起
「だからー。さっきから聞いてるんだけど、なんでここの答え間違ってるっていうの?」
こいつは栄子。俺の幼馴染。部活に向かうため、帰り支度をする俺の前の席に陣取り、一学期の期末テストの国語の答案を片手に教師の採点に文句をつけている。
フィクションの世界では、幼馴染は鉄板のネタともいえる。かいがいしく主人公を支え、ずっと主人公を信じ続けてくれる存在。唯一無二な存在。俺だって何度そんな幼馴染キャラを愛でたことか。こー言っては何だが、うちの栄子は容姿端麗、料理も出来るし、人当たりも良い。男子の中でも評判はいい。こいつが話に上がるたびに俺が文句を言われるという妙なルーティンまである。
その度に、現実とフィクションの違いにうんざりする。多分、現実にもフィクションみたいなすごい体験をする人はいないわけじゃないと思う。だけど、それは俺じゃない、誰かの話なのだ。はぁ。なんかいいことないかな。別にそこまで大きいものじゃなくていいけど。
そんな俺の一種の悟りにも似た思いも知らず、こいつは今にも職員室に乗り込んで国語教師のゾッTに文句を言いに行こうとしている。
「あんたの解答見せてみなさいよ。…って主人公は反省しているで丸もらってるじゃない。後悔しているって書いた私のはなんでピンになってるのよ。」
いや全然違うからな。省みると悔いるは全然違うからね。ん?悔い改めることじゃないのかって、そりゃ…ちょっと待て、なんで英語の辞書を開いてるんだ?いや第一、国語教師のゾッTにそれ見せに行く気かよ。やめとけって。英語と日本語じゃ意味合い変わってくるだろ。ほら洋画とかでもあるだろ、英語で見たときはすごく面白かったのに吹き替えで見たらがっかりしたみたいなそういうのだよ。
「うーん。分かるような分からないような。ってかさ、最近、あんたら男子が呼んでるゾッTってなんなの?」
どうやら英語の辞書を片手に国語教師に殴り込みに行く暴挙を行う気はなくなったようだった。よかった。ゾッTの由来だってそりゃ簡単、あの先生、普段喋ってるときは普通だけど、テストの範囲だったり連絡事項だったりを言ってくるとき、ここはテストに出すぞのすとぞの間に妙な間があるだろ?だからゾッT。最近期末前だったから特にそれを耳にするからさ。そんで。
「なるほどー。なんとなくわかんなくはないわね。くくくっ。なんか面白いわねー。ほんとよく見てるわねー。男子ってそういうくだらないとこ。」
うるせー。お前はおかんか。
俺は帰り支度を済ませ、武道場へ向かった。更衣室のロッカーに荷物を詰め込んで着替えていると山本先輩が入ってきた。
「おーっす。今日も早いのー。んで?どやった、期末は?赤点やないやろな?」
大丈夫でしたよ。と軽く返事をする。山本先輩は我が剣道部主将である。常に大会では好成績を残し、今年の夏はインターハイ優勝を目指している。そんな先輩がなぜ2年の俺の期末の結果を気にするのか。それは単純にうちの学校の校則にある。各部活動で部員数のうちの3割が赤点補習者だった場合、その部活動は公式大会への参加が出来ないのである。実際、それが適用されたのを俺は聞いたことが無いが、そこは山本先輩、一人も赤点を取らないように、テスト前になると、各学年別に武道場で赤点かもと不安のある部員に特別授業を開催している。普段の授業より分かりやすいんだな、これが。堅物ではないんだけど真面目、それに面倒見もいい。運動も出来て、頭もいい。少女漫画なら間違いなく王子様ポジションの人だ。
着替え終えた俺は武道場に出て、ストレッチを開始。なんとなくぼーっと向かいの下の小窓に目を向ける。まただ。数人の何も知らない山本先輩目的の1年女子が必死に覗いている。もうちょっと腰から下に気を遣え。見えてるんだからな。そりゃ1年の頃はドキドキしたさ。例えハーパンでもな。もう2年になるとそんな事よりもこの後の心配をしてしまう。
「あんたたち、いい加減にしなさいよー。」
楠田先輩の声だ。小窓から見える女子たちがおびえた表情で横を見ているのが見える。楠田先輩はあっという間に観客の1年を一掃して武道場に入って、山本先輩に文句を言う。
「全く、主将からもいい加減言ってよね。あんなのが毎回いるんじゃ気が散ってしょうがないじゃない。主将目的なのはわかってるんだから。」
「まぁまぁ。それはないやろ。いっつも見に来るんは1年なんやから、和田辺りやないの?目的も果たさんと帰らされて、可哀そうに。」
楠田先輩は、そんな山本先輩の言葉に呆れながら無言で更衣室に入っていった。良かった。今日は機嫌がいい。楠田先輩にはこんなあだ名がついている、鬼の副将と。なんでそんなあだ名がついているのか。それは練習メニューのすべてを彼女が握っているからだ。女子が素振りをやっている横で男子はロープ運動を延々やらされたり。知らない?なんでこんなところにってぶら下がってるロープ。あれ、腕の力だけで登らされるの。しかも何回も。機嫌が悪いと本当に容赦ないからなー。
実は、そんな山本先輩と楠田先輩は付き合っている。いや付き合っているらしい。らしいというのは度々、休日に一緒にいたという目撃情報は後を絶たないが、いざ山本先輩に聞こうとすると鬼の副将である楠田先輩に必ず邪魔をされ…消されるという校内都市伝説が出回っているからだ。いや多分嘘なんだろうけど、その都市伝説を先に聞いてしまったが故にどうも聞くのをためらってしまう。先ほどの1年に対してもそうだが山本先輩の認識は周りの認識とはかけ離れたものに違いないと思う。台風の目の中心は無風。こればっかりは楠田先輩に同情を禁じ得ない。まぁ本当に微々たるものだけど。もし付き合っていたらの話だけれども。
「あのー、今日も先輩と帰るんですか?」
基礎連終わりの休憩中に後輩から声をかけられる。ん?あー多分。っと軽く返事する。声をかけてきたのは後輩の通称B子。本当は美子だが、漢字と読み方がいまいち一致しないため、B子と呼ばれている。呼ばれだした当初、本人は必死にやめるよう文句を言っていたが最近は慣れてきたのか、たまに美子と呼ぶと返事をしないこともあるぐらいだ。人柄は温厚、剣道の腕前は1年の今年に三段の昇段試験を控えているというずば抜けたもの。俺なんか去年の初段の試験で試験官からもっと打ち込む際に気合を込めてと見事に落とされたのに…あーどうしても打ち込む時、相手が痛いんじゃないかって不安がよぎっちゃうんだよ。そりゃ剣道ってそんなものだし相手を倒すことに集中するところでそんな訳わかんないこと考えるなって話なんだけど。どうしてもなー。今考えることじゃないか。B子の腕前は確かなもので、今度のインターハイでも補欠として参加することになっている。
そんなB子がどうして俺のことを気にしているのか。違うか、何故栄子と帰ることを気にしているのか。それは俺を郵便屋さんか何かと勘違いしているからだ。俺が栄子と毎日帰宅していることを知ったこいつは決まって毎週金曜日、俺に手紙を渡してくる。栄子に渡してくれと。1回目は何の気なしに受け取って栄子にそのまま渡した。しかしそれが2回、3回と続いていくとさすがに俺もいい加減にしてくれよと文句を言った。だけど、B子があまりにもしょんぼりとするので最近は文句を言うのもやめた。しかし、不思議なのは手紙自体にもあるがこの二人の関係である。たまに二人が喋っているのを昼休みに見かけるくらいで特別仲良しという雰囲気は無い。まぁいいんだけどさ。
部活も終わり、毎週のルーティンと化したB子からの手紙を受け取り、B子を含む部員達と別れ、売店横のフリースペースで栄子を待つ。栄子の部活はプログラミング部という謎の部活だ。謎というのは、この高校にはすでにパソコン部が存在していて、栄子は1年の1学期のはじめはそこに在籍していたはずなんだが、気づけば、プログラミング部が新規で立ち上がっており、そこの部長として収まっていた。部員1名で部として存在できる理由も謎だし、本人に聞いても、
ーなんか気づいたらこうなってた。ー
と謎の発言をしており活動内容についても、
ーごめん。こればっかりはさすがにあんたにも言えない。ー
とますます気になる発言をしてくるのだ。栄子は一度決めたらそれを曲げることはないので、栄子からの情報収集は早々に諦め、パソコン部の友達なんかを中心に情報収集をしたりした。しかし、入ってくるのは、栄子が各教室のエアコンの温度管理をしているとか、学食の毎月もらえる成績優良者優待ポイントの振り分けを牛耳っているとか、全部活動の予算を管理しているとか、一番ひどかった話では、とある国の機密情報を得るためにオンライン上で活動しているって話も。おおよそ公立のこの高校にあるまじき変な話ばかりで俺はなんか頑張ってるんだろうな、多分。と自分を納得させてプログラミング部について探るのをやめていた。
そう、やめていたのだ。しかし、今年それは進展を見せた。新入部員である。なんとプログラミング部に2名もの部員が入ったのである。一人ははつらつとした可愛い女子、そしてもう一人は俺と近しい匂いのする男子。もちろん、ターゲットは同志であろう男子の江藤君である。女子とすんなりコミュニケーションとれる男って何なの。同じクラスでもなく、まして後輩なんかと喋れるやつって…俺の周りには…あっ一人いるか土井だ。あいつはナチュラルに女子と喋ってるなー。いいなー、うーん、まーそれは置いといて江藤君とは一度だけ一緒に下校している。一緒にというか、栄子をいつものように待っていたら、新入部員の江藤君と深瀬さんが栄子にくっついて来ただけだが。一人喋る栄子とそれに相槌を打ちながら答える深瀬さん、そして話を振られたときにだけ喋る俺と江藤君。いや、普段、栄子とは気軽に喋ってるよ。ただ新キャラとか入っちゃうとあれなだけだからね。もう2、3回チャンスがあれば行ける気がするんだ。と思いつつ、なかなか2回目のチャンスが訪れない。早く栄子、気を利かしてくれー。頼む。栄子本人には直接言ったことないけど。なんか深瀬さん狙ってるとか思われたら嫌だし。
「何悩んでるふりしてんの?もしかして腹痛?」
そうこうしてたら本人登場。江藤君たちはいないようだ。軽く悪態をつきながら歩き始める。くそーなんとかならんのか。
「そういや夏休み部活はどうなってるの?去年は全国大会行けなくて盆休みから2学期まで部活休みだったじゃん。」
あーそうだな。元々は夏休みも関係なく部活あってたみたいだけど、なんか顧問の先生が変わって休みが増えたって喜んでる先輩いたなー。部活あった方がいいんだけどな、中学時代はそうだったし、時代も変わったものだ。さすがに生徒だけでは武道場を使えないのだ。放課後だってたいして顧問来ないのになんなんだろうな、ほんと。しかし今年はインターハイがある。俺は観に行くだけだけど。それが終わって休みってなるのかな、正直、分からん。
「うーん、難しくない?ぶっちゃけ結果に関わらず熱くなってるわけじゃん多分全員、全国大会終わったら。そっから新キャプテンだとか引継ぎ諸々やるわけでしょ。休んでる場合じゃないじゃん。」
そりゃな。俺にはあんま関係ないけど。部活やるって言われれば、やるけど、やらないって言われたらやらないだけだし。そういやこいつはどうなんだろう?去年は夏休みは丸々休みで俺の部活が休みの時はどっか行かないのかと催促されまくったもんな。しかも家族で。なんなんだよもう。まー海楽しかったのだけれども。
「あっ私?私はもちろん全部まるっとお休みでーす。しかも今年は新入部員が入ったので歓迎会も兼ねてT川の河川敷でバーベキューする予定です。しかも部の予算から出すから、実費なし。」
ん?そういうのって予算から出せるものなの?会費とか別で集めるやつじゃないの?てか三人でやるんか?
「えっ?とりあえず参加が決まってるのは新入部員の二人と顧問の浜本先生とあんたのお父さん。ってか、あんたも参加でいいでしょ?」
ん?誘ってもらえないかなって密かに期待したけど、なんで俺より先に親父の名前が出てくるんだ?
「そりゃそーでしょ。誰が車出すのよ。浜本先生車持ってないじゃん。それに何気に浜本先生と仲いいじゃん。お父さん。」
まー確かに浜本先生車持ってないし、親父とは大学からの知り合いらしいし、たまにうちにも来てるけども。そもそも歓迎される本人たちは良いって言ってるのか?
「うん。高校って予算をそんな風に使っていいんですねーって、びっくりしてた。」
いやそこは俺もおんなじ。部外者が来ることについてだ。
「大丈夫、大丈夫。中学でも父兄参加のバーベキューとか、たまにあってたみたいだから、その辺の免疫はあるみたい。」
ならいいけどさ。よし。少しだけプログラミング部について調べる機会が出来そうだ。うーん。まず仲良くなってからか。どうしようか悩んでいると、
「よっお二人さん。」
ちょうど駐輪場から出て来た英太は俺たちに声をかけてきた。中学時代からの腐れ縁のこいつは、いつもなら自転車に乗って、さっといなくなるのに今日は違った。自転車の横に立ちそわそわしているようだった。何やってんだ?と尋ねてみる。するとそれを待ってましたとばかりにこう切り返してきた。
「実は彼女を待ってるんだけどさ、あいつ遅くって。」
うん?なんだと…こいつに彼女?何言ってんだこいつ。冗談にしてももう少しましな嘘があるだろうに。なんか可哀そうな気持ちになってくるじゃないか。そんな嘘をつかれたらまったく。
「あっもしかして瑠美ちゃん?最近お昼休みとか喋ってたもんね、ふーん。付き合い始めたんだ。いつからなの?」
「いやーそれが今日の昼休みからでせっかくだし一緒に帰ろうかって。」
ううん?瑠美さん?そういえば俺らが学食で食べてるときにちょくちょく席が近くにいて話したりするようになったあのバドミントン部で1年の、英太とは部活が一緒の、うん?なんか本当の話のように会話してるが、ううん?嘘だよな。第一、あの二人付き合ってるのかなとかそんな雰囲気微塵もなかったし。ありえないだろ。
「すいませーん。遅くなりましたー。」
瑠美さん登場。ううん?新手のどっきりか?俺をだましてこいつらどうするつもりなんだ?
「おう。そんじゃなー。」
うん?ネタばらしとかせずに帰るのか?うん?
「そんじゃねー。」
栄子、そんな自然にどうして見送ってるんだ?何あの仲睦まじそうな感じ。あいつらなんなんだ。瑠美さんは徒歩で英太は自転車…まさか、二人乗りでもするつもりか?道路交通法違反だぞ。おいおい。のんびりした田舎だからって法律も緩くなんて絶対ならないんだぞ。それに俺へのネタばらしはいつするんだ。おい…
「何、あんた、へこんでるの?ひがみ根性丸出しな表情して…」
なんだと…それじゃあまるで本当にあいつらが付き合っているみたいじゃないか。えっ、ほんとにホントなの?…嘘だと言ってよ、エイター。
「あんた泣いてんの?昔からの友達が初めて恋人できたのよ。もっと祝ってあげなさいよまったく。」
泣いてないし。てかどっきりかもしれないわけで。
「はいはい。もうとっとと帰るわよ。」
そんな俺を置いて栄子はスタスタと校門を出ていく。本当なのか…がっかりというか何というかよくわからない感情が俺を支配していた。もしかしたらこれがルサンチマンなのかもしれない…違うか。
帰宅後、シャワーを浴びて栄子の家に行く。俺の母親は俺が小学3年の春にいなくなっていて、そこから父親と二人だけの生活。頼る身内も近くにいないのを不憫に思った隣の家に住んでる栄子の祖父母が食事の面倒を見てくれることになった。ちょうどそのくらいの時期に両親亡くした栄子がその祖父母のとこに来て、それ以来、朝と晩は基本、栄子の家で一緒に食べるってのが習慣になっていた。小学や中学からの友達は普通に事実として受け止めてくれてはいるが、高校からの友達にはよくそんな状況でどうして付き合ってないんだよと突っ込まれる。
そのたびに昔のことを思い出す。問題は中学時代に遡る。そりゃ俺だってそこは思春期男子、周りの友人に半ばそそのかされる様な形で一度は栄子に告白している。今考えても体中が熱くなってしまうが、その当時、多少というか、かなりの中二病を発症していた俺はこんな言葉で告白した。
ー俺のことが好きなんだろう?なら付き合ってやってもいいぞ。ー
あーー。辛い辛い。思い出さなきゃいいだけなんだが、ふとした瞬間に思い出しちまうんだなこれが。思い出したくないって考えてる時点で記憶の蓋に手伸ばしちゃってるし、辛すぎる。普通に考えたらこんなん聞かされた女子はドン引きしてそのまま交流終了となるはずだが、栄子の返事は違った。
ーうーん。告白の仕方としては0点超えてマイナス100点満点ね。まずはあんたがどうしたいかを伝えなきゃ。女の子は決断力の無い男は敬遠する傾向が高いよ。まー、それを今のあんたに言ってもねー。どうせ英太君かそこらに言われたんでしょ?そんなんじゃねー。それにあんたは恋愛するには若すぎるって。まずは自分を見つめなさい。それに私にはもう決まった相手がいるし。ー
当時お前だって同い年じゃねーか。どんな返事だよ。それに相手決まってるってお前そんな浮ついた話なんて無いじゃんか。とか思っていたが少し成長して単純に断られただけじゃんと二度傷ついた。まーそれを境に何かが変わることもなく今に至る。
今日は英太のこともあり、それが頭の中に駆け巡り、余計悲しくなってきた。居間に入るとうちの親父と栄子のお爺さんはすでに晩酌をしていて、栄子とお婆さんは居間奥のキッチンで料理の準備をしているようだった。
「おお。遅かったなー。そういえば、英太君に彼女できたらしいじゃないか。風呂場で泣いてたのか?だいぶへこんでたって聞いたから心配したぞ。ガハハハッ。」
キッと栄子を睨む。素知らぬ顔で料理の支度をする栄子。
「坊も早く彼女ができるといいのー。まぁ、坊ならその気になればすぐだ。」
「ほんにねー。」
「もーじいじもばあばも、あんま甘やかさないでよね。こいつすぐ調子に乗るんだから。」
くそっ、なんで英太に恋人ができただけで俺がこんなめんどい思いをしなくちゃならんのだ、まったく。夕飯を食べ終えた俺はいつもなら多少テレビを見たりして時間をつぶすのだが、今日は逃げるように自分の家へ戻った。鍵閉めといてやろうかねほんとに。部屋に戻った俺は、なんとなくもやもやした気持ちでどうしたものかと思案し、やりかけのプラモデルを作ることにした。【私、リーダーやります。】という戦隊ヒーローを養成する学園を舞台に少年少女たちの成長を描くバトル漫画に出てくる合体ロボ【パリピオン】の超精密版。合体シーン完全再現というキャッチフレーズにつられて衝動買いしてしまった。今まで軽めのプラモデルはサクサクと作ったことがあったので軽い気持ちで購入し、蓋を開けてげんなりしてしまった。パーツの量が多すぎる。しばらくは積みゲーならぬ積みプラと化していたがこういったなんかしたいけどしたくないというときにちまちまとやるにはちょうどいいものだ。悔しくなんかないさ、と鼻歌交じりにプラモデルを組み立てる。やべぇ、つれぇ。はぁ、ガサガサとプラモデルを机の脇にずらし、机に突っ伏して、目をつぶる。__
なんか俺にも起こんないかな、マジで。英太にだって起こったのだ。すっごくかわいい美少女が空から降ってきたり、いきなり異世界に飛ばされたり。そんな漫画の世界みたいなこと起きないのはわかってるけど、少しくらい神様の気まぐれで、金曜日の終業式に告白されたりとかそんなときめくイベントが起こんな__
ガタン、突然ベランダの方で物音がした。俺の部屋は2階にあり、窓を開ければそのままベランダに出られるようになっている。そのベランダから栄子の家のベランダにも行けたりする。たまに俺の部屋の漫画を借りに栄子がベランダから入ってきたりすることがあるのでそれも考えたが、万一に備えスマホを右手に握りしめた状態で静かに窓を開け首を外にゆっくりと出した。…そこにはおっさんがいた。なんていうんだ、あれ?レーサーが着るようなあれ、レーシングスーツ?ライダースーツ?よくわからないがそんなんを着たおっさんが俺んちのベランダの柵に背を預けて座り込んでいる。暑くないのか?だいぶ息が荒い。あれ、でもあの恰好どっかで見たことあるな。うーん。じろじろ視線を送っていると、それに気付いたのか、
「はぁ、はぁ。すまん。こんな予定じゃなかったんだが、はぁはぁ。」
うーん。どうやら危険はなさそうだが、でももしかしたらと思っていると、
「はぁはぁ。君は時間を信じるか?」
はぁ?このおっさんは何を言っているんだ?時間を信じる?どんな問いなんだそれは?謎の人物からの謎の言葉。確かに俺は密かに期待していた。しかし、申し訳ないが求めていたのはコレジャナイ感が否めない。どう答えたものか、大声を出して誰かに助けを求めるか考えていると、
「そうだな。いきなりの質問だったな。やはり、こちらの世界の人間は時間という概念に支配されすぎているということか…事前に聞いてはいたが、ここまでとは…」
うん?このおっさん大丈夫か?ええい、もうスマホで親父たちに助けを求めるか?そんな俺の表情を悟ったのか、
「気分を害したのならすまない。俺も予定外の事態に巻き込まれてどうかしているようだ。頼むから話を聞いてくれ。」
お、おう。分かってくれたんならそれでいい。若干、高圧的な態度は気になるが、というかなんなんだこの状況はしばらく様子を見るべきか…とりあえず、ご近所さんの目もあるし、自分の部屋に招き入れた。
「順を追って話していこう。君は時間をどんなものと捉えている?」
時間、時間ねー、それはあれか1時間は1分の60倍とかそんなんか?、それとも物理学的な理論だのなんだのの話なのか?こっちは数学も物理もそんな出来るやつじゃないんだが、
「では物理学的な理論を何か知っているのか?」
なんだか癇に障る言い方をするやつだな。俺は短く多少はと答え、頭に浮かんだ理論を伝えた。ほんとは習った時、この学者は何を言ってるんだと疑問符がたくさん並んだけれども。
「あー。やはり、その理論なのだな。事前情報と一致する。では、君が答えたその理論の中で一定だと言われているものがある。それはなんだ?」
うん?あーそれくらいならなんとなくわかる光だろう?さっきから、おっさんの言葉に妙な感じを受けながらも俺は答えた。
「そう。では、光はどうやって認識する?」
えっ目とかそんな答え?
「では、目に入った光はどうなる?」
えっとそりゃなんか視神経?を通って脳に行って?なんで見えるかなんて考えたこともねーよ。
「視神経を通るとして、その速度は人間皆同じか?」
えっ続けるの?もうさっぱり訳わかんないんだけど、そりゃ同じってことはないんじゃないかな?人間の身体が全員一緒なら、それはおかしな話だし、背の高い人だって低い人だっているわけだし…
「そう、人によって光の速度は変化するんだ。」
いや、さすがにそこまでの暴論にはならないだろう。第一大概の理論の光の測定はきっと機械かなんかで精密に測られたものだろうし、きっと。知らんけど。
「では何故光の速度が一定だと考えられたか、それは大勢の観測者がそれを望んだからだ。」
うん?どういうことだ?このおっさんにとっては真っ当な会話なんだろうが俺からしたら何言ってんだこいつレベルである。俺は半ば諦めて相槌を打つ。おっさんは呪文のような単語を並べ立て最後にこう締めくくった。
「すべては意識によって成り立つということさ。」
はぁ。あんたがそういうならそうなんじゃないかな。いいよ。それで。俺は早く帰ってほしい。というかなんでこんなんが人んちのベランダにいたんだよ。まったく。
「重要なのはここからだ。すべては意識によって成り立つ。ここまではいいな。」
はぁ。
「私は今こことは違う…何と説明するべきか…異世界と表現すれば適切なのかわからないがそんなところからここへ来ている。」
うーん。やっぱりコレジャナイ感が半端ない。
「そうだな…よし。君を例にしよう。」
俺を?はぁもう別になんでもいいよ。
「例えば本来、君はこの瞬間、私のいた世界へ行くことが出来る。」
うん?何を言っているんだ。そんなの無理に決まっているじゃないか。
「おいおい。さっきから言ってるじゃないか。すべては意識によって成り立つと。」
やれやれといった表情でこちらを見てくる。くそ、本当に腹立つなー。おっさんはそんな俺の心情も知らず続けてくる。
「この世界では異世界なんてものは空想の産物で行ける訳がない。そんなもの、あり得る訳ないと。」
あぁ。そうだな。悲しいけれども。それが現実だ。
「現実。そう君は現実という言葉を使った。現実とは何か。それはこの世界の人々の意識の総和だ。」
うん?なんだそりゃ?すまん、もう全然訳が分からない。どうしたものかと考えていると、おっさんは部屋の中の一点を見つめて驚きの表情をしていた。
「【パリピオン】ではないか!」
あー。やっとすっきりした。このおっさんの恰好どこかで見たことがあると思ったら【私、リーダーやります】のメカニックマンの格好だ。なるほど、道理で見覚えがあるはずだ。そして、このおっさんが、ただの嘘つきのコスプレイヤーだということが今確定した。くそ、俺のもしかしたらという純粋な心をもてあそびやがって、もし百歩譲ってメカニックマンだとしたらコネクトリングでどことでも交信できるだろうが。まったく。親父に連絡だな。スマホに手をかけた俺はその時、思いもよらぬ光景を目にした。なんとおっさんの右手首が光出し、コネクトリングが現れたのだ。コネクトリングとは【私、リーダーやります】の作中に登場する銀のブレスレットのようなものでまさしくコネクト、繋ぐために存在している。このコネクトリングは対になって作成され、装着者同士の意思に依ってお互いを引き合わせる。それは文字通り空間をも超える。作中では、このコネクトリングによって主人公たちのピンチにメカニックマンが颯爽と助けに来たり、単発回の古いコネクトリングでは、老夫婦の思い出を繋いだ。正直、あの回は泣いてしまった。それが今まさにおっさんの右手首に現れたのだ。えっ、本当にどうなってるんだ?このおっさん本当に?いやいやいやそんな訳が、
「おい、どうしてこんなところに【パリピオン】のミニチュアが存在してるんだ?それにこれはまさしくコネクトリング!いったい何が…?」
おっさんは愕然とした表情のまま聞いてきた。俺だって聞きたい。とりあえず俺は【私、リーダーやります】の漫画のことを話した。約8年前に月刊誌で連載が始まった、連載当初から人気を博し、今ではアニメ化、実写化、フィギュア化、スピンオフ化なんでもござれな状態等々…
「8年前?作者は?どんな奴だ?」
作者?あーそういやカバーんとこの著者近影に写真載ってた気がするなー。1、2巻辺りに。とりあえず、本棚から【私、リーダーやります】の1巻を取り出し開いてみる。あーやっぱり。最近の著者近影とは違ってたんだよな、作中の変身ポーズをしてたのも印象に残ってたし。腕を突き出してて…ん?
「おっおい、早く見せるんだ。」
おっさんが俺と漫画の間に入るかのような姿勢で首を寄せてくる。近いっつーの。てかおかしくないか?写真が変化しているように見えるのだ。作者の突き出した腕の手首に銀色の何かが浮かんできているように見える。ん?ん?あれよあれよという間にその何かはまさしくコネクトリングに形を変えた。
「これは誰だ?しかし、これはコネクトリングに違いない。」
誰だ?だとそりゃ作者に決まって、あー原作者は違うのか、ここに写っているのは漫画を描いた人で原作を作った人は違うと答えた。
「うーむ。しかし、ここに飛べばこれを書いた人物にも辿り着けるということだな。」
いや、それは…あっ、でもその理屈は成り立つかもしれない。著者近影のコメント欄に何故、原作者がカメラマン…一緒に写ればいいのに…とある。ただ重要なのはこの写真が撮られたであろう8年…いや7年、それよりはちょっと前、そんな過去に飛べたらの話だ。そんなことができるわけがない。
「君は一緒にこの写真にリングが浮き出るのを見たではないか。」
いやいやそりゃそうなんだけれども。確かに。見たよ、ここに確かに、おや、写真に写ったコネクトリングがゆらゆらとし始めている。これはどういうことだ?
「君の意識がまだこの事実を認めたがっていないのだ。だから実体がふらついてしまうんだ。」
うーん。待て。それは重大な事実じゃないか。この写真のリングがふらつく。それは本当に俺の意識が世界を変えてしまえるみたいじゃないか。それじゃなんで俺には彼女が出来ないんだ。告白されることがないんだ。
「うーん。君はそんなことを考えているのか、普段…」
やばい、口に出してしまっていたのか。あまりにも変な事態だから思わず、
「きっとそれは想像力の問題だろう。」
想像力?とっさにオウム返しをしてしまった。
「はっきり言って私は君にとっては赤の他人だ。そして君は君自身のことをよく知っているつもりでいる。」
う、うん?つもりもなにも俺自身は俺自身だろうに。
「そこが一番重要なのだ。理解していると思うからこそ、そこから抜け出せないのだ。心に願望があってもその奥には無理だという意識が隠れているのだ。しかし、私に対してはそんな先入観はなく、むしろ漫画のキャラクターならばという意識が奥にあって実体化を手助けしているというわけだ。」
うーん。なんかたまにニュースで見る悪い新興宗教の勧誘に引っかかった気分になってきた。しかし、現実に写真のリングはゆらめくことをやめ、そこに前からあったかのように存在している。どうなっているんだ?
「どうやら安定したようだな。それでは私はここに向かうとする。まさか8年のラグ位置に飛んでいるとは思いもよらなかったが、あいつも味な真似をしてくれるものだ。君には世話になったな。」
まだ事態が呑み込めないでいる俺を置いてきぼりにしておっさんのテンションはさっきから上がりっぱなしだ。あー勝手にしてくれ。
__コンコン。ベランダから窓をたたく音が聞こえた。
「ちょっとー。なんで鍵かかってんのよ。おーい。」
栄子だ。ちょうどいい。このおっさんをどうするか聞くことにしよう。ちょっと待てよとカーテンを開け、窓のカギを開ける。
「もークーラーつけてるからって鍵閉めることないでしょ。私が来るかもしれないのに。」
はいはい。うるさいなー。来るのほんとたまにじゃねーか、それよりこのおっさんどうにかしてくれよ。開けっ放しの窓を閉めながらぼやく。
「おっさん?何言ってんのあんた?誰もいないじゃない。」
は?本棚の前にいるだろ?カーテンを閉めながら振り向くとそこには栄子しかいなかった。あれ?
「あんた何?寝ぼけてんの?まさか英太君のことがショックで…ってかどうせならおっさんじゃなくてもうちょっと夢のある想像しなさいよね。」
そんな馬鹿な。だいたいそんな夢見る訳ないし、夢ならもっと女の子が出てきたりだな…
「全く、そんなことより【私リー】の最新刊借りに来たんだよねー。ついでに前の2冊くらいも持っていくか。」
動転してしまっている俺をよそに栄子は本棚を物色し、目当てのものをつかむと、
「そんじゃねー。」
と窓からそそくさと出て行ってしまった。なんなんだよまったく。えっ、本当におっさんなんていなかったのか?俺そんなに疲れてたっけかなと思いながら本棚の前に立つ。ここでおっさんと漫画の1巻を…本棚の中にはその1巻は影も形もなくなっていた。
翌日、俺は部活終わりに売店横のフリースペースのベンチに座って、剣道部の千葉と調理部の土井の三人で昼飯はどうするか悩んでいた。ふと思い立ち、俺は昨日のことを二人に伝えてみた。二人とも半信半疑といった表情で話を聞いていた。くそ、言わなきゃよかったかもしれない。一通り話したところで千葉が食いついてきた。
「えっ、栄子さんが部屋に来たのか?」
問題はそこじゃねーよ。俺はおっさんが消えたりなんたりを言ってるわけで、
「お前らほんとは付き合ってんだろ?」
だから今はその話じゃねーって、
「でも、見たっていうのが事実だと仮定したら面白いよね。だって、その人消えちゃったってことでしょ?もしかしてほんとに7、8年前に行っちゃったのかな?」
さすが土井。どんな時でも相手の立場に立って話を聞いてくれる。ほんとにいいやつだ。とりあえず、さっきからグダグダと自論を展開する千葉はほっといて土井と話を進めることにした。だろ?でも確かめる手段が思いつかなくてだな。
「うーん。そうだねー。確かめる手段かー。でも、そもそも、過去に遡って過去を変えたら今の僕らってどうなるんだろうね?もし、昨日見たおじさんが実際に過去に行けたと仮定したらその事実は周知の事実になると思うんだよね。だって、おじさんが何もないところから現れるんだよ?8年前の報道環境がいかに今と違うからってさすがに報道される対象だと思うんだよね。」
そりゃ確かに。ってことは丸っと俺の妄想ってことなのか?うーん。それにしては現実感が…
「それならネットで調べりゃいいじゃねーか。」
さすがにいじってもリアクションが無いことに気づいた千葉が話に割り込んできた。ネットで調べるったって何を調べるんだよ?
「だからよ、お前が言ってるのっておっさんが現れて、写真になんだっけブレスレッド?が出て、おっさんが消えたんだろ?」
あ、うん。そりゃほんとに端折って言えばそうなんだが。
「あっもしかして写真にコネクトリングが写ってたら本当ってこと?」
「あれ?そうなるのか?俺としてはそのブレスレッドが写ってなけりゃ本当って思ったんだけど?」
「えっ?だって昨日の出来事は過去を変えたってことだからコネクトリングは写ってないとおかしくないかな?てか、千葉君、【私リー】読んでないの?あんなに面白いのに。」
「あっお前それ、ハラスメントだからな。ハラスメント。」
「ひどいなー。そんなに僕のこと嫌いなの?」
「嫌い?なんでハラスメントで好き嫌いが出るんだよ?」
「えっ?そりゃなんでもとはいかないかもだけどさ、僕が思うに、結局あーゆーのって嫌いな人から言われたりされたりしたら嫌なだけで、多分好意のある人から言われたりされたりしたらそれは違うものになるんじゃないかなって。そりゃさすがに暴力とか一定のラインを越えてるものはもちろん別だけど。関係性の問題を別の問題にすり替えてるから解決しないんじゃないかなって思ったりするんだよね。」
「あー、なんとなく言いたいことわかるかもしんない。」
おっおいお前らなんか話が変わってきてないか?結局どっちが正解なんだ?
「あっごめん、ごめん。でも、そうだねー。実際どっちなら昨日の出来事が本当ってことになるのかな?とりあえず調べてみる?」
そうだな。とりあえず結果がどうあれここまでくると気になってしょうがない。三人全員のスマホで検索を開始した。
「えっととりあえず作者の名前はっと。」
「えっ、そこから?」
「またお前は…厳重注意な。」
「ぷっ、厳重注意ー。」
わちゃわちゃと検索する。こいつらほんとに俺のこのもやもやした気持ちわかってないなまったく。んー。出てこねーな。第一、なんて検索したら一発で引っかかるんだ?とりあえず【私リー】と著者近影で出した画像をスクロールしていく。だめだ。なんか違うワードが必要な気がする。
「なんか絵ばっかだな。」
そうなのだ。この作者はこの著者近影で作中のキャラを題材にした一枚絵をよく描いているのだ。検索のTOPはそれで埋め尽くされている。どうしたものか。
「うーん。全然でないねー。難しいなー。あっ、そういえば……載ってる載ってる。」
ほんとか土井?
「電子書籍で僕読んでるからさ。ほら。」
「おっどれどれ。」
こら俺が見えないだろうが。うん。コネクトリングしているな。してる。で?どっちだっけ?あったらほんとだったけ?
「わかんねーよ。もういいじゃん、夢ってことで。それよりなんか食べにいこーぜ。【一茶丸】のおっちゃんのところにしよう。そうしよう。」
こいつもう飽きてどうでもよくなってるな。しかし、ここまでくるとどうにももやもやする。誰か納得させてくれるような人はいないかね、まったく。
「うーん。ごはん食べながら三人で考える?あっ上田先生は?多分物理室にいるんじゃないかな?この手の話詳しそうな気がするけど。」
上田先生かー。確かに俺にもわかるように説明してくれそうな気がするけど。なんか恥ずかしいなー。賢さが足りないとか思われたらショックだなー。
「お前の考えてること当ててやろうか?」
千葉がいきなり言ってきた。なんだよ?そんな超能力者でもあるまいし、
「まぁ聞けって。どうせお前のことだから、バカだと思われたら嫌だなーとかそんなんだろ。安心しろって多分あの人にとっては世の中のほとんどの人間がバカだから大したことねーって。」
ぐっ。見事に当ててきやがった。そんなにわかりやすいんかな俺って。そりゃ、上田先生は異様な経歴の持ち主だし千葉の言うことはもっともだが。
「僕もそうだと思うなー。いいじゃない聞いてみたら。多分、大丈夫だよ。ものは試しで、ね?」
うーん。
「じゃあとりあえず俺らは【一茶丸】で飯食ってるからなんか進展があったら連絡よろしくなー。」
おっおい。あいつら行っちまいやがった。土井はともかく千葉は飽きただけだな、まったく。どうすっかなー。恥ずかしい気持ちはあるんだけどやっぱり気になるもんなー。俺はいそいそと物理室へ向かった。
コンコン 物理室に入り、準備室のドアをノックする。
「はい。開いていますよ。どうぞ。」
失礼しますと準備室へ入る。ここは何時きても不思議な空間だ。本棚にはよくわからない学術書が並び、校庭から出土した隕石のミニチュア、人体模型、どうやって使うかわからない物理用であろう薬品が棚には保管され、やっぱり用途のわからない実験器具がその近くに並んでいる。上田先生は入り口から一番奥の窓際に設置された机でノートパソコンに向かっていた。
「おー。あなたでしたか。どうしたのです?君が休みの日にここへ来るなんて珍しいですね。どうぞ。」
そう言って、座っていた席の後ろに折りたたんで置かれているパイプ椅子の一つを机の前に出して、俺に勧めた。いや、まぁ。と、言いながら、俺はその椅子に座った。どうやって切り出したものかと悩んだが、来てしまったものはしょうがない。俺は思いきって先生に昨日の一件を打ち明けた。
「なるほど。それであなたは昨日のおじさんとの出会いが本当の出来事なのかを証明したいと。」
そうなんですよ。土井達と考えてみたんですがどうにもしっくりこなくて。そんで、もしかしたら先生なら答えてくれるかもってことになって。とりあえず、先生のところに来た簡単な経緯も加える。
「うーん。証明ですか。なんとも難しい…あっ一人いますね。この話の中に現在も存在する人物が。」
突然、スマホが鳴った。千葉からだ。先生の方を見ると、どうぞと掌を上に向けて気を使ってくれた。すいません。と一言言ってから俺は電話に出た。
『おい、スゲーこと思いついちまったぞ。今どこだ?』
お前、どこも何も先生のところに行くって話になってただろ。どんだけ焦ってんだよ。
『あっ、そーいや、そうだったか。それがよ、スゲーこと思いついちまってよ。とりあえず今試したとこ。』
はぁ?全然話が見えてこないぞ。順を追って説明しろよな。
『おっおー。えっと、あっ替わる?あっそーだな。頼むわ。』
おい、ちゃんと返事を
『もしもし、土井だけど、今、【一茶丸】で御飯食べながらさっきの話してたんだけど、作者に聞けばいいんじゃないかって話になって。』
作者?それはどーゆー意味だ?うーん。先生を見ると微笑んでいるように見える。俺、変なこと言ったっけか?そんなことを考えていると土井が話を続け出した。
『えっとね、実際に今いる人のことを考えてみたんだけど、そしたら、あーはいはい、これ千葉が思い付いたことなんだけど、著者近影のとこの写真に写ってる作者は今もいるよね。』
あー。なるほど。でも、どうやってコンタクトとるつもりなんだ?連絡先なんて知らないしファンレターとかで送っても見て貰えるかなんて、
『それがさ、この作者、SNSやっててさ、それに書き込んでみたらどーかって。…千葉が。』
なるほど。可能性は0じゃないな。なんて書いたら返信くるかな?どんな文章なら答えてくれるかな?
『実はもう送っちゃってて、とりあえずはじめは当たり障りのないように1巻でコネクトリングしてましたか?って送ったんだけど、とりあえず今は返信…』
返信くるんかな。けど、そーか。その手があったか。なるほどな。さて、どーなるもんか。
『ごめん、この案かなり良いと思ったんだけど失敗だったみたい…』
ん?どういうことだ?かなり良い案だと思うんだが、何かあったのか?
『いや、それがさ、このSNSダイレクトに送れなくて掲示板形式なんだけど、この書き込みを見た他の人が反応しちゃってて…とりあえずここのページ送っとくからそれ見てみて。ほんと、ごめん。またなんか思い付いたら連絡するね。』
そう言って土井は電話を切った。うーん。どういうことだ?とりあえず送られてきたページを開く。なるほど、そういう訳か。見てみると、土井達の書き込みから下には、“ほんとだ。やべー。”、“これコネクトリング初登場の何年前だよ、こんな前から練られてたのか。”、“作者神過ぎんだろ。”これをみた別の人の書き込みが大量に出ている。こりゃこの次の書き込みしても作者が話してくれる見込みは薄いな。難しいもんだ。
「どうでしたか?」
とりあえず土井との電話、書き込みの話を先生へ伝えた。
「そうでしたか。実は私の答えも彼らと一緒だったんですよ。」
まさか、
「実際おじさんを見た可能性のある人物はあなたと作者だけとなってしまいますからね。しかし、意識ですか、それは面白い発想だと私は考えますよ。」
先生はおっさんの会話に興味があるようだった。でも、夢かもしれないし。そんな夢の話を真剣にされたとしてもどうしたものか。
「タイムパラドックスという言葉があるのはご存じですよね?」
はい。実際そんな漫画とかはいっぱい読みました。だからこそ、この体験はおかしいってことも理解できる、だけどどうにも納得できないのだ。
「タイムパラドックスというのは、現在から過去に戻って過去を変更した場合、その時点で現在も同時に変わるため、過去に戻ったという現在の存在がなくなる、はて?となる一連の流れを言いますが、そのおじさん、彼はその点についてはなんと言っていたんですか?」
えっーと、なんて言ってたかな。途中途中聞くの放棄してたからな。そこにあると意識すればそこにあるだっけ?違ったかな。うーん。
「恐らくですが、彼は時間をひとつの流れとして見ていないのかもしれませんね。」
あっそれはそーかもしれません。時間を信じるか?とか訳わかんないこと最初に言ってたんで。
「彼はパラレルワールドの住人だとしたら説明がつくのでしょうか?彼は他になんと言っていたんですか?」
他に?まぁ色々言ってた気がするけど、世界はそこにいる人たちの意識の総和で出来ているとかだったかな?よく覚えてないけど。
「意識の総和。なるほど。ある一定の状態を、より多くの人間がそれを真実として捉えることでそれが真実になるということですかね。」
あっ、なんか先生スイッチ入ったな。
「あなたは常識についてどう考えますか?」
常識、常識ですか?うーん。そうっすねー、みんなが思ってる共通の法律みたいな?なんかおかしいな、法律じゃないけどそんなようなものとしかわかんないっす。
「そうですね。常識と一言で言ってもそれを説明するのはとても難しいことかもしれない。けれど、彼の言った意識の総和という単語を使えば、その説明も簡単に出来るかもしれません。ある一定の人間がある出来事に対して一定の認識を共有した際にそれは常識に変化するのかも。」
ふと先生と目があった。ちょっと俺がついていけていないのを察したのか、
「少し例を出して考えてみましょうか。昔の人は天動説を信じていました。私達が立っている地面は動いているとは到底思えない、だから空が動いているのだと。しかし、今の人は地動説即ち地球、私達が立っている地面が動いていることを信じています。」
信じているというかそれが事実だと思うんですが、
「もう少し例を身近なものに置き換えてみましょうか。この高校も含め、多くの日本の学校ではピアスなどの貴金属類の着用は校則で大抵の場合禁止されてますね。」
えっはい。そりゃやっぱり風紀的にも問題があるように思いますし、そもそも学校ってのは学業の場ですし。俺はちょっと見栄をはった。
「ふふ。では、場所を変えて考えてみましょう。海外の学校ではどうか、実はピアスの着用が認められているところがほとんどです。」
えっ?そうなの?確かに海外は自由な感じはするけども、
「海外が自由かどうかは別の問題ですのでここでは触れませんが、ピアスを許可する理由としては宗教上というのが一番大きいです。ピアス一つをとっても常識は場所が変われば非常識へと変わってしまうとても不確かなものなのです。ここまでは良いですか?」
はい。大丈夫です。
「では、その常識の意味について考えてみましょう。日本の高校ではピアスをすることは校則で禁止されています。これは校則を作った人がピアスは駄目だという認識によって作ったものだと考えられます。しかし、問題はこの後です。校則が決まってもそれを守ろうとする人がいなければそれは成り立ちません。」
守ろうとする人?校則なんだから守るべきなんじゃ?
「では、あなたはもしこの高校の校則に、そうですねー、校内では全裸で過ごしなさいとあったら従いますか?」
いや、そりゃさすがにおかしいでしょう。
「そうですね。今のはあんまり極端でしたが必要なのは周りの同意ということなんです。」
うーん。
「周りの同意は同時に従わない者に対して圧力をかけるようになります。そうして段々と同意する人間が増えていき、やがてそれは常識という言葉に置き換えられるのではないでしょうか。」
うーん。分かるような。分からないような。
「世界は意識の総和。なんとも素晴らしい響きではないですか。」
そうなのか?それはそんなに美しいことなのか。今の社会って結構ろくでもない気がするんだが、
「おや、あなたはこの理論に懐疑的ですか?」
俺は正直に俺自身の思いをぶつけてみた。ニュースとか色々しんどいことばっか言ってるし、不景気だなんだって言って、有名な大学に行っても、就職もままならないとか、けど、夢を持てって言われて、結局、今は学校で勉強してるけど、ほんとにやりたいこととかわかんないし、楽しいって思えないわけじゃないけど、俺自身特別ってわけじゃないし、色んなことが出来る人はいいなぁって、かっこいいなって思うけど、それは俺じゃないし、それに俺はそんな正しい生き方が出来るほど立派な人間じゃないし、それだったら、別に俺が生きてる意味も分かんないしと気付けば、支離滅裂にそんな話までしていた。なんで俺こんなこと言ってるんだろう。
「難しいですね。今の社会はとても不思議な世界なのかもしれませんね。右を向けば多様性を求める社会の一つの波があり、左を向けば、そういった多様性として受け入れられるべきものも異端だと言って断罪する波もある。そうですね。今のあなたたちは本当に難しい立ち位置にいるのかもしれません。多様性と同一化まったく逆の意味合いの言葉を両立しなくてはならない。」
やばい、なんでだろ。なんか涙が、悲しいわけでも何でもないのに。
「きっとあなたは今混乱しているのです。どうしたら良いかわからない言葉に出来ない思いが急に出口を見つけて溢れてしまったのでしょう。」
俺が落ち着くまでのしばらくの間、先生は待っていてくれた。よし、大丈夫っす。
「落ち着きましたね。どうしますか?今日はこの辺で終わりますか?」
いや、なんか泣いたらすっきりしたんでこのまま続けたいっす。世界は意識の総和についてですよね?あれ?そんな話だったっけ?なんか違うような気もしないでもないが俺は先生の話を聞くことにした。
「では続けましょう。世界は意識の総和。この言葉は私にとても突き刺さる言葉でした。あなたにはなんと感謝を伝えていいか思い付かないくらいです。」
はぁ。先生がこんなに感情を露にして嬉しそうにしているのを初めてみた。そんなに驚くことなのかな。よくわからん。けど、先生に役に立てたと思うととても誇らしい気持ちになった。
「それでは世界は意識の総和で成り立っているという説について深く話を進めてみましょう。もしかしたら私の考えはあなたの会ったおじさんの考えとは違うかもしれませんが、それでもいいですか?」
はい。大丈夫です。正直おっさんと出会ったことを証明する方法を聞きにきたということを思い出したが、まぁいいや。とりあえず先生の話を聞こう。
「あなたはお金についてどう思いますか?」
えっ?お金ですか?どう思うかってそりゃめちゃくちゃ大事なものじゃないですか?俺はいまいち先生の質問の意味が汲み取れないでいた。
「では、お金そのものはどうですか?お札自体の価値はどんなものなんでしょう?」
あーやっと先生が言いたいことがなんとなくわかった気がした。お金には価値があると思うがそのお金自体はただの紙で価値があると思っているのは人の意識がそうさせてるってことが言いたいんだ。
「気づきましたね。即ち、ものの価値は人が決めるものなんです。そして、物理の世界ではその価値が一定でないものが確かに存在します。」
価値が一定でないもの?
「おじさんの話にも出てきた光です。光は観測の方法によってそれが波であったり、粒子だったり、はたまたその両方だったりと変化します。もしかしたら、まだ解明されていない要因がそうさせるのかもしれませんが、もし、それが意識の総和の成せるものなら面白いと思いませんか?」
ここで意識の総和が出てくるのか?えーっとお金の価値は意識が決めてるだろ、これはなんとなくわかる。んで、物理の話になって、光が色んな形をしてるってなって、んーもしかして人の光に対する意識がみんな違ってどれも多数にならないから色んな形をとるって言いたいのか。なんかやっと先生が今まで話してくれたことが繋がった気がした。
「まぁとてもきちんとした知識がある人間が聞いたらとんでもない暴論だと怒られるかもしれませんが、意識が物事を決めているのは紛れもない事実であることは間違いありません。あなたの周りには恋人のいる友達がいますか?」
いるなー。昨日めちゃくちゃ嬉しそうにしてやがったな。なんか腹立ってきたな。
「ふふっ。その彼にはきっと世界が輝いて見えているのかもしれませんね。おそらく、あなたが感じてる世界とは確実に違うはずです。」
あっそれはそうかもしれないです。俺が見てる世界とあいつが見てる世界は違うかもしれない。
「きっとあなたがおじさんと出会ったのは紛れもない現実です。でなければ、こんな話なんてそもそもしなかったでしょうし。」
確かに。俺の頭の中には意識の総和なんてものは存在しなかったし、先生とこんな話をするなんて思ってもみなかったことだ。だとしたらあれは本当に現実だったと証明したことになるのかもしれない。
「ふふ。納得できましたか。私はそれがすべてだと思います。今のあなたの気持ちが納得した形、それが真実なのです。」
不思議な感覚だった。今までの自分ではない晴れ晴れとした気持ちが心の中にあるのに気づいた。
「そうですね。では、ついでにこんなことを考えてみてはいかがでしょうか?」
そう言った先生は突然腕を上げた。
「あなたは今どう思いましたか?」
どう思ったかって、そりゃ先生が腕を上げたとしか、
「確かに腕を上げました。しかし、それはどんな風にですか?」
こう身体に真っ直ぐ縦に、泳いでる時の一番伸ばした時みたいに…
「そう。腕を上げたと認識してもそれは縦になのか横になのかはたまた肘を曲げて、肘より下を上に向けた状態なのかもしれない。何が言いたいのかというと自分の言葉で意識してみてほしいということです。」
うーん。すごく難しい気がしてきた。
「すぐにできることではありませんが、もしかしたらそうすることによって何か君の世界も変わるかもしれません。少しずつでもいいので試してみてください。きっといい方向に変わりますよ。」
はぁ。半ば半信半疑だったが俺はやってみますと答えた。先生に色んな話をしたからかもしれなかったが、とりあえず実行してみようと思った。その後俺は軽く先生にお礼を行って物理室を後にした。学校を出る頃には、平日なら6限終わりのチャイムが鳴り響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます