そこには不思議な光景が広がっていた。部屋中央にある丸テーブルにノートパソコンを置き、俺が中3の時の誕生日プレゼントに上げたピンクの座椅子に座りながら、タイピングをしている後ろ姿の栄子が見える。それだけなら何も思わなかったが、コンパス、そう学校で円を描くために使うコンパス。4、5、6個か、6個のコンパスが栄子の周りでグルグル回っている。どうも、そのコンパスが描いた円はテレビのように何か映像を映しているようにみえる。それを見ているとまた変化が起こった。俺の右腕、指先から肩までが光出した。はっなっなんで、おっおいー栄子ーなんでこんなことに、てか、俺の右腕はどうなってんの?おい、めちゃくちゃ光出したんだけど、おい、返事してくれ!急に声をかけられて驚いた様子の栄子が振り返る。


「えっ今?ちょっと、あんた部屋入って窓とカーテン閉めて。ご近所さんに何言われるか分からないでしょ。」


えっ?こんな状態で?かなり栄子の表情は険しい。


「いいから早く。そして、しばらく黙ってて。」


えー。とりあえず俺は言うことを聞いた。ノートパソコンが乗っている丸テーブルにそっとB子からの手紙を置いて、窓際に設置してある勉強机の椅子に座り、光る右腕を見つめる。いやいや、これ絶対ライトノベルなら主人公の眠れる力が目覚めて、いよいよっていうスッゴく重要なシーンだと思うんだけど。なんで俺待たされてんの?えっ確かにちょっと気が大きくなってたのは反省するよ。普段ならあなたの部屋になんて入ろうなんて思わないよ。どうかしてたんだ。だから許してほしいんだけど。そして、この右腕の光を止めてほしいんだけど。大丈夫だよな?これ?若干暖かいんだけど、これ、これ以上熱くならないんだよな?、ならないよね?さっき鬼の形相で睨まれてしまったので、言葉には出さないがかなり不安だ。


「うん、大丈夫。このまま続けて。うん、出現位置は予定通り、うん。カウント始めるわよ。5、」


しかも、こいつは今何をやっているんだ?よく見るとインカムか何かで誰かと喋っている。マジで何してるのか分からん。しかし、こいつはさっきからタイピングを必死にしているように見える。もしかしてこれはプログラミング部の活動の一部なのか?と言うよりもこいつは超能力者か何かなのか?、いや、それ以前に、そもそもこれはもしかして俺の夢?どこから?でも、夢って暖かいとか感じることあるんだっけ?そうこうしていると、ようやく栄子の謎の用事も終わったようで、


「ふー。ありがと。うん。お疲れ様。実はさ、今私の隣に馬鹿がいるのよ。うん。そう。まさかこんなタイミングなんて思いもしなかったけど、」


ちょっと待て。こいつ、今さらっと俺を馬鹿呼ばわりしなかったか?なんなのこの扱い。右腕は光ったまんまだし、ほんとなんなの?俺は光続けている右腕を見ながら、しょんぼりしてしまった。


「ごめんー、こいつホントにへこんでるみたい。うん、そう、覚醒もしちゃってて、だからとりあえず定着化をしなきゃだし、うん。わかった。とりあえず詳細はまた明日ってことで。うん。それじゃ、三人とも、お疲れ様。」


ようやく話は終わったみたいだ。俺はどういうことだと栄子を問い詰めた。先に女の子の部屋に勝手に入ろうとするなんて最低とめちゃくちゃ怒られた後にだけど。



、能力の定着化をしなくちゃなんないんだけど、何がいい?」


多くのレシピ本や指南本に書かれているまずは大抵の場合、すごく分かりやすいところから始めるはずである。なぜか、それはとっかかりやすくするため。人は何かを作ろうとするとき、まず、すぐに出来ることから、理解できることから始める。始まってしまえば、人は次の行動もやりたくなる。結局は、はじめの簡単な一歩を始めることで大きな夢も実現へつながるのだ。なんかそんなことを教養本か何かで読んだ気がするが、栄子のまずが全く理解できなかった。こいつ何言ってるんだ?俺はもうちょっとちゃんと説明してくれと栄子に文句を言った。


「もーちゃんと聞いてなさいよ。あんたその腕の光を止めたいでしょ。」


うん。止めたい。


「だから、まず、能力の定着化をするの。」


だから、それが何か分からないんだよ。


「えっとね、今、あんたは能力を垂れ流してる状態な訳ね。」


うん。なんか言いたいことは分かる気がする。だって、この状態、めちゃくちゃおかしいもの。


「だから、定着化…うーん、受け皿みたいなのを決めます。」


受け皿?


「例えば、私だったら、このコンパス。」


そう言うと栄子の周りをコンパスが円を描きながら回った。今はコンパスが描いた円は光っているだけだが、さっきはどこかを映してるみたいだった。


「えっとね、私の能力はこれを使って円を描いて、そこから異世界を覗くことが出来るの。」


異世界?もしかして、おっさんのこと知ってて知らないふりしてたのか?だとしたら人が悪すぎるだろお前。


「何の話よ?」


えっそれは違うのね。


「続けるわよ。」


はい、どうぞ。


「そうねー、出来たら定着化させるのは学校に持っていけるものがいいわね。」


えっ?もしかして学校でもお前はこんなことやってるの?


「もちろん。監視者としてね。あんた、なんかしたい役割とかある?」


役割?どんなんがあるの?


「なんでもよ。あんたが役に立つと思うものよ。」


漠然としすぎてないか?そうだなー。懐かしの中二心を思い返しながら、こいつは異世界を監視してると言った。ということは、この世界に敵が攻めて来るんではないだろうか、だとしたら何か敵を倒せるようになりたいな。


「攻撃タイプが良いってことね。そんで、何を使う?」


お前はコンパスなんだよな。そうだなー。筆箱の中を思い返す。俺が攻撃出来そうなの。うーん。じゃあ定規で。


「うん。そんじゃ、これ。」


栄子は自分の筆箱から10cm定規を取り出し、渡してきた。可愛いキリンのキャラクターが載ったファンシーな定規。えっこれ?


「文句言わない。それを握って、合言葉を唱えて。」


俺は定規を包丁の取っ手を握るように包み込むように握り締めると、【合言葉?なんだそりゃ】と疑問を口にした。そう言うと右腕の光が定規に集約していく。おっお?


「あっごめーん。好きな言葉って意味だったんだけど。もう遅いわ。」


はっ?おい、何言ってるんだ。見ると定規へ移動した光は定規をちょうど刀の持ち手に見立て、刀身へと変わった。おぉー。なんてことだ。すげー。ちょっと振り回してみる。ブオンと音がなる。おぉ。ん?テーブルに当たったがすり抜けてしまった。お?


「あーその光は異世界からの物にしか当たらないのよ。だから、振り回しても周りに影響は無いわ。」


なるほどー。てか異世界って何なんだ?まず、そこからだろ。自分の右腕からの光がなくなったので、だいぶ、気が楽になった俺は、栄子のやっていることが気になってきていた。


「えっとねー、どっから話せばいいのか…世界は一つじゃないって言われてピンと来る?」


俺は3日前、えっまだ3日前なのかと記憶を思い返しながら驚いた。まーそこは問題じゃないな。3日前、異世界から来たというおっさんに出会っていたので、なんとなく世界は他にもあるんじゃないだろうかとは思っていたが、ここまではっきり言われて、びっくりしたが、とりあえず、俺はこの世界とは違う異世界があるってことを言いたいんだよな?と返す。栄子はそれに頷くと話を続けた。


「そう。そして、そのいっぱいある世界はなんて言うか、並列?同時?に存在してるの。」


栄子の説明自体がふわっとしているが、なんとなく言いたいことは伝わった。それがどうしたっていうんだ?


「ここからが重要なところ。この世界はほかの世界に比べると、もの凄く安定した世界なの。だから、ほかの世界から侵食を受けることになってしまうの。」


頭の中で?マークが浮かぶ。安定してたら普通安全なんじゃ?てか、侵食したらどうなんだ?なんかあるのか?素朴な疑問が次々と浮かんだ。


「安定してるからこそ、周りの安定してない世界が入ってくるのよ。そして、ほかの世界から侵食されたこの世界は段々と歪んでいくの。」


歪む?


「そう、歪むの。十数年前からこの現象は始まったと考えられているわ。そして、いつとはまだ明確に分からないけど、侵食に対してこのまま何も対策をしなかったら、この世界はこの世界を保てなくなって消滅するの。」


消滅?何を言っているんだこいつは。


「今はそこまで理解出来なくてもいいわ。ただあんたのそれ、」


栄子は俺の右腕、光を放つ定規に視線を向けた。


「その力を覚醒させちゃったからには、私達の作戦にこれから参加してもらうわよ。」


おっおう。とりあえずこの定規からの光は【解除】と唱えることで消えることを教えてもらい、俺は部屋を追い出された。


なんだかなー、なんか分かんないけど新戦力が生まれたはずなのに何、あの態度。ライトノベルなら周りのみんなから歓声が上がって主人公が不敵に笑う的な、お前やベーよ、お前の能力はホントに特殊な能力なんだぜとか主人公の友人ポジションのやつが主人公を褒め称えたり、これから君には世界の平和を守るという重大な任務が課される。しかし、君のその能力があればきっと大丈夫だ!期待している!みたいな上官から激励される。そんな場面だろう、どう考えても。そんなことを考えながら、栄子ん家のベランダから俺ん家のベランダに移る際に、足の裏をガッてやってしまって、痛ーと思いながら、自分の部屋に戻った。夢じゃないことが確定した瞬間だった。



翌日、朝、ベットから身体を起こした時にふと思い立って、【合言葉?なんだそりゃ】と言ってみる。なんも起こらねー、えっ?もしかして本当に夢だった?そりゃそーだわな。ちょっとがっかり、ちょっと安心、多めのやっぱり感を感じながら、ベットから出る。うーっと大きく背伸びをしてカーテンを開ける。なっ。光の矢が俺の心臓を貫いたと思ったらそのまま足まで切り裂かれた。そして、俺が見たのはベランダ越しのかなり怒った栄子の姿だった。窓を開ける。


「あんたねー、ちゃんと説明しなかった私も悪いけど普通やる?すっごくびっくりしちゃったじゃないの。」


窓を開けて気づいたが、昨日の可愛いキリンのキャラクターが載った定規が俺のベランダに転がっていた。あー、そういうことかー。俺は光を放つその定規を拾って【解除】と唱え、栄子に手を合わせ、すまんと一言言って窓とカーテンを閉めた。どうせすぐ後に、文句は言われるだろうし。俺はもう一度今度は定規を握り締めながら【合言葉?なんだそりゃ】と唱えた。おお、光が定規から出ている。ホントにほんとだったんだな。一通り素振りをして昔の記憶を思い返していた。中学1年の2学期、剣道を始めた理由。漫画の中のかっこいい剣士に憧れたあの時の思い出。それが今、実現しようとしている。そんなワクワクした気持ちのまま、支度を終えて、栄子の家に朝食を食べに行く。うっ。さっきまでのワクワクした気持ちがみるみる引っ込んでいく。栄子の余計なことしてーという無言の抗議のにらみ。怖いわ。どうやら世界うんぬんの話はおばあちゃん達は知らないみたいだった。栄子の家は能力を得た今でも安息の地であることは変わらないみたいで安心した。



「あんたねー、本当に反省してんでしょーね。」


はいはい。分かってるよ。さっきから今朝の出来事をネチネチと責める栄子。前方50mほど先には昨日に引き続き、英太カップルがにこやかに談笑しながら登校している。なんだこの落差は。嫌がらせにもほどがあるだろうに。誰の差し金なんだこれは。


「あんた、英太君を羨ましそうに見てないで今朝の出来事を、」


くそっ、心まで監視してるのかこいつは。じっと栄子を見る。


「何よ。」


ほんと、悪かったって。けど、まさか栄子の朝を邪魔することになるなんて思いもよらなかったんだって。俺は精一杯優しい口調で謝った。


「それは分かってるんだけど、分かってるんだけどね。ほんと、金輪際、定規を握ってない状態で解放なんかしないでよね。」


分かったって。そこでふと思いついたことがあった。そういや、俺これからいつもあのキリンと一緒に戦わなくちゃ駄目なの?これ結構、俺にとっては重要な問題なんだけど。後、出来たら合言葉の変更をしたいんだけど。


「あのキリンっていう言い方やめてくれる?めちゃくちゃ可愛いじゃない。」


いや、そこは問題じゃない。いや、そこが問題と言えば問題なんだけど。


「どっちよ?まぁ定規で能力の定着化を行ったから定規であれば何でも発動可能よ。ただ何も持ってない状態でそれを行うと、一度能力発動状態で触ったものが発動しちゃうの。そう、今朝みたいに。」


あっやばい。イライラが再燃しそうだ。じゃあ、合言葉の変更は?イライラが増さないように合言葉に意識を向けさせることにした。


「そっちは無理よ。」


さらっとこいつ言いやがった。なんか無理っぽい感じはすごくしてたけども。諦めなきゃなのか…そういや、お前の合言葉ってなんなの?


「そうねー、とりあえず教えるのは昼休みかしらね。さすがにここで言葉にして間違って発動でもさせちゃうと困るし。プログラミング部の部室でみんなにあんたのこと話さないといけないし。」


あーなるほど。じゃあ、昼休み集まるのか。昼休み?うん?いかん、いかんぞ。慌てて俺は昼休み行けないことを伝えようとした。俺、昼休み、行けない、予定、ある。怪しまれないようにとか俺の中の混乱が色々混ざって片言になってしまった。物凄いジト目で見る栄子。


「あんた、なんで、駄目、理由、言え。」


なんでお前まで単語で区切るんだよ。んー、どうしたものか、嘘をここでついたところでどうせ昼休みにはバレるだろうしなー。俺は正直に答えることにした。


「へー純子ちゃんが。なんであんたそれ昨日言わないのよ。」


いや、お前じゃん、言うタイミング作らせなかったのって。まぁ言うつもりも本当はなかったけども。


「ふーん。あんたにも春がねー。でも、それホントなの?純子ちゃんとそんな接点あったっけ?」


この前の調理部の飯会が初めてだったけど。俺はそんな風に答えると栄子は、


「ふーん。あんた、騙されてんじゃないの?おかしくない?」


そんなことを言ってくる。なんなんだ、お前は。人の幸せをそんな風に言うなんて。


「うーん。そりゃ、幸せなのは良いことだけど。なんか変な感じしない?」


しない。しない。しない。俺は自分に言い聞かせるように栄子に言った。


「まぁ、私の考えすぎならいいんだけど。でも、昼休み集まるのは決定事項です。純子ちゃんには、もし、万が一、ちゃんとお弁当作ってきてもらったとしても、それを受け取ったら予定が入ってるとかなんとか言って、うちの部室に来なさい。」


そんなー。彼女…とはまだ言えないけどそんな子が頑張って作ってきた料理を一緒に食べられないなんて、そんなひどいこと…


「あんたが昨日余計なことするからでしょ。それが無ければ別にあんたが昼休み何しよーとあんたの勝手だったのに…そうねー、あんた、もし来なかったら純子ちゃんに昨日あんたが私の部屋に無断で入ってきたことバラすわよ。」


お前、それ、ズルすぎるだろ…俺はどう考えても不利な条件に昼休みのプログラミング部への訪問は決定事項なんだな、俺は初めての彼女になるかもしれない子の手料理を一緒に食べられないんだな…というこの理不尽な事実を受け止めるしかないことを悟った。



「おはよーっさん。今日も仲良く登校かい?」


靴箱の前で英太が声をかけてくる。あー、幸せそうだなこいつは。栄子と何か喋っている。仲良いわねー、そっちは今すっごく幸せなんでしょ。とかそんなん。はー。なんてことだ。こいつは幸せを彼女と謳歌している。登下校も一緒、昼休みも一緒。きっと、こいつの人生は今、バラ色に輝いている。それなのに俺ときたら、登下校はお目付け役と一緒、昼休みは世界平和のための会合、世の中はこんなにも愛を語り合う時間を奪うのか。時間足り無さ過ぎるだろう、まったく。俺は暗い気持ちになりながら一人そんなことを考えていた。



教室に入り、席に着くと、前の席の土井が、小声で話しかけてきた。


「おはよー。あっあのさ、なんかあった?」


唐突ではあったが、俺はなんとなくその意味を察した。純子さんのことか?俺も努めて小声で切り返した。


「そう、そう。実は今だから言うけどさ、日曜日の食事会の後、相談されてて。」


ふーん。純子さんに?何を?俺は努めて冷静に切り返す。


「君のこと聞かれてさ。君は栄子さんと付き合ってるのかーとかそんなん。」


ふーん。努めて冷静に。ホントはもしかしてーとかこうだったらーとか色々妄想していたのでそれが真実と知り、心の中はバクバクと心臓が波打ってて凄かったけど、努めて冷静に。


「びっくりしちゃったよ、昨日なんて普段クラスになんて来ないのに朝来るんだもん。気になるから本人に聞いてみてって。」


ふむふむ。俺の想像通りではないか。むふ、やばい自然と口角が上がってくる。俺は昨日の放課後の一件を土井に伝えた。そう、努めて冷静に。


「そーゆーことかー。なんか色々納得。それで彼女とは昼休み会うの?」


いやーそれがなー。俺は流石に異世界がどうたらのくだりは省いてプログラミング部の部室に行かないといけないことを伝えた。ほんとは嫌なんだよ。嫌なんだけれども。


「そうなんだ。純子ちゃんにはそれ伝えたの?」


うんにゃ。だって朝言われて今だぞ。そもそも会ってすらいないし。


「そりゃそーか。でも、ちゃんと早めに伝えてあげてね。純子ちゃん多分作ってきてると思うから。自分で言ったことには責任持つタイプだからさ。けど、一目惚れとかするタイプじゃないと思ってたからホント意外なんだけどね。」


お前もか。ホント、友達の幸せをそんな風に疑うなんてひどいことを。普通、祝ってやるもんだろ?ここは。まったく、俺は英太の恋人発言の時の感情をすっかり棚に上げて土井に抗議した。英太は幸せを謳歌しすぎてるから仕方ない。


「ごめん、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけどさー、そうだよね、たまたまそんなことが無かっただけなのかも知れないし、けど、ホントに早めに言ってあげてね。多分、一緒に食べるの楽しみにしてるだろうから。」


おっおう。そうだよなー。どうやって伝えよう。連絡先なんて知らないし、直接会って言わなきゃだよな。



そんな訳で午前の休み時間は廊下に立って純子さんがクラスから出てこないか確かめることにした。だって、呼んだらなんか恥ずかしいじゃないか。隣の純子さんのクラスに知ってるやついないし。しかし、そんな俺にすぐチャンスはやってきた。純子さんが一人で教室を出てきた。俺は慌てて呼び止めた。


「はい?あっちょうど良かった。私からも話があって。ちょっと待っててね。」


俺はぽかんとしてその場で待った。すぐに純子さんが戻ってきた。


「これ、お弁当作ってみたの。お昼にどうぞ。」


おっおうとそれを受け取る。あれこれは…思い描いてたのとちょっと違うぞ。


「さすがに一緒に食べるのは恥ずかしいから……」


そっかぁ、まだか…うーん、まだ。まだだよなー。


「それで?私の話先に言っちゃったけど、用があったんじゃないの?」


あっそーなんだけど、大丈夫になったから、俺は適当に答えた。もちろん会いたかったからとかそんな浮わついた答えは頭には浮かんだけど、もちろん口には出てこなかった。


「そうなんだ。じゃあ放課後にでも感想聞かせてくれると嬉しいな。それじゃ。」


うん。可愛いじゃないか。顔をうつむかせて可憐に純子さんは教室に戻っていった。とりあえず俺は自分の教室に戻り、席について、受け取ったお弁当を机横にかけているバッグの中に大切にしまうと、机に顔をつけてうなだれた。うー、まだかーまだ。と、さっきの会話の意味を考えていた。まだ。なんと甘酸っぱい響きだろうか。どんなお弁当なんだろうなー。こんな意味で昼食が楽しみなのは初めてだった。



「ちょっとー、もっとちゃんと見せなさいよー。」


この事態を想定出来なかった訳では無かったが、ここまでひどいとは想像出来なかった。栄子とプログラミング部後輩の深瀬さんは俺の愛しのお弁当の中身をさっきから品定めしている。やらないって言ってるだろ。


「結構、凝ってるわよねー。量も男に作ってるっていうのをちゃんと意識してて申し分ないのに、所々、可愛いく作ってある。」


栄子たちは、すごく感動している様子。確かに女子が準備したにはやや大きめの二段のお弁当箱、1段目は俵型のおにぎりで敷き詰められていて海苔でパンダのキャラクターが描かれている。2段目にはおかず類が、唐揚げ、卵焼きといったオーソドックスなもの、これはきんぴらごぼうかな?野菜類などもちゃんと入っている。それらのおかずには所々チーズと海苔で描かれた顔が張り付けてあってとても可愛い。お前らには絶対やらん。


「こりゃ本命ですよねー、やっぱり。」


「深瀬ちゃんもそー思う?けど、知り合って昨日の今日でこんなにする?普通。」


「もしかして前から知ってたとか、そーゆーやつじゃないんですか?」


「いやー、でも、こいつだよ?えー。」


お前らホントになんなんだよ。適当なことばっかり言いやがって。お昼休み、俺は栄子に引きずられるようにして連れてこられたプログラミング部の部室にいた。文化棟へは初めて来たが作りは教室棟と大差なく部室も通常の空き教室で、違ったのは普通は2つある出入り口の1つには関係者立ち入り禁止の貼り紙が貼られており、もう1つの出入り口は本棚群でせき止められているところと、普段使う机は一切なく、なんだろ、よくドラマとかで見るオフィスデスクって言うのか?職員室で見る机とは違っておしゃれなものが教室廊下側中央に設置されて、窓際にも長机と椅子が設置されているところ。いつも過ごしている教室と同じ間取りなのに別世界に来た気分だった。入るとそこには部員である深瀬さんと江藤君それから何故かB子がオフィスデスクに設置された椅子に座って待っていた。俺は、栄子に言われて、長机のところにある椅子をオフィスデスクの栄子の椅子の隣に置き、そこに座った。座り順は俺から時計回りに栄子、江藤君、B子、深瀬さんという順番。そんなこんなで5人は昼食を食べ始めたが、栄子が余計なことを言うもんだから、深瀬さんが悪のりしてこんなことになっている。江藤君とB子は売店で買ったであろうサンドイッチを食べながらちょっと栄子達の悪のりに引いているようだった。良かった。集まった全員でやられたら、たまったもんじゃなかった。とりあえず、昼食を食べた俺達は今日集まった本題を話すことにした。


「えー集まってもらったのは他でもない、」


黒板を背にして教壇の上に立ち、だいぶオーバーな言い回しで栄子は始める。何も教壇に乗ってないのをいいことに、こいつ教壇を舞台か何かと勘違いでもしてるんだろうか。わざわざ、教壇の前に椅子を持ってこさせて、一列に座らせやがって。


「この馬鹿が何を血迷ったか私の部屋に入ろうとして、」


ちょっと待て、もう少し柔らしく言えんのかと思ったが、手紙の主であるB子がいる手前、なかなか文句を言えない。忘れてたの俺だし。とりあえず、抗議の目だけを栄子に向けた。


「まー理由はあるにはあったけど、今じゃなくても良かったのにってタイミングで入ろうとして、私の能力に感化された馬鹿の腕は覚醒してしまいました。」


あっまた馬鹿って言った。理由を言わないでいてくれたのは助かったけども。B子は多分しょんぼりしちゃうだろうから。けど、また馬鹿って言った。


「覚醒してしまったものは、しょうがないのでこいつにもここに入ってもらうことにしました。以上。」


なんなんだろうな、昨日からのこの扱い。なんか納得行かないんだよなーほんと。そんなとりあえずの状況説明を終えた栄子は、質問は?と俺達に聞いてきた。多分、みんなに対してだったと思うけど、俺は色々詮索されたら困るので、ここはなんなのかを聞いた。もちろん、気になっているのは確かなことだったから。


「えっとね、ここは、」


「それは私から説明しよう。」


部室入り口の外から声が聞こえた。ガラガラと部室内に入ってきたのは浜本先生だった。


「その前に、障壁展開。」


浜本先生がそう言った瞬間、部室全体に光が一瞬走った。おわっと俺はびっくりして座っていた椅子から落ちそうになった。


「すいません、あまりに軽率な行動でした。」


いつになく真面目な顔で栄子は浜本先生に謝った。


「とてもイレギュラーな事態であるのは認めるが、出来る限り、ことは慎重に進めなければならない。今後は注意してくれよな。」


栄子と先生のやり取りをポカンとした気持ちで聞いていた俺に、小声でB子が、先生が今、外へ音が漏れないように壁みたいなのを張ってくれたことを教えてくれた。なるほど。機密事項ってやつだな。俺は注意しようと本気で思った。浜本先生怒ったらホントに怖いんだよなー。


「さて、説明を開始しよう。最初は信じられないかも知れんが、次の現場には立ち合って貰うつもりだ。ちゃんと聞くのだぞ。」


はい。と俺は短く答えた。


「よろしい。まず、ここの部室、プログラミング部はこの学校の通信インフラの整備を目的として設立された。しかし、それはただの名目に過ぎないのだ。」


浜本先生は黒板にプログラミング部の成り立ちを書きながら説明を始めた。名目ですか?もともと設立の目的として聞かされた通信インフラのなんたらも知らなかったので、ふーん、えっ?名目?と聞き返してしまった。


「そうだ、名目なのだ。そりゃ、手伝って貰っていないと言えば嘘になるがな。本当の目的はそこにはない。本当の目的は、異世界からの侵食を防ぐことにある。世界はひとつではないのだ。多くの世界が存在する。その中でもこの世界は本当に安定しているのだ。しかし、それは同時に他の世界から侵食されやすいというデメリットを生む。」


とりあえず俺は昨日、栄子から異世界からの侵食を防いでいることは聞いていたが話の腰を折るのも悪いので俺は黙っていることにした。


「では、どのように異世界からの侵食を防ぐのか、そもそもどうやってそれを知るのかについて詳しく説明していこう。これは皆の能力を見て貰えばすぐ理解できるだろう。それに皆が発動させたあとに、することもある。皆頼むぞ。まず、栄子君から見せてくれ。」


「分かりました。」


それを聞いた栄子は席を立ち、長机に置いていた自分のバッグから6個のコンパスを取り出し、教壇の上に立った。


「ってあんたには一回見せてるけど、【アブア】。」


英語かよ。栄子がそう言うと持ってきたコンパス達は徐々に開きながら、宙に浮き、円を描きながら栄子の周りをぐるぐると回りだした。コンパスで描かれる円は光を放っている。


「今このコンパスが描いている円は光ってるだけでしょ?」


そうだな。でも、昨日最初見たときはなんかが映ってた気がする。


「そう、この円は実は異世界を覗く窓になるの。私はこれを使ってこの世界に侵食の可能性のある因子を探したり、侵食位置の特定をやっているわ。」


えっ?お前が全部?


「ふふーん。すごいでしょ。とか言いたいけど、そんなことなくて、浜本先生が因子図を出してくれるの。私はそれを元に座標を特定して監視するのが役目かな。」


因子図?


「侵食因子の発生予定表みたいなものだと思ってくれてかまわない。これは私の能力で因子の発生を四次元断面図に表すことができるのだ。それをここで解析して実際の出現ポイントを特定させるのだ。」


浜本先生は黒板に板書しながら説明してくれている。やべー、頭が全然追い付かない。そんな俺に捕捉説明として更に色々言ってくれてはいるがさっぱりだった。しかし、ふと疑問に思ったことがあった。その因子の発生ポイントが宇宙だったらどうなるのだろう?とゆーよりも、地球内だったとしても海外とか距離として離れたところだったらいけないんじゃないかというもの。


「そうよね。世界と世界が物理的に接触するって思うと不思議よね。でも、そこはちょっと違うの。世界と世界の接触点にはゲートみたいな、私達は二重世界と呼んでる、世界と世界が重なった空間があって私達はそこで侵食を防ぐの。だから、物理的な距離は問題ではないの。」


栄子の説明に加え、浜本先生も説明してくれているがまったく理解が追い付かない。とりあえず俺は侵食されるところにワープ出来るんだろうなーという程度の理解で止めることにした。えっと、浜本先生が因子マップを作成して、栄子がそれを解析、時間、場所を特定して、


「次は僕が。【アグラッフーズ】。」


栄子が立っていた場所に入れ替わりに江藤君が立ち、合言葉を唱える。あっまた英語だ。江藤君がそう言うと持っていたホッチキスが光出した。


「このホッチキスを使って、二重世界に発生した侵食の裂け目を留めます。」


おっおう。なんか地味だなー。なんだろう。なんかこうもやもやした気持ちが出てきた。次は深瀬さん。消しゴムを俺に見せてくる。


「じゃあ私の番ですねー。【イッサーシーアベキンガム】。」


あれ、もしかしてみんなが言ってるのって英語じゃないのか?深瀬さんが持っていた消しゴムが光出した。


「私はこれで江藤君が留めた場所を消して元通り何も無い状態に戻すんです。」


消しゴムで擦る仕草をする深瀬さん。うーん。次はB子の番になった。


「えっとですね、私が使うのはこのシュシュなんですけど…あの…先生、向こうで装着して来てもいいですか?」


「あーいいだろう。行ってこい。」


そう言ってB子は教室後ろの本棚が並んだスペースの奥に消えた。ちょっとして本棚の奥から光が出たかと思うとB子が戻ってきた。おおー、面、胴、小手、たれ、竹刀が光によって形造られている。流石に眩しくなるのか、面の面金の部分はなく顔が出ているが、まさしく剣道のそれであった。えー、めちゃくちゃカッコいい。そもそもそんな使い方ありなのか…めちゃくちゃショックだった…


「いや、その、私自身、自信が持てるものってこれしか思い付かなくて…」


いや、B子が悪いわけではないのだ。しかし、なんだ、この気持ちは…どうにもしょんぼりしてしまった。突発的であったとはいえ、俺はかなり浅はかな考えで決めてしまったのではないのだろうか。うーん。そんな風に悩んでいると、


「B子君は見たまんまで、君も同じタイプと聞いている。最初はこのB子君に連いて色々学ぶといい。何事も一朝一夕でものになるものではない。しかし、何事も始めなければものにはならない。精一杯頑張ってくれ。」


うーん。やっぱり昨日から思っていたことだったが、周りの俺の能力覚醒に対する認識ってこんなもんなのか?俺だって活躍するかもしれないだろうに。けど、こんなB子を見ると俺やっぱり呼ばれてない子なのかな。そんな俺の拗ねた態度を感じ取ったのか、


「B子ちゃんはホントに能力の基礎値がみんなと比べて桁違いなの、だから、この世界でこれだけの具現化が出来てるの。あんただって、二重世界ではもっと能力を出せるはずよ。まー、慣れやセンスは関係してくるけど。」


ふーん。二重世界では俺の剣も変わったりするんかな?とりあえず分かったことは先生が因子を見つけて栄子が調査、解析、江藤君が裂け目だかなんだかを補修、深瀬がそれ自体を消す。B子は溢れた因子の除去。ん?なんでここで見せてもらったんだろ?形が変わってしまうならここで見る意味あんま無い気がしてきた。話聞くだけでも十分じゃないか?


「じゃあ、最後は君だ。」


えっ?俺も?じゃあと、俺は自分の筆箱から例のキリンの定規を取り出し本棚の方へ行き、小声で合言葉を唱えた。剣を発動させて戻ってきた俺を栄子がニヤニヤした表情で見ている。お前のせいでもあるんだからな、まったく。


「これで皆の能力を発動してもらい基礎的な流れは理解できたと思う。これからやるのは皆の能力の意識化だ。」


意識化?俺は最近よく聞くなーと個人的な感想を持ちつつ先生の話を聞いた。


「二重世界はとても広い。全員が同じ座標に存在するためにはお互いを意識しなくてはならない。お互いがお互いを繋がなくてはならない。だから、ここで新しいメンバーである君と他のメンバーの意識を繋ぐ。」


二重世界に入ったことのない俺はいまいちピンとこなかったが、意識を繋ぐってことは心を読まれるってことなのかと不安に思った。


「大丈夫よ。あんたが思ってるよーなことじゃないわよ。」


栄子、お前エスパーなのか?ちょっと怖い。先生は俺と栄子のやり取りを見て、少し付け加えてくれた。


「意識を繋ぐというのは、お互いをよく知るということだ。それはお互いの心を直接見るのではない。君自身が君のことを皆に伝えるのだ。そうすることで皆は君を意識し、君は皆を意識する。」


あー。なんだ、自己紹介をすればいいってことか。そう理解した俺は自分の名前、年齢、所属部活などを言った。


「つまんないやつねー。そんな情報普通過ぎるでしょ。そのとりあえずこれくらいでーっていう態度がダメなのよ。」


なんだよ、そりゃ。自己紹介はこんなもんだろ普通。


「そうねー、お手本がこんなことにも必要なのかしら?まったく、じゃあ深瀬さんから。」


栄子はやれやれと言った表情で深瀬さんに自己紹介するように促した。言い方ってもんがあるだろうに。


「私ですか?先輩に対してですよねー、えっと名前と歳と部活はまーご存じの通りですが、実は私の兄貴はこの学校の生徒会長だったりします。」


へー、えっあの生徒会長の?俺はとても驚いた。


「そーなんですよー、最初聞いた人ってみんなそんな風に驚くんですよね。兄貴相当やんちゃ枠なのに、生徒会長なんてやってるし。」


やんちゃ枠。俺は吹き出しそうになってしまった。確かにあの先輩の噂は真面目かと言われるとそうでもない噂が多いからな。けど、悪い人って噂はないよなー。深瀬さんは併せて両親の話もしてくれた。


「そんなちょっとずれた兄貴と自由な両親に囲まれて育ったので割と大概のことには動じないというかそんなメンタルは獲得してるのかなーと思ったりしてます。最近はまってるのは、お菓子作りですかねー、カフェ巡りして良さそうなのを真似て作ったりしてます。案外、ストレス発散というかスッキリするのでおすすめですね。」


お菓子作りで深瀬さんは話をまとめて終わった。次は江藤君だった。


「えっと僕は江藤といいます。1年です。両親はこの侵食活動の研究者としてD国にある本部で働いています。小さい時からそこの研究所にはよく出入りしてて浜本先生ともそこで知り合いました。」


D国かー。えっ、これって国レベルの話なのか?そりゃ確かにそーだよなー。じゃあそもそもなんでこんな公立の高校にこんなものが存在してるんだ?


「とても不思議だろう?」


浜本先生は面白いだろうという表情をして聞いてくる。


「二重世界に行ったらもっと不思議に思うぞ。今我々の考えに賛同してくれているのは本当にわずかだ。資金提供もD国のD財閥に頼っている。」


うーん。難しいなー、俺はいまいちピンとこなかった。


「何故日本のこの高校が舞台なのかは別の要因があるがそれは追々説明しよう。今はお互いを意識することに注意を向けてくれ。」


そうだった。気になりはしたが江藤君のことに集中することにした。


「えっと、研究所での話でもしましょうか、あそこは先ほど先生がおっしゃっていたD財閥が運営してるんですが、結構な額が研究のための予算に組まれていて充実した研究ができると評判でした。 まあそんな中、両親共に研究者で僕自身も研究自体に興味があったので小さい時からそこに通っていたのですが、あっ優秀だからとかそんなことはなくて、親にくっついていた程度のものです。それで二重世界の研究が進み、いよいよ侵入段階に入ったのですが、実際に侵入できるのは、今のところ二十歳未満という縛りがあって、そうです。二十歳未満。だから、僕はそれに志願したんです。フィールドワークが出来るのはかなり強みになると思ったんですよ。実際に研究者としての道を歩むとしたら。最初は親に反対されました。まあそれはそうですよね。親も研究者ですが、実際に我が子がそのよくわからないところに入るという現実は早々に受け止められるものではなかったみたいです。けれど、僕自身に適性が認められて、それでこの日本に来ました。まー親には侵入の度に連絡してて最近は慣れてくれたみたいですけど。」


俺はそれを聞いてすごくびっくりしてしまった。江藤君は日本語も普通で、とても海外育ちとは思えなかったのもあるが、まさかこんな身近に研究者の肩書きを持った人物がいることにとても驚いた。しかもサラッと二重世界の年齢制限についても教えられた。


「そんなに驚かなくても、どうなんでしょうね?案外、親が研究者っていうのも珍しくないと思うのですが、でもよく考えたら僕の生活範囲の中には研究者しかいなかったわけだからそうなるだけって話ですかね?」


確かにと、珍しさの基準について俺は納得した気がした。結局、珍しいというものは、自分の周りにそれが無いというだけで、案外自分の周りの外には、ありふれたものなのかもしれない。そんなこんなで、江藤君の自己紹介は終わった。次は、B子だった。


「えっとですね。私の名前は、美子といいます。1年で、好きなことは、えっと、お料理とか好きです。そんな凝ったものは作れませんが、家族には評判です。あっ家族構成を言います。父と母それから祖母、そして今年小学1年生になる弟がいます。えっと、見てもらえばわかる通り、人並みに自信が持てるのは剣道くらいです。元々、家が剣道場を開いていたので、ずっと小さいころからやっていました。えっと、ここに来たわけですが、栄子さんからの紹介になります。栄子さんとは私が中学2年生の時からの知り合いで、自分が出てる剣道の試合を見て声をかけてもらいました。最初は信じられなかったけど、実際に二重世界というものを見て、そして私にも何かできるかもしれないと思ってこの高校を受験して、今に至ります。」


そんなB子の告白を聞いて俺は驚いた。まさか2年前には既に交流があったとは知らなかったし、栄子からは何も聞いていない。まー侵食に関わることだから、言わなかったんだだろうなーとか思った。次は栄子の番だった。


「えーっとねー、あんたが知らないことね。まあB子ちゃんとの出会いはさっきB子ちゃんが言った通りだけど、そうね。私が二重世界を知ったきっかけを話すわね。実際、私の親がそれに飲み込まれちゃったっていうのが原因ね。あんたには事故でいなくなったって言ってたけど、本当は侵食が原因。」


はっ?俺はとても驚いた。両親がいないのはもちろん知っていたが本当に事故としか聞いていなかった。聞いたのは栄子が越して来た時だから、10歳になるかならないかくらいか?俺の母親もちょうどそのくらいの時期にいなくなってるから同じだなと思った記憶があったが、それが当たり前になってたから、その後、何か両親について聞くことなんて無かったからまさかの事実に衝撃を受けた。


「あんたん家の隣のおじいちゃんとおばあちゃんのところに来るまでは両親と暮らしてたんだけど、ちっちゃい頃とかは神童として通ってたわ。ものすごく賢いの。」


普通自分でそれ言うかと悪態を吐いたが、まあ頭がいいのは事実なのでそこはほっておいて、俺は気になった両親について聞いた。研究者とかだったんだろうか?それなら江藤君とも一緒だったりするんだろうか。


「そっそうねー。江藤君がいた研究所じゃないし、うーん、研究者だった?うーん?」


どうも歯切れが悪い。侵食が原因ってよっぽどだと思うんだが。


「そうよねー。研究者じゃなきゃ侵食に巻き込まれるなんてあり得ないし、研究者だったのよ。この話はおしまい。最後はあんたよ。」


ほんとは聞かれたくないことだったのか何か隠す必要があるのかその真意は分からずじまいだったが、強引に話を切られてしまった。その後、俺は 改めて自己紹介をすることになった。何から話せばいいのだろう?とりあえず、小学3年生の頃、両親が離婚したこと、それをきっかけに栄子の祖父母の家に食事の面でお世話になって、栄子ともその頃からの付き合いだということ。父親との関係は特に悪くもなく、栄子の祖父母とも仲良くしていること。最近の趣味と言われるとちょっとずつではあるが プラモデルを組み立てていることなどを話した。浜本先生は満足した様子で、


「よしこれで皆の意識を共有できたと思う。今日はこれで解散としよう。」


そう言って、先生は部室を先に出て行ってしまった。俺は、みんないろいろあるんだなぁとしみじみ思ってしまった。昼休みは気づけばもうあと少しで終わりだ。俺たちは慌てて、【解除】と唱え、いそいそと教室へ戻った。


放課後、俺は部活前に教室棟と文化棟の間の渡り廊下にスキップで行った。もちろん純子さんとの約束を果たすためだ。俺は正直に美味しかったと伝えた。すると純子さんはとても嬉しそうな表情をしながら、


「本当に本当?」


と繰り返し聞いてきた。もちろんだと俺は伝えた。


「頑張って作ってはみたんだけど、あんまり自信がなくて、そんな風に言ってくれてとっても嬉しい。」


いや俺の方が嬉しいんだけども。多分、今の俺の顔は とてつもなくだらしない顔になっているのだろう。いかんいかん、平常心、平常心。


「明日も作ってきてもいい?」


純子は聞いてきた。もちろんだよ。もしかしたら明日は一緒に食べたりするのかなとかどぎまぎしながら答えた。


「じゃあ明日も作ってくるね。リクエストとかあったりする?」


そうだなあ、思いついたのは生姜焼きくらいだった。とりあえず肉ならなんでも良かったんだが、パッと思い付く料理名がそれしかなかった。それでも純子は、


「生姜焼きかー。わかった。頑張ってみるね。それじゃあまた明日。」


おっおう。そう言った純子は文化棟へそのまま消えていった。正直と言うかてっきり今日は一緒に帰ったりするんじゃないかと期待していたがそんなことは1ミリも言われなかった。俺は何も約束しないまま、武道場へと向かうことになった。英太のやつは、どんな風に一緒に帰ることになったんだろうか?やっぱりあいつから言ったんだろうなぁ。ってことは、俺が言わなきゃいけないのかなあ、でもなー、俺はとりあえず、まあおいおいということでと納得することにした。まあ昨日の今日で、すぐって方がおかしいのかもしれない。武道場へ着くとほとんどの部員は揃っていて、遅くなりました。と軽く謝りながら更衣室へとかけ込んだ。着替えの最中、昨日、B子には俺の挙動を怪しまれていたので、他のやつら、特に千葉のやつに何か突っ込まれるのではという不安がよぎった。めんどくさいなぁとか思っていたが、練習中、そんなこともなく部活は終わった。ちょっと残念な気持ちだったのはみんなには内緒だ。



何事も変わらず栄子との帰り道。ふと疑問に思っていたことを聞いた。お前、B子とかなり親しいみたいじゃないか。なら俺が中身の分からない手紙なんてもん渡さなくてもよくね?というものだ。


「あれねー。今のあんたに言ってもねー。まぁとりあえず継続しなさいよ。別にそんな苦になることでもないわけだし。」


なんだその言い草とジト目は。失礼なやつだ。だいたい中身を教えてもらってすらないのに。もしかして二重世界と何か関係があるのか?それだったらもう教えてくれてもいいんじゃないのか。俺だって当事者になったわけだし。


「うーん、そうねー。そんなことよりさ、もっと気になる事とかないの?みんなのこととか、これからのこととかさ?」


気にならないと言えば嘘になるが、そうだな、なんかすごい財閥の研究所とかで研究されてるのに、そんなことを俺たち一介の高校生が関わるなんてどう考えてもおかしい話だしな。まぁお前の両親のことが一番気になっているのだが、昼休みのあの様子じゃ教えてもらえないだろうし、どうせ教えてもらっても、変な嘘をつかれることになるんだろうなと思い、そのことは黙っていることにした。


「そうよね。普通に考えたらおかしいわよね。もし本当に世界に危機が迫っているのなら世界中の国々がしかもトップの人たちが率先して解決にあたるはずよね。でも世界は実際そんなんじゃ動かないわ。実害が出ないことにはね。」


そんなもんなんかな。けど、もしかしたら実は本当は害がないのかもしれないしなー。よくよく考えてみたら俺、その二重世界に行ったことないし、まあそこら辺に関しては、浜本先生も言ってたけど、おいおいって形がちょうどいいのかな。


「まぁ、実際に現物も見てみないとね。とりあえず二重世界に行くのは、予定では明日の午後8時になりそうよ。」


えっそんないきなりなのか。俺はちょっとドキドキしている。


「いきなりってわけじゃないのよ。あんたが知らなかっただけで浜本先生の因子図には3ヶ月周期で予定が出るの。」


3ヶ月周期だって?それが長いのか短いのかよくわからなかった。まぁ侵食っていう現象が現れるのが明日とかそれこそ今から2,3時間後とかそんな感じでしか分からなかったらみんなゆっくりしてられないだろうしなーっとなんとなく納得は出来た。


「そうよ。だから夏休みとかもあるのよ。」


あれ?それじゃあ、夏休みの間はその侵食ってやつは起きないのか?だとしたら相当ご都合主義が過ぎるんじゃないのか。


「馬鹿ね。侵食は現れないというわけではないの。あんたも昨日見たでしょ? 私が家でやってるところ。実際、二重世界へのダイブはどこからでも可能だから。」


あー確かに。それのせいで、今の俺のこの現状なわけだしな。


「それに、私が解析担当って言っても私がやるのは最後の調整がメインなの。実際の予測地点の解析は浜本先生と本部がやってくれてるのよ。」


本部?本部っていうのはどこの話なんだろうか?あの部室か?それともD国のその研究所かな?まあいいや、とりあえず明日その世界に行けるんだな。


「そういうこと。あんた実際見たら、腰抜かすわよ。」


くくくっといかにも悪い笑い方をしながら、えらいハードルを上げてくる。ん?ちょっと待て。お前、昨日家にいたよな?


「そうよ。それが何?」


んー、ってことは俺は後輩たちと二重世界に行くってことなのか?えっ?なんか途端に心細くなってきた。ちょっと嫌になってきた。えっ?誰に聞けばいいの?なんかわかんなくなったら。


「あーそうね、そうなるわね。そんな急に不安そうな顔してあんた、ほんとしょうがないわねー。」


だって、てっきり栄子と一緒に行くものだと思ってたしなー。そんな風に言うなよな。


「大丈夫よ。B子ちゃんならいつも一緒でしょ、部活で。」


いや、それはそうなんだけどさ、多分、聞いたらちゃんと色々俺のわかんないこと教えてくれるとはおもうんだけどさー、けどさー。まごまごしてしまう俺。


「…くくくっ冗談よ。あんたダイブの仕方だってまともにわからないでしょう。大丈夫よ。ちゃんと私がついて行ってあげるから。」


むーう。見事に踊らされてしまった。そりゃどうすりゃいいか全然分かってない状況で、普通に考えりゃ分かる冗談なのかもしれないが、この状況で言うか普通?しかもそんな小さい子供に言い聞かせるようなトーンで慰めるなよな。



翌日、午後8時ちょっと前、俺は栄子の部屋にいた。 あいだに純子さんのお弁当イベント、通称、恋愛イベントを差し込んだ俺に不安はなく、さっきから栄子の説明を毅然とした態度で聞いていた。まあ、はったりだったと言えなくはないが。


「いい?わかったわね?今から、ここに二重世界への扉を開くわ。使うのはこのボールペン。」


栄子はボディ部分に二重世界往路切符とでかでかと印字されたボールペンを俺に見せてきた。習字で書けたらかなり自慢してしまうかもしれないくらい達筆な印字だった。栄子が説明を開始してからそれが見るたびに不思議な感覚が俺を襲った。本気なのか冗談なのかボールペンの作者の意図がいまいち掴めなかったからだ。そんなことを俺が考えているとは、知る由もない栄子は真面目に説明を続けている。


「能力解放状態でこれを使って、自分の体の真下に自分が入れるくらいの大きい円を書いて。そしたら二重世界へダイブすることになるの。」


正直、ワクワクした気持ちがむずむずと湧き上がってきている。憧れだった中二な世界に俺は今行こうとしている。そりゃ世界の危機なんだろうけど、それよりもワクワクした気持ちが勝っていた。


「じゃあそろそろ行くわよ。とりあえず、能力覚醒。」


俺は言われるがまま、栄子からもらうことにしたキリンの定規を握りしめ、【合言葉?なんだそりゃ】と唱えた。なんか俺の定規だと光が弱い気がしたからそのまま使うことにしたのだ。やっぱりこのキリン良いわよね?と謎の同意を求められたのにはイラっとしたけど。


「いつもだったら、さっき説明した通り、自分の下に円を描けばいいけど、今回は二人だから、まず、ゲートを開くわね。【アブア】。」


栄子はそう言って、ボールペンで床に大きな丸を書いた。すると、そこには淡く白く光る水のような丸い空間が現れた。おおー。まさしくこれはゲートだ。


「そんじゃ、今からダイブするけど、絶対に私から手を離さないでね。」


栄子は俺の手を握った。おっおう。そして、俺たちはそのゲートの上に立った。俺たちの体がズンズンとその光の水の中に沈み始めた。俺はそんな状況に、これ本当に大丈夫なんだろうなと不安な気持ちで尋ねた。


「大丈夫よ、そんな強く握らないでよ、痛いでしょ。安心して。ただ、ちゃんと目を開けて、私の体越しに世界を見るようにしなさい。じゃないと万が一ってこともあり得るから。」


なんだよそれ、けど、わかった。万が一が何なのか聞きたかったが、今はそれどころではなかった。素直に俺は栄子の手を見つめた。多分、目をつぶったら何か良くないことが起きるような気がしたから。体はずんずんと沈んでいき、やがて床の境を視線が越えると、何と説明していいのだろうか、俺は奇妙な景色を見ていた。虹を思い浮かべるのが一番なのだろうか、その虹を近距離で眺めているようなそんな景色が広がっていた。あらゆる色が混じり合い、若干目の痛みすら感じる。そんなことを考えていると、ふっと、自分の立っていた床が消え、周りの色も消えた。おわっ、それにびっくりした俺は思わず体勢を崩して、背中から倒れてしまった。栄子の手を握っていたので栄子も同様に俺にのしかかる形で倒れてきた。


「ちょっとあんたねー。痛すぎるわよ。もうほんとビビリなんだから。」


栄子は軽くスカートをはたきながら立ち上がり、文句を言う。悪い、悪気とかなくてさ。俺は尻もちをついた状態で、周りを見渡しながら謝った。俺たちは、まっさらな空間にいた。その白い空間はどこまでも広がっているように見えた。


「ここまで来れば大丈夫。これが二重世界よ。どう?」


そう言われても、これはかなりの衝撃だった。ライトノベルかなんかでは定番の異世界。それが目の前に広がっている。真っ白だけど。これの、この感動はとてもすごいものだった。そんな真っ白な空間を眺めていると気付けば、B子、深瀬さん、江藤君の三人も同様にやってきていた。


「無事全員合流できたみたいね。とりあえず、今日の予測地点はEF-198、199。みんな準備して。」


はいという声と共に俺を除く全員が能力解放モードになる。そういえば、ここに入る前に能力は解放したはずなのに、定規からは光が出なくなっていた。俺もそれにならって遅れて能力を開放する。おお、ここでの定規の剣は実世界で開放した時よりも、さらに、光り輝いていた。周りを見てみる。みんなの能力はかなり世界で見た時よりも変化していた。江藤君のホッチキスは体の倍ぐらいの大きさに変わっており、抱えて使うようだ。深瀬さんも同様に消しゴムが大きくなっている。一番変わらなかったのは栄子だった。 コンパスがぐるぐる回っているが、昨日見た様子とあまり変わらないようだった。B子も剣道の防具を纏っている点では変わりなかった。ただ輝きが違っていた部屋で見たよりもさらに光の波と言っていいのか、渦と言っていいのか、炎のように揺らめいていてとても美しいものだった。自分の剣を見ると、なかなか恥ずかしい気持ちになってしまった。そんな俺のことなど気にする様子もなく栄子はみんなに指示を出し始めた。


「予測地点はさっきも言った通りEF-198、199。みんな位置について。カウント始めるわよ、5、4、3、」


そう言われた。皆は一糸乱れなく陣形を作った。ちょうど俺から見て一番遠くに江藤君、その右斜め後ろに深瀬さん、その二人のちょうど後ろのラインにB子が構え、さらにその後ろに栄子と俺がいる形になった。


「2、1、0。」


栄子のカウントが終わると、江藤君の前にいきなり空間の裂け目が現れた。今まで真っ白な空間に見慣れていたため、それはとても異様に思えた。ググっと壁を破壊するように現れた裂け目の中からはドロドロとしたヘドロのような緑やら赤やら様々な絵の具をパレットでかき混ぜた色をした得体の知れない何かが見える。そこから何か 幽霊というのか浮遊するドロドロしたものが飛び出してきていた。俺からはそこそこの距離だったが驚いて足が勝手に下がっていた。江藤君は慣れた手つきで、その空間の裂け目に対してホッチキスの芯が出る部分をうまい具合に引っ掛けて、カシャンと 閉じて行く。カシャン、カシャン、カシャン。若干のヘドロはまだ見えるが 裂け目の広がりはホッチキスの光の芯によって、止められている。そこへ深瀬さんが消しゴムで、その空間をちょうど長い廊下を雑巾がけするように擦る。すると、先ほどまで見えていた裂け目はきれいさっぱり消えていた。その後方に構えていたB子は、先ほど裂け目からあふれ出した幽霊のようなものに対し、一気に踏み込み、剣を振り下ろした。幽霊のようなものは、パンっと、風船が割れるように弾けて消えた。しかし、みんなの動きはまだ止まらない。心なしか俺の方向めがけて走ってくるように感じる。


「ちゃんと見てなさい、危ないわよ。」


へっ?俺はいきなり栄子に腕を引っ張られガクッとナニコレ?メチャクチャかっこ悪くない?もともとへっぴり腰に斜めの傾きって。後方右斜めからヘドロのようなものが視界に入ってきた。えっ?もしかして後ろにもさっきの裂け目が出てたのか?ばっと尻もちをつきながら、後ろを見る。裂け目だ。三人が消した裂け目に比べるとはるかに小さいが得体の知れないドロドロしたものがあふれ出そうとしている。ひっ。っと俺はみっともない声を出してしまった。情けない。気づけば、江藤君と深瀬さんがその裂け目も閉じてしまった。


「みんなお疲れ様。」


どうやら終わったようだ。すごくシンプルではあったが、俺の心の中では、とてもむなしく、恥ずかしい気持ちが溢れていた。栄子は安心した様子でこちらに振り返り、


「どう意味わかった?」


と聞いてきた。一連の動きの意味が分からなかった訳ではなかった。それはすべて侵食を防ぐという意味そのままだった。原理はさっぱりだが、江藤君は、裂け目を塞ぐのが役割で、深瀬さんはそれをきれいにする、B子はあれが何かまでは分からなかったが、そこから溢れたものを消す。みんなの動きが早すぎて、正直びっくりしていた。ぶっちゃけ、この現象を見るまでというよりも、みんなを信用してなかったわけではないのだが、案外、俺でもいけるんじゃないかと思っていた。だって、能力の覚醒だろ?しかも、江藤君の話ではここに来るのだって適性が試されるって。しかし予想以上に他の三人の動きが早くて、俺ができるのか、俺がいる必要があるのかと、しかも、あの裂け目を間近で見て、ちょっと自信をなくしてしまった。


「そんな凹まなくてもいいでしょうに。初めのうちは誰だってそんな風に感じるものよ。慣れたら活躍できるようになるから今は気にすることないわ。ガードを展開してなかった私も悪かったし、怖い思いさせてごめんね。」


俺の心情を理解しているのか、みんなには聞かれないように小声で栄子は慰めてきた。軽く言ってくるな、という気持ちで俺はいっぱいだった。栄子はそのあと軽くこれからのことをみんなや俺に向かって話していたが、俺の頭にはあまり入ってこず、栄子に連れられ、普通の世界に帰ると俺は沈んだ気持ちで自分の部屋に戻り布団にばたりと倒れ込んだ。思ってたのと違うなー、やっぱり俺はこんなに出来ないやつだったのか、ぐるぐると頭の中でさっきの出来事が甦る。皆に的確な指示を出す栄子、それを受けて後輩である深瀬さん、江藤君、B子が皆特有の能力を使って侵食と呼ばれる現象を止めていた。はー。俺はいったい何をすりゃいいんだよ。なんとなく何か出来るんじゃないかと軽く見ていた自分がとても恥ずかしく惨めな気持ちがループし、その夜はあまり眠ることが出来なかった。



翌日、俺は絶対に睡眠不足状態なのに妙に目が冴えた状態で通学路を歩いていた。前方10数m先では半ば見慣れてしまった英太の馬鹿面が印象的なカップルが歩いている。まったくー、あいつは幸せそうでいいなー。俺の無力さを分けてやりたいぜ。この何とも言えない虚無感をお前に。栄子がまたもや部の用事で早く登校して独りぼっちな俺はひたすら英太への恨み節を心に宿しながら登校した。



「ねぇ、どうしたの、席に着くなり、突っ伏しちゃって。」


土井だ。うん、ちょっとなー。俺は顔を上げることなく力なく返事をする。


「ほんとに元気ないねー。もしかして純子ちゃんとなんかあった?」


ふぁ。俺はがばっと顔を上げた。そうじゃないか。


「うわっ、びっくりしたー。」


わりぃと謝った後、俺は土井にありがとうと伝えた。土井はとても不思議そうな顔をしていた。不思議だろうなー。うんうん。しかし、土井お前は本当に良いことを聞いてくれたぞ。そうだ。俺には純子さんがいる。そりゃ確かに侵食の時は役立たずだったさ。でも、俺には純子さんがいる。なんと素晴らしいことだ。昨日の夜からずっと悩んでいた俺自身の必要性が意味あるものになった気がした。ありがとう、純子さん。それに、土井も。


「なんかよくわかんないけど、純子ちゃんとなんかあったわけじゃないんだね?」


おう。そんなことある訳ないじゃないか。昨日だっておいしい手作り弁当を作ってきてくれたし。そんなことを言っていると、途端に眠気が襲ってきた。やべー、眠い。俺は午前中の授業をうつらうつらと舟を漕ぎながら受けた。


「おーい、もうお昼だよー。」


土井の俺を起こす声がする。あーもうそんな時間なのか。ぼーっとした頭で考える。昨日は俺が休み時間の間にトイレに行ってそん時に純子さんがお弁当渡してくれたよな。あれ?もう昼ってことは俺お弁当貰うタイミング逃したのか、今から行ったらいいのかな。でも、ちょっと恥ずかしいな。


「ほら、あっち。」


土井は指を教室入口に向けて指している。俺はその示す先に視線を向ける。おー、純子さんがこっちを照れくさそうに見ている。その視界の中にはいらだった様子でにらみつけるように視線を送ってくる英太の姿もあったが、そんなものは知ったこっちゃない。俺は慌てて純子さんに駆け寄った。



「もう、全然出てこないから、お弁当渡すタイミング無くて。」


すまんかった。なんか眠すぎてと素直に謝った。もしかして純子さんは休み時間のたびに俺の様子を伺いに来てくれていたのだろうか。だとしたら、すごくうれしい。


「そっそれでね、考えたんだけど、一緒に食べたりする?お弁当?」


えっ?それは純子さんと二人きりでってことかな、俺はドキドキしていた。努めて冷静に。もちろん、いいよ。どこで食べる?っと俺は答えた。そう、努めて、冷静に。


「うーん、そうだなー、屋上とかにする?そこだったらあんまり人もいないだろうし。」


わかった。努めて、冷静に答えた。しかし、心の中は踊りだしたい気分でいっぱいだった。この学校の屋上といえば、恋人たちの語らいの場であることが不文律で決まっている。元々は学食が無くお昼ご飯を食べる場所が限られていた為、屋上が解放されていたらしい。別の高校に行ったやつの話ではとても珍しいことらしいが俺はそれが普通だったのでとても驚いたのを覚えている。しかし、学食が新設されたことで状況は一変した。わざわざ屋上まで行く必要がなくなったのもあるが、屋上には監視カメラが設置されているというまことしやかな噂が流れたので誰も行かなくなった。しかし、屋上は解放されたまま。じゃあ誰が行くのか。人が少なく、監視カメラがついているため、変なことに巻き込まれる心配が少ない。おのずとそこには恋人たちが集まっていく流れになっていた。入学以来、俺には縁遠い場所で行けたらいいなーくらいに思っていたその場所へ今から行く。そわそわしながら純子さんの後をついて行った。屋上への階段を上っている最中に栄子たちに何も言っていないことに気づいた。まぁいいか。



屋上には落下防止のためのフェンスが設置しており、フェンスの付近に数m間隔で三人ほどが腰かけられるベンチが数台設置してあった。入口から数組のカップルがそのベンチにちらほらと座っているのが確認できた。


「向こうにはあんまり人がいないみたいだから、向こうにしよっか?」


おっおう。俺は言われるがままに入口からちょうど死角になる裏手のベンチに向かった。純子さんは詳しそうだった。もしかしたら来てたこともあるのかな。そりゃそうだよな。とても美人だしな。モヤっとした気持ちが俺の心の中に広がった。


「あー、変なこと考えてるでしょ?入学したときに女友達と興味本位で何日か来たことがあるってくらいだから。安心して。男の人と来るのは今日が初めてだよ。」


そっかぁ。ならいいかー。ベンチに座ってそんな話をしながら純子さんが作ってくれたお弁当を食べた。今日も純子さんが作ってくれるお弁当はとても美味しかった。しかも、今、目の前にはその純子さんがいる。これを幸せと言わずなんというのか。しばらくして純子さんがこちらを見ずに自分のシューズのつま先を見ながらもじもじしていることに気づいた。どうしたんだろう?俺は疑問に思った。


「あっあのさ。来週の土曜日ってなんか予定ある?」


来週の土曜日?いきなりだった。来週って…花火大会に誘われているのか俺は。もちろん用はないことを伝えた。女の子と花火大会。初めての誘いに心臓が痛い。


「よかった。もしかしたら、栄子さんだったりと予定が入ってるかもって不安だったんだー。」


むー。やはり栄子か…もしかしたら俺に相手が出来なかったのは栄子が原因だったのではないだろうか。しかし、それをはねのけて純子さんは俺に好意を向けてくれる。なんと素晴らしい。


「あっ大事なことを聞いてなかった。連絡先教えてくれる?明日は終業式だし、夏休みに入ったら同じ部活とかじゃないから連絡も取りづらいし。」


もっともだし、連絡先知らないと困るもんなー。デートとか花火大会前にしちゃうのかな。期待に胸を膨らませながら俺たちは連絡先を交換。


「それじゃ、また。夜とか連絡するかも。」


うーむ。これは付き合っていると言っても差し支えないんじゃないか。こうして俺の屋上デビューは終わったのだった。



「おかえりー。楽しかった?」


教室の席に戻ると土井が聞いてきた。なんか取り巻きにいる一人が若干気になるが…


「まさか俺の知らないところでこんなことになってるなんてな。」


予想通り、土井の隣に立っている英太が責めるように言ってくる。お前にそんな風に言われる筋合いないぞ。お前だって彼女いるじゃないか。自分だって似たようなもんだろ。


「なんか今日は瑠美ちゃんが、友達と一緒に昼休み過ごすことになったらしくてさ。それでご機嫌斜めなんだよ。」


なるほど。それでこんな風に突っかかってくるわけだ。


「いや、そういうわけじゃないからな。ただ俺に何も報告もないのがな、問題だと思うわけだよ。俺は。で、聞いたら土井は知ってたし、とりあえず今の昼休みの時間に千葉んとこにも行って、そしたら千葉は知らなかったって言うし、お前なんか言うやつを選んでるんじゃないかと不信に思ってだな。」


まぁぐちゃぐちゃ言ってはいるが要するに俺は聞いてないってのに怒ってるわけだな。悪かったって、そりゃ報告すんのが普通なんだろうけど、まだ付き合ってるとかそんなんじゃないしと軽く流しながら、千葉に言ったのかとちょっとめんどい気持ちなった。正直、この今の微妙な状態を英太、千葉の二人に知られたくないというのがあった。中学時代最大の黒歴史、栄子への告白は、ほかでもないこの二人の馬鹿にそそのかされた結果以外の何物でもないのだ。ここでまたこいつの言葉に乗ってしまったらまた黒歴史を増産することにつながりかねないのだ。俺は慎重に言葉を選んだつもりだったが、


「まだ付き合ってないとか、そりゃないだろう。だって、お前ら今まで屋上にいたんだよな?屋上へ昼休み行くなんて、なんも知らない1年が4月の頭に興味本位で行くぐらいであとはそういうことじゃねーか。」


おっおう。やっぱりそうだよな。そういうもんだよな。


「ははーん。さてはお前、そんな状況も相手に任せてるパターンだな。なすが儘ってやつか?しかっし、なんでお前なんだろうな。それだったら、俺のほうが…」


「ふーん。いいんだ。瑠美ちゃんにそれ言ってあげようか?」


「えっ?それは勘弁…」


そうだそうだ。土井チクってやれ。そうこうしていると、チャイムが鳴り、国語教師のゾッTが教室へ入ってきた。なし崩し的にこの会話は終了した。しかし、俺の胸の中には英太の言葉がダイレクトに刺さっていた。なんで俺なんだろ?そうだよな。散々、栄子や土井からも遠回しに怪しいとは言われてはいたが、英太のストレートな疑問は俺に現実を突きつけた気がした。俺が良いと思ったところって何だったんだろうな。別に見た目が特別良いわけでもないし、学力も良いわけでも、運動神経が良いわけでも、会話が面白いわけでもないし、侵食の世界では棒立ちで何かできたわけでもないのに。俺はぶんぶんと顔を横に振った。いかんいかん。また変な思考に入ってきた。ダメだと思ってもどうしても思考がそっちへ向かってしまう。そういうマイナスな意識がマイナスな現実を引き寄せてしまうのだ。


「おー、眠気を覚ましたいのか?いいぞ。ちょうど読んでもらおうと思ったところだ。23ページ12行目の人の目から読んでもらおうか。」


ゾッTから突然さされた俺は、しどろもどろ教科書を読んだ。



売店横のフリースペースのベンチに座って栄子を待つ。部活中は昼休みに英太から情報を仕入れた千葉を筆頭に、こんなんでへばっとったら、愛しの彼女に笑われんでとげきを飛ばされたりと先輩たちから散々いじられた。まったくみんなで悪乗りしやがって。まー悪い気はしなかったけども。


「あのー。」


うん?振り返るとそこにはB子がいた。


「今日は散々でしたね。先輩たちみんな悪乗りして。」


そうだな。まったく。けど、お前もういいのか?というのもB子は今度のインターハイで補欠ではあるが出場するため、部活終わりにインターハイ出場予定選手の打ち合わせに参加しているはずだったからだ。


「そうだったんですけど、侵食の件で栄子さんにお話があって、打ち合わせの内容は前もって楠田先輩から聞いていたので大丈夫です。私もここで待ってていいですか?」


あーそういうことか。俺はベンチ中央から右端へ移動し、B子が座るスペースを作った。こいつは二つの大舞台を掛け持ちしてるんだな。そう考えるとほんとにすごい奴だな。こいつも先輩たち同様、自分のことをちゃんと意識してるんだろうな。俺の周りはなんでこんなにちゃんとした人ばっかりなんだ。もう少し俺よりのダメな奴はいないのかまったく。栄子を待つ間、なんとなく気になっていた栄子との出会いを聞いてみることにした。


「出会いですか。言ってもいいのか分からないですけど、気になりますよね?」


そりゃそんな風な言い方されりゃ気にならなかったとしても気になるだろ。普通。


「ぷっ。そうですよね。失礼しました。えっとですね、私が大会に出てるところをスカウトされたって言ってましたよね。はい。中学2年の時。後から聞いた話なんですけど、栄子さん私の通ってる道場にも見学に来てくださってたらしくて、ほんとはずっとタイミングを見計らっていたらしいんです。」


ふーん。ってことは、B子には何かしらの才能があることを栄子は知っていたってことになるよな。つくづく謎な奴だ。ずっと一緒にいたはずなのにあいつのこと何も知らなかったんだんだなー。しかし、こいつもそんな訳の分からないことによく首を突っ込んだもんだ。B子は苦笑いしながら、


「そうですねー。いきなりでしたからね。大会のその日にダイブすることになって、えぇ、そうです。ほんとびっくりしましたよー。私の知らない世界がこんなにも身近に広がっているんだなーって感動しました。えっ、二人でかって、えーっと、それはですねー、」


「あら、二人なんて珍しいわね。もしかして、お邪魔虫かしら?どうしようかなー、純子ちゃんに報告が必要かしら?」


振り返ると栄子が立っていた。ニヤニヤといじる気満々の悪い笑顔で。


「いや、全然、そんなことはなくてですね、ただの世間話というかですね、栄子さんもしかして聞いてたんですか?」


ニヤつく栄子とあたふたと焦った様子のB子。なんだかなー。俺はあんまりB子をいじめるなよと栄子にB子がいる理由を説明した。


「そうなの。どうしたの?あっ、もしかしてこいつがいると話しづらい?」


思いっきり、俺を指さして邪魔者扱いする。こいつの俺に対する認識ってどんなんだよ、まったく。


「そんなことはありません。むしろ、聞いてほしいんです。これからに備えて先輩も練習の機会というかそういうものが必要なんじゃないかって。」


「あー、なるほど。こいつのことが心配だからB子ちゃん自ら指導したいってことね。」


「いっいや、そんなおこがましいものじゃなくてですね。やっぱり、何事も慣れなのかなって。私も最初の頃は心の研ぎ澄まし方がいまいちピンとこなかったりして苦労した覚えがあるんで、それで。」


「そうね。じゃあとりあえず今から行ってみる?まずはあの二重世界に慣れることから始めなくちゃね。」


おっおい。いきなりなのかよと思ったが、どのみち慣れなきゃどうしようもないしなーと悩んでいると、


「是非!」


とB子も乗り気だ。習う俺自身が駄々をこねるのもなんだったので、俺は流れに身を任せることにした。



プログラミング部の部室から二重世界に入った俺たち。B子は能力を発動させてこちらを向き、


「それではまず先輩も能力を発動させてください。」


俺は言われるがまま能力を発動させた。B子の前だと余計に自分の剣が貧弱に見える。はぁ。俺は素朴な疑問として、B子は最初からそんな風に光の鎧だったのかを聞いた。一縷の望みを込めて。


「えっ?えーっと、もちろん今の状態に比べたら全然でしたよ。だから先輩も大丈夫です。私にだって出来たんだから先輩だって当然出来るはずです。」


そうかー。もしかしたら俺にだって、この能力をうまく使えるようになれば、B子みたいになれるかもしれないのか。頑張ってみよう。


「まーでも、B子ちゃんは最初に発動した時点で今よりかははるかに薄いけど光の鎧まとってたけどね。」


「栄子先輩!」


横やりを入れる栄子に対し、B子は真剣に怒ってくれていた。栄子は元からこんな奴だ。ここでこいつの言うことを鵜呑みにしてへこんでいてもしょうがない。正直、あんな惨めな思いをするのは一回で十分だ。俺だって少しはやれるってところを見せなければ。まず、初めにB子が教えてくれたのは、この世界は自分の意識によって形が変化するということだった。


「先輩にとってこの世界はどんな風に見えていますか?」


はじめ、そんな風に聞かれて俺はとても不思議な感覚になった。どんな風も何も、真っ白な世界だろ?それ以外に何かあるんだろうか?


「真っ白な世界ですか?へー。先輩にはそんな風に見えてるんですね。正直、驚きました。」


へ?お前にはどんな風に見えてるんだ?


「えっと、私はいつも武道場に見えています。」


武道場?それを聞いた俺の視界に異変が起こった。今立っている真っ白な地面が見知らぬ武道場の床に代わり、はるか彼方に壁や天井がうっすら見えるようになった。しかし、それは一瞬のことでまた真っ白な世界に戻った。俺が目をシロクロさせている様子を見たB子は、


「もしかして、先輩、今、武道場が見えたりしました?」


とても驚いた表情で聞いてきた。あ、あー。けど、一瞬だぞ、一瞬。すぐ元の真っ白な世界に戻ったぞ。それがどうしたっていうんだろう。


「先輩、それとっても凄いことですよ。相手の立場に立って物事を見れるってなかなか出来ることじゃないですよ。凄い才能ですよ。とても素敵です。」


B子はものすごくテンションを上げて俺をほめちぎってきた。そっそーか。俺も褒められてまんざらでもない。


「どーせ、あんたもおんなじ剣道部員だったからたまたまでしょう?」


なんなんだこいつの俺を調子に乗らせまいとする毎回の努力は。あーはいはい。たまたまかもな。まったく、こいつの言うことは金輪際、耳に入れないようにしよう。


「じゃあ、試しに私が見えてる世界も想像してごらんなさいな。もちろんノーヒントで。どうせ無理でしょ。くくくっ。」


ノーヒントでって無理に決まってるじゃないか。無茶ぶりにもほどがあるぞ。しかし、俺のその心情に反してまたしても視界が揺らぐ、真っ白な空間が突然、瓦礫の街に変わった。ここはどこなんだ?見渡す限り瓦礫で埋め尽くされ、空はまっさらな青空。はるか彼方に細長い建物らしきものが見えるがあれはなんだ?


「まさか見えたとか、そんな適当なこと言うんじゃないでしょうね?」


えっ?あっと、俺は正直に言っていいものか悩んだ。もう世界は真っ白な空間に戻っていた。俺はごまかすことに決めた。あんなものを栄子が見ているなんて認めたくない。何より見えたと言った後に栄子がその意味を話してくれるのか、もし万が一話してくれたら、知ってしまったら、今の関係が壊れてしまうのではないかと不安に思ったからだった。やっぱりねーっと満足そうに笑顔を浮かべる栄子の隣のB子は何か気付いているようだった。俺はとりあえず、そんなんはいいから練習の続きをとB子に催促した。


「あっそっそうですね。じゃあ次は、えっと、この世界はその人の意識で見え方が変わる、ここまでは良いですよね?…はい。能力にも同じこと…ちょっと違うかな、思いの強さによって、いや、イメージの強さかな。うーん。」


B子は俺に説明するのに悩んでいた。それを見かねた栄子が助け舟を出す。


「B子ちゃん、考えすぎよ。要するに意思の強さがすべてを決めるの。B子ちゃんはこの世界の危機を真剣に考えて、今自分が出来る最大限のパフォーマンスは何か必死に考えて今の能力の状態になってるの。あんたみたいにこれくらいで十分だろ?とか考えてここにいるからそんな剣しか出ないのよ。」


いちいち癇に障る発言をする奴だな、まったく。しかし、栄子の言い分ももっともな気がした。俺はどこか自分は何もしなくても自然と出来るんじゃないかとか俺が本気でやればとか何もしていないのに自信だけでいざここに来て何もできず、自分の無力感に打ちひしがれただけな気がする。今から始めるんだ。俺はキリンの定規を両手でグッと強く握りしめ、イメージする。刀身の幅は握りとおんなじぐらいか?実際に動きながら剣のイメージを膨らませていく。刃渡りはやっぱり、竹刀と同じくらいの長さがベストか?切っ先は尖らせて、やっぱり光の剣なんだから背の部分は波打ってるのが良いよな。つばは丸くての部分にはと、あれこれ自分の好きなように変えていく。あーせっかくだし、コネクトリングに模したリングも出してみよう。さすがに、B子みたいに全身を包み込むほどのものは出来る気がしないが、リングぐらいなら今の俺にだって出来るだろう。いざとなったら盾みたいに変形するみたいな。しばらくしてこんなもんかなっと栄子とB子に視線を向ける。二人は驚いた表情をしている。なんなんだよお前ら?


「あんたにこんな才能があるなんて思いもしなかったわ。」


「先輩、すごいです。」


は?何言ってんだよ。お前らがやれるって言ったからじゃないか。イメージの形ですべては決まるって。


「この調子なら案外早い段階であんたも使い物になるかもしれないわね。」


なんなんだ、その言いぐさは、まったく。そのあと俺はB子から裂け目が発生する可能性のある部分の違和感の見つけ方や現れた敵の倒し方などを教えてもらった。栄子のヤジを時々受けながら。B子の指導は俺にとってとても分かりやすいものだった。俺が理解していないのを悟るとすぐにフォローしてくれて、俺のこの二重世界への理解はより高まった気がした。段々と理解が進むたびに栄子の説明不足感が顕著になってきて、やっぱり最初の指導者って大事だなーとか思ってしまった。



プログラミング部の部室に戻ると、浜本先生が待っていた。


「皆、ご苦労!なかなかのトレーニングになったみたいだな。」


「そうですね。案外というかほんと予想に反して、こいつなかなかコツを掴むのが早くて、実践でも、まぁまぁ使えるようになるのは早いかもしれません。」


なんだ、この私のおかげです。みたいな態度は。全部ちゃんと教えてくれたのはB子じゃないか、まったく。B子はあまり気にしていない様子だった。まぁいいか。浜本先生と栄子は二人で会話を続けている。俺はふと時計を見る。9時をちょうど回ったところだった。9時、部活が終わって二重世界に入ったのが多分7時くらいだから2時間くらいか、2時間か、もっといたような気もするし、もっと短かったような気もするし、不思議な感覚にとらわれた。うーん。時計を見て悩んでいる俺に気づいたB子は、


「変な感じがしますよね。二重世界では時間の進みがおかしくなるらしいんです。しかも一定じゃないらしくて普通の世界から観測すると伸びたり縮んだりするみたいなんですよ。」


へー。不思議なもんだな。


「あっそういえば、先輩はボールペン貰いました?」


ボールペン。おそらく二重世界に行くためのあれだろう。貰ってないと伝える。


「ならよかった。まだ一人では渡航は危険だと思いますし、渡航には先生たちの許可も必要ですから。」


そんなもんなのか。ってことは今日の練習はよかったんだろうか。


「多分、栄子さんがうまく手配してくれたんだと思います。私も言って当日に行けるなんて思わなかったのでほんとよかったと思います。」


うーむ。あいつはなんなんだ。あいつはずっと一緒にいて姉弟のような感覚だったが最近ではまったく遠い存在な気がしてくる。不思議な感覚だ。しばらく時計の前でB子と話していると浜本先生との会話を終えた栄子が、


「あんたたちー、帰るわよー。」


と言ってきた。おかんかお前は。浜本先生にお礼を言って、俺たちは帰路についた。



帰り道、ふと思い立って二人にこれからの侵食の予定を聞いてみた。


「そうね、今のところの予定では今週の日曜日かしらね。その次が来週の水曜日と木曜日。そのあとはちょっと間が空いて8月に入ってからってところかしら。」


スマホのカレンダーアプリでも見ているのか、栄子はスマホを見ながらスラスラと答えた。ふーん。ということは、花火大会には被ってないな。よし。


「あっ、そうだ。」


なんだ、いきなり。もしかしてちょっとにやけてしまったのがバレたのかと焦ってしまったがそんなことはなかった。


「あんた、ちょっとスマホ出して。」


ん?あっあー。栄子にスマホを解除して渡そうとした瞬間、俺は慌ててスマホを引っ込めた。


「何よ、どうかしたの?」


解除した際にメッセージの通知が見えたからだ。しかも、純子さんからの通知である。俺は、とりあえず、メッセージの確認はせずに通知を削除、それから栄子に渡した。


「何よ、おかしなやつねー。まぁ、いいわ。とりあえず、」


そういうと薄い黒の外付けHDDみたいなものを俺のスマホにケーブルでつなぎ始めた。おっおい。大丈夫なんだろうな、それ。


「大丈夫かって何よ。アプリをあんたのスマホに入れるだけよ。しばらくかかるから。」


そう言うと栄子は俺のスマホを自分のカバンに押し込めてしまった。あー。


「侵食の情報がすぐ見れるアプリです。アラーム機能とかあって便利ですよ。」


えっ、そんなものまで開発されてるのか。まーでもそれが当たり前なのか?でも、アプリの開発ってお金かかるはずじゃ。そう考えるとD財閥って相当な資金をこの一連の現象に割いてるってことだよな。でも、実際、世界の危機なんだから当たり前だよな。うん。でも、それだったたら尚のこと俺はなんでそんなことに巻き込まれているんだろう。一介の高校生だぞ、こっちは。


「はっきり言っとくけど、あんたを巻き込むつもりなんてこれっぽっちもなかったんだからね。不可抗力よ、不可抗力。」


だから、なんでこいつは俺の考えてることがわかるんだよ。まぁやるしかないんだろうな。俺はここまで知ってさすがに知らんぷりできるほど厚かましくない。それに、栄子が見ているあの世界のことも気になっていた。あの瓦礫の街と栄子はどんな関係があるんだろう。正直、それを本人に聞く勇気は無い。なんか開けてはいけない気がして、怖い。パンドラはどんな気持ちで箱を開けたんだろう。あれは、宝物を覗きたかっただけだったっけ?そんなことを考えながら帰った。



B子と途中で別れ、栄子と二人きりになった。すると、栄子はそれを見計らったように、


「あんた、さっきスマホ渡すとき、焦ってたけど、まさか純子ちゃんからメッセージでも届いてたの?」


悪い笑顔で聞いてくる。B子がいる前で我慢してくれていたことは評価するが、いなくなった途端にいじってくるとは…まったく。俺はそうだよと半ばあきらめて答えた。


「やっぱりねー。あんたの慌てよう。くくくっ。そんで、やりとりは結構してるの?」


うんにゃ。今日の昼休みに教えてもらった。だから、早く返事を返してあげたいから返せ。俺は正直に気持ちを伝えた。この流れはどう考えてもメッセージ内容を見られてしまうが、背に腹は代えられない。もしかしたら、何か急ぎのメッセージとかだったら純子ちゃんが悲しむかもしれないし。


「しょうがないわねー。どんな感じかしら?」


栄子はバッグの中身をごそごそとやって、俺のスマホの状況を確認する。


「あっ大丈夫。終わってるみたい。」


俺のスマホからコードを外し、俺に渡してくる。あれ、メッセージ内容見ないのか?素直に返されて驚いている俺に、


「あんたねー。私を何だと思ってるのよ。さすがに私から見たりはしないわよ。そりゃ相談ぐらいなら乗ってあげるけど。ちゃんと返事してあげるのよ。」


はーい。俺は素直に答えるとメッセージアプリを開く。純子ちゃんから4件のメッセージが届いている。


-部活終わったー?初メッセ。

-あのーもしかして大会前だから遅くなってる?

-あのー。

-とりあえず、お風呂とか入るからまた明日ー。


あー。見事にメッセージは終わっていた。がっかりだ。


「何よ、あんた、返事送ってあげないの?」


あげないのって言われてもなー。俺は別に見られても困らないだろうと思って、純子ちゃんからのメッセージを見せる。これで何を返信しろってんだよ。


「ふむふむ。馬鹿ねー、あんた。これに返さなかったらダメでしょ。これだから女の扱いの分かってない男は。」


なんだ、その憐れむような視線は。そのあと、家に帰りつくまでクドクドと返信しなきゃいけない理由を説明された。


「ちゃんと返してあげなさいよ、わかった?」


分かったって。栄子は玄関先で別れるまで言い続けていた。



シャワーを浴びて、インスタントラーメンにお湯を注ぎ、自分の部屋に戻った。時計はすでに10時過ぎを指していた。今更、返信してもなー。とスマホのメッセージアプリを開きながら考える。けど、返信しないで明日ってのもなんかなー。俺は返信することにした。


-ごめんね、部活で全然メッセージ見れなくて、また明日。


栄子辺りに見せたらもっと気の利いたセリフ言えないのーとか言って馬鹿にされそうだが、これが俺の精一杯だ。俺は意を決して送信ボタンを押した。ラーメンをすすりながら、今から寝る気分にもなれないし、【私リー】の【パリピオン】プラモでも作るかと思っていると、スマホが動いた。慌ててスマホを見る。


-そーだったんだ。てっきりこういうの嫌いなのかなって心配してて。もうお風呂とか入った?


-入ったよ。寝るのもなんだし、プラモでも作ろうかなって


-そうなんだ。もしかして昼間話してた【私リー】のロボット?


-そうそう。まぁまだ完成は遠いんだけどね。ぼちぼちやってるとこ。


-完成したら見せてね。そういえばさ、


プラモデルを組み立てながらしばらくメッセージを送りあった。何だろう、得も言えないこの感情は。こう純子さんとメッセージを送りあっているだけであらゆることが楽しくなってくる。今までやり始めたからには完成させなくちゃなーと半ば義務感に駆られてやっていたプラモ作成が楽しいと思えるようになってきた。その日は0時を回るまでプラモ作成と純子さんとのメッセージのやり取りを続けた。



終業式も終わり、つつがなく夏休みへと移行した日曜日の昼。昼ご飯を食べ終えた俺は栄子の部屋にいた。ちょっと前から部屋の主たる栄子はお母さん宜しく俺に夏休みの宿題をきちんと計画を立てて、それを実行することがいかに大切かを説教している。俺は黙って聞いている。まー、朝早くから机に向かっている俺をベランダ越しに見た栄子が勝手に勘違いして上機嫌でお昼ご飯を作って、宿題なんてやってるわけもなく、プラモ作成をしている俺を呼びに来た時にキレたというだけなのだが、まったく俺のせいなのかよ。勝手に勘違いしたくせに。お昼ご飯を食べ終えた今でも収まっていない。困った。てか、もうすぐ侵食の予定時刻だろうに。俺はやんわりと侵食の時刻が迫っていることを伝えた。


「わかってるわよ。あーもう腹が立つー。じゃあとっとと行くわよ。」


しばらく機嫌は直りそうにない。


二重世界についた俺はさっそく剣を発動させた。大丈夫みたいだ。ちゃんと形になってる。というのも寝る前とか時間があれば発動させていたのだが、現実世界だからなのか分からないがうまく思い描いた形にならなかったのだ。俺は少し安心して周りを見渡した。すでにその場にいたのはB子と江藤君だった。軽く挨拶を交わす。江藤君は剣の形を変えられるようになった俺に驚いているようだった。遅れてきた深瀬さんも驚いていた。ふむふむ。やはり俺はなかなかの才能の持ち主なんだな。


「はいはい。もうこいつのことはいいからみんな準備してー。あんたは今日はB子ちゃんの隣で構えなさい。ポイントはDQ-27、行くわよー。」


ハイっとみんなは声を出し、持ち場につく。俺はB子に従うようについていく。


「カウント始めるわよー。5、4、3、」


この前B子に習った裂け目が現れる予兆に注意を向ける。なるほど、段々とゆがみが現れている。真っ白な空間だから気づけないかもしれないと少し不安だったが案外大丈夫だった。


「2、1、0。」


来た。裂け目が現れた。今回は裂け目から幽霊のようなものは飛び出さず、江藤君と深瀬さんが速やかに裂け目を閉じてしまった。これで終わりか。今日のはなんかあっけなかったなーと俺はふーっと一息をついた。


「まだ油断しない!あんたの後ろにまだ残ってるわよ!」


「先輩、危ない。」


いきなり俺はB子から腕を引かれ、気付けばB子に抱きしめられるような形になっていた。柔らかさと甘い香りが俺の体を包む。あわてて首だけB子から離す。B子が自分の剣を逆手にもっているのが見えた。どうやら俺の後ろの何かを突き刺したようだった。ちょっと待て。俺の視界、B子の後ろにあの幽霊みたいなのが見えた。B子後ろ!俺は思わず叫んだ。B子はそれに反応して持っていた自分の剣の持ち手を逆手から順手に器用に持ち替えて一気にその幽霊を斬り伏せてしまった。


「OK。反応はすべて消えたわ。みんなお疲れ様。あんた油断してたでしょ。私が終わったって言うまではまだ侵食因子が残ってるんだから今度から気を付けるのよ。」


俺はB子に抱きかかえられながらそんな栄子の言葉を聞いた。くそっ、だって、何も裂け目から現れなかったから油断するじゃないか。でも、みんなはちゃんと注意していたわけで、うーん。俺は自分の甘さを痛感せざるをえなかった。おっ、ふいに倒れそうになる。B子が体を俺から離したからだった。


「すっすいません。とっさに変なことしちゃって。」


B子は顔を真っ赤にしている。いいよ、いいよ。俺が不甲斐なかっただけだから。それよりも、俺はどうやってさっきのに気付いたのかが気になっていた。だって、何も俺には見えなかったから。


「あっそれですか。えーっと、裂け目が現れたときに実は二体の因子が飛び出していたんです。そうです。多分ですけど、先輩は裂け目に意識が向いてただけなんだと思います。でも、今回みたいに実体が、そうですねー、透明人間みたいに見えない時があって…揺らぎっていうんですけどそれを頼りに敵を補足するんです。」


うーん。あの時にすでに出ていたのか。全然分からなかった。


「お疲れ様です。大丈夫ですよ。最初はなかなか気づけないかもしれませんが、慣れてくれば見えるようになりますよ。ちなみに今回のは僕も見えてなかったですし。」


「大丈夫ですって。結局あの因子って実体化しなければこちらに害にならないんで、見えるようになってから反応しても十分対応できますって。」


配置から戻ってきた江藤君と深瀬さんもフォローしてくれている。その優しさが正直ちょっと辛かった。


「それより、B子ちゃんの胸柔らかかったですか?」


深瀬さんが変なことを聞いてきた。なっなっ。焦る俺は思わずB子を見てしまった。恥ずかしそうに胸を隠しながらB子は顔を赤らめている。不可抗力というか俺がぼーっとしてたからで、っとたじたじになりながら答えていると、


「はいはーい。これは重要案件だと思うわけよ。私も。調理部って夏休み部活ないんだっけ?でも、純子ちゃんに重要な連絡事項があるって言って、この案件を持ち込んだら臨時で部活することになって、美味しいもの食べられるかもしれないわねー。」


悪乗りを始めた栄子。昼前からのテンションとは大違いだ。機嫌がよくなってよかったよ。まったく。俺は元に戻った二重世界でしばらくの間、いじられ続けた。B子、すまん。



-へー、プログラミング部のお手伝いとかしてるんだー。じゃあ、私にもパソコン教えてくれる?


プラモを作りながら、純子さんとメッセージのやり取りをするのが最近のルーティンになってきた。メッセージを見ながら俺は悩んでいた。純子さんと何処かデートに行ってみたい。もしかしたら、純子さんから言ってきてくれるかと少し期待していたがそんなことは今のところない。まー、花火大会に行くことはすでに決まっているからそのあと誘われたりするのかもしれないが、うーん。明日と明後日はまた侵食の予定もあるがそれはどちらも夜の話だ。午後なら自由に動けるし、うーん。


-そんじゃ、眠くなってきたから、もう寝るね。また明日、おやすみー。


そんな風に悩みながら結局遊びに行こうというメッセージは送れずに純子さんとのメッセージやり取りは終了してしまった。



夏休みが始まり数日たった平日。二日続けての侵食、二重世界へのダイブ。俺はこの侵食の頻度の差について聞いてみた。昨日、まぁこの前みたいにB子に助けられるみたいなことはさすがになかったが何も出来なかった。そんで今日。で、また一週間くらい間が空くらしい。バラバラに見えるけど何かしらの規則でもあるのかとても不思議に思っていたのだ。


「うーん。規則ねー。2年くらい裂け目の修復してるけど、そーね。規則性があるって言えばあるのかしら。夏休みとか冬休みとか長期休暇になると裂け目が発生する頻度がグッと減る感じ。」


なんだそりゃ。裂け目も長期休暇は大事だとか言いたいのか。てか、みんな2年前からこの活動をやっているのか?


「まさか、B子ちゃん以外はこの学校に入ってからよ。だから、ほかの2人は4か月くらいになるかしら。」


えっ?ってことはお前、B子と2人で残りの期間やってたのか。だとしたら、どうやって、裂け目を塞ぐんだ?


「私の能力でも塞ぐことは出来るわよ。それにもう一人いたし。B子ちゃんが入るちょっと前なんか私とその人で修復してたし。でも、もういなくなっちゃったけどね。」


なんだその目は。栄子は俺をぼーっと眺めている。いなくなったって、もしかして裂け目にやられてってことなのか?


「うーん。やられて…ってわけじゃなくてね。今は言えないけど、きっと話す日が来るから。だから、それまで待ってて。さぁ時間も迫ってきてるし、ダイブするわよ。」


普段の栄子とは全然違う雰囲気で会話を押し切られてしまった。



二重世界につくとみんな揃っていた。みんな戦闘モードで準備万端といった様子だ。俺は栄子の指示に従ってB子の隣についた。今日こそは何かしら役に立ってみせるぞ。剣を構え、精神を統一する。


「みんな準備はいいわね。ポイントはBW-345、478。ポイントの間にちょっと距離があるから特に注意してね。それじゃ、カウント開始するわよ。5、4、3、2、」


数回見た歪みよりもさらにひどい歪みが見える。どうやら、今回は経験した中で一番大きいサイズのもののようだ。グッと定規を握る手にも力がこもる。


「1、0。」


一か所目の裂け目が現れた。やっぱりでかい、俺たち5人を包み込めるようなでかさだ。しかも、俺たちが立っている床も裂け目に吸い込まれるように斜めに傾いている。それにもみんなは動じず、江藤君がホッチキスで器用に端から閉じていくのが見える。よく見れば江藤君のホッチキスもかなり大きいサイズに変化している。見惚れている場合じゃないな。俺は俺のやるべきことをやらなくては。裂け目から現れた因子に目標を定め、跳躍する。そして、一体目の因子を撃破。よし。イケる。俺だって役に立てる。B子の指導のおかげだ。地面がそこにあるとイメージすることでそこに地面が現れる。最初何を言ってるか分からなかったが、これはイケるぞ。これなら三角飛びだって出来そうだ。俺は次々と現れる因子をなぎ倒していく。B子はもちろん俺よりもはるかに速いスピードで因子を斬っていっている。なにくそっ、俺だってやれるはず。しばらくすると、江藤君と深瀬さんのコンビが裂け目を完全に塞いだ。俺は若干息を切らしながら溢れた因子の最後の一体を斬り伏せた。よし。いや、まだだ。栄子はポイントをもう一か所言っていた。俺は息を整えながら周りに気を配る。B子と目が合う。ゆっくりとB子は視線を違う方向に向け、合図をしてきた。その方向に視線を向ける。裂け目の兆候が表れ始めた。B子はこれよりも前に気づいていたんだよな。やっぱり何かコツみたいなものがあるんだろうな。俺も早くこうなりたいもんだ。そこからは割とスムーズに事が運んだ。二か所目の裂け目も無事片付け、


「OK。反応は消えたわ。お疲れ様。」


栄子の言葉とともに、一同はほっとした様子で集まる。ふーっみんなタフだよな。少し離れた位置にいた俺はみんなの輪に入ろうとしたとき、妙な違和感を感じた。4人が集まっているその頭上に裂け目の予兆が見えているのだ。そんなまさかな。しかし、この前のことが蘇る。俺が油断したせいでB子に助けてもらったんだよな。だとしたら、ええい。迷っていても仕方がない。どうせ間違っても栄子に文句言われるだけだ。俺は思い切って、声をかける。みんな、上!みんなは一斉に上を見上げた。そして、驚きの表情を上げていた。やっぱり。間違いじゃなかったんだ。みんなは四方に飛び散り構える。四人がいた頭上には裂け目が現れた。江藤君が裂け目に向かって、ホッチキスの光の芯を弾丸のように撃ち込んだ。なるほど、あんな使い方も出来るのか。溢れてくる因子を斬り伏せながら、感心した。そうか、すべては意思で決まるんだもんな。使い方はその想像力で広がるってことだ。しばらくして、やっと予定になかった因子を封じ込めることに成功した。やれやれ。こんなこともあるんだなと栄子に聞こうとすると、みんなは驚き、とても真剣な表情でその場を離れようとしないことに気づいた。一体どうしたって言うんだよ。


「そうね、あんたには分からないわよね。これがどんな意味を持つのか。」


なんだよ、その言い方。俺は若干ふてくされた気持ちで4人の話を聞くことにした。どうせ、なんも分かってねーよ。俺は。


「こんなこと初めてですよね。反応が消えた後にまた因子が溢れるなんて。」


「そうね。ありえない。けど、実際に起こったことなのよね。」


「ってことは、私たちこれからずっと二重世界の監視をしてなくちゃってことなんですか?さすがに体がもちませんよ。適正者の増員頼めないんですか?」


「そこはまだ調整段階。あなたたちだってここに来るまで1年はかかったじゃない。」


「それはそうなんですけどー。ねぇ江藤君だってさすがにずっとってわけにはいかないよね。」


「そうだなー。うーん。浜本先生の因子図に何か問題が出てるっていう可能性はないですか?侵食ポイントの個数の不一致というか…」


「うーん。けど、もしそうなら、私の陣には因子の兆候が表れるはず。私は確かに因子の消滅を確認して声をかけたわ。」


「うーん。ってことは浜本先生の因子図にも栄子さんの陣にもかからない因子が存在するってことになりますよね。」


うーん。みんなの会話を聞きながらなんとなく事の重大さが理解できた気がした。なるほど、今まで因子は発生する前に何かしら知るすべがあった。しかし、さっきのは完全なイレギュラーな因子だったってことか。予測がつかないってことはどうなるんだろう。出てくるまでずっと待っとくのか、うーん。けど、二重世界って広いんだろうし、うーん。


「とりあえず、みんなはもう戻っていいわ。また明日にでも招集はかけることになるとは思うけど、ゆっくり休んで、みんな今日はお疲れ様。あんたはB子ちゃんに送ってもらって、私はこのまま直接浜本先生のところに行くから。B子ちゃんよろしくね。」


「はっはい。」


おっおう。俺とB子の返事を聞いた栄子は例のボールペンを使い、消えていった。江藤君、深瀬さんも消えて、俺とB子が残った。


「それじゃあ、戻りましょうか。」


おう。俺たちも戻ることにした。



なっ。俺は、目をぱちくりさせていた。なんだ?大きな熊のぬいぐるみがとても印象的な純和風なこの部屋は…


「あっあー、すいません、すいません。ほんとは近くの公園にでも出ようと思ってたんですが、いつもの意識が残ってたみたいで…」


あたふたとするB子。ってことは、ここはB子の部屋なのか。そういえば、この部屋を包む甘い香りは…いかんいかん。俺は頭を横に振って邪念を飛ばそうとする。ふと、足元を見る。あっ。


「どうかしたんですか?」


いや、俺、栄子から渡されたルームシューズを履いていることに気づいたのだ。B子の足を見る。あー。剣道用のサポーターをしているのが見えた。俺は、B子にお互いの足を指さして、どっちみち室内じゃないとだめだったみたいだなと伝えた。


「あっ、そうですね。どうしましょ?さっさすがに、せっ先輩の家とか入ったことが無いのでイメージで移動するのは難しいです…」


まったくよっぽど栄子のやつ、気が動転してたんだな。こんなことに気が回らないなんて。まぁ俺も何も思わなかったけど。俺も何か抜けてることはないか考えた。そして、ひとつの重大な問題点が浮かんだ。俺は小声で、おい、ここお前の部屋なんだよな?なら親とかいるんじゃないのか?確かこの前の自己紹介で姉弟だと言ってたし、娘の部屋によくわからない男がいたら問題なんじゃないのか?俺は焦る様に聞いた。


「あっそれなら大丈夫です。こっちは離れになるので、母屋には音は漏れないかと。」


はぁ。お前んち相当広いんだな。そういや昔は剣道場やってたって言ってたっけ?


「そうなんですよ。だから、無駄に広いというか、だから、その心配は必要ないんですけど。」


「美姉ー、帰ってきてたのー?誰かといるー?」


言ってるそばからおかしなことに。焦ったB子は何を思ったか俺を押し入れの上の段に押し込め、扉を閉めてしまった。多分、小学生の弟だろう。何か喋っている声がする。しかし、問題はそこではなかった。俺が押し込まれた押し入れの上の段はクローゼットとして使われているようだ。掛けられた服に包み込まれながら俺は音を立てないようにじっと体が動かないようにしていなければならない。甘い香りがやばい。困ったなー。そんなことを考えていると押し入れの扉が開いた。


「すいません。いきなり押し込めてしまって。」


あっあー大丈夫。若干クラクラしながら押し入れを出る。ふー。バクバクと鳴る心臓を悟られないように注意しながらこれからについて考えることにした。


「とりあえず靴は私の父のを持ってきますね。」


そう言って部屋を出るB子。助かったー。俺は今のうちに心を落ち着かせてっと。しかし、女の子の部屋なんて栄子以外入ったことないからどうしたものか。部屋をきょろきょろと見渡す。いかん、いかんぞ。女の子の部屋を見回すなんて。おや、部屋の一角の壁に何枚かの写真が飾られている。おー、これは4月の初めに撮った、剣道部員の集合写真じゃないか、こっちは家族旅行の写真かー。これは、栄子だよな。B子も写ってるが中学の制服を着ている。ってことはB子と栄子が初めて会った時あたりのやつなのかな?あと一人写っているが後ろ姿で誰か分からなかった。なんかキザなヤローだな。うーん、こうやってみると案外、剣道部で写真を結構撮ってたんだな。俺が写っている写真も何枚かあった。


「先輩、お待たせしましたー。って何見てるんですか?」


まじまじと写真を見ていた俺と写真の間に滑り込むように体を入れてきたB子は抗議の声をあげた。すまん、すまん。でも、意外と多いんだな、剣道部で写真撮ってたのって。俺そういうの全然興味ないからさ。


「知っ知りません。」


さっ早く早くと急かされて俺はB子の親父さんの靴を履いて裏口から出された。あー。B子ん家ってここだったのか。街に数件ある古い屋敷のうちの一つであることを知ってびっくりしながら俺は家路についた。



翌日の午後。俺とB子は部活終わりにプログラミング部に招集をかけられ、俺たちは二人でプログラミング部に向かっていた。


「何かわかったんでしょうか?」


そうだな。だといいんだけどなー。けど、分からないってなったら分かるまで俺たちは二重世界に缶詰めになっちまうのかな?だとしたら明日の花火大会とかどうなるんだろう。多分、俺のこの悩みをB子たちに言ったらきっと幻滅されてしまうんだろうな。


「さすがに缶詰めってことはないでしょうけど、ある程度の行動は制限されてしまうんでしょうね。」


だよなー。世界を救うヒーローって案外窮屈なのかもなー。



プログラミング部につくと、浜本先生と栄子、江藤君、深瀬さんの他に三人の見知らぬ白衣を着た大人たちがいた。一人は身長が190cmはあろうか思われる長身で黒縁眼鏡をかけた中肉中背の20代後半くらいの男性。二人目は栄子とおんなじ位だから160cmくらいのちょっとぽっちゃりしたこれまた20代後半くらいの女性。三人目は俺たちと同じくらいの歳で身長は170前後、赤くて丸いフレームの眼鏡をした女性。銀色の胸まである髪をソバージュ?これがそう言うんだろうか、かなり個性的に感じる髪型なのが印象的だった。多分、俺とB子は同じことを考えていたと思う。ソバージュの彼女はきっと俺たちと同じ役割を担う者だろうと。まずは自己紹介から始まった。


「簡単にだが、彼女たちのことを説明しておこう。まず、彼女がスタイン教授。彼女は前話したD国の研究所のメンバーで第一線で皆の指導、および研究の指揮を執っている。」


俺はとても驚いた。B子もきっとそうに違いない。だって、俺らと同じ任務に就くであろうと予測していた人物が教授だと言われたからだ。


「滑稽だろう。年端もいかぬ身に分不相応な役割。ことわりから外れた者たちの末路だ。」


スタイン教授はさも面白そうに言う。俺たちはその意味がいまいち掴めずどうしていいか分からなかった。そんな俺たちの反応に、


「 あまり面白くはなかったか。ふふっ。ここにいる私とキュール、トゥイの三人は元々皆40を過ぎているんだ。見えないだろう?私たちはあの二重世界の因子に侵食されてしまったんだ。」


さっぱり意味が分からなかった。俺がきちんと理解できたのは、キュールさんが男性、トゥイさんが女性の研究員を指しているということだけだ。んー。ということはみんな若返ったということなのだろうか、ふと、父親が、歳は取りたくないな、体力が落ちてたまらん。と言っていたのを思い出した。良いことなのではないか?純粋な疑問が浮かんだ。


「ふふっ。若返ったという事実だけを切り取ったなら多くの人は喜ばしいことだと勘違いする者も多いだろうな。それでたもとを分かれてしまった者たちもいるのも確かだ。しかし、私はこれだけは断じて言える。これは人として異常なことだ。まーこんな話はもういいだろう。浜本、自己紹介はこれくらいで十分だろう?本題に入りたいんだが。」


俺はスタイン教授の言葉ひとつひとつに諦めというかそんな暗い雰囲気を感じた。スタイン教授は浜本先生に許可を取り、今日の本題を話し始めた。


「今日集まってもらったのは、昨日の謎の追加因子についての現時点での調査結果の報告と今後の君たちの侵食阻止活動について話しておく必要が出たからだ。」


スタイン教授はやや大き目なタブレットをキュールさんから受け取って説明を始めた。細かい数値については正直あまり理解出来なかったが、どうやら、最後に現れたあのイレギュラーな因子はもともと浜本先生が出した因子図によって現れた因子と俺たちの世界からの何かに反応して現れたということだった。


「これは由々しき事態だ。今まで外からのみの対応で世界の崩壊は防げると考えられていたが、これからは内、即ち、こちらの世界の脅威も視野に入れなくてはならなくなったのだ。」


えっ、こちらの世界の脅威ってどういうことだろう。これには、栄子たちも疑問に思ったらしく、栄子が代表して質問した。


「すみません。現時点でそのこちらの世界の脅威の元について分かっているんですか?だとしたら、その、組織かどうかはわかりませんが、その集団への殲滅活動にも私たちは駆り出されるってことでしょうか?」


栄子はそんなことまで考えていたのか。俺は正直ゾッとした。俺は人を倒さなくてはならないのか。俺が望んでた中二の世界はそんな世界じゃない。スタイン教授は難しい顔をしながら答えた。


「そうだな。今の私の説明ではそういった結論に至ってしまうか…、今の調査結果では人間への実戦は想定していない。確かに不穏な動きがよそで起きているには起きているがさしたる問題ではない。今回のイレギュラー因子の要因は別のところにある。二重世界の因子に干渉出来るいわば、意思を持った因子がこの世界に潜り込んでいることが観測された。」


えっ、どういう意味だろう?俺はスタイン教授の言葉の意味がさっぱり分からなかった。


「昨日の現象を基に調査した結果、その意思を持った因子は、この街にいる可能性が非常に高い。だが、それがいったいどんな形をしているかはまだ調査中の段階だ。」


うん?ふと疑問が浮かぶ。さっきからすでにこの世界にいる意思を持った因子について話しているが、今まで栄子たちは因子が入ってこないようにする為にやってきてたんだよな。俺が聞いた限り2年前くらいからか、いったいその意思を持った因子ってやつは一体いつやってきたんだ?


「あー、嫌な言い方をするが、この意思を持った因子。これの発生については君と栄子君いずれかに関係かあるんじゃないかと睨んでいる。」


えっ?俺たちに?栄子と顔を見合わせる。


「君たちいずれかに2週間前、何かおかしな現象に巻き込まれたことはなかったか?なんでもいいんだ。君たちの住所付近で大きな歪みが現れたデータがあるんだ。その時点ではその歪みの数値が現れたのが一瞬だったため、誤作動ということで処理されていたんだが、あの因子のことを考えると誤作動で済ます訳にはいかなくなったのだ。」


2週間前…栄子と話し合う。えっ俺がお前んとこに行って覚醒したのは先週の話だろ?それより前…あーーー。俺は思い出した。そして、スタイン教授にその日の妙な訪問者、漫画の世界の住人に会ったことを話した。


「あんた、それ本気で言ってんの?今、冗談とか求めてないのよ。」


栄子は本気の目でこちらを見ている。こんなこと冗談で言えるか。俺だって冗談を言っていいか悪いかぐらいわかるわ。


「待ってくれ。そのメカニックマンは漫画の中の登場人物なのか?それが君の前に現れたと?」


正直、栄子も含め、周りの視線が痛い。しかし、ここまで来て冗談ですと言うわけにも行かないし、そもそも会っているのは事実なわけで。俺は、そのおっさんについて詳しく話した。


「総合すると、この世界とは別に独立した世界が存在しており、詳細は分からないがまずAという人物がおよそ8年前にこの世界にやってきた。そのAは元の世界からの救助を待つ間、自分の存在を分かりやすく救助隊に知らしめるために漫画というツールを使用して救助を待った。そして、その8年後、即ち2週間前に救助員であるBが君の元へ現れた。そして、紆余曲折あって、そのBはその8年前のAの元へ行った。これで間違いないな?」


はい。自分が体験した話なのにこう説明されるとだいぶ胡散臭い話だなと思ってしまった。しかし、スタイン教授たちは真剣に話し合いを始めた。ありえないというにはいささか…しかし、これを事実とすると、ちょうど9年前のあの現象とも…では、その作家の…ではそれで行くしかないか…しばらく話し合いが続けられ、どうやら、話はまとまったようだった。


「では、我々はその君が言った作家について調べることにする。まずはそれからだな。今のところ、意思を持った因子は直接的に世界に働きかけは出来ないと考えている。調査は続行するが君たちは今までと変わらないルーティンで動いてくれれば構わない。ただし、状況が変わる可能性があることは各自頭に入れておいてくれたまえ。」


スタイン教授の言葉で俺たちの集会は終わりを告げた。



俺たち5人は特に理由もなしに近くのファーストフード店に立ち寄った。


「先輩、なんで、そんな楽しそうなイベントやってたのに私たちに教えてくれなかったんですかー?」


深瀬さんはなじる様に俺に言った。そんなん言ったってな、俺だって半信半疑だったんだよ。


「そういえば、9年前って何があったんでしょうね?」


深瀬さんはその流れで素朴な疑問を投げかけてきた。スタイン教授が最後話し合ってた内容だな。俺も気になっていた。自然とみんなの目は栄子に向く。


「私?まーそうなるかー。けど、何も知らないわよ。さすがに。だって、9年前ってことはまだ8歳?でしょ?知らない知らない。でも、江藤君のがそこらへん詳しいんじゃないの?研究所にいたわけだし。」


まーそうだよなー。今度は江藤君に視線が集まる。


「いや、研究所ではそんな話聞いたことなかったですよ。研究所が設立されたのは15年前だし、9年前に何かあったなんて聞いたことないなー。」


どうやら誰も分からないみたいだった。


「まー私たちが考えてもどうしようもないのはわかってるんですけどね。とりあえず現状維持なのは間違いないですしー。そういえば、皆さんは明日の花火大会どうするんですかー?」


うっ。俺は必死で気配を消した。なんかまずいなーこの流れは。


「そうねー。いつもだったら、こいつと英太君つれて出店の料理奢らせるんだけど、今年は英太君はもちろん彼女と行くだろうし、こいつはー、」


ニヤニヤした目でこちらを見てくる。わかったよ、わかった。降参。俺は正直に純子さんと行く予定だと伝えた。


「なーんだ。せっかくだし、このメンバーで行っても面白いかなーって思ってたのに、残念ですー。」


「それいいわね。江藤君こっち来たばっかりだよね?もしかしてもう行く相手とか決まってる?」


「いや、そんなことはないので、皆さんがよろしければご一緒します。」


「私も大丈夫です。」


俺を置いてけぼりにしてみんなは集まるようだった。しかし、ここで流されてしまったら俺の初、彼女との花火大会イベントが流れてしまう。俺は必死に抵抗した。


「まーいいじゃない。私たちは私たちで楽しみましょう。もし、すっぽかされたら連絡しなさいよ。ってか、ちゃんと、定規持っていくのよ。万が一ってこともありえるんだからね。」


「大丈夫です。私たちが慰めてあげます。」


なんなんだよ、お前ら。そのあとは花火を見るのはどこだーとかどこで待ち合わせ?だの色々聞かれたが俺は何も答えなかった。不用意に答えてそこを狙われたらたまったもんじゃないからな。



翌日。待ちに待った花火大会の日。俺はそわそわした気持ちで純子さんを待っていた。待ち合わせは7時。時刻は現在6時半。若干、早く来すぎたのは否めないがそこはしょうがない。だって、いてもたってもいられなかったから。本日ここで2本目の缶ジュースを空けたところで、純子さんが来た。


「約束したの7時だったよね?早く着きすぎちゃったかな?って思ってたのに。」


俺はたまたまだよ。と何がたまたまなのか分からないが、適当に言い訳した。それよりもなんだこの可愛さは。俺はしばらく純子さんから目線を外し、しどろもどろで喋っていた。情けない。


「そういえばさ。なんでここだったの?ちょっと、恥ずかしかったんだよー、バスの中。こっち方面に来る人、全然浴衣の人いないし。」


純子さんは不思議そうに聞いてきた。若干のもーという抗議を含めて。実は今俺たちがいるのは花火大会会場から少し離れた複合商業施設なのである。それにはもちろん訳がある。だが、それを今この場で純子さんに伝えるべきか。俺は非常に悩んだ。栄子たちにばれない場所として採用したのもあるが、それ以上にきっと喜んでくれるだろうという勝算があったからだ。俺は若干理由を濁しながら、来る途中に出店で買っておいたりんご飴を渡した。


「わぁーありがとう。」


ほんとは焼きそばとか、はし巻きとか屋台で食べたくなるメニューを押さえておきたかったが、さすがに冷めた料理を渡すのはNGな気がして、結局飴にした。思いのほか喜んでくれてよかった。


「この後、ちょっと歩くんだよね?」


あぁ。やっぱりもう言ってしまおう。さすがに間がもたない。実は、この近くのa山のa神社の途中が目的地なんだ。


「あー、もしかして、そこが隠れたスポットってやつ?」


そうそう。近くで見る花火も良いけど、そこで見た花火も結構綺麗だった覚えがあって、純子さん人混み苦手って言ってたからさ。多分、あそこそんなに人集まってなかったはずだから。よし。自然に言えたと思う。ドキドキしながら純子さんの反応を待つ。


「覚えててくれたんだね。それ言ったのメッセージはじめて最初の頃だった気がするのに。ありがとう。」


いやいや。やばいにやけてしまう。変な顔になっていないだろうか?


「そういえば、綺麗だったって言ったけど、ほかの女の子と行ったことあるってこと?」


まさか。小学生の時、親父に連れてきてもらっただけだよ。俺は半ば自嘲気味に答えた。女の子って言っても栄子だしな。まぁ栄子の名前を出してわざわざ嫌な思いを純子さんにさせるわけにもいかないし。


a山のふもとについた。目的地はここから10分ほど登ったところだ。俺は改めて純子さんの足元を確認した。歩きやすそうな和柄のサンダルを履いている。良かった。前もって言っといて。栄子から散々言われていたのだ。女の子を誘うときは場所とかはサプライズで隠すのは構わないけど、歩くのか歩かないのか、暑いのか寒いのか、そして高いのか安いのか。最後のは伝える力が試されるけども最初の二つはちゃんと伝えること。じゃないと台無しになるわよ。頭の中で栄子のあの憎たらしい表情が思い浮かぶ。栄子母ちゃんありがとう。やっと意味が分かったよ。



10分ほどの軽いウォーキングを終えた俺たちは今ベンチに腰かけている。


「私知らなかったよ。こんなに眺めが良い場所があるなんて。」


だろ。俺は満足して答える。この上にあるa神社には別に舗装された道が通っており、こっちの道はウォーキングする年配の方御用達でなかなか人が通らないなかなかの穴場なのである。花火開始まではあと10分ほど。やばい、会話もつだろうか。会ってから色々喋って、もうネタが思いつかないぞ。そんな俺の焦りをよそに、


「私、花火見たことないんだよねー。」


えっ、一度も?そんな事ってあるのか?と不思議に思った。


「うん。写真とかは見たんだけど、やっぱり初めて見るならこういう時って決めてたから。」


ん?んー?これは、これは。やばい、心臓が痛い。俺は何も答えられずにいる。純子さんは構わず続ける。


「多分、私、花火が始まっちゃったら何も考えられないと思うの。だから…」


純子さんは不意に上半身をこちらに向けて目をつぶった。彼女と言っても付き合っているわけではない。しかし、この状況である。もう付き合っていると言って問題ないだろう。今日は腰まである長い綺麗なやや赤みががった髪をあげている。歩いている最中、ついついうなじの部分に目がいく俺を注意する彼女のはにかんだ笑顔が不意に思い起こされた。実際、これは現実なのだろうか?本当は俺はどこかで事故って救急車の中で夢でも見てるんじゃないんだろうか?そうだな、最近の出来事を思い返しても長い夢を見ていると言ってもおかしくない気がする。いや、この際、夢でも。あれやこれやがぐちゃぐちゃと頭の中で駆け巡る。


「あっあの…この格好、結構恥ずかしいんだけど…」


あっあー、すまん。覚悟を決めなければ…俺は意を決して目をつぶった。俺から行くんだよな。よーし行くぞ。



「あの夜のこと思い出せる?私が初めてこの世界に来た時のこと。君に入らなくてほんとに良かった。」


えっ?その言葉に俺はとっさに目を開けてしまった。目の前には純子さん。だが、おかしい。最初、理解が追い付かなかった。純子さんのさっきまであげていた髪がおろされている。しかし、その髪がおかしい。ちょうど、これはあれだ。メデューサかゴーゴンか。髪の毛でいくつもの蛇が…は?どういうことだ?


「ふふふっ。いい顔。私、もっと意識がぐらついてくれると嬉しいな。よりおいしくなるのに。」


は?おいしくなる?俺はもう訳が分からない。どうなってるんだよ。そんな混乱した俺は暫く何も考えられないでいたが、確かに純子さんはと言った。


「そうそう、良い調子。もっと、考えて。」


純子さんは俺が答えを出すのを待っているようだった。混乱する俺に対して、またしてもおかしなことが起こった。


「ヤーー。」


目の前にいた純子さん?が急に横に飛んだのだ。それと同時に俺の体が後ろに吹っ飛ばされた。


「まったくあんたは、何?どっかのヒロインになったつもりなの?」


大きく地面に尻もちをつきながら、突然現れた影を見る。ん?なんだよ、栄子じゃないか。どうしてここに?ってことは、さっきの掛け声は。見れば、純子さん?とB子が対峙している。後ろを振り返ると江藤君も深瀬さんもいた。


「意思を持った因子の居場所が分かったのよ。」


栄子のその一言と先ほどの純子さんの言葉、一気にこれからの展開予想が頭にめぐる。まさかとは思ったが、二週間前、おっさん、意思のある因子、急に仲良くなった純子さん、おい、嘘だよな?


「あら、察しが良いじゃない。多分、あんたの予想当たってるわよ。」


当たってるって、純子さんがその因子に乗っ取られてるっていうのか?


「そういうこと。だから、能力で純子ちゃんからそいつを追い出すのよ。」


マジかよ…ってことは、やっぱりこの約2週間の甘酸っぱい思い出は?


「うーん。残念でしたー。幻想っでしたー。」


栄子のこの場面にはおおよそ似つかわしくない笑顔を見せて答える。くそー。【合言葉ーなんだそりゃー】。と半ばやけになった状態で能力を発動させる。やばい、剣の勢いが二重世界より激しい気がする。ってかここ現実世界だよな?


「大丈夫。浜本先生がこの区画丸ごと障壁を張ってくれてるから安心して。うーん。見えない断層が出来てるってことは二重世界と言えなくはないかな。とりあえず、思いっきりやんなさい。」


この因子めー。俺は思いっきり純子さん目掛けて剣を…ふいに、頭の中で本当に大丈夫なのか?と不安がよぎる。そんな中途半端な意識で振られた俺の剣は見事に純子さんの蛇に変わってしまった髪に受け止められる。ちくしょー。だいたい、何の目的でこんなことを!俺の心をもてあそびやがって。


「ふふっ。こういう場合、ちゃんと教えてあげなくちゃいけないのかしら?確か、君の好きな漫画、この子の家にもあったから読んでみたけど、敵がペラペラと自分のしてること説明してたわねー。」


俺の剣を髪で受け止めながら、B子と対峙する純子さんは余裕そうに答える。くそっ、どうにかして、


「何の目的って、ふふっ。言う必要ないでしょ。君たちこれから消えちゃうんだから。それに教える義理もそもそもないし。」


そんなことを言いながら、俺の剣を受け止めていた髪とは違う髪が俺の体に巻き付いて、俺は捕まえられてしまった。ぐっ。


「先輩。きゃっ。」


俺が捕まったことで視線をそらしてしまったB子もそのまま蛇の髪に捕まってしまった。すまん。B子。


「先輩たち注意してくださいね。」


江藤君がこちらに向かって声をかけてくる。注意しろって何を?お!?人の体を抑え込めそうなホッチキスの光の芯がこちらに目掛けて飛んできている。


「甘い!」


純子さんはその光の芯をいとも簡単に右手で受け止めた。


「これなら!」


純子さんの背後から深瀬さんが大きくなった光の消しゴムで思いっきり純子さんの頭上目掛けて振りかぶった。瞬間、俺の視界が目まぐるしく動いた。気づけば、目の前には粉々になった光の消しゴムとそこに倒れた深瀬さんの姿が。純子さんに視線を向ける。ギザギザに変形してしまった江藤君の光の芯を握っているのが見える。おそらく、純子さんはそれを剣のように使ったんだろう。なんつー使い方してんだよ。てか、なんでこんなことが出来るんだよ。俺たちの光は異世界のものしか効果が無いんじゃ…


「鈍いのね。君たちの光は異世界用。けど、私は異世界から来たのよ。だから、この世界用の能力を持ってるってことよ。それにこの体自体はこの世界のもの。別に君たちの能力を使う必要はないんだけど、温存できるところはね。」


くそっ、なんなんだ、こいつのこの余裕は。残っているのは栄子と江藤君だけだ。とても戦闘用とは言い難い。二人は何か相談をしているようだった。


「あらあら。そんな時間あるの?」


そう言った純子さん。その直後、俺たちを捉えている蛇の髪の毛が急に締まった。ぐぁぁ…ボキボキと体中の骨のきしむ音が聞こえる。B子も苦悶の表情をしている。


「江藤君頼んだわよ。」


栄子の声が聞こえた。江藤君が視界に見える。光の芯2つを二刀流のように扱うみたいだ。しかし、大丈夫なのか?そう思っているとあっという間に江藤君が倒れた。やっぱり…それと同時に蛇の髪の毛の締め付けが急に消えた。えっ?ドスンと、地面にうつぶせになって落ちた。急に楽になった呼吸。俺ははぁはぁと荒く呼吸を繰り返す。どういうことだ?視界に見えるのは純子さんの倒れた姿。その奥には俺と同じような体勢で倒れたB子。目は合ったが、お互いに動けそうにはない。それに、栄子の光るコンパスの1個が純子さんの近くで回っているのが見えた。そういうことか。光るコンパスの円で純子さんの体を切ったんだ。さすが、栄子。これで…


「ぎゃっ。」


声が聞こえた頭上に視線を向ける。純子さんの体の器でかたどられたあの異世界のドロドロが上半身だけの状態で浮いているのが見えた。掲げられた左腕の先には栄子が首を絞められているのが見えた。


「あんたはまずいわ。はぁ、はぁ、ホントは意識がある状態じゃないと力にならないから、したくなかったけど、危険は冒せないわ。」


純子さんだったものは、よくわからないことを言っている。カランと栄子のコンパスが通常のコンパスに戻って落ちた。くそっ、どうすりゃいいんだよ。完全に打つ手なしだ。もう誰も動くことが出来ない。俺は右手で握っていた定規を思い切り握りしめる。俺は右手首に作ったコネクトリングに気づいた。おっさん、頼む。もしこの声が聞こえたらこの前みたいに来てくれよ。頼む。正直、何を考えているんだ俺はとも思ったが現状で俺が思いつくのはこれくらいだ。頼む。俺は心の中で念じ続けた。


-もしかして、ザー の声は異 ザー 渡航の際に助けてく ザー か?


通じた?頼む。おっさんこっちに来て助けてくれ。今とんでもない状況なんだ!


-待て ザー 。君がどんな状況かは分から ザー 。考える ザー だ。必死に。今、自分が出来 ザー 大限のことを。すべては意 ザー よって決まると ザー ろう。お前が考え、お前が決め ザー だ!


雑音交じりで元々聞こえづらかった声はやがて聞こえなくなった。考えろだって、考えてどうしようもないから頼ったんじゃないか。なのに今更…俺は純子さんだったものを見る。ん?あいつの動きが止まっている。視線の先は俺たちではなく、違う方向を見ている。花火だ。あいつは花火にえらく執着していたな。それでか。けど、だからどうしたっていうんだ。今の俺に何が出来るってんだよ。


-考えろ!


幻聴なのか、本当におっさんの声なのか、大きな声が頭の中を駆け巡った。今の俺に出来る最大限のこと。目の前には粉々になった光の消しゴム。栄子のコンパス。倒れた純子さん、B子、深瀬さん、江藤君。…俺は必死に粉々になった光の消しゴムの一つに手を伸ばす。左手に温かい何かが流れてくる。イケる。体の痛みが和らいできた。異世界からの因子からつけられた傷を治せるかもしれないと思ったが予想通りだ。自由になった左手で握った光の消しゴムを体で隠しながら体全体を癒す。少しでも視線を下に向けられたらアウトだ。よし。これであいつに一太刀くらわせられるぞ。後はタイミングだけだ。あいつはまだ花火を見ている。今しかない。俺は勢いよく立ち上がると純子さんだったものへ一気に斬りかかった。見事に俺の腹に純子さんだったものの右腕が突き刺さった。ぐふっ。口から生暖かいものが溢れてくる。


「さっきから何かしてるなーとは思ったけど、まさか真正面から来るなんてもうちょっと頭使ったら?私の感動を邪魔しないでくれる?」


勝ち誇った表情の純子さんだったものの後ろで剣を大きく振りかぶったB子の真剣な表情が見えたところで俺の意識は途絶えた。

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