3/5『お祝い×きのこ×暁』

お題『お祝い×きのこ×暁』


「――お前は誰だ?」

 扉を開けた瞬間、俺は我が目を疑った。

 部屋の中に居たのは闇そのもののような女子だった。

 黒い髪を大きなリボンで後ろでまとめたポニーテールに白い肌の少女。

 目にした瞬間に美しいと心を奪われ、と同時に警戒した。

 その顔に張り付いていたのは人間らしい感情の感じられない、能面のような薄ら寒い笑み。

「あら、せっかく君に会いに来た女の子をつかまえて、ひどい言い草ね」

「質問に答えろ、お前は誰だと聞いている」

 対峙しただけで、心拍数が上がる。

 これが恋のときめきというやつか。

 いいや、違う。

 これは間違いなく、命の危機に対する防衛本能だ。

 教室で待っていた少女はあくまで笑みを崩さず、自分の対面の席を指さした。

「座りなよ、折野くん。お話をしましょう?」

「…………分かった」

 まるで死刑台へ向かうような面持ちで俺は教室に入り、彼女に相対する形で椅子に座った。

 放課後の教室に、女の子と二人きり。

 何かが始まりそうなムードのただようシチュエーションだが、俺は不思議と自分の身の安全について心配していた。

 目の前の少女は驚くほど美しいが、どこか浮き世離れしていて――まるで次の瞬間に笑いながら誰かを殺しそうな、そんな危うさを感じさせる。

 もし、マンガで言う瘴気というものが実在するのであれば、確実に彼女の周囲に漂っていると確信が出来る。

「初めまして、折野くん。須戸ちゃんの紹介で来た狩屋よ」

「嘘だな」

 この教室に来たのは、先日知り合った須戸という別のクラスの女子に女の子を紹介して貰える、ということでやってきたのだ。俺は面倒くさい事情で一ヶ月以内に彼女を作るチャレンジをしている。

 だがどうだろう、いざ待ち合わせの場所に待っていたのは――これだ。

「なあに、そのさっきからトゲトゲしいわね。まるで毒キノコか何かを見つけたみたいな顔をして」

「今日会う予定の狩屋って女は君のような黒髪美人ではなかったし、雪のような白い肌をしていない。遊び慣れた、茶髪の女の子のはずだった」

「あらそう。その子に会えなくてがっかりしてるの?」

「どうだろうな。少なくとも、君の方が美人だ」

 俺の言葉に謎の女は笑みを深めた。瘴気が色濃くなる。

「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「まさか。君は――俺が今まで見てきた女子で一番綺麗だよ。同時に、怖いけれどね」

「おっかなびっくり、不思議な人ね。女の子に慣れてないのかしら」

「君に慣れている人間なんているのか?」

「なにそれ。これでも私は人付き合いは得意な方なのだけど」

 ころころと笑う彼女。

 確かに表面上はとても愛想良く、話し方も明るい。

 けれども――その瞳には一切の光が感じられない。彼女の瞳の奥には底知れぬ闇の深淵が伺える。

 ――みんなには、分からないのだろうか。彼女のヤバさというものが。

「――狩屋はどうした? まさか殺したのか?」

「ひどいわね。そんなことをするように見えるのかしら?」

 俺は何も答えることが出来ない。

「見えるのね。なるほど、あなたには、私がそう見えると」

「失礼を承知で言うと、そうだな。俺には、君がとても恐ろしい女に見えるよ」

「ふぅん」

 そこで少し彼女は考え込むような仕草をする。

「安心して。実は私も恋人を探しててね。つい、狩屋ちゃんに替え玉をお願いしちゃったの。狩屋ちゃんは今頃元気に彼氏と遊びに行ってるわ」

「……彼氏持ちを紹介されていたのか」

「おそらく、須戸ちゃんはフラレる前提で紹介したんじゃないかしらね」

 最初からカップル成立させるつもりなどなかった、そういうことなのだろう。

「そうか。じゃあ、名乗ろう。俺の名は折野祭人。オレノ・サイトだ。

 君の名を聞かせて貰っても?」

「謎野映子。ナゾノ・エイコよ、折野くん」

 彼女に向き合い、互いに名前を交換した。

 なんだろう、まるで本当にお見合いか何かみたいだ。

 ――こんな恐ろしい女と?

「折野くん。もし、私が恐ろしい女に見えるとしたら、それは折野くんの問題じゃないかしら?」

「というと?」

「他人がどう見えるかって、自分の投影みたいなところがあるもの。怒りっぽい人が他人を見たら、他のひとがみんな怒りっぽい人に見えたり、優しい人からはみんな他人が優しく見えるみたいな。

 友人は人を映す鏡。

 もしも、私が怖いって思うのなら――折野くんの心が何か別のことを怖がってるんじゃないかしら?」

 俺は思わず笑った。

「はっはっはっはっ。毒キノコ女が知った風な言葉を聞くなよ」

「あら、心外ね。これでも君のことを思って話してるのだけど」

「怒りっぽい人が見ても、いつもニコニコしてる人が見ても、毒キノコは毒キノコだよ。怒りっぽい毒キノコか、ニコニコしてる毒キノコか、なくらいの差だ。

 他の男どもはごまかせても、俺はごまかせないぞ。

 君は、危険な女だ」

 俺の言葉に彼女の口の端がにぃぃと上がっていく。

「失礼しちゃうわ。これでも繊細な女の子なのに」

「うそつきの女は好きじゃない」

「潔癖症ね」

「でも、困ったことに多くの女の子は嘘つきだ。いいや、男もそうか。人間は誰だって嘘つきだな」

 俺の述懐に彼女は目を細める。

「本当に、潔癖症ね。とても繊細。そんなんじゃ、誰も好きになれないわよ」

「そうでもない」

 俺は自分の顔を右手で覆った。

「少なくとも、俺は今、君と話しているのが楽しい」

「そう? 嬉しいわ」

「君から漂う退廃的な、破滅的な雰囲気がとても心地良い。まるで、崖の上でタップダンスを踊るようなスリルを感じる」

「スリル? そんなことを言われたのは始めてね。傷つくわ」

 彼女は言葉とは裏腹にふふふっと嬉しそうにほほえんだ。

 果たして本当のところはどうなのだろうか。

 彼女がどす黒い瘴気を身に纏うような女子に見えるのは俺の妄想でしないのだろうか。

 いいや、そんなはずはない。

 俺の心の闇が生み出した妄想なものか。

「――君は、この学校の人間じゃないな」

「どうしてそう思うの?」

 彼女は否定しなかった。

「君のような人間がこの学校に居たら、気づかないはずがない、と、思う。たぶんだが」

 これほどの美人だ。噂にならない訳がない。

 学園のアイドルこと我が高一の美少女、愛取姫子と人気を二分する美少女として男子達の間で爆発的な人気があってもおかしくはない。

「そうかしら。さっきも言ったけど、私、普段は目立たない女なの。教室の隅に居ても誰も気づかないような。まるで幽霊みたいって言われたこともあるわ」

「それは――」

 ――怨霊みたい、て意味じゃないのか。

 と口に出かけたが流石に黙り込んだ。

 思ってても言うべきではないこともある。

「分かったよ」

「へぇ? 何が?」

「これ以上話しても、何も分からないってことが」

「そう」

「ああ、終わりにしよう」

「もしかして、私は振られたのかしら?」

「まさか」

 俺は大きく息を吸った。

 深呼吸。こんなにも緊張したのはいつぶりだろうか。

 俺はいつだってふてぶてしくて、どこでも緊張しない男なのだが。

 それでも、この時ほど緊張したことは他に思い出せない。

「君さえ良ければ、俺の恋人になって欲しい」

 言った。

 言ってしまった。

 こんなにも妖しくて、危なげな女に俺はとち狂った言葉を告げていた。

 彼女は――。

 口元に手を当てて、驚きの表情を浮かべていた。

「……そんな」

「答えを聞いても?」

「……理由を聞いても?」

「君のことを放っておけないと思った」

 ――色んな意味で。

 目の届くところに置いておかないと、彼女は何をしでかすか分からない。

 そんな危うげな雰囲気に、スリルに、俺は根負けしていた。

「ふふふ、じゃあこれからデートしましょう。お祝いに。エスコートを任せても?」

「悪いけど、俺には女の子を楽しませるセンスなんてない。君の趣味も何も分からない」

「そうね。じゃあ学生らしく、喫茶店でも言って、朝まで語り明かしましょうか」

「暁の時刻まで語り明かすのは、男女でやることじゃないんじゃないか」

「男女だからこそいいんじゃない」

 ふふふふ、と彼女は不敵に笑う。

 美しいのに、不思議と彼女の笑みはえもしれぬ不安をかき立てさせる。ただただ不穏な笑み。

 不思議とそれが癖になりそうだ。

「悪いが、俺は健全な男子高校生だからな。付き合うのは夕方までだ」

「その後は?」

「……スマホで声くらいなら聞いてあげるよ」

「それは素敵な提案ね」

 俺の言葉に彼女は微笑みながら、俺の手を握った。ひんやりと冷たい。まるで冷水でも浴びせられたかのような、感触。

 まるで俺の身体から熱でも奪おうとするかのように彼女は俺の手を強く握りしめ、引っ張った。

「じゃあ、行きましょう。私達の初デートに」

 かくて俺に初めての彼女が出来ることとなった。

 それが何をもたらすのか――今の俺にはまだ分からない。




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