百二十二話 老獪
キキョウへ戻ったヴァルアスがすぐに確認しに向かうと、ゼツは既に何かの研究開発に取り掛かっていた。
ウォーターリザードの背びれをつつきまわしたり、帳面へと何かの数字を書き込んだりしているのをみてもヴァルアスには何をしているのか見当もつかなかったが、それを見守るサラサの表情を見る限りではうまくいっている様子だった。
それだけ見届けたヴァルアスは今、再びキキョウの庁舎へと訪れている。
「……むう」
二階の応接室前で、ここまで案内してくれた職員が立ち去る背中を見ながら小さく唸った。
ここへきてすぐに待ち構えていた職員に案内され、そして既に応接室にて忙しいはずのタキが待っているという。
情報を把握されていることなど驚くような事ではないが、それを隠そうともしないふてぶてしい態度に改めて“古ダヌキ”と呼ばれる理由を感じたのだった。
コンッ
「どうぞ」
冒険者式の一回ノックをすると、ヴァルアスが続けて声を掛けるよりも前に、部屋の中から入室を促される。
すぐに扉を開けたヴァルアスが中へと入ると、椅子に座るまでの間ずっと長机越しのタキは背筋よく座った姿勢のままで薄笑いを顔に貼り付けていた。
いかにも商人らしい営業笑いといった表情ではあったが、つまりは機嫌がいいらしい。
「報告の必要はあるか?」
「阿呆。あるにきまっとるやろ」
情報収集能力を見せつけるようなことをしてきたことへの嫌味のつもりで言ったヴァルアスだったが、呆れたような態度で返されて「ふん」とひとつ鼻をならした。
「順調に、とは言い難いがまあうまくいった。あの後サラサと話して――」
結婚話に抗議するためにこの国へ来てから、結局は冒険者として依頼をこなした話をヴァルアスは淡々と報告していく。
サラサの恋人であるゼツとその開発する魔導具。必要な素材。ウォーターリザードを討伐するためのススキへの遠征。そこで会った三人の冒険者に先を越された話。そして唐突な妨害と、暴走魔獣の討伐。
熟練の冒険者による手慣れた報告を、老練の商人は時に質問を挟みつつも聞いていった。
「で、そのまま帰ってきはったんか?」
妨害の首謀者について、サラサは仙丹会ではないかと見立てていたということまで話し終えたところでタキが告げた言葉に、ヴァルアスはほんの少しだけ眉を動かす。
「仕事に邪魔をいれないでくれという“苦情”を入れに少しの寄り道はしてきたが……。まあそれはワシの個人的なことだ」
「…………さよか」
しばらく無言でヴァルアスの言葉を吟味していたタキだったが、口にした言葉はそれだけだった。
色々な利害を計算しつつ、当然把握はしているのであろうヴァルアスによるダリル・ロクマへの暴挙に一枚噛むかどうかと懊悩したようだったが、結局は知らん振りに決めた様子。
だがそれこそヴァルアスからすればどうこういうことでもなかったために、そのまま話を進める。
「ではこれで結婚話はなし、ということで構わんな?」
「当たり前や、なんで可愛い孫娘をこんな嫌味ったらしいジジイにやらなあかんねん」
「この古ダヌキが……っ」
開いた扇子で口元を隠しながら、ここぞとばかりにかかと笑って言ってくるタキをヴァルアスは全力で睨みつけた。
だがダリルとは違ってヴァルアスの迫力にまったく怯んではくれない相手に疲れてきたところで、今度はタキの方が話を進める。
「報酬は?」
「ん、ああしっかりとサラサから受け取ったぞ」
先ほど様子を見にいった時に受け取った、ぴたりと相場通りの金額の金貨と銀貨が入った袋を見て、タキは満足そうに頷いた。
「それはそれでええとしてな。あての方からも孫の世話を焼いてもろうた礼をしとかんとあかん」
「お、おう……?」
殊勝とも受け取れるタキの態度に、ヴァルアスが露骨な警戒心を示すと、扇子を畳んでぱちりと手の平を打ちながらタキは続ける。
「そう警戒しなさんな。まあゆうてこの件に関してはあてから形に残るモンは渡せへんから……貸しっちゅうことにしといてや」
もうすぐ引退するとはいえ、アカツキ諸国連合の会頭であり、桔梗会の商会長でもある人物への貸しであるなら、いち冒険者が受け取る追加報酬としては破格の内容といえた。
「なら頼みがある」
「……?」
ヴァルアスからの即座の返答にタキは首を傾げる。互いに老いた身であるとはいえ、先の備えにとっておくものではないのか、と。
だがヴァルアスの方にためらいはなかった。
頼みたい内容が、ちょうどどのように切り出したものかと内心で悩んでいたものだったからだ。
「ガーマミリアへ帰った後に、ワシはまたシャリアへ向かう。その際にはティリアーズも連れて行くつもりだが……、騒ぎを起こさないでくれ」
「はぁん」
納得すると同時に、タキはにやりと頬を歪めた。
ヴァルアスは人族の誇る英雄であるし、ティリアーズは竜族の使者だ。政治的にも軍事的にも移動するだけで問題となりかねない取り合わせだが、代表会談の参加者であり、商人の頂点でもあるタキが静観する態度を殊更に見せれば、世のうるさい人間の大半は黙るしかなくなる。
そしてシャリアは、つがいを得る前のヴァルアスにとっては唯一の家族であった人物がいる国だった。
確かにタキにしか頼めない大事でありながら、可愛らしい願いでもあることをいってきた老英雄のわざとらしく不機嫌そうに歪めた顔を見て、タキとしてはいやらしい笑みの一つも浮かべずにはいられない。
「承知した。少なくともあての手が届く範囲にいる連中の首根っこは掴んどいたる」
「ああ、頼んだ」
こうして、青天の霹靂のごとく告げられたヴァルアスの結婚話から始まったアカツキ諸国連合への遠征は、結果としてヴァルアスにとって悪くない土産とともに終わったのだった。
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