八十一話 簒奪者が決意を新たにしたとき

 一部の人間たちの不安とは違い、交易都市スルタは今日も平和を維持している。

 

 それはしばらく前に出先から返ったタツキ・セイリュウが目にした通り、冒険者ギルドで起こった騒ぎの前後で結局はその地位を維持した人物の手腕によるものだった。

 

 そう、冒険者ギルドの副ギルド長を務めるテト・オレアンドルが、今日もスルタとその周辺の人々が魔獣に怯えず過ごせるようギルドを差配している。

 

 「はぁぁぁぁ……」

 

 であればギルド長室の執務机に顔を押し付けて大きな溜め息を吐いている若いギルド長が何もせず楽々と過ごしているかというと、そんな訳もなかった。

 

 「ああ、こんなことしている場合じゃない。テトさんが戻る前にこの書類だけは何とかしておかないと」

 

 山と積まれた書類との格闘を再開したスルタの現ギルド長であるヌル・ダックを特徴づける逆立つ金髪は、艶がなくなりつつあるだけでなくその量まで減りつつあるように見えている。

 

 ほんの少し前までの、伝説的な英雄である前ギルド長が相手ですらひるまず睨み据えた輝きの強い双眸も今はすっかり落ち着いているが、それでヌルが衰え弱くなったかというと、全くそんなことはなかった。

 

 「んっ、と……これは……」

 

 手を当ててこきこきと音を鳴らすその首は冒険者らしいたくましい太さを保ったままであるし、その力強い腕もそのままだ。

 

 それはヌルが今も冒険者として現場に出ることはやめていないからだった。

 

 そして魔獣や時には野盗などとも戦う中で、ヌルは以前よりも明らかに成果を出すようになっている。

 

 身体能力や戦闘技術において強くなったからという訳ではない。

 

 全く慣れない事務仕事でテトに叱られ、時には助けられることで、ヌルは人には強みも弱みもあって、補い合うことで集団として強くなることを知ったのだった。

 

 そのことが戦闘時においても視野の広さと連携の強化につながり、さらにはギルド外の人間との交渉や情報収集時にも良い効果を及ぼしている。

 

 スルタ冒険者ギルドのベテランたちからすれば何をいまさら、ということだ。

 

 だが生まれ持った腕っぷしの強さのために早くから若手を率いるような立場となったヌルにとっては、それを実感とともに学ぶ機会というのが初めてなのだったから仕方がない。

 

 「これは、よし……っと」

 

 そして、たどたどしく書類に署名をしたり、書き込みをしたりするヌルは弱音も文句も吐かずに慣れないギルド長業務に取り組んでいた。

 

 いや、あからさまに態度には出ているかもしれないが……、少なくとも露骨な泣き言を言ったりはしてこなかった。

 

 それはヌルが今だからこそヴァルアス・オレアンドルという老英雄の果たしていた責務とその重さ、そして何より大変さが分かるからこそ、それを奪った自分は何を置いてもこの務めだけは投げ出してはならないと考えているからだ。

 

 そして――

 

 「ちゃんとやっているようね。進捗も……まぁ悪くはないでしょう」

 「はは……ほどほどに休憩も挟むんだよ」

 「あ、都市長……、ありがとうございます」

 

 ギルド長室へと入ってくるなりヌルが処理済みの書類を確認し始めたテトは、スルタ都市長であるザンク・スルタ・ソータをともなっていた。

 

 ギルドは都市の傘下にある組織ではないが、密に協力している。

 

 そのため都市長が視察や会議のために訪れることは頻繁にあり、今日も最近の魔獣出現状況について定例報告会をする日だった。

 

 そしてそういった機会があると、ザンクは四苦八苦するヌルの様子を見に来て、労いや心配の声をよく掛ける。

 

 実際のところギルド長交代当時はヌルの行いに憤慨していたザンクだったが、日に日にやつれ、それでも奮闘する姿を見て情にほだされたのだった。

 

 それを理解しているヌルは、ザンクのそうした心の動きの理由が、人を率いる苦労を知っているからだということもまた理解している。

 

 ザンクが率いているものは、冒険者ギルドのいち支部よりももっとずっと大きいものなのだから。

 

 結局、ヌルが嫌って廃絶しようとした人々は、彼が思っていた以上に、というよりは気付こうともしなかった部分で苦労してきており、だからこそその経験が重宝されてもいたということだった。

 

 「よし!」

 「頑張っているところ悪いけど、それ違う」

 「あぁっ」

 

 明らかに「悪い」とは思っていない冷淡な声でテトに指摘され、ヌルは今処理を終えたばかりの書類を慌てて修正していく。

 

 だが情けない声を上げてまだぎこちないペン捌きを見せるヌルの以前より落ち着いたその目には、以前と同じ種類の光もまた確かに灯っていた。

 

 「若手が頑張ってこそ組織は強くなる」という考えは、変わらずヌルの中にあり、色々なものが見え始めたからこそ、そこは曲げたくないと決意を新たにしていたのだった。

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