承
日曜日。俺はなぜか早朝の6時に目が覚めていた。日曜日はいつも部活が休みなので本来は昼前まで寝ているのだがなぜか目が覚めてしまった。二度寝しようかと一瞬考えたがどうにもそうはなれず、のそのそと着替えをしてリビングに降りることにした。そこにはキッチンカウンターで、栄子がプレゼントしてくれた焦げ目でキャラクターが焼き上がるトースターで焼いたパンを頬張る親父がいた。驚いた表情をしている。そうだろうな。俺だってびっくりしている。
「おはよー。なんかドタドタ聞こえると思ったがどうした?いつもなら寝てる時間じゃないか。」
おはよー。なんか気分でと軽く答え親父の姿を見る。親父は会社員で日曜日は休みだ。昼頃降りてくると大概はリビングにあるソファに横たわりスウェット姿でテレビをみているのが常な男だが、今日はスーツを着ている。しかも、いつものよれた感じではなくブランド物のぴっちりしたやつだ。どうしたんだろ?なんかあったのかな?俺は不思議に思い、尋ねてみた。
「おっこれか?分かってるじゃないか。さすが俺の息子だな、良いものが分かるんだな。」
それは一切関係ないと思う。だって、普段のスーツはほんとに生地が薄いんだもの。ブランド物に興味が無くてもわかるわい。そのくらい。まーそんなんはどうでもよくて、仕事なのかと聞いた。
「あぁ。取引先との連携ミスって言うんかな、どうしても俺が行かないと纏まりそうもないんだ。」
えっ親父、そんなに偉かったのかと少し驚いた。普段は日曜日にだらけてる姿しか見ていないから余計に。
「偉いかどうかは知らんが、部下は何人もいるさ、こんな歳になれば。」
親父は今年で43になる。歳を重ねればそれだけ責任も増えるということなのか正直げんなりした。
「はっは。さてはお前めんどくさそうだなとか思ったろう。」
図星をつかれてしまった。
「そりゃ、今のお前ならしんどいかもな。けど、歳をとると意外とそうでもなかったり、まぁ面倒と思わなくはないんだがな。まぁだから、今日は遅くなると思う。飯は多美さんにはいらないって伝えといてくれ。」
親父から言われた栄子のお祖母ちゃんへの伝言のお願いを、はいよー。と、適当に返事をしながら、地続きになっているリビングのソファに座り、テレビをつけた。さすがにこの時間に起きてることがないのでニュースか知らない番組ばかりでとりあえずニュースを眺め、親父が追加で焼いてくれたパンを食べる。そうこうしてるうちに親父は仕事へと出掛けていった。
さて、どーするかね。土曜日であれば部活があるからすることがあるんだが。ソファに横になり頭だけをソファから出して逆さまの世界を眺めながら考える。せっかく早起きしたし、なんかしたいなーけど思い付かない。プラモデル作るって気分でもないしなー。誰かに連絡するか?英太はどうせ彼女となんかあるだろうし、あー。俺にも彼女出来ないかなー。しばらくそんなことを思いながらぼーっとしているとドシンと異様な音がした。うん?どうやら2階で何かあったみたいだ。騒がしい音が続き、その騒がしい音は階段へと移り変わり、やがてこちらに迫ってきた。
「あっ起きてるじゃん。珍しい。てっきり寝てるもんだと思ってた。」
栄子である。てか、さっきの音はなんだ?何してたんだよ?俺は、なんでこいつは、この時間にこのテンションなんだよと不思議に思いながら、さっきの謎の騒音について尋ねる。
「いやてっきり寝てるんだと思って思い切りやったらすんごい音しちゃってさ。いやー布団ちゃんと確認すりゃよかったんだけど、窓開けてそのまま勢いよくいっちゃったからねー。」
起きてて良かった。こいつ、俺が寝てるところにエルボーか何かかます気でいやがったな。朝っぱらから何やってんだよ。
「んで、なんで早起きなんかしてんの?なんか予定あるの?」
うんにゃ。ただ単純に早く目が覚めただけなんだが、お前こそなんかあるのか?
「だったらさー。学校行かない?」
学校?なんでまた学校なんかに?今日休みじゃんか。
「ふふーん。実はさ、調理部が結構な代物を作っているという情報を入手したのだよ。」
なんだその言い方は。表情もぐしゃっとしていかにも悪代官ですと言わんばかりだ。うん?あれ?お前髪型変えた?前髪なんてあったっけ?ポニーはポニーなんだけど。
「あら?そんなところに気づくなんて珍しいわね。実は昨日サロンで思い切って切ってみました。今までは一緒に括ったり、横に流してただけだったんだけど、ふーん。あんたも成長したのかしら?そんなこと言うなんて。」
お前は俺をどんなやつだと思ってるんだよ。そもそもサロンって、こんな中途半端な田舎にそんなおしゃれな空間は存在しないだろうに。
「そんで?どうする、行ってみない?もしかしたらすっごく美味しいお昼ごはんが貰えるかもよ。」
どんな考えだよ。かといって断ったところで特にすることもないのが現状だが、まだ8時にもなってないじゃないか。
「あっ朝ごはん食べたの?」
うん?あーパン食ったな。一枚。
「じゃあ私はこれから食べるからあんた準備しといてよ。」
えっ今から食べんの?
「朝は私、ご飯派だし、みそ汁もほしいし。」
ちょっと待て。俺の分も頼む。さすがにパンだけじゃ心もとない。ホントに昼飯ありつけるかどうか謎だし。
「えっさっき食べたって言ったじゃん。まぁいいけど。おばあちゃんに言っとくからそんまま行けるように準備して来なさいねー。」
そう言って、栄子は2階へ上がりそのまま自分の家に帰っていった。
身支度を整えた俺は、栄子の家でしっかりとした朝御飯を食べて、9時半には校門の前にいた。ったく、こんなに早く来てなにするんだよ。そう言おうと思った矢先に、食べるだけじゃさすがに悪いから手伝ってくると言って栄子は早々に消えた。くそっ、これで俺が普通に行ったら俺めちゃくちゃ悪者じゃねーか。かと言ってこのまま調理部に行くのも、まー土井がいるだろうけど、さすがにめんどい。栄子はどんな神経してんだよ、文化部とはいえ3年だっているだろうに。もしかして、調理部は1学期が終わった時点で3年はいなくなるのか?どうしたもんかなと思いながら自然と足は武道場へと向かっていた。
武道場に近づくにつれて俺は場内の違和感に気付いた。誰かがいるのだ。俺はばれないようにスマホをサイレントモードにして忍び足で武道場に近づき、下窓と下窓の間の壁に身体を預けて座り、チラチラと中を覗いた。中で防具を着た二人が打ち合いをしてるのが見える。誰だろう?じっと見る。よく見れば山本先輩と楠田先輩のようだ。日曜日なのに。どうしようかな?邪魔するのも悪いしなー。きっと、先輩たちはインターハイに備えて練習しているのだろう。てか、ほかの先輩たちがいないってことは、やっぱり、二人は付き合っているんだろうか。そんな二人の邪魔をしてしまっては後が怖い。俺は立ち去ろうと腰を浮かせた。ところが、一通り打ち合いが終わったのか、喋り声が聞こえてきてしまった。再び腰を下ろす俺。立ち去るタイミングを完全に逃してしまった感が否めない。二人は俺が隠れている壁の割と近い位置で喋っているようだ。普通に声が聞こえてしまう。俺は息を殺してどうしたものかと考えていた。
「俺らもこうして練習するんはあとどんくらいなんかな。なんか日に日に現実感が増していくんよ。」
「そーね、単純に計算してあと一ヶ月ですべてが終わるからまともに出来るのは3週間とかそんなんじゃない?」
そうか、先輩達はこの夏いなくなってしまうんだなと感傷に浸ると同時に、普段の山本先輩とはかけ離れた不安そうな声と普段と全く違うやけに楠田先輩の優しいしゃべり方に違和感を感じながら、なんとも不思議な感情が俺の中を駆け巡っていた。なんなのこの感情。
「あと3週間しかあらへんのか。不安でしゃあないんや。最近寝てても突然目が覚めることがあってな。」
「あんた多分それ他の部員が聞いたら目を点にして驚くと思うわよ。」
楠田先輩の言う通りだった。はっきり言って山本先輩は緊張とかプレッシャーだとかそんなんとは無縁の人間だと勝手に勘違いしていた。
「でもほんとは臆病な人なのに。普段は無理しちゃってて、ほんと面白いわよね。」
「やかましいのー。せやけど、自分が居ってほんまに良かったとは思うとる。」
「あら普段なら絶対言いそうにない言葉ね。ホントに弱ってるのかしら。」
「自分ほんまにずっこいよな。なんも言わんかったら怒るのに、それっぽいこと言うたら言うたでそうやっていじりよるし。」
あっなんか甘酸っぱい。二人はこんな青春を送っていたのか。噂は本当だったんだな。でもまさかここまでとは。俺は絶対に普通にしていたら過ごせない奇跡の一瞬に立ち会えているんだな。こんなに仲いいってことは親とかも公認なのかな。実はお互いの家にご飯食べに行ってたりして。などと二人が話している最中に妄想を膨らませていたのがよくなかった。途中から二人の会話が無くなっていることに気付かなかったのだ。
気付けば俺は正座させられていた。ものすごい剣幕で怒っている楠田先輩とそれをなだめる山本先輩二人を眺めながら、あーこの二人はあんなに甘酸っぱい青春を謳歌していたのかとにやつきそうになりながら、必死に神妙な顔をして嵐が過ぎ去るのを待っていた。楠田先輩は怒り疲れたのか、もういいと更衣室へ入って行ってしまった。山本先輩はやれやれといった表情で、
「もう正座せんでええで。まったくー自分も間ーの悪いやっちゃのー。逃げる間ーはなんぼでもあったろうに。」
いや、予想以上にインパクトが強かったもんで。かっこいいぶれない印象の先輩達のあんな感じは誰が見てもびびると思う。特に鬼の副将のあんな優しい声は多分ほかの部員に言っても信じてもらえないはずだ。苦笑いを続ける俺に山本先輩は続ける。
「幻滅したやろ?俺にも楠田にも。」
俺はそんなことないと思っていることを伝えた。山本先輩も同じ人間なんだなーとか楠田先輩もあんなに女性らしいんだとかそんなん。それを聞いた山本先輩は、右頬を人差し指で掻きながら照れた様子で、
「そりゃそーやろ。自分今まで俺をどない思っとったん?けど、楠田にそれは言わんほーがええかもな。しばかれんで。」
その通りだろうな。さすがにとてもじゃないが楠田先輩には言えない。それは大丈夫っす。命は惜しいっす。そんなことを言う俺に対して、
「やろな。それがええ。」
しばらく間が空いて山本先輩は質問をしてきた。
「自分の将来についてしゃんと考えたことあるか?」
唐突な質問だと思った。正直まだ2年の俺はあんまないっすねとちょっとだけ盛って答えた。
「そうやろなー。多分、それが普通なんやろなー。俺の家はな、元々、老舗の旅館なんやけど、跡継ぎ問題やなんやで色々あってのー。今はここにおるんやが、中学の頃はその旅館を継がんといかんのが決まってて、嫌で嫌でしゃーなかったんやけど、高校に入るちょっと前にそれがのーなっての、ほなら俺、急に寂しなって。」
えっどうしたらそんな風になるのか、いまいちピンとこなかったが嫌だったことが無くなったのはいいことじゃないのかと俺は不思議に思った。
「俺は多分何にも考えちゃいーひんかったんやろなー。だって嫌だ嫌だって言うたところで結局は継ぐんやろなーって心のどっかで思うてたんやろからな。やから、それがのーなったから自分がのーなった気がしての。」
山本先輩のその告白は俺にとってとても衝撃的なものだった。何か不思議な感覚だった。山本先輩は俺にとって、喪失感とかそんなマイナスの感情を受けたりしないもんだと勝手に思い込んでいた。そりゃそうだよな。誰にだって、落ち込んだりすることあるよな。
「そいでな、こっちの高校来て上田先生に話聞いてもろてな、なんかスッキリしてのー。目から鱗やったわ。」
あの先生はどんだけの人に影響及ぼしてんだよ。軽く引くとか思いながら俺は山本先輩の話を黙って聞いていた。
「なんて言ーたと思う?あの先生、じゃあいっそのことあなたが旅館の経営を一から始めてみては?やと。笑てしもてな。なんか嫌や嫌や言ーてたんも好きの裏返しやったんやなって、自分の気持ち見透かされた気がしてなんとも言えん、けったいな気持ちやったなー。」
きっと山本先輩は色んなことをその時に思ったんだろうな。こんな風に俺は自分のことを意識したことがあっただろうか?なんかとても恥ずかしい気持ちになってきていた。
「そんでな、俺は自分のやりたいことはほんまはなんなんか真剣に考えたんや。結局、最後の最後は旅館なんやけどその道は案外狭ーてな、俺あんまま家継いどったら多分大勢の人、路頭に迷わしよったんやないかって恐ろしなったわ。」
やっぱりスゲーなこの人。俺と1つしか変わらないのになんなんだろうこの差は。山本先輩と俺の違いは経験の差だけなんだろうか、何が違うんだろう。そして、なんで山本先輩はこんな話を俺なんかにしてくれたんだろう。多分、山本先輩の言葉に対して俺は何も釣り合うものを持ってない気がする。もどかしい気持ちが胸の中にムズムズとこみ上げてくる。
「不思議やろ?なんでこんな話するんかって。」
答えに迷ってしまい黙り込む俺に対して微笑みながら山本先輩は続けた。
「知っとるか?物理室って3年の俺と楠田の教室からちょうど丸見えなんよ。」
え?マジか。しかも、このタイミングで言うってことはまさか…
「いやービビったわ、自分泣きよるんやもん。正味、見た瞬間わろてしもたわ。それは謝る。すまん。」
やっぱりかー。俺は今とんでもなく焦った変な顔をしていることだろう。
「安心しーて。誰にも言ーつもりもないし、それにな、お前も上田先生からありがたいお言葉もろたんやろ?」
はい。それはそうなんですが、さすがにその瞬間を見られたのは恥ずかしさがですね、だいぶモゴモゴっとなりながら答える。
「そいで、今日自分はたまたまここに来て、俺はたまたま自分に話す機会がでけた。せやったら、先輩らしくちょっとは実になるかも知れん話をしてやらなと思ったんが3割、なんか聞いてもらいたい思たんが7割でこの話をしたんや。」
笑わせるつもりだったかもしれないが、今の俺には正直そんな余裕は無かった。そんな俺の状況を知ってか知らずか楠田先輩が更衣室から出てきて、
「まだ喋ってたの?早くあんたも着替えなさいよ。」
と山本先輩を急かした。いつもの楠田先輩の声のトーンだった。山本先輩は平謝りしながら更衣室へ入っていった。それを見送っていた俺に近づいてきた楠田先輩は一言こう言った。
「あんた、もし今日のこと喋ったらただじゃおかないわよ。」
うーす。それはもちろん大丈夫です。とてもじゃないけど誰にも言う気にはなれないっす。後が怖すぎるので。
「そういや、あんたなんでここにいたの?」
俺は同級の栄子に誘われて調理部に顔を出すところです。と今日の予定を伝えた。
「ふーん。それって3年も参加してるの?」
どうなんだろ?きっと、参加してるよなー。でも、正直にわかんないっすと答えた。
「あんたたちってかこの場合、さすが栄子さんって言うところなのかしら。」
えっ?栄子を知ってるんすか?俺は正直驚いてしまった。楠田先輩は俺の中でのイメージでは同じ3年ですら、あんた誰?って聞くぐらい興味が無いもんだと思ってた。ってか、1回そんな場面に遭遇したことがあるから、まして2年のやつのことなんて知らないだろうと思っていたのに。
「そりゃあんた、プログラミング部の部長って結構有名よ。全部活動の予算を組んでるだとかそんな噂もあるくらいだし。聞いたことないの?本人に。」
そりゃ噂では聞いたことありますけど、本当なんですか?
「私はさすがに信じてないけど、信じてる人結構多いわよ。」
へー。信じてる人多いって言ったってさすがにそれはなー。
着替え終わった山本先輩と三人でしばらく話をして、俺は一人売店横のフリースペースで缶ジュースを飲んで、色々あるんだなーとしみじみ考えていた。俺が知らないだけで山本先輩は色んなことを経験して今の山本先輩になったんだなと思うと俺はどうなんだろうとふと思ってしまった。昨日の上田先生との話を思い返す。きっと山本先輩はちゃんと自分のことを意識してるんだろうな。俺は勝手にそんな風に自分の中で理解することにした。意識する…か。
「あっここにいた。あんた、スマホ見なさいよね。」
あっ、ん?振り向けば栄子と土井がいた。そう言われて、スマホを見てみると10件以上のメッセージがきていた。あっ悪ぃと軽く謝って調理部はどうなったか聞いた。
「準備終わったわよ。そんであんたに連絡してもかえってこないからしょうがなく土井君と探しにきてあげたんじゃない。」
マジで?でも本当に俺も行ってもいいのか?正直、俺は行ってはいけない気がするんだが。
「心配しなくても大丈夫だよ。先輩達にも僕の友達ですって伝えといたから安心して。」
さすが土井だ。けど、ホントにいいのかなー、未だに迷っていると、完全に俺と同じ部外者の栄子は、
「大丈夫、大丈夫。てか、私だけってのもなんかあれじゃない?」
最初からこいつ、俺をだしにする気だったな。まーもういいや。俺は栄子から背中を押されながら家庭科室へと向かうのだった。
家庭科室に入った俺は所在無さげに栄子にくっついていた。いや、だって、もう腹いっぱい食べてやるぞって決めて、いざ入ったけど知らない人ばっかりなんだもの。調理部は土井を入れて七人。3年が二人、2年が三人、1年が二人という人数構成。正直、困った。どうしたらいいか、さっぱり分からない。そんな俺を見かねて栄子と土井が俺をみんなに紹介して、みんなのことを俺に紹介してくれた。
「えっとね、右から順番に3年で元部長の郷田先輩。」
黒髪ストレートのロングで丸い黒縁眼鏡をした女性。
「その次が2年で新部長の純子と、」
確かゾッTが担任のクラスの子のはずだ。髪型は郷田先輩と同じストレート。だけど髪の色はやや赤みががった色で、別の機会で見かけたとき、美人さんだなーって思っていたことを思い出した。
「今日子。」
ショートボブの髪型と笑った時に見える八重歯がとても可愛らしい女性。土井とよく一緒にいるのを見かけているのでなんとなく覚えていた。確か、家がうちの近所のはずだ。度々うちの近くで見たことがある。声かけたことはもちろんないけど。
「その隣が3年で元副部長の池原さん。」
ゆるくカールしたボブ、周りよりも一回り小さい身長、あー多分すんごくモテるんだろうなーといった第一印象。
「そんで、1年の蓮華さん。」
ショートカットの女の子。目はとてもぱっちりしている。
「で、最後は蓮華さんと同じ1年の森口さん。」
よくB子と一緒に見かけるな。そっか、調理部だったのか。だから、土井とも話したりしてたんだな、納得。あれ、もしかして土井って副部長だったりする?一通り紹介が終わると昼食会が始まった。
「栄子ちゃんの幼なじみなんでしょう?あなたからも言ってくださる?調理部の予算上げるようにって。」
えっ?部長の郷田先輩のお嬢様言葉に驚きはしたが、それ以上に話の内容のインパクトが強かった。俺としては、めちゃくちゃタイムリーなネタだったからだ。さっき、その話を楠田先輩から聞いたばかりでまたしてもその話を聞くことになるとは。やはり、栄子が所属しているプログラミング部ではそんな活動が行われていたりするのだろうか。
「部長またそんな嘘言って、この子以外と信じやすいんですから、やめてくださいよね。」
えっ?嘘なの。確かに楠田先輩は信じてないって言ってたしな。
「元部長ですわ。あなたはそうやっていつものらりくらりとお交わしになって。困ったものですわ。」
えっ?どっち?俺はかなり二人のことを注意深く観察したつもりだったが、どっちが真実なのかいまいち分からなかった。ほんとは栄子の部活が色々やってたら面白いなとは思う。まぁそんなことを考えたりはしていたけど、初対面の先輩、しかも女性とそんな和気あいあいと話せるわけもなく、俺は苦笑いするしかなかった。ホントは郷田先輩と組んで、栄子に根掘り葉掘り聞きたかったがさすがに無理だった。
「そういえばさ、栄子ちゃんとこに入った新入部員てどんな感じなの?」
土井はそんな俺の心情をくみ取ってかどうかは分からないが、プログラミング部についての話題を振ってきた。俺の感想としては普通な感じだったけどなー。
「そーねー、男子と女子一人ずつなんだけどさ、男子の江藤君はね、ちょっとした雑務とかかなり速く対応してくれて、かなり重宝してる感じ。まぁ、あんまり喋ったりとかは得意じゃないけどいい子よ。女子の深瀬ちゃんはかなりの切れ者で完全効率主義者。私でも思い付かなかったやり方で組んだりしてて、あっ、パソコンのシステムを動かすときの指令を私より的確に指令できるってことなんだけど、ホント助かってるわー。性格はかなり真面目ね。」
へー。栄子の言葉自体をちゃんと理解出来たかは謎だったけど、優秀なんだなとは思った。そりゃ栄子1人でやってたところに入ってるから優秀なんだろうけど、江藤君はともかく深瀬さんはちょっと意外だった。てっきり賑やかしポジションだと勝手に勘違いしていた。人は見掛けによらないもんだな。いや、ちょっと待て。俺は一回一緒に帰ったよな確か。もしかしたら俺は相手の雰囲気だけを見て、ちゃんと見ていなかったのかもしれない。もしくは雰囲気で相手を形造っていてしまったのではないか?山本先輩と話した後だったからか?変な考えが頭によぎる。そーいや英語教師のピーター先生が言ってたっけな、“sea”ではなく…あれ?なんだったっけ、ちゃんと見てって意味だったと思うけど、
「おーい。ちゃんと聞いてる?」
ん?すまん、考え事しちゃってて、んでなんだっけ?相手が土井なので、自然と答えた。
「夏休みのプロ部のバーベキュー大会の話。僕ら調理部も参加していいかって。」
おう。いいんじゃないかな。だって、部外者の俺も参加するし、てか、決めるのは栄子で良くないか?
「だから、後輩二人は色んな人と話す機会があるのは良いことだし、私は構わないけど、あんたは?って話ふったのにあんたが答えないからでしょ、まったく。」
あーさいですか。なんかすんませんと、頭を掻く。あっ今、美人の純子さんに笑われた。ちょっとショック。
「日程はまだ決まってないんだよね?」
そうだなー。ぶっちゃけ、日曜日ならいつでもイケる気がするが、調理部はどうなってんだろ?そう思い、逆に土井に尋ねた。
「僕らは基本的にプロ部と一緒で全部休みなんだけど、みんなはどんな感じなの?」
調理部みんなに対して土井は質問を投げた。
「さすがに私たち3年はパスいたします。」
「えー、そんな固いこと言わないでさー、私行きたいー。」
「そんなこと言ってあなた、」
3年生二人は行く行かないで揉め出した。といってもこれは雰囲気で分かる。そんなことを考えていると案の定、
「参加してもよろしいですが、夏休みの前半、どんなに遅くなっても8月の頭辺りでお願いいたします。」
やっぱり。さすがにこれは想像できた。
「私は基本、いつでも大丈夫かな。そんないきなりじゃなければ、とりあえず。」
純子さんはもしかしたらバーベキューに乗り気なのかもしれない。お菓子作って持っていきましょうか?とつけ足すくらいだった。
「えっーとね、ウチも前半のほーがいいかな、あっ平日は塾に行かされることになったんで土日がいいかな。」
今日子さんはもう塾に通うのか。ほんとはそれが普通なのかな。
「私たちは先輩たちにお任せします。」
そう言う蓮華さんと頷く森口さん。森口さんは口下手なのかもしれない。えーっと、総合すると、夏休み前半の土日か。俺が土曜日は部活だから日曜日か。親父は日曜日休みだからなんとかなりそーな気もするが、浜本先生は?
「んっとね、一週間前くらいに言ってくれればそこに合わせてなんとかするって。あんたのお父さんにはなんとかしてねとは言ってある。」
そうか。うちの親父にまですでに根回しが済んでいるとは、流石だな。とりあえず、みんなでカレンダーを眺める。候補は2日しか無かった。
「どっちでもみんなは大丈夫みたいだから、他の人達にどっちがいいか聞いて、それで動くことにしようか?栄子ちゃん頼める?」
「OKー。」
さすが土井。意見をさらっと纏めると解決案と方法を提示した。俺もこれくらい難なくこなせるようになってみたい。その後は美味しい昼食を満足行くまで堪能し、俺と栄子は片付けには参加しなくていいと言われたのでお礼を言って家庭科室を後にした。
「美味しかったわねー料理。あんた私にもっと感謝してもいいのよ。」
はいはい。てか、あれどー考えても3年の送別会的なイベントだったじゃねーか、教師はいなかったけど。ローストビーフなんて昨日からの仕込みだったみたいだし。
「そんな細かいこと言わないの。楽しかったし、うちらのバーベキューにも参加するんだからいいじゃない。」
まーそりゃ、そーなんだけども。まー文句を言ったところで俺自身もしっかりと堪能してしまったわけで。それ以上に責めることを俺はやめた。
翌日から夏休みまでの最後の一週間が始まった。期末テストも終わり、無事赤点も免れた俺は、夏休みが始まることにどうにもそわそわしていた。違うな、いつもは歩いて登校する俺を校門前ギリギリで息を切らしながら自転車で追い抜いて行く英太が、毎日遅刻と隣り合わせで日々を送っているそんな英太が、俺の前方50m付近を自転車を押しながら歩いている。そう、先週出来たという彼女を横に連れて。そんな二人を見ながら俺はそわそわしていた。ぬー、せめて栄子が居れば二人の邪魔が出来るものを。なんでこんな時に限って、あいつは部活で早く登校してしまったんだ。あの二人は付き合っているんだろうな、羨ましいのー。あの二人は来週土曜日にある花火大会に一緒に行ったりするんだろうか?去年までは一緒に行っていたのに。なんだか急に遠い存在になってしまった気がしてちょっと寂しい気持ちになりながら登校した。
靴箱から教室までの階段でその英太が声をかけてきた。
「おはよーっさん。今日も良い日だなー。」
えっ?なにこいつ。いきなりどうしたんだ。いつもならダルさが身体を手に入れたらこんな感じだろうってくらい朝はテンション低いはずなのに。理由はわかっているが、まぁ経緯とかは知りたいので、とりあえず俺は今さっきの英太の行動を聞くことにした。
「いや、それがさー、彼女ん家ってちょうど俺の通学路の途中なんだな。だから、せっかくなんだしって彼女がなー、そんなこんなで一緒に登校することにしたんだ。」
何がせっかくなんだしー、何が彼女がーだ。お前が言い出したんだろ?どうせ。まったくー、彼女が出来るとこうも変わるものなのかと軽く嫌味を言ってみたが、本人は笑いながら意に介さない様子で、
「お前も彼女作ってみたら良いじゃないか。本当に良いぞー。俺はかつて無いほど、人生がこんなに楽しいものだと思ったことはないぞ。」
なんてことを言っている。そりゃ俺だって彼女欲しいわい。なんなんだその勝ち誇った顔は。そんなことを話しながら教室へ入ろうとすると、
「おはよー。昨日はありがとねー。」
隣のクラスの純子さんがちょうど俺達のクラスから出てきたところだった。ありがとーってこっちのセリフなんだがとか思いつつ、軽く喋ったのち、そのまま純子さんは自分のクラスへ戻っていった。
「おい、なんでお前が純子さんとお知り合いなんだよ。しかも、割と仲良さげだったじゃねーか。」
英太が聞いてくる。しかも、悪態つきで。さっきの爽やかな顔はどうした?お前、自分の立場分かってないんじゃないか?なんかムカついたのでそりゃーなとかなんか意味ありげな感じで返しておいた。なんだその顔は、お前はちゃんと彼女いるじゃないか、そして俺はフリー。ほんとは喋りかけられてびっくりしたけど、まだちょっとドキドキが止まらないけども。そんな内側を悟られないように努めて英太の言葉を遮り、自分の席についた。俺の席は窓際後方二番目、英太は廊下側、前から三番目。じとっとした視線を軽く無視しながら、ってか、あいつはどんだけ心狭いんだよ。俺は前の席の土井に挨拶と昨日のお礼を丁寧にした。
「おはよー。いいよ、いいよ。僕らも次、お世話になるわけだし、それよりさ、いきなり変なこと聞くんだけど…」
どうも歯切れが悪い。俺はそんな風にされると余計気になるじゃないかと俺は土井の次の言葉を急かした。
「実はさ、栄子ちゃんのことなんだけど、二人は付き合ってないって、昔聞いたけど、今もそんな感じなの?」
うん?いきなりどうしたんだ?俺は訝しく思いながらもそりゃもちろん。俺と栄子の間はつつがなくいつも通りだとも。あーいつも通りさ。親父がよく俺に見ろと勧めてくる昔の海外ホームドラマよろしく、両手の掌を上に向けた状態で上げ、首を傾げた。
「ふーん。今んとこ、その予定もない?」
なんでこいつはいきなりそんな話を?俺は無い無いと首をふった。第一、1回フラれてるし。勝手に英太からこいつにその話はいってるもんだと思ってたけど知らないのか?それとも、こいつ、栄子のことが?それだったら応援しないことはないが、
「そういう訳じゃないんだけどさ。なんとなく気になってね。付き合ってないんだったらそれでいいよ。この話はおしまい。」
ふーん。珍しく土井は焦っているようだった。そんな土井は別の話を始めた。
午前の授業中、俺は頭のなかで、2つの仮定を立てていた。何故、土井は俺と栄子の仲を確かめたのか?1つは土井、若しくは土井の俺の知らない友達が栄子に気がある。しかし、この仮定は何故今なのかという質問にズバッとした答えがないように思える。土井自身も否定してるし。そしてもう1つ。これは俺としてはかなり珍しい発想なのだが、自分自身もそれを思い付いたことに驚いている。
もしや、調理部の誰かが、いや純子さんが俺のことを気にしているのではないだろうか?純子さんであれば、色々辻褄が合うような気がするのだ。純子さんとの接点が始まったのが昨日。言ってはなんだがそこそこに会話は出来ていたように思う。そして、今朝、いつもならクラスが違うからよっぽどのことがない限りいるはずのない純子さんが俺のクラスにいた。もしかして、土井に栄子とのことを聞くように念押しをしたのではないか?もし、そうであれば嬉しい。上田先生も、あの謎のおっさんも言っていたではないか。意識がすべてを決める。まず、自分のこの考えを自分が信じなきゃどうするんだ。いや、でもさすがに無理があるか。でも、意識すれば。あーでも。さっきから堂々巡りを繰り返していたが、まんざら悪い気分はしない。時々、にやついてもいたんだろう。午前の授業がすべて終わり、土井と栄子の二人と一緒に学食に行く途中、
「あんた、午前中ずっとアホ面だったけど、なに考えてたのよ。」
うるさいなー。俺は適当に言い訳をして学食へ急いだ。
学食につくと俺はカウンターで、今日の日替わり定食Aの唐揚げ定食を受け取り、土井が選んだ6人掛けのテーブル席へついた。
「そういえばいつも栄子ちゃんと同じだよね?料理。」
土井がいつもなら言わないであろうことを聞いてきた。そりゃ晩飯、栄子んとこで食べてるから昼一緒じゃないとおばあちゃんが困るんだよと簡単に説明した。
「あーそーゆーことね。あっ今日子ーこっちこっちー。」
振り返るとそこには今日子さんと純子さんがいた。どうやらここで食べるみたいだ。6人掛けテーブル席の土井の隣に二人は座った。真正面に純子さん。午前中、色々妄想してしまったからちょっと恥ずかしい。まさかこんなに早くこんなことになるとは。
「ちょうど良かった。ウチらバーベキューのことで大事なこと聞くの忘れてたのよ。」
そんな話から始まり、終始喋るのは今日子さんと栄子、たまに土井、純子さんって感じだった。時折、俺も突っ込みを入れたり。純子さんはとても楽しそうに見えた。
「そういえばさ、英太君、授業終わったらすぐに出ていったわよね?なんかあんたたち聞いてる?」
いつもいる英太が居ないことに違和感を覚えていたらしい栄子はそんな話をふってきた。俺は知らん。大方の予想はついているが。
「実はさ、付き合い始めたじゃん、1年の瑠美ちゃんと。」
まったく憎たらしいやつだ。
「そんで、その瑠美ちゃんがお弁当作ってきてくれたんだって。」
なんだと…あいつはもうそんなイベントに手を出しているのか。早すぎるんではないのか。いや、あーゆーのにどのくらいがちょうどいいのか知らんけど。なんか腹立つぞ。ってことはまさか、あいつは今、屋上に行っているってことなのか?そんなことを考えていると、
「なるほどねー。ごめん、聞いたのは私だけど、あんま、この子には言わないであげて。この子、英太君に彼女が出来て相当へこんでるから。」
お前なー。純子さんの前でそんな風に言わなくてもいいだろう。俺はジト目をして抗議の文句をちょっとだけ伝える。
「僕だって羨ましいよ。やっぱり男子は友達に彼女出来たらちょっと焦るもんだよ、やっぱり。」
なんで土井はそんな素直に自分のことを言えるんだ。まったく。俺だったら恥ずかしくて、とても言えない。そんな風に自然体だから、こいつはよく告られたりするんかな。こいつがOKって言ったところ見たことないけど。
「土井君だったらその気になればすぐだと思うけどなー。そういや、土井君は気になってる人とかいないの?」
おっ。嬉しい質問だけど、栄子お前はなんてデリカシーのないやつなんだ。嬉しいけども。無いとは言っていたけど、やっぱりこいつが栄子を狙っている可能性も捨てきれないからな。
「実はさ、僕好きな人出来たんだよねー。」
なっ。まさかそれは。しかし、本人から聞かれてそう素直に答えるものだろうか?
「まぁ本当に。よろしかったら教えて貰えるかしら?」
おい、栄子、なんのキャラだそれは。えっ?でも、土井こんなところでか?純子さんも今日子さんも興味津々の様子だった。そりゃ、全力でフォローする気持ちはあるけども。
「それがね。僕の姉貴、そう一個上の。今年受験だからさ、家庭教師を付けたんだけど、その人、大学生なんだけどめちゃくちゃ礼儀正しくて素敵な人なんだ。週2日来て貰ってるんだけどさ。」
おー。良かった。俺は安心した。純子さんの確率がこれで少し上がった。それと同時に土井が素敵って言うなんてよっぽどだなと驚いた。だって、こいつのお姉さん、めちゃくちゃ美人で評判だから。
「へー。土井君が素敵って言う位だから、よっぽど美人なのね。見てみたいわー。」
栄子も同じ様なことを考えてたみたいで、驚きの表情で感想を言った。
「僕、どんな感じに見えてるのさ。でも、お弁当作ってきてくれるとか、結構嬉しいことだと思うよねー。」
と、俺に話を向ける。そりゃーなー作ってきてくれたら嬉しいだろうなー。若干、純子さんを意識しながら言ってみた。ちょっと目があった気がする。
「まーそーゆー点だと調理部って有利よね。付き合ってなくても、気になってる子に練習で作ってみたとか色々言い訳出来そーだし。」
あー、それすごくいい。俺は純子さんからお弁当を貰う想像をする。すごくいい。
「それがさー、ウチもその手で釣ろうとした時あったけど、練習って名目だからさ、案外その周りの男子にも渡さなきゃ怪しまれるから、そしたら他の男子が釣れちゃったり、付き合ったとしても当然作ってくれるもんだろうって感じになってほんと嫌になるわー。」
今日子さんはなかなかな体験をしてきたようだった。俺はそんな話を女子からというよりあまり聞いたことが無かったのでそわそわしながら聞いた。
「そっか。今度お菓子とか作って渡してみようかな?」
と、土井。割と本気みたいだった。俺がその大学生の人なら喜ぶだろうか、土井自体がそこそこイケメンだから、きっと嬉しいよなー。恋してるなー。
「頑張って。応援してるわ、私。」
栄子、お前はどんな立場からそれ言ってるんだよ、まったく。
「あーちょっと待ってて。」
周りを制止して、栄子は学食から出ていってしまった。ん?どうしたんだ?まぁ待っててと言うし、とりあえず俺達は4人で会話を再開した。でも、気になるなー、土井の想い人。ボソッと呟く。
「やっぱり美人だから気になるの?」
純子さん。まっすぐ見られてドキリとした。美人だからと言うのではなく、純粋に土井の好みが気になるからだった。安心してと伝えた。もちろん安心しては心の中で思っただけだけど。
「なるほどー。」
何がなるほどなのかは分からなかったが納得はしてくれたみたいだった。
「そんなに気になる?」
土井は不思議そうに聞いた。だって、お前同年代の女子に対してそんな素振り見せたことなかったし、そもそも断ってるところしか見たことないからな、俺は。
「あー。それもそうか。でも、好きでもないのに断らないってのも失礼な話じゃない?」
そっかー。そりゃそーだよなー。ただ好みの相手が同年代に居なかったってだけだったんだなー。なんか意外な一面というか、土井への認識が変わった瞬間だった。
「お待たせー。」
気づけば栄子が戻ってきていた。
「今、浜本先生と話してきて、バーベキューは来週の日曜日ってことでみんなよろしくねー。」
突然出ていったのはそういう訳だったのか。バーベキューは来週の日曜日、花火大会の次の日に決まった。
放課後、武道場までの道を歩いていると俺を呼ぶ声が聞こえた。ふと、声の方をみると、教室棟と家庭科室のある文化棟をつなぐ渡り廊下に純子さんがいた。俺は何の用だろう?とそちらに近づいた。バーベキューのことだろうか。別に準備とかはこっちでやるだろうから心配ないとか伝えればいいのかな。純子さんの前に着くと、俺はバーベキューのこと?と質問してみた。
「いや、そーじゃなくて、あの、変なことを聞くんだけど、もし、もし、明日お弁当作ってくるって言ったら食べてくれる?あっもっもちろん練習用なんだけど。」
おっおっこっこっれはっ、もっもっもしかして。えっと、えっと、作ってきて貰えたら嬉しいです。テンパって噛まずに言えたかどうか不安ではあったが俺は伝えた。すると彼女は、とても嬉しそうに、
「ほっ本当?じゃあ作ってみる。あんま期待はしないでね。」
期待なんてと声を出す前に彼女は走り去ってしまった。駄目だ、ドック、ドックと全身の血がかけめぐるのがわかる。スッゴく心臓が痛い。やばい、どうしたんだ、この俺の人生にこんなことが起こるなんて、確かに本気で意識したのは事実かもしれないが、こんなことになるなんて。むふふ。変な笑いが自然に沸く。あー視界に入るすべてのものがキラキラと輝いて見える。あー嬉しい。今なら飛べるかもしれない。駄目だ。こんな状態で武道場に行ったら先輩達から何を言われるか分からない。とりあえず売店横のいつものところで心を落ち着かせよう。そうしよう。
ふー。むふふ。駄目かもしれない。いくら押さえつけようとしてもさっきの光景が頭の中に現れてにやけてしまう。落ち着け、落ち着け。落ち着くために自販機で普段飲まないブラックの缶コーヒーを一気に飲み干した。ふー。苦い。少しだけ落ち着けた気がする。しかし、あーニヤニヤが止まらない。はー、一体俺はどうしてしまったんだ。まさかこんなことになってしまうなんて、英太のことを若干馬鹿にしていた数時間前を思い出す。あーきっとあいつはこんな気持ちだったんだろうなー。なんか悪かったなー。まさかこんなにいいものだとは思わなかった。ふー。もう一本飲んでから行くことにしよう。
つつがなくかどうかは分からないが部活を無事終わらせた俺はそそくさと帰り支度をして、武道場を飛び出した。正直、何かをしていないと顔が緩んでくるのが分かっていたからである。
「あのー。」
ん?振り返るとそこにはB子がいた。ちょっと心細そうに視線をキョロキョロさせている。こいつはつくづく不思議なやつだ。いざ、剣道の試合が始まれば人が変わったようにめちゃくちゃ強いのに普段はとてもそんな風に見えない。なんなんだろーな。とりあえず、どうかしたか?と聞いてみる。
「あっあのー、先輩なんか良いことありました?」
うっ、無事終わらせたと思ったのに。この分じゃ明日は千葉に何言われるか分からないな。俺は良いことを伝えるかどうか迷った、そして別にないけどと答えた。だって、よく考えたら同級の調理部の部員が練習用に弁当を作ってきてくれるってだけなんだもの。そりゃ、嬉しいし、俺は別の意味にとってるよ、もちろん。けど、その行動を言葉にしたらあまりにもあまりにも笑われそうな気がしたから、気がしたからー。
「…そうなんですか。私の勘違いでしたか。」
うん。それじゃ。と俺はそのまま帰った。栄子のことも忘れ、そのまま帰った。晩飯の時に怒られた。買い物して帰る予定だったのに、荷物持ちがいなくて困ったと。だって、一刻も早く学校から出たかったんだもの。ニヤけ顔を学校内で抑える手段全く思い付かなかったんだもの。
晩飯を終えた俺は自分の部屋でボーッとしていた。純子さんのことが頭に浮かぶ。むふふ。晩飯は怒る栄子に助けられた感があった。誰も俺の変化に気づいてないみたいだった。しかし、B子にはびっくりしたな。割と我慢出来てたと思うんだがなーってか、あいつが気づいたってことはやっぱり先輩や千葉も気づいてたんだろうなーっと思い返している時に、ふと思い出した。毎週金曜日に受け取るB子からの手紙を栄子に渡すのをすっかり忘れていたのだ。やっば。とりあえず、栄子にメッセージを送ってみる。すまん、手紙渡すの忘れてた。っと。いつもなら割とすぐ返事が来るのになかなか来ない。どうしたもんかね。でも、手紙渡さないと気分が悪い。ふと頭の中にある考えが浮かんだ。栄子の部屋に置いとけば良くないかと。何も考えていなかった小学生以来だが、どうせ鍵は開いてるだろう。俺はベランダに出ると栄子の家のベランダに足をかけ、飛び移った。あいつ毎回こんなんやってるのかよ。てか、小学生の時、よくやれてたな。意外と怖かった。栄子の部屋の窓からはカーテン越しに明かりが見えている。なんだよ、部屋に戻ってるじゃないか、じゃあスマホ見ろよ。心の中で文句を言いつつ、窓を開け、カーテンを開けた。
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