10
巨大な体躯を持つスパイアントは自分の前に現れた人間に興味を持たなかった。この人間は脅威になるものは何も持っていなかった。小さな手斧を持っているがリーチはほとんどない代物で、彼を傷つける大きな武器も鎧もなく、服さえも着ていない。野生の感性を持つモンスターはこの小さな生き物の戦力を計りきり、脅威とは判断しなかった。
男は自ら皿の上に昇った歩くデザートでしかなかった。
いつの間に拾ったのか、尾地は手のひらにいくつも小石を持って、ジャラジャラと弄んでいる。モンスターを見上げるその顔は脅威を前にして不遜そのものだった。
尾地はモンスターの背後の暗闇に、もぞもぞと動く人影も見ていた。彼らが脱出に動き出した瞬間、大きな声で彼の対戦相手と話しだした。
「どうもおかしいと思ったんだ!」
スパイアントは音に反応してゆっくりと動き出す。上体を立ち上げ攻撃の準備に入る。その動きは緩慢だが、巨体と長い手足は、尾地の周囲を包み込み獲物の動きを封じていく。
「驚異レベル二十一のモンスターにあの子達が負けるなんて…ありえるだろうか?私が見る限り、彼女らはそんなヘマをするような子たちではなかった」
壁の隙間から体育館の外へと、退避の去り際、ジンクが尾地をみて止まっている。尾地は彼に顎で指図を出し、脱出することを催促した。ジンクらもそれに素直に従って出口へと消えていった。一つ小さく頭を下げて。
それを確認しながら会話を続けた。スパイアントは彼の貯蔵食料に足が生えて消えた事に気付いていない。
「その謎の答えはこの巣だ!普通クモ型モンスターってのはもっとちゃんと巣を張る。自分のテリトリーをしっかり作らないと安心できないからだ。だから他のスパイアントはちゃんと巣を作るってのに…お前ときたら!」
まるで友人に生活態度を注意するように、この男はモンスターに話しかけていた。
余計な干渉にカチンときたのかのように、スパイアントは八本の鎌を開いて攻撃態勢に入る。
「そしてさっきの奇襲失敗だ!ありえない動きだった。私でも避けられるかどうか怪しい。だが、それで答えがわかった。お前は極めて特殊…、いや、どうしようもないズボラ野郎だ!」
まるで人の言葉がわかるかのように、悪口に切れたかのように、スパイアントの斧が振り下ろされ、床は砕け破片と煙が弾け飛んだ。
尾地の右横、8メートルも外れた場所に。
スパイアントは自分の攻撃に驚いたように鎌を戻した。的はずれな攻撃をした自分に驚いている。彼は床に穴をあけるつもりなどなかった。彼が消したいのは、その遥か横にいる人間のはずだった。
「まったく情けないよ。お前みたいな特殊体がいることを考えていなかった自分が。お前を図鑑通りのモンスターだと判断した自身のバカさに…。この仕事を簡単なレスキューミッションと侮っていた。ダンジョンに、簡単な事など何一つないと判っていたはずなのに…私は彼女達に申し訳なく思うよ」
反省の弁を彼の敵に述べながら、尾地が手に握り込んでいた小石を親指で飛ばす。その小石は左手の床に力なく垂れ下がっていたクモの糸を切り飛ばした。
ズガン!
音を立てて床が砕ける。スパイアントの別の鎌が床をうがったのだ。小石の飛んだ所に極めて正確に攻撃したのだが、またしも打ち下ろしたモンスター当人が困惑している。
なぜ自分はそこを攻撃したのか?それが理解できない。
「部屋がすげー汚い奴っているよな?そういう奴に掃除しろよって言うと必ずこう返します。俺にはこの状態で、どこに何があるのか分かってるんだよ!って」
再び尾地が小石を何発も飛ばす。小石はいくつもの床に垂れている蜘蛛の糸を切断する。ドカドカと攻撃し続けるスパイアント。まったく敵がいない場所を攻撃している。攻撃しながらも自分が操り人形になっていることに驚いている様だ。先程から尾地は一歩も動いていない、それなのにスパイアントの攻撃は尾地に向かっていかない。
破片と煙が舞い、絶対的優位であるはずのモンスターは半裸の男にいいように操られていた。
「つまりそれが答えです。この廃墟のお化け屋敷みたいにしだれかかった蜘蛛の糸、これがあなたにとっては完成されたレーダー網だったというわけだ。こんな地面に付いた状態のクモ糸の切断からでも接近情報を読み取れる特殊体がいるなんて普通は思わない。
相手がどの角度にいようと、お前は敵を察知でき、反射だけで倒すことが出来る。信じられないほど特別な個体。モンスター辞典に乗っていなかったのが残念ですよ。”たまに部屋が汚いズボラなタイプも存在します”ってね!」
尾地は足元に伸びる一本の蜘蛛の糸を、思いっきり踏んだ。
鎌が一気に尾地に向かって飛び込む。床が弾け煙が飛び散る。全ての鎌を使って一発二発三発四発…次々と容赦なく、まるで今まで弄ばされた鬱憤を晴らすかのように。粉微塵をさらに粉微塵にしようとスパイアントは叩き続ける。
どうだ愚かで小さな人間め!これで何も喋れまい!
やっと熾烈な攻撃が止まった。
スパイアントはそれでも警戒を怠らない。鎌の付いた腕を上に掲げながら煙が収まるのを待つ。煙の中の肉破片を確認した後、残った餌と一緒に食事にしようと考えていた。
しかし彼の期待とは異なり、地面には血の赤い点ひとつ、落ちていなかった。
「つまり、ネタが判ればこうなるってことです」
声は振り上げていた腕の先から聞こえた。
尾地は手に持った斧をスパイアントの鎌の関節部分に差し込ませ、宙ぶらりんの状態でスパイアントを見下ろしていた。
先程の連撃も、初弾を避けたついでに腕に取り付くことで、他の攻撃を全て避けていたのだ。
自分の目線の上、自分の腕にぶら下がる人間を見て、スパイアントは感じていた。恐怖の感情に近いものを。
つい先程まで自分は絶対的な捕食者だった。その上下関係は絶対に不変であると信じていた。しかし、今、自分の上に立つこの人間は、自分より強い。それを知ってしまったら、もう動けなくなっていた。自分はもう食う側ではない、食われる側なのだと理解してしまったのだ。
体の勢いで斧の刃先を抜き出し、落下を開始する尾地。
勢いを付けた斧がスパイアントの首筋の急所に正確に突き刺さった。
「せーーの!」
尾地の右腕のアーマーがメモリーの力で光り、彼の込めた力を何倍にも強化する。
小さな刃物が容易く胸部を縦に切り裂いて落ちていく。切れた距離に応じてスパイアントの悲鳴が大きくなりダンジョン内に響く。長い彼の腕と鎌は痛みに空をかきむしる。
地面に辿り着く前に勢いが途絶えたため、尾地は体で勢いをつけさらに切り開き、腹部まで到達した。
ようやく地面に着地した尾地に、切り裂かれた腹部から飛び出した白い体液が降り注ぐ。絶命したスパイアントは絶叫を上げながら背後に倒れ込み、その勢いがさらに体液を放出させた。
何を思ったのか尾地はそのモンスターの腹部に飛び込んで内部をまさぐった。
「ん?…ん?、これ?これなのか?これか…これだな!」
腹部からズルリと巨大な繭のような物を引きずり出す。それは小さな人間サイズだった。
小さく切り込みを入れて中を覗く。
「あ…ちょっと溶けちゃってるが…まあなんとかなるか。丸呑みで助かったね…」
その繭を大事そうに抱えながら座り込み
「お待たせしました、お嬢さん」
そう繭に向かってささやいた。
白くどろどろとした中年は、ドロドロに包まれた少女を助け出したのだ。
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