第十二話 ブラックチェイス

高鳴る鼓動を抑えようと、胸に手をあてる。落ち着け、あいつはこちらに気が付いてはいない。まずは追跡してどこに向かうかを見極めよう。もし自宅が分かれば有利に事が進められる。信号が青になり、真っ先に二台のバイクが走りだす。このまま追跡してはあからさまだ、少し距離を取り数台の車を挟もう。


数分走るとバイクは左折するのが見えた。片側三車線ある道路から一車線の細い道だ。この方向は尼宮市からは離れるコースだが、幸い手前の車も左折してくれたこのまま一台挟んで追跡続行しよう。もしかすると尼宮市では警戒されているという事を自覚していて、別の地域に向かっているかもしれない。もし犯行を止めるなら、どう説得するか…


放火する目的は不明だが、あいつは人に対する攻撃性を示している。まさかあの時の俺が警察官に見えた訳でもないだろうし、なぜ攻撃したのか?


なぜだ?人間の性格は幼少期の体験が大きく人格形成に関わるとされるのが一般的だが、あいつの攻撃性を高める原因は何なのか?


俺は追跡しながら、記憶を元に推理を始めた。


そうだ確か神経学を勉強した時の話だ、攻撃性が高い人は感情の高ぶりが激しいと思われがちだが、実は逆であると。攻撃性が高い人は外部刺激を受けた時の心拍数の変化は少なく、皮膚への刺激そのものに対しての反応も普通より少ない。つまり痛みに鈍感であり痛覚の閾値しきいちが通常とは異なるという研究結果だ。


その事から、怒られたり罰を受けても感受性が低いため矯正されにくく、また退屈とも感じやすくスリルを求め攻撃性が高い大人に成長してしまうという一説が生まれた。人間というのはとても複雑なので一概にこの説を鵜呑うのみにはできないが俺は説得力があると思う。奴の俺への攻撃はなんらかのメッセージだったのかもしれない。そんな風に考えていると、また奴は交差点を曲がった。今度は奴との間に他の車はいない。交通量も少なくこの先は直に追うしかない。俺はすこし曲がるタイミングを遅らせ、バイクのあるスイッチを入れた。これにより、ヘッドライトをはじめ全ての照明が消えるように改造してあり、そして車体全体に光を吸収するカーボンブラックを塗装されており、このような状況は想定済みである。このまま追跡できれば良いのだが…


奴はさらに交通量の少ない道に進んで行く。どこに向かっているのか、深夜という事もあり俺たち以外に走る者はいなかった。道路標示版を見る、どうやら尼宮港あまみやこう方面に向かっているらしい。


しばらく港に向けて走ると海沿いの長い直線に出た。すると奴のバイクは急に減速しだした。ここで俺もある程度減速するが怪しまれない程度に走らなければ…


しかし、奴はみるみる減速し俺の隣に並んだ。そして奴は左の手のひらをこちらにかざし叫んだ。


「Yo What’s up !」

俺にそう言い放つと、奴はアクセル全開にして急加速をし始めた。


くそっ、バレてる!何故だかは分からないがそう確信した。それと同時に俺も全開にし、ヘッドライトを点灯させ後を追う。一気に二台のマシンのけたたましい咆哮が周りに響きわたる。両者ともぴったりレブリミットまでエンジンを回しギアを上げ、確実にクラッチをつなげる。奴の技術もなかなかだが、しかし車種も確認したが大丈夫。マシン性能で十分俺に分がある。離せるなら離してみろ、俺は普通の人より少し運転は上手いぞ。


俺のバイクが奴に迫ろうとすると、奴は左腕を離し、だらんと腕を下ろした。

何をしている?まさか…


考えるより先に体が反応した。一瞬アクセルを戻し奴の右側へと車体を傾けた。その刹那、バイク一台分くらいの炎の塊が車体の後輪をかすめたのだ。ギリギリかわし放たれた炎弾を振り返り確認すると、後ろの地面にぶつかりぜていた。


そうだ奴にはこれがある!後ろにいては危険だ。しかし今の一連の動きで少し距離が開いてしまった。しかも前方には、左への曲がり角が見えてきた。ここで離されて見失う事はできない!


奴は左足を前に出し、後輪をスライドさせながらたくみに曲がるのが見えた。さらに、また手から炎弾を放った、しかもさっきのよりかなり大きく見える。あの曲がり方は俺のバイクでは不可能だ!しかもこの目の前の炎弾に正面から突っ込むのか!?ここはブレーキをかけ回避するしかない。


頭の中でそう決断を下そうとするが、


「いや恐れるな」


外灯もない暗闇に突如、火柱を上げて激しい炎が地面から吹き上がった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「なんであんたはこんな事もできないの!」


怒鳴る母の声はいつもボクにだけ浴びせられた。母はボクの手を掴み、ベランダから庭に放り投げる。閉じられたカーテンの隙間から見える兄と笑顔の母の表情が今でも忘れられない。


この真冬の寒さに凍えながら、ボクは愚かな息子なんだと思い込む。そのうち寒さのあまり考える事をやめ、いつも通りやがて石になる。今日はあまりの寒さに、周りの空気より地面の土の方が温かい事に気がついた。横になろう。ああ、このまま地面の中に沈まないだろうか?このまま…


ふと目を開けると目の前に何か埋まっているのが見えた。それを掘り起こしてみる。


ライターだ。


ボクは初めて火を付けてみた。そこに揺らぐ炎の美しさ、そして何より温かさに一瞬で魅入られた。


以後、何度外に締め出されてもボクにはこのライターがある、頼もしい唯一の見方が。しかし、何度も見ていた炎は次第にぼくに訴えかけてくるように感じた、もっと燃やせ、もっと!そしてボクがポケットから出して燃やしたものは…


母親の似顔絵だった。


それからオレは高校を卒業すると、家族から逃げるようにアメリカに行った。なんのあてもなく、ただその日暮らしを続け広大な大地をバイクで旅をしていた。そんな生活をしているといくつかヤバい目にもあったが、充実していた。そしてアメリカでの生活が7年ほどになった時、兄からメッセージが届いた。どうやら母が危篤状態で最後に会ってくれとの事だ。今思えば断れば良かったものを、アメリカでの暮らしが幼少期の記憶を薄れさせたのか、年月の経過で母は変わっているのではと心のどこかで期待をしていたのか。


オレは日本に戻り母の入院する病院を訪ねた。


病室に入ると、絵に描いたような危篤状態の有様だった。兄はオレが来たことを母に伝える、母はかすかにまぶたを開きなにか喋った。そばに寄りその声に耳をかたむけ、母はオレにしか聞こえないようなか細い声で話した。


「あんた、み、たい、なしっ、ぱ、い、さく、ううむ、んじゃぁ、なかった」


それが母の語った最後の言葉だった。


オレは病院を飛び出し、タバコに火を付けた。

ああ、この感覚。忘れていた…



「あー、shit,no kidding!」

何なんだあいつは!?オレは執拗に追いかけてくるあの得体のしれない人間が心の中では怖くてたまらなかった。


街で初めてあいつの腕を燃やしてやった時、あいつがオレを見る目つきは今まで見てきたどんな人間とも違う。何か心の奥まで貫かれるようなあの瞳、あの異質な存在が気になってしょうがない。まるで母のような目をしている気がする…


あいつはなんとしても排除しなければ…そう、殺してでも…


目の前にカーブが差し掛かる。チャンスだ!ここであいつを排除してやる。


オレはカーブを曲がると同時に左手を一瞬離し、あの力を使う。あいつがちょうどこのカーブを曲がり終える瞬間、その瞬間を狙って特大の炎を放った。曲がり終えてすぐさま後ろを振り返った。放った炎は何かに当たったようで、激しく爆ぜ辺りに無数の炎の糸をまき散らした。オレは自分の力の万能感に酔いしれた。この力があれば…


しかし、燃え広がる炎の中から激しい加速音と共にあいつが飛び出してきた。それは、バイクと人が融合した黒い弾丸のようであり、黒馬にまたがる騎士のようにも見えた。



次回 【第十三話 潜熱せんねつほむら 前編】



関連情報紹介

*1 レブリミット:車やバイクの想定されているエンジン回転数の限界点の事。オーバーレブするとエンジンの各部品は許容範囲以上のダメージを受けるので破損してしまう。近年では電子化されレブリミッタ―が付いているのでオーバーレブ自体起きないようにされている。

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