百二十三話 シャリア王国の闇・一

 ガーマミリア帝国の北部にある町ノースへとヴァルアスが帰ると、特に問題なく唯一の従業員であるブラン・ユスティーツによってオレアンドル商店は運営されていた。

 

 始めたばかりの商売が、横槍によっていきなりとん挫するようなことがなかったことにほっとしつつ、近隣の依頼を流れの冒険者へ斡旋したり自分たちでこなしたりしながら二週間ほどが経過した。

 

 つがい――つまり人族風にいえば妻となったティリアーズについては、露骨には出さないものの明らかに不機嫌だったが、いきなりおいていくことになって不安にさせた自分が悪いとヴァルアスは根気強くなだめ、近頃はようやく安心させることができたようだった。

 

 そんな近況で、立場もあって人族の集落に住み着く訳にはいかないティリアーズが、一日の間を置いてノースに来た時に、ヴァルアスはようやく切り出すことにする。

 

 「山脈砦の方は最近は問題ないようだな?」

 「ええ、そうね。ヴァルと私たちが勝ち取った平和だから、万が一がないように慎重にはしているけれど。最近はあんなこともあったことだし……」

 

 ティリアーズの言う「あんなこと」はもちろん、いなくなったはずの巨人族が現れた事件のことだった。

 

 偶然休眠状態で埋まっていたものが復活しただけの不運ではあったが、気を引き締め直すには十分な出来事といえる。

 

 それに人族とは時間感覚の違う竜族たちにとっては、そもそも五十年という月日はまだ気が緩むほどの長さでもなかった。

 

 「そうか、まあとにかく忙しくはないんだな。なら一緒にシャリア王国のスルタへ行かないか?」

 「スルタ……どうして?」

 

 ティリアーズの元から勝ち気な印象のある目が、さらに鋭さを増す。

 

 ヴァルアスがノースへ来るまでの経緯は、もちろんティリアーズには話してあった。スルタを発つことになった出来事も……。

 

 そのためティリアーズは、何か良からぬことが起こったのかと勘ぐっていた。

 

 だがヴァルアスは少し慌てた様子で手の平を正面に向けて左右に振り、「そうではない」と身振りで示す。

 

 「挨拶だよ。前に手紙を書く時にも話したが、ワシの娘がスルタで冒険者ギルドの副ギルド長をしている」

 「そっか……そうね。私にとっても娘、ということになるのよね?」

 「ああ」

 

 少しの不安が混じった幸せそうな声での問い返しに、ヴァルアスはすぐさま頷いてみせた。

 

 「あ……」

 

 そこで、また別の懸念に思い至ってしまったティリアーズが小さな吐息のような声で悲嘆する。

 

 「私は……無理だわ。ドラゴンだから…………。こうしてノースの町まで通っているだけでも、皇帝が見て見ぬふりをしてくれているというだけなのだし」

 

 前提として、竜族は人族よりも強く、それ故に立場も上といって差し支えなかった。

 

 しかし種族としての竜族が人族との軋轢や不和を望まない以上は、強者の側にもそれなりの振る舞いが求められる。

 

 要するに使者という立場のティリアーズは、好きに人族領域内を移動することができないし、今の状況もヴァルアスの弟子であったガーマミリア帝国皇帝のデイオンが気を利かせているに過ぎなかった。

 

 だが悲しそうにするティリアーズの肩に手を置いたヴァルアスの表情は明るい。

 

 いや、「してやったり」というどこか子供じみた顔、とも見えた。

 

 「大丈夫だ、デイオンはワシらが娘に会いに行くくらいで文句などいわんし、シャリアのミリオンブルム王も同じだろう。なにより、一番難癖をつけてきそうな相手からは協力を取り付けてきている」

 「あ、え? ……そうなの?」

 「そうだ」

 

 人族主要国家三国のうちで、一番難癖をつけてきそうな元首といえば、もちろん古ダヌキことタキ・レンジョウインにほかならない。

 

 だが最近アカツキ諸国連合へと出掛けて帰ってきたばかりのヴァルアスからの言葉は、まるでそもそもそのために行ってきたのだとでも思えるほどに都合が良いものだった。

 

 あるいは、向かうと決まった時からヴァルアスの頭にはここまでの考えがあったのかもしれないが、その場の思い付きで行動していたとしても違和感はない。

 

 どちらにしても、つがいとなったばかりの――つまりは新婚の――二人で家族に報告に行く、ということを誰はばからずにできるということが、大事なのだった。

 

 「それじゃあ、行きましょうか。私達の娘に会いに」

 

 今度は幸せだけを声と表情にのせて、ティリアーズはヴァルアスの手を取ってそう告げる。

 

 こうしてヴァルアスは、“老害”として背を丸めて去った交易都市スルタへと、今度は洋々と戻ることにしたのだった。

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