第四十六話 インシデントアーカイブ
窓から吹き込む夜風を感じながら外の風景をぼんやりと見つめる。今日一日の作戦を頭の中で振り返って思い出して見る。今見えている当たり前の光景、いやいままでの俺の人生と見比べあまりにも現実離れしていたと心な中がざわめき立つ。興奮、あせり、様々な感情が今も尚渦巻いているのが分かる。それら感情を上手くコントロールしなければ、ちょっとした何かの思いつき一つでパニックに陥ってしまいそうだと自分自身に言い聞かせる。
「あいつも…」
そうだ、あの時あいつと戦った時の事を俺は思い出す。あいつもこんな気分だったのだろうか?だからあいつは…そうか。今なんとなく理解した。最後にあいつが名乗っていった理由が、なら俺は…
”ガチャン”
部屋の扉が開く音がした。
俺は直ぐに駆け寄った。治療と検査が終わった二人が入室してくる。杠葉は首に大きなコルセットのような物を付けており、手は火傷の治療だろうか?包帯が両手に巻かれていた。その様子を見て俺は何と言葉を発せば良いのか悩んだ気がするが、こう聞いた。
「検査の結果は?」
「・・・榊君代わりに説明よろしく」
「安心しろ、お前が想像しているより杠葉も俺も軽傷だ」
「そう。そうなのか?」
「ああ。だからそんな困った子犬のような表情するのは止めてくれ」
そう言われ俺は咄嗟に口元に手を当て視線を外す。
「ただ杠葉は頸椎と声帯にダメージがある。声を出すと響いて痛いらしいし暫くは療養だな」
「榊、目は?」
「俺の目も検査したが異常無しだ。あの男、異常物体の消滅後から何もなかったように視界は元に戻ったからな、一時的な奴の攻撃だったんだろう」
「そうか」
俺は少し安堵する。
「まぁ、隔離される事は作戦の立案段階で決定していた事だ。休暇がてらのんびりやらせてもらうぜ」
榊はソファーから立ち上がるとキッチンに向かい幾つか置いてある酒瓶を眺め始めた。
そう俺達は今から一週間この隔離された家で共同生活をおくらなければならないのである。対応した今回のアーティクルの性質上、一週間以内に事故死、病死する可能性がある為、作戦立案段階からこの対応は予定されていたのである。一つ予定外があるとすれば杠葉がドリンクを口にしてしまった事だが…
「お、いいのあるじゃねーか。お前らもやるだろ?」
榊はグラスを用意し、冷凍庫から取り出した氷塊をアイスピックで割り始めた。
ガッ!ガッ!と力強く氷を砕く音だけがリビングルームに響く。
杠葉がドリンクを口にした事は本人も知っているはずだ。俺達はこれからその事に対して備えなければならないのではないか?話し合いどうすれば事故死、病死を防げるのかと…なのに榊が、あの榊が酒の準備をしている。
「はぁ、この態勢でも首が痛いわね…」
杠葉本人に至っては雑誌を見ながらソファーで足を伸ばしくつろいでいる。
俺は二人のそんな様子を見ながら理解しがたい今の状況に頭はパニックになっていた。何故二人共俺を責めない!結果的に異常物体を消滅はさせたが当初の調査作戦はほぼ失敗していたじゃないか!俺がその失敗の
感情がぐちゃぐちゃになりながも二人を待つ間に一人で考え決めていた事だけはやらねばと思い出し俺は口を開く。
「その…すまない。俺のせいで怪我を負わせた…俺が勝手な行動をしたからだ。もし榊が作戦を立て直して居なければ終わっていたかもしれない」
榊の氷を割る音が止まり、杠葉は雑誌を腹の上に投げ出し横目で言い終え頭を下げる俺の姿を見つめていた。一瞬の静寂が流れるが直ぐに榊が氷の入ったグラスに酒を注ぎ、大きな指で三つのグラスを片手で掴むとリビングルームの中心にあるテーブルに持ってきて話始めた。
「兵士は命令が絶対だ。それは新兵のお前でも分かるな?」
「ああ。命令違反は厳罰だ」
「お前は罰せられたいのか?」
「罰せ…られたい…いやそういう訳じゃ…ああでも、そうなのかもしれない…」
「そうか…」
榊はそう答えると一瞬前を見つめながら何度か頷くと、思いっきり俺を殴った。俺は衝撃で後ろの椅子やゴミ箱、棚を倒しながらぶっ飛ばされたのだ。痛い…人生で一番痛いパンチだった。
「ふっ、ふふふっ、もう笑わせないでよ!首に響く!榊君さっき私に言った事と全然違うじゃない」
何故か杠葉は愉快そうに大きく笑っている。
「くっ、」
俺は殴られた頬をさすりながら何とか上体を起こした。
「いや、こいつがあまりにも殴られたそうな顔してたもんでな。おら立てよ…」
榊は俺に手を伸ばし倒した椅子を起こして俺を座らせた。
「手をどけろ、見せてみろ…あー、流石は俺だなちゃんと骨は折れない程度に殴れたようだ」
そう話しかけながら俺の顔を覗き込む榊は何かこう…優しい、そう子供の時にみた近所の優しい上級生かお兄ちゃんといった感じがした。訓練の時から少し感じていたが榊は戦闘服を脱ぐと何か雰囲気が変わる。
「くそっ、いってぇぇ…」
「この隔離施設に来る前に杠葉と話した。この隊にリーダー、上官は居ないそれが俺達の上官からの命令だったな」
「あ、ああ…」
「なら今回のような事も起きて当然なんだ。誰かが誰かのせいで負傷を負う、死の危険に合う事もな。普通なら隊長が責任を負うがこのチームはそうはいかない。皆に指揮権があるとすれば同じく責任も等しくある事になる」
「だから俺は殴られた?」
「ん-、それは違う。これは俺がただ殴りたくなったから殴った。ただそれだけだ」
「何だよそれ…」
「お前は賢い奴さ、すぐに分かる時がくる」
「ふふ、私の意識がなかった間に随分高く買われたようね」
「・・・」
「さあ、飲め」
そう言って差し出されたグラスを受け取ると、綺麗な琥珀色の液体を俺は一気に飲み干した。
「おいおい、お前は酒の飲み方が分かってないな…」
榊はボトルを持ってきて俺の空いたグラスに酒を注ぐ。今度は少量を口に含みゆっくりと口の中に馴染ませるように酒を味わう。俺は椅子を窓際の方に移動させ夜空に浮かぶ雲を見つめながら椅子に座り考えを整理し話し出すのだった。
「今回の件で分かった俺は未熟だった…あんた達とは何か…何かが足りない」
「ふっ、まぁそういう事だな。だがそういう反省が出来るだけお前は随分とマシな人種ってもんだ。お前から見て俺達が持ってるっていう何かは知らねぇが、足りない方が普通かも知れねぇぜ」
「ああそうなのかも知れない。でもここは普通じゃない、そうだろ?」
「おっと、それは…そうかもな」
「ちょっと!榊君はともかく私は違うわよ!」
「何が違うって?俺から言わせりゃお前も普通から逸脱してやがる。須藤知ってるか?杠葉は代々家伝で伝わる古武術の宗家様だ、何だっけ?あの合気道なんとか柔術だとか…」
「合気柔法!」
「おうそれそれ、前に話してたよな。道場生も弟子も誰一人も居なくて道場でひたすら子供の頃から鍛錬し続けたって。十分普通じゃないと思うぜ、なあ?」
「そうなのか?」
「たまたまそういう家に生まれたってだけで、たまたま練習が好きだっただけの事よ」
「たまたまねぇ…須藤、杠葉は人の壊し方については俺よりも遥かに詳しいから気お付けておけよ、なんせ戦国時代から何百年とそれを目的に練り上げてきたモノだからな」
「そんな昔から?はっ、強いはずだ」
「まぁそういう事だ。対人戦なら俺より杠葉に習え」
「ああ、頼む…」
「どうかしらね、気が向いたら教えるわ」
榊は俺の方へと歩き肩をポンポンと叩くと、近くに置いてある椅子に座る。ずっしりと重たい体なのが古い木製の椅子の
「榊聞きたい事があるんだが、いいか?」
「なんだ?」
「その、あんたは実戦の経験があるのか?牧島は陸自であんたを超える人は居ないと言っていたがあれは…どういう…」
「・・・」
「あんたから教わるモノは災害派遣とかのそれとは違うのは分かっている。だが何故あんたは…」
「そうだな、どうせいつかは話す事になるんだしな…お前の聞きたい事は分かってる。いいだろう俺が何故この隊に居るか話してやろう。杠葉には前に一度簡単に話したがついでに知っといてくれ」
そう言うと榊は背もたれに深く座り込む。ギィィと椅子の背もたれが軋んだ。
「俺は
「いいか、自衛隊は実戦経験がないまま、本当にこのままで国防が担えるのかと?お偉いさん達は考えたんだ。そこで行きついた考えが実践経験が無いなら経験させておけば良いじゃないかというシンプルな答えだった」
「それで、それに榊が参加したのか…?」
「ああ、絶対に表には出せないがその計画は実行され俺は選ばれた」
「はっ、確かに年寄り共の考えそうな事だぜ」
「まずは米軍経由でイラクなどの中東に送られた。あんときゃテロや大量破壊兵器やらで色々とゴタゴタしてたからな。もちろん形式上その計画に参加した隊員は除隊した事にしてな。そして米軍から民間軍事会社へと俺達は徐々にバラバラに、より前線へと流れるように送られていった」
「参加した隊員三十人は居たんだが
「そして復帰し今ここにいると?」
「はは、それなら良かったんだがな。現実はそうは行かなかったさ」
「?」
「相棒と二人で日本に戻っては来たが、戻ってこれたのは俺達二人だけだった。計画に参加した皆は戦死…いや民間軍事会社だと戦死者扱いにはならないか…『行方不明』になっていた。しかも帰ってきた此処、日本にはとうの昔に俺達の居場所なんて無くなっていた。防衛省に問い合わせたが入隊、除隊記録すら無くなって、挙句の果てには戸籍すら既に無くなっていた」
「そんな事がありえるのか!?」
「それがありえた…俺達二人はどうにか痕跡を探そうとしたが何も見つからない、出てきたのはとあるスキャンダルニュースだけだった」
「ニュース?」
「俺達が戦地に送られてすぐの事だ。当時の閣僚と高級官僚が汚職や賄賂、未成年への淫行などで起訴された事件が起きていた。そしてこれは当時取材していたメディアの記者から聞き出したんだが、表では報道されてないが実は計画発案者だった防衛省大臣、そして幕僚長までも関わっており大事にならない内に辞任してたって訳さ」
「クソだな」
「ああ、クソだ」
「奴らは万が一、計画の発覚を恐れ捜査されないように全てを無かった事にしたのさ。それを知った俺達は行き場を失い絶望した。あの過酷な戦場での戦いに何の意味があったのかと…俺達が殺し合いをしている間、お偉いさんがたは女とちちくりあってた訳だ…」
「それから俺は現金手渡しの日雇いバイトでゾンビのような生活を送っていた」
「その相棒はどうしたんだ?」
「あいつは…」
「あいつは変わっちまってな…こんな国いられるかっ!てどっかいっちまった」
「そうか…」
「だがある時、牧島陸将が俺の前に突然現れた。当時辞任した幕僚長に変わって新しく組織を束ねている最中だったようで、俺達の存在を知っていたようだった。今更何をと思ったが会うやいなや陸将の第一声は土下座しながらの謝罪の言葉だった」
「・・・」
「地面に頭をこすり付け泣きながら謝罪してたさ。そして自衛隊にもう一度戻って来てくれないかと頼まれた。もちろん俺は断った、裏切られた組織なんかもう信用出来ないってな。そこで陸将はどうしたと思う?」
「?」
「突然俺に歴史の話をし出したんだよ。俺達を巻き込んだ計画をした奴は旧帝国陸軍、
「おい、おい俺はそんな話難しくてわかんねーよ」
「そう!それだ!俺もその時同じ事を言ったさ、そんな話俺に何の関係があるのかって?すると陸将はこう答えた。君には全てを知る権利がある。組織の全てを知ってから納得してから決めて欲しいと」
「なんだそれ、変な奴だな」
「ああ、あの人は変人だ。特に国という大きな組織においてはかなりのな、それから陸将は毎日俺の所に来て全てを説明してくれた。組織の成り立ちとこれからの未来をな…」
「それで今に至ると?」
「まぁ概ねそんな感じだ」
「ちょっと待って。前から聞きたかったんだけどただ復帰するなら普通の隊員としてでいいはず。だけどこの隊は違うわ」
「たしかにそうだ」
「ああ、杠葉の言う通りただ自衛官としてなら復帰しなかっただろうな」
「じゃあ、何故?」
「陸将と話している時、俺は戦地での話をした。俺が見たモノをな」
「まさかアーティクル?」
「まぁ正解なんだが少し違う、厳密に言えばアーティクルを利用した兵器か。ある戦場でそいつと戦闘になったんだが…そうだなあれはSF映画に出てくるようなロボットのようで、いや人間か、まぁ当時は何かは分からなかったがとにかくどうしようもなく俺達は逃げるので精一杯だった。ああいうのがきっと創作じゃ死神と表現されるんだろうな、相棒はそいつの攻撃を受けて片腕を失ったからな…」
「そうか…」
「その話をした時、陸将からアーティクルや別次元からの転移者の話を聞かされたって訳で、そして俺がこの隊に居る意味になった」
「そう…やっぱり榊君も巻き込まれてたんだ…」
「すまんお前の事情を知ってながら、話すのが遅れたな」
「別にいいわよ」
「俺の話はこれくらいだ」
榊は話し終えると空になったグラスにまた氷と酒を入れる為にキッチンに向かった。
「ふぅ……」
俺は静かに息を吐きながら目を瞑り、今聞いた榊の話を頭の中で咀嚼するように巡らせていた。過酷…一言で感想を言うとしたらその言葉しか思いつかなかった。俺もアメリカでは悲惨な事は何度か経験あるが…榊のはきっと、恐らくレベルが違うのだろう…榊だけじゃない。杠葉もきっとそっち側の人間なのだろう…。
こういう時やはり自分と比べてしまう。自身の過去と、いや比べる以外に俺は方法を知らないんだ。そうしなければ相手を理解出来ない…悔しい。
心の中で引っ掛かりを感じる。違う、そうじゃない何か違うと。自身の過去としか比べる事が出来ない、こいつら二人の事を計れない、理解出来ないという事への苛立ち、無力さ、俺とは根本的に違うんだ…。
ぐるぐる、ぐるぐると。
俺は今まで同じ事しか繰り返さない。
「あんたはアメリカに行って転移したの?」
上の方を見つめて考え事をしていた時、ふいに杠葉が質問してきた。
「いや、恐らく日本に戻ってから…だと思う」
「その言い方だと本当に転移した心当たりは無いみたいね」
「ああ…」
「陸将の話だと日本が転移者の始まり、中心らしい」
榊は酒を注いで戻りながら話す。
「恐らく、恐らくだが母親が死んだ時だと思う…」
「・・・」
「身内の死が関係していると?」
「多分な…」
「まぁ、お袋が死んだんならそうかもな」
「ええ、そうね」
「・・・」
「いや、違うんだ…」
「え?」
「二人が想像しているような感情じゃない」
「どういう事だ?」
「俺は…あまり母親に良い記憶はない。むしろ死んだ時何か解放感すら感じていたからな…」
「そうだ!俺は喜んですらいた!家族を捨ててアメリカに行って、自分の生きたいように生きて!何でも出来るようになって!」
これは飲んでいた酒のせいなのだろうか?俺は興奮していた。
「俺の母親の死に際の最後、なんて言ったと思う?教えてやろうか?『あんたなんか生まなければ良かった』だ!はっ、笑っちまうよな!」
俺はグラスの酒をぐびっと一飲みした。アルコールが脳に鋭く沁み込み瞼のあたりから温かみがじわっと広がり出した。そして二人の方に視線を上げると、目の前の二人は真剣な表情で俺を見つめていたのだ。
勢いで話してしまったが直ぐに後悔の感情に押しつぶされそうな感覚だった。それは何故か?この話は真実だが、本当は違う。話し方が違う、二人にはこの話方をしたい訳じゃないんだ。
「ただ逃げただけだった…アメリカに…母親から…それだけの人生の男さ俺は!あんた達二人と違ってな!逃げた自分からも逃げて、しょーもない力の使い方をして捕まって、運よく俺はここにいるだけだ!」
目から涙の粒が落ちそうなのが分かる。俺は言い終えると窓の外に顔を向けた。
暫くの沈黙の後、背を向けた背後で榊の動く足音がする。すると俺のそばのテーブルにゴトンッと酒瓶を榊が置き、杠葉も立ち上がり俺の隣に立ち酒を注いでもらう。
「今日の夜空は一段と澄んで綺麗だ。一仕事終えて空を見ながらの酒はいつだって格別だ」
「あら榊君がそんな事言うなんて意外ね」
「まーあれだ、そんな日もある。なあ須藤?」
「ああ、そうだな…」
俺は愛想の無い感じで相槌を返す。そして暫くの沈黙の後榊が口を開く。
「須藤、逃げる事は何も悪い事じゃない。むしろ死んでしまうぐらいなら逃げた方が良いに決まってる。しかしな、だからと言って逃げて、逃げた先が幸福になれると決まってる訳でもない。逃げたら逃げたなりの別の戦いが必ずあるもんだ」
「ああ、どうやらそうみたいだな」
俺はまた涙の粒が溢れそうになりながら答えた。
「そうね、つまり最後に勝利すれば勝って事ね」
「ああ、そういう事だ。このチームは勝つぞ」
「ええ」
「ああ」
夜空に瞬く沢山の星々、その一つ一つが俺達の誓いの証人であるかのように感じながら、三人は乾杯しグラスの音色が響いた。
次回 【第四十七話 コールバック】
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