な。未来のお前から能力がダブルブッキングしてるからそれをどうにかしろって言われただけなんだよ。それ以外はさっぱり。なんで5年前なんかに。
「とりあえず、あんた、未来の、未来?わかんないけど、とりあえず、そいつからはあんたがここに来て能力の継承を今の、あーもうややこしい。中学生のあんたにするって、ほかの人でも可能なはずだけど、多分、あんたはそれをしないって。」
は?とりあえず、俺は、栄子の話を図に書いてまとめることにした。紙とペンをもらった俺はとりあえず、俺と書いた丸を中心に書いた。そんで?
「とりあえず、過去、現代、未来の枠が必要でしょ?」
ふむふむ。俺と書いた上に現代、その両隣に過去、未来と書く。そして俺は過去に来たと、まー今っちゃ今な。そこにも、俺は存在していて、過去の欄にまた俺と書く。その俺にダブルブッキングした能力の片方を与える。
「そんで、その補助的な役割として私に未来の未来のあんたが私にそれを伝えに来る。」
なんだよ、そりゃ。また欄を増やさなきゃなんないのか?
「違う違う。伝えてきたのは、ここの未来のあんたね。」
あーそういうことね。未来の欄にこれまた俺と書き、栄子に、いつ?えっ、4年前?いつから?
「今よ。私が今、12歳だからその4年前。」
は?お前、8歳の時の記憶そんな鮮明に覚えてんの?
「いいでしょ、事実なんだから。それより、この図だとおかしくない?」
何が?
「何がって、さっきからダブルブッキング、ダブルブッキングって馬鹿みたいに言ってるけど、要するに、あんたが自分で元々能力持ってるのに、過去の自分に能力渡してるじゃない。それじゃあ、ずっとダブルブッキングしたままじゃない。誰かほかの人に渡しなさいよ。私でも良いわよ。」
他の人に?てか、お前に?
「何よ。その嫌そうな顔は?」
いや、今、お前能力使えないの?
「えっ?未来の私、能力使えるの?」
うん。
「じゃあいいわ。私がダブルブッキングしたら困るし。」
あーさいですか。しかし、誰かって言われてもなー。俺以外の誰かに渡せたとしてそいつが困ったらどうしようもないしなー。そんなことを悩んでいると、栄子は呆れた顔をして、
「やっぱりあんただわ。未来のあんたとそっくり。そりゃそーか。ほんとに甘ちゃん。まぁでも、そっちのが平和よね。」
そういいながら一人納得した様子である。なんなんだよ、いったい。
「どうせ、自分に能力移すんでしょ。とりあえず、もうしばらくしたら、今のあいつも部屋に戻るだろうから寝静まるまでここにいても良いわよ。その間にどうやってここに来たのか聞かせなさいよ。」
どうせってなんだよと思いながらも結論は変わらないので文句は言わず、今朝と言っていいのか分からなかったがその状況を説明した。
「ふーん。てか、あんたもう少し焦るとか無いの?普通もうちょっとげげっみたいなさ、そういうのあってもいいんじゃないの?」
焦るとかそんなレベルの話じゃないだろ、これは。ここまでくるともはや無だ、無。無の境地ってやつだよ。
「くくっ、無の境地って。絶対、使い方間違ってるわよ。」
笑う栄子に対して、うるさいなーと悪態をつきながら、逆に未来の俺について聞いてみた。どうやって俺はお前の前に現れたのか?
「あーそれ。ちょっと、待ちなさいよ。」
そう言うと栄子は勉強机の引き出しの中からずっと昔から使っているおもちゃの宝箱を取り出し、そこから、一本のボールペンを取り出してきた。
「これよ、これ。」
そう言って、俺にそのボールペンを渡してくれた。そのボールペンのボディ部分には時空往路切符とでかでかと見慣れた書体が印字されていた。どう考えても、作成者は二重世界にダイブするボールペンと一緒の人だろう。そういや、お前、未来のこととか知りたくないの?さっきから、俺の未来のこととか全然聞いてこないけど、未来の自分がどうしてるとか知りたくないの?
「知りたくないに決まってるじゃない。」
栄子は即答した。そんなもんか?俺だったら気になるんだけどな。お前が会ったっていう未来の自分のことめちゃくちゃ気になる。
「だって、それを知っちゃったら、その時点で私は私の未来を選べなくなっちゃうじゃない。私はそんなのごめんよ。」
うーん。そんなものなのかなー。あんまり栄子の言葉がいまいち理解できなかった。そして、俺に起きた一連の出来事を振り返る。待て、もう一人、未来の俺を知ってるやつがいる。B子だ。俺は思わず、栄子にB子を知ってるか尋ねた。
「B子?えっ美子?どっちにしたって私、そんな子知らないわよ。あんたの彼女かなんか?」
いや、そういうんじゃないんだけど、思わず言葉に詰まる。そして、思い切って、そのB子も未来の俺に会ってるみたいなんだと伝えた。
「なるほどねー。あんた、ほんと生きづらい生き方してるわよね。未来にがんじがらめになってるっていうか、くくっ。まぁほんとあんたらしいっちゃ、らしいけど。」
なんなんだよ、いったい。栄子はさも面白そうに話す。らしいって。
「とりあえず、あんたはこれから自分の能力を自分に渡して…そんで、8歳の私に会って、それがいつの時代なのか知らないけど、そのB子って子にも会いに行って、大変ねー、あんた。」
可哀そうにという表情で見てくる。別にそこまで大変って訳じゃないだろう。このボールペンがある訳だし、パッと済ませてそれで俺は元の世界に戻るんだよ。そう言った俺に対して、じーっと見つめてくる栄子。何?えっ、なんかお前知ってるの?俺が思ってるようにはいかないのか?
「いや、多分、それで合ってるとは思うんだけど、まぁいいじゃない。それはあげるから。貸しよ、貸し。ちゃんと覚えとくのよ。」
そう言った栄子はなんか待ってる間、摘まめるもの持ってきてあげるわ。と言って、下へ降りて行った。ボールペンを見ながら、少しの不安がこみ上げてきた。しかし、逆を言えば、未来の自分がいるってことは、ちゃんと俺は未来に到達している証明でもあるので、もう悩んでも仕方ないと受け容れることに決めた。
午前3時。俺はベットで寝静まる俺の前に立っていた。ここまできて思ったのはどうやって能力を移すかという問題だった。あれ?俺、初手から詰んでないか?えぇい、もう。とりあえず俺は鈍く光る自分の右手で寝静まる俺の右手を握った。俺の右腕の光が段々と寝静まる俺の右腕へ移っていった。良かった。もし、出来なかったらこの時点でどうしようもなかった。十数秒ののち、俺の腕にあった鈍い光は寝静まる俺の腕に移動し、やがてその光は収まった。ふー。寝静まる俺の顔を見ながら、まさかこの頃の自分が本当のことを感覚で理解していたとは。そのことに妙に感動していた。不思議なもんだな。軽く、自分の頭を撫でてやる。むぅっと右手でそれを払われた。まぁ色々、ほんと色々あるけど、お前は大丈夫さ。そんなことを思いながら、俺はベランダへ抜け出し、栄子の部屋に戻った。
「うまくいったみたいね。」
安心した様子の栄子。なんとかな。そして俺は、ボディ部分に時空往路切符とでかでかと書かれたボールペンを取り出し、【合言葉、なんだそりゃ】と唱える。ボールペンが光り出した。
「わー。光ってる。私が言った時には何も反応しなかったのに。」
栄子はどうやら俺の合言葉を知っているみたいだった。ついでだったので、この合言葉は未来のお前に決められたようなもんだから、俺に説明するときっと言いかけて俺は途中でそれをやめた。こいつである。そのことを知ってしまったら俺の合言葉はとんでもない単語にさせられる気がした。不思議そうな顔をしてこちらを見る栄子は、はっと思い出したようにクローゼットの下をがちゃがちゃやりだし、そこからスニーカーを取り出した。そして、俺にそれを渡してきた。なんだこれ?
「とりあえず、履いときなさい。何があるか分からないから。」
俺はありがとうと一言言って、その靴を履き、中学生の俺が寝静まるまでの間考えていた、8歳の栄子に会う方法。多少は前後してしまう可能性はあるが、これが一番だと確信した俺の母親のことを意識しながら、床にボールペンで丸を書いた。
「なによ。似合わないこと言っちゃって。その靴は未来のあんたに頼まれたことだし。それより、あんたがこれから行くのは、多分、別のところよ。私に似てる人に会うと思うから優しくしてあげるのよ。知らないだけなんだから。」
なんだとっ!?焦る俺をよそに光る円にずんずんと俺は沈んでいく。今、ここから無理やり抜け出たとして、どうなるか分からない。音が消えるその中で確かに栄子の口はこう動いた。た・の・ん・だ・わ・よ。
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