十一話 英雄の残り火・四

 偶々の偶然か鉱夫たちの勘によるものか、幸いにも崩落に巻き込まれた者はいなかった。

 

 あるいは崩落とはいっても壁の一部が崩れたのみで、音の派手さに比して影響範囲が狭かったおかげかもしれなかった。

 

 「う、うわぁっ! なんでここにこんな!?」

 

 崩れた壁を恐る恐ると覗き込んだ鉱夫が悲鳴をあげる。

 

 崩れた壁の先には彼が存在を知らなかった旧坑道、そして存在を予想もしなかった大量のケイブリザードの姿があった。

 

 崩落の轟音、切羽詰まった悲鳴、溢れ出るように現れた大量の魔獣。

 

 それらは屈強な鉱夫の集団をして、容易に混乱を巻き起こすほどの出来事だった。

 

 「あ……うぁ……」

 

 体格も良く、普段は勇気あるモディルにしても、どうしたらいいのか分からずただ呻いている。

 

 「ワシがトカゲを何とかする。お前には連中を頼んだ」

 「――っ!」

 

 簡潔に、力強く告げられたヴァルアスからの言葉にモディルは目を大きく開いて反応する。

 

 緊急時であるからこそ際立つ頼りがいに瞠目したのか、「頼んだ」という言葉に普段からリーダー格として働く自覚が無意識に奮い立ったのか、それはモディル自身にもよくわからなかった。

 

 「落ち着かせんでもいい。とにかく炭鉱から距離をとれ」

 「わかった」

 

 続けてこれも簡潔にやるべきことを伝えられると、今度はモディルもはっきりと言葉にして頷いた。

 

 「お前らあっちに走れ!」

 

 坑道入り口から離れる方向を指差して、反対の腕を大きな動作で振り回しながら仲間たちに向かって叫ぶ。

 

 驚いて動けない鉱夫の背を叩いて発破をかけ、混乱して危ない方向へ走り出す者は頬を張ってでも正気にさせる。

 

 そうして動き始めたモディルの視界の端で、彼にとってはよくわからない老人が、腰のロングソードを抜き放つなりその姿を霞ませた。

 

 ヴァルアスは老いた。

 

 その持久力は若い頃と比べると雲泥の差であり、数日にわたる巨人族との激戦すら休みなく戦い抜いた青年時代とはもはや別人となっていた。

 

 それを自覚するヴァルアスは自身をもはや英雄とは思っていない。

 

 しかし鍛錬を怠らず、技量の面ではむしろ成長を続けてきた今のヴァルアスは、短期的な戦闘に限っていうなら、往時の戦闘力を軽く凌駕していた。

 

 故に常人の目には走り出したヴァルアスは霞んで消えたようにしか見えない。

 

 それは突然に巣が崩落して驚いて出てきたケイブリザードにとっても同じ。

 

 ピギィッ

 

 不快で甲高い断末魔を伴いながら、逃げ遅れた鉱夫を追っていた五体のケイブリザードが同時に両断される。

 

 再び姿を現したヴァルアスは、坑道入り口のすぐ前、大量のケイブリザードの眼前で、悠然と立っていた。

 

 全力で力を込めても若い頃のように地を砕くことはできない。なら逆に力を抜けば速さは増して、その分ひと呼吸で二閃、三閃とできる。

 

 そうした、ヴァルアスにとっては老いへの言い訳として身につけていった技量の行き着いた先が――

 

 「瞬刃五連……ワシの剣閃は一息で五度斬るぞ?」

 

 言い終わる頃には再びヴァルアスの姿が霞み、すたん、すたん、と地を蹴る音だけが聞こえる三呼吸の間が過ぎる。

 

 同じ場所にヴァルアスが悠然と立っていることに周囲が気付くと、ケイブリザードの死体が十五体増えている。

 

 若い頃のヴァルアスは身体能力があまりにも高すぎたために、剣の技量を必要とせず、その尋常ならざる天賦の才を腐らせていた。

 

 しかし皮肉にも老いて衰えたことで、人生で初めて本気で技量を求めることに繋がり、その結果が前代未聞の達人を生んだのだった。

 

 比べるのならヴァルアスは若い頃の方が“強い”だろう。しかし今の方が圧倒的に“凄い”といえる。

 

 「……な、んだあれは」

 

 とはいえ、そんなヴァルアスの経歴など知らないモディルや他の鉱夫たちにとっては、ただただよくわからない内に大量のケイブリザードが死体へと変わっていく。

 

 「おい」

 「っ! なん……ですか」

 

 見る間に外に見える生きたケイブリザードがいなくなると、崩落してできた穴の縁に手をかけたヴァルアスが、遠くから張った声を掛けてくる。

 

 特に年長者に対して突っ張るところのあるモディルも、思わず丁寧な口調で聞き返すと、一瞬だけ苦笑を浮かべたヴァルアスがそこには触れずに言葉を続ける。

 

 「奥を見てついでに全部斬ってくる。ケガ人の確認と、あとワシが戻るまで誰も近づかせんようにしてくれ」

 「そ、そうか」

 

 混乱と畏れが入り混じって微妙に噛み合わないモディルからの返事を満足そうに聞くと、ヴァルアスはそれこそ老人が散歩にでも出かけるような風情で、旧坑道へと入っていった。

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