3/25『海×灰色×墓標』

お題『海×灰色×墓標』


 さざ波の音が聞こえる。

 夜明け前の灰色の世界。

 俺は海にいた。

 まだ、太陽の光がほのかにしか届かず、砂浜は薄闇に包まれている。

「おや、珍しい。朝早くから散歩かい?」

「いいえ。いや、ええ、まあ……そんな感じです」

 俺は通りすがりの老人へなんとなく、歯切れ悪く返事する。

「なんね。迷子かい?」

「……似たようなものです。目的もなくぶらついてたらいつの間にか帰り道が分からなくなってしまいまして」

 ――というのは建前なのだが。

 ぶっちゃけていうと俺は遭難していた。

 居候先である謎野さんの豪邸の庭を歩いていたら道に迷って遭難。

 夜通しで歩き続け、気づいたら山一つを乗り越えて海まで到達してしまったのだ。

 ――まさか、山向こうにこんな砂浜があるだなんてな。

 無論山の向こうには海があることくらい知ってはいたが、まさか自分の足でこの砂浜へたどり着くとは思っていなかった。

「はぁ、うかつだねぇ。まあいいさ。近くのバス停までなら案内しよう」

「ありがとうございます」

 老人の厚意に甘え、俺は夜明け前の灰色の砂浜を歩く。

「もしかして、あんたは謎野さんところのお嬢様の"いい人"かい?」

「ええまあ、そんなところです」

 田舎は耳が早い。なんのかんのでこういうことはすぐに広まってしまう。

 彼らに取ってはご近所のゴシップは最上級の酒の肴だろう。

「ほーっ、へーっ、なんというか、普通の子だねえ」

「ええ、傾き者を名乗るつもりはないので」

「あ、ちょっと変な子だね」

「…………」

 老人の安心したような声に思わずむっとする。

「そう言えば、謎野さんの一族はどんなお仕事をなされているのかご存じでしょうか」

 これは謎野さんの謎に迫る絶好の機会である。が。

「いや、知らんね」

「え」

「わしも知らんよ。なにであんなに金持ってるんだろうねぇ」

 驚くべき事にこの地に長く住んでそうな老人ですら謎野さんの一族の実態は知られていないようだった。

「ちなみに、昔からずっとここらで住んでるんですか?」

「ああ」

「でも知らないと」

「ええ」

「……何かあの謎野家について知ってることはないのですか?」

「ああ、確か奥さんは美人だったなぁ。確か亡くなったはずだが」

 ――謎野さんの母親のことだろうか。それとも、祖母のことだろうか。

 なんにしても、謎野さんが美人なのは親譲りらしい。

「山のてっぺんにあるはずだで。奥さんの墓が」

「……なるほど」

 遭難していたので知り得なかったが、そんなところに墓があったとは。後で調べに行くべきだろう。

「しっかしまぁ、盛大な迷子だにー。謎野さんの家からここまで山一つ分だで」

「は、ははは……なんででしょうねぇ」

 もしかしたら、あの山は迷いの森になってて、人の方向感覚を狂わせる何かがあるのかもしれない。

「でも、そうですか山頂に墓が」

「たぶんだけど、海が見える場所で眠らせたい、ていう旦那様の意向らしいよ」

「なるほどなるほど」

 なんというか、大きな情報はないが、それでも今までで一番謎野さんへ近づいた気がする。

「なんにしても、あれだ」

「はい?」

「あのお嬢様のことは大事にしてやってくれ」

「……と言いますと?」

「いや……ワシの口からはよう言わぬ」

 ――うぉい、もったいぶるだけもったいぶって結局言わないのか。

 思わせぶりなことを言いながらなんていい加減な。

 そこではっと気づく。

「……もしかして、この海でその奥様は亡くなられたのですか?」

「――――」

 黙り込む老人の態度はいろいろなことを想起させた。

 が、これ以上深入りはすべきではないだろう。

 話しているウチに夜が明ける。

 日の光が差し込むと友に俺と老人の顔が赤く染まっていく。

「……朝だ」

「ああ、朝だ。今日も朝が来た。とても良いことだ」

 そう言って老人は海に向かって手を合わせて拝んだ。

「…………」

 俺も老人に習って海に手を合わせる。

 しばらく俺たちは黙って朝日に向かって手を合わせた。

 やはり、この海では何かがあったのだろう。




「今日はありがとうございました」

「ん? 道案内かい?」

「いえ、それ以外もです」

「そうかい」

 老人に最寄りのバス停へ連れられ、俺は礼を述べていた。

 海。亡くなった奥様。墓標。

 何かある。

 だが、それが何か今の俺にはまだ分からない。

 ――また来よう。

 俺はそれだけを決意して始発のバスで帰った。

 いずれまたこの砂浜にくる予感を胸に。




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