八十二話 女傑は微笑んでいた

 テト・オレアンドルは知る人ぞ知る女傑だ。

 

 英雄の娘であり、交易都市スルタ冒険者ギルドの副ギルド長。現都市長で貴族のザンク・スルタ・ソータとも親しく、さらには裏社会への独自の伝手まで持っていると噂されていた。

 

 そんなテトはギルド長の交代があって以降、忙しく働いている。

 

 英雄として名声があり、老いてもなお戦闘能力がずば抜けて高い彼女の父親がスルタを去った影響を出来る限り小さくするためだった。

 

 「何とかなっているようで、安心したよ。最近ようやくまともに眠れるようになってきてね」

 「何とかなっている、じゃなくて、何とかしているのよ。私が」

 

 ザンクの情けない言い分に、テトはぴしゃりと音が聞こえそうな声音で返す。

 

 だがテトもザンクが実際にどれほど心を砕き、民衆の安寧のために努力してきたかを知っているために、その目には全く険はない。

 

 それに親しいザンクが相手ということで冗談交じりに「私が」などとは言うものの、今日もこれからザンクを迎えて開く定例報告会に参加するギルドの主要な面々全員の努力あってのことだと、当然理解している。

 

 カチャリ

 

 テトが丁寧にギルド長室の扉を開けると、古い蝶番が小さくはない音を立てた。

 

 「これは、よし……っと」

 

 そこでは、現スルタギルド長であり、ヴァルアス追放の首謀者ヌル・ダックが扉が開いたことにも気づかず書類に向かって四苦八苦している。

 

 テトからすればたどたどしいにも程があるという慣れない手つき。だが体を動かすこと以外には適正がないと思われたこの新ギルド長は、ベテラン勢にとっては意外なことに業務には真面目に取り組んでいた。

 

 「ちゃんとやっているようね。進捗も……まぁ悪くはないでしょう」

 「はは……ほどほどに休憩も挟むんだよ」

 「あ、都市長……、ありがとうございます」

 

 今ヌルが処理を終えたばかりの書類を手に取って、テトは彼女なりに褒める。

 

 そして続けてザンクも労う言葉をかけると、二人に気付いたヌルが小さく会釈をして礼をいった。

 

 こうした小さな礼儀も最初は疎かにしていたヌルだったが、テトが厳しいながらも丁寧に指導すると素直に従い、最近ではギルド長として拙いながらも対外交渉を任せられる最低限にはなりつつある。

 

 テトはヌルに対してきつく当たって厳しく指導し、それを見た若手冒険者の中には父親を追い出された復讐だと陰口をいうものもいた。

 

 しかし実際のところテトはその件はそれ程根に持ってはいない。

 

 組織運営に支障をきたしたという点において腹を立ててはいたものの、追い出したこととその際のやり取りについては、何よりヴァルアス自身が不承不承ながらにでも受け入れたことだった。

 

 それを後々まで引きずり、まして嫌がらせをしたなどとなれば、何よりヴァルアスが怒るだろう。

 

 ではなぜテトはヌルを殊更に厳しく指導するのか?

 

 単純にヌルの能力が現時点で不足しているためにそれが必要だから、というのが一つ。

 

 魔獣も悪人も若いギルド長が育つのを悠長に待ってなどくれず、むしろ弱点と見られれば即座に付け込まれる。

 

 だから優しくのんびりなどできようはずがなかった。

 

 そしてもう一つの理由がギルド内のベテランへの配慮だ。

 

 ヴァルアス追放については、全面的に若手の勝利だったといえる。

 

 ちょうどギルドの幹部陣が出払っていたこともあり、ベテランたちの言い分は表明する機会すら与えられなかった。

 

 しかしベテランたちはギルドが揺らげば困るのは魔獣や盗賊に襲われる弱い人々であることを熟知しているために、ヴァルアスが抜けて弱体化したギルドをそれ以上混乱させるようなことなどできない。

 

 結果として内心に不満を溜めるばかりのベテランたちの溜飲を下げるために、これ見よがしにギルド内でヌルを怒鳴り、叱り、鍛え上げてきたのだった。

 

 言ってみればヌルをギルド安定のための生け贄にするような仕打ちではある。

 

 「よし!」

 「頑張っているところ悪いけど、それ違う」

 「あぁっ」

 

 しかし今も厳しい指摘を受けたヌルは、あの時のようなぎらぎらとした瞳の光を失ってはいない。

 

 テトの指導によって確かに冷静さや視野の広さを見に付けて人が変わったように言われているものの、芯の部分は折れていないように見えた。

 

 「(それに、私の指導の“意図”も気付いているうえで甘んじて受け入れているようだし……)」

 

 おそらくヌルはテトの考えを気付いて受け入れている。そしてテトはそんなヌルの思考に気付いたうえで素知らぬ顔で続けている。

 

 それは両者の目的が結局は一致しているからだった。

 

 つまり、冒険者ギルドを維持し、それによってこの地域の人々の暮らしを守る、ということ。

 

 滅茶苦茶な部分の目立つヌルにしても、そこは間違いないと信じていればこそ、テトも日々迷いなく副ギルド長業務に励めるのだった。

 

 「……」

 

 そしてそうなるとテトの心配事は一つくらいなもの――旅に出て以降噂でしか聞かない父親の動向だ。

 

 だが、それは意外にもあっさりともたらされる。

 

 「おや、この字は……?」

 「ああ、そうだ。ついさっきテトさん宛てに手紙が届いていたんですよ」

 

 ザンクが不意に目を止めた封筒をヌルが説明すると、テトは慌てて開封する。ザンクが気付いた筆跡の主にテトもすぐに気付いたからだった。

 

 「父さん! まさか手紙を書いてくるなんて!?」

 「意外だね」

 

 まめとは言い難い性格をしたヴァルアスからの手紙という要素に、テトは不安を煽られる。

 

 「…………ふふっ」

 

 だが読み進めるうちにその表情は柔らかくなり、最後は小さく吹き出しまでした。

 

 「どうだって?」

 

 気になって仕方ないとやや身を乗り出したザンクが聞く。

 

 「この内容だとあなたのお父上にも手紙を送っているでしょうけど、結婚したそうよ」

 「えぇっ!!」

 

 聞かされたザンクは驚いたり喜んだり訝しんだりと表情をころころ変えていく。

 

 だがティリアーズの事を何度か聞かされていたテトからすると、旅に出たことも含めて合点がいったというのが感想だった。

 

 「父さんも……そっかぁ」

 

 別に父親が身を固めるのを待っていたという訳でもないが、自身も独り身であるテトはじっと目の前の現都市長を見る。

 

 「えぇ……そうか、ヴァルおじさんにもそういう相手が……、いやそれはそうか…………ん? どうかしたのかい?」

 「ふふっ、別になんでも? まだしばらくはね」

 

 この場では傍から見ていたヌルだけが何とも居心地の悪そうな表情をしていたのだった。

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