お菓子の家に、きれいな橋を架けよう(夕喰に昏い百合を添えて10品目)

広河長綺

第1話

もうそろそろ引き返そうよ、と言いたくなって、その言葉を飲み込む。


さっきからずっと、その繰り返しだ。

イチゴショートケーキで構成された廊下を踏み、前をズンズンと進むダネットの背中に、上手く声をかけられない。


「ほら、アリス、はやくしろよ!」

怒鳴りつけながら、ダネットが振り返り蔑視の滲んだ視線を私に向けてくる。

ダネットは性格の強さを感じさせる、キツい目つきと赤髪が印象的な女の子だ。

ショートボブの前髪は長いのだが、その髪の隙間からでも怒りを含んだ眼光が届く。


今もダネットは、板チョコでできたドアの前で足踏みしていた。

苛立ちの蓄積が絶え間ない。そして溜まったら、私に八つ当たり。

この「無限増殖お菓子の家」からの脱出経路を探す探検隊が、出口を探し始めてからずっとこの調子だ。

ダネットの隣では3人目の探検隊メンバー、忍者の阿部さんが、やれやれと言った感じで肩をすくめている。


「わかってるよ。今やるから」

という私の返事を待たず、ダネットは目の前のチョコレートのドアを開いた。

濃密なイチゴアイスの匂いが部屋から溢れ出てきて、一瞬息がつまる。


「お二人とも気をつけて!」阿部さんが、大きな声で叫んだ。「良からぬ気配を感じますぞ」


慌てて目をこらすと、部屋の奥で蝶のような生物がパタパタとホバリングしている。

蝶と違うのは、胴体がモンブランで羽がマカロンでできていることだ。

ここ、無限増殖お菓子の家では、しばしばこういうお菓子魔獣が湧く。


ただ、お菓子魔獣は大抵無害だ。

だから私はそいつを無視して、指輪魔法で橋を作り始めた。

というのも、部屋の中央にヨーグルトの池があるからだ。

このヨーグルトには黒魔術が施されている。触れたら死ぬ。

探検初日に2人、これにやられて死亡した。

かといって、浮遊魔法が使えるものは(今生きている)メンバー3人の中にいない。

だから私の橋が必要になる。


私は右手人差し指にはめた指輪に、全ての意識を集中した。指輪についている青い宝石から眩い光が零れる。その光が魔法マナを物質化しはじめた。ヨーグルトの池のほとりに、橋げたが完成した、その刹那。


奥にいたお菓子魔獣が、こちらにむかって飛んできた。

「ピッ、ピッ、ピッ」というキモイ鳴き声も発している。

しかも速い。トンボのような速度だ。

私たちが油断するのを待っていたのだろう。狡猾だった。


「クラーケン!」とダネットが唱えると、彼女の口からタコの触手のようなものが生えた。

素早く動いて、1体を払いのける。

もう1体の狙いは私だ。

私は、私とお菓子魔獣の間の空間に、大きさ2センチ程の橋を具現化した。

そしてお菓子魔獣がそれに触れたとたん、爆発させた。


間一髪。

あと1秒遅れていたら、やられていただろう。

「ふー」

ため息が自然と漏れる。


安心してその場でしゃがみこんだ私に、「アリスさん、大丈夫ですか」と阿部さんが手を差し伸べてくれた。

顔を上げてみれば、阿部さんの手裏剣が刺さったお菓子魔獣が死体になって転がっている。さすがくノ一。忍術で簡単に対応できたらしい。


キリっとして凛々しい阿部さんの手を取ろうとした時、ぐちゅっという音とともに阿部さんの足が地面にめり込んだ。


当然あり得る。お菓子の家の床は極めて固いショートケーキなのだから。

たまに、硬さがたりない部分があることは知っている。

予想外なのは、お菓子の家がそれを意図的に罠として使ってくることだった。


天井付近になぜか煙があったのだが、その奥にキャンディーでできたシャンデリアがあったらしい。それが、阿部さんが体勢を崩したタイミングで落ちてきた。

忍術が、間に合わない。


「あ、阿部さん!」


気が付くとシャンデリアが阿部さんの体を貫いていた。

「無念です。お二人はどうぞ、達者で…」

この言葉が阿部さんの最期の言葉となり、阿部さんは動かなくなった。


「あぁ、」


部屋の奥にいたダネットは動揺する私を冷たい目で見て、舌打ちをした。「何してるの?先いくぞ」

「先いくぞ、じゃないでしょ」

いくらダネットでも、マイペースが過ぎる。何かしら文句を言わずにはいられなかった。


「あ?」

「阿部さん、死んじゃったんだよ。もうちょっと、こう、リアクションしよーよ」

「死んだ奴のことを考えるのは時間の無駄でしょ」

そう言ってこちらを見やったダネットのは、私の心の弱さを蔑んでいる表情だった。

「死んだやつのことなんて気にせず、進むぞ」


ついていけない。


「もうさ、脱出計画無理でしょ?」

気がつくと、本音が漏れていた。最初5人いたメンバーも今や2人だ。もう限界だった。


「なぜ?」ダネットは不思議そうに首を傾げた。「結局、お前さえいれば脱出はできるだろ」

「でも、私がしたくないんだよ」

「うっせえなぁ」

どこまでも乱暴なんだな、と私は腹立たしく思いながら「なんで、そんなに私にキツくあたるの?脱出の可否が私にかかってるんなら、もっと私を崇めて協力してくださいって頭下げてよ」とダネットに要望してみた。


「私はアリスみたいなどんくさい奴が嫌いなんだよ。嫌いな奴に頭下げたくない」

「そんなに言うんだったらさ」私はさらなる提案をしてみる。「脱出やめれば?」

「言われなくても、私はそうするつもりさ。お菓子は嫌いじゃないしね」

「は?だって脱出計画って」

「脱出するのは、お前」

そう言って私を指さしたダネットは、心底めんどくさそうな表情だった。

「お前の能力でお前が脱出するんだよ。察しが悪いな」

「いやだって、私も出たくないって言ったじゃん」

「お前の意思は関係ないの!私は出たくても出れないんだから。お前がここに残ったら、見てるだけでイラつくアリスと一緒に、私はずっとずっとこのお菓子の家にいなきゃいけない。それが嫌だから、アリスがここを出ろって言ってるの」


驚くほどに勝手な理屈。


「言わせておけば勝手なことばかり言って!!」

そう言って、私がさらに批判の言葉を続けようとした時、視界が急に霞んだ。

「あ…れ…?」


動揺する私を見て、ダネットはどこか満足そうに頷いた。「もう、アリスは覚めてきたな」

「なに、言ってるの?」

「早く外に向かう橋を架けなさい。その方向の橋は架かるから」

「だから、何を…」

私の質問は途中で遮られた。

突然マカロン蝶が部屋の奥から飛んできたからだった。


さっきと同じく、「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ」と鳴いている。

私は慌てて、橋創造魔法を使おうとした。

でも、できなかった。

魔法の源である私の指輪が、いつの間にか洗濯ばさみみたいな物に変化していたのだ。


「何これ」と呟いたとたん、

私の足元の、ショートケーキの床が完全に崩壊した。

胃が持ち上がるような、不快な浮遊感。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ


体が落ちたのだと理解した。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ


もう、ダネットの指示に従うしか、選択肢はない。私は外へ向かう橋を架けた。ダネットの言った通りだった。そちらの方向への橋は作れる。

そしてその橋の上を、思いっきり走った。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ


背後からお菓子魔獣が近づいてくる。

私は、必死に走って、走って、走って、…


その時、私はふと、ダネットは私を毎日虐めてくるクラスメートだったことを思い出した。

ピッ、ピッ、ピッ、ピッ




ピッ、ピッ、ピッ、ピッ

心電図のモニターの音が、私の頭上から聞こえてくる。


気が付くと、ベッドの上だった。

白い部屋の中央で寝ている私の周囲に、多くの大人たちがいる。


セカセカと歩いていた、白衣を着ている医者らしき人が私の枕元で立ち止まった。

「お母さん!こっち来てください」

驚きの表情を浮かべて、医者は私の顔を覗き込んだ。心底ホッとした様子だった。

「アリスちゃんが、目覚めましたよ」


「ああああぁぁぁ!」

ママは涙を流して近づいてきた。涙を流しながら、私の頭をなでる。「アリス!よかった。心配したんだから」

「お母さん?」

「覚えてる?スクールバスがトラックに追突されたのよ」


指輪が嵌っていたはずの自分の人差し指を見てみる。

そこには洗濯ばさみのような器具が指を挟んでいた。

確か、パルスオキシメーターっていう酸素を測るやつだ。事故の時煙とか酷かったのかも。

そういえば、お菓子の家も少し煙みたいなのがあったなぁ。


パルスオキシメーターをボーっと眺めながら、不明瞭な思考で、納得する。

それから私はぼんやりと、横を見た。

ダネットが、人工呼吸器につながれている。口に突っ込まれたチューブがタコの腕に見えた。



ダネットは助からない。

なぜか、確信できた。


私は、どんな気持ちになれば正常なのだろう?

毎日私を苛めていたクラスメートが死んだからヤッターと思うべき?

それとも、お菓子の家から脱出させてくれた命の恩人の死を悼むのが正しいのか。


答えはダネットが教えてくれていた。

死んだ奴のことを考えても仕方ない。

だから私は、ダネットのことをひとまず忘れて、そっと目を閉じた。

静かに眠れることを信じて。

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お菓子の家に、きれいな橋を架けよう(夕喰に昏い百合を添えて10品目) 広河長綺 @hirokawanagaki

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