第五話 経験に学ぶな歴史に学べ

「そう、そこはこうして」


「はい、こうですか?」


「うん、良い感じ覚えるの早いね」


俺はファミレスで花岡さんにパソコンの使い方を教えている。お金を返してくれたあの日を境に友達のような関係になった。もちろん俺には彼女がいる事もちゃんと話してある。なんでも彼女は、機械関係はかなり苦手らしい。そこで俺の出番というわけだ。今の時代、ある程度の基本ソフトが扱えないと話にならない。それに官僚を目指すならデスクワークがメインだろうし、学校では教えてもらえない会社員としての実践的な使い方を教えるのを俺は自ら買って出たのだ。


「病葉さんありがとうございます!なんとなくコツをつかんできました!」


「さすがスマホ世代だ、慣れるのが早いね」


「いえいえ、でも使い方を知っただけでこれじゃ仕事にならないんですよね?」


「そうだね、こればっかりは数こなさないとかなー」


「じゃあ、何か課題を出してください!」

彼女は目をキラキラと輝かせながら俺に近寄ってくる。俺にもこんな時代があったのだろうか。


「そうだね、じゃあ…」

こんなに熱意があるんだ、それに答えてあげるのも悪くないか。


「じゃあ、今いるこのファミレスの改善点を花岡さんなりに考えて、教えたソフトで資料にまとめて、プレゼンするのを宿題にしようかな」


「えっ!なんですかそれ!なんかめちゃくちゃ大人っぽいじゃないですか!」

彼女は慣れない単語に一瞬興味を示したようで、しかしすぐにうなだれ気味にこう続けた。


「でも…凄いむずかしそうです、私にできるかな…」


「大丈夫、お客の立場で考えてああして欲しい。こうして欲しい。って願望をですます。調で書けば良いだけだよ。それができれば後は型にハメるだけで会社の資料なんか出来上がるから」


「そうなんですか?」


「まぁね、みんな一つの手本に右にならえ。型にハメていく、それが組織ってもんだから」


「へぇーそうなんだ、分かりました私なりに頑張って作ってみます!」


「そうだ、そろそろバイトの時間じゃない?」


「あ、もうこんな時間!急がないと、すみません私行きますね!」

彼女はノートパソコンをそそくさとしまい、立ち上がった。


「じゃあ、完成したらお知らせしますね!」


「うん、無理せずゆっくりでいいからね」


「はい、ありがとうございました!」


俺もファミレスを出て帰路につく事にした。外は小雨がパラついている。空を見る限り一雨きそうだ。家に帰り途中コンビニで買ったお酒と弁当を食べながら、明日の仕事の事を考えていた。横になりテレビを見るとどうでもいいような事をどうでもいい人が必死になって何かしている。この人たちはこれが面白いと思ってやっているのだろうか?それともこれは…眺めていると、激しい睡魔に襲われた。


作られた笑い声と、点滅する光のゆりかごの中で意識が途切れた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



俺は通っていた小学校の廊下を走っている。振り返ると何かとてつもなく恐ろしいものに追われているようだ。何度も振り返りながら、全速力で懐かしい学校の中を走り抜ける。目の前に階段がある、ここは二階か?そこで俺は振り向くと、何者かの黒い影が飛び掛かり背中から抱き着かれた。俺は抱き着かれながらも何とか目の前の階段を下り、一階と二階の間の踊り場で膝をついた。


すると抱き着かれた黒い影は女性の形をしていた。長い髪が見えたのだ。


その女性の右手が俺のおなか脇腹辺りを触り始めた。


そして、親指と折り曲げた人差し指で俺の肉をつまむと、恐ろしいほどの力で肉を引っ張り始めた。とてつもない激痛が体中を襲う。叫ぶ俺とは裏腹に肉を引っ張る指の力はさらに増して行く。これ以上引っ張られると、俺の肉が…千切れる光景を想像した。そして、それは現実となり伸びきった俺の肉は


“ブチッッ!!”


俺は引きちぎられると同時に飛び起き、目を覚ました。


「はぁ、はぁ、…なんて夢だ…」

すぐに脇腹に手を当てる、肉は何ともないしかし脇腹に痛みがある。それは確かな感覚で、夢であるはずの痛みを感じる事にひどく混乱した。時計を見るといつもより少し早めに起きたようだ。洗面所で顔を洗い着替える。腹痛はもう感じないようだった。俺はいつも通り喫茶店へ向かう。店の前のチューリップに朝のあいさつをしていつもの注文をする。今日は時間に余裕があるので長めの朝食をゆっくりとろう。そして新聞をじっくり読んだ。


“『松澤エレクトロ二クス 新素材開発 日本が世界に誇る大企業である松澤エレクトロ二クス株式会社』今回開発されたこの特殊な素材は、耐久性が非常に高く様々な分野に応用できる可能性が期待されておりこの発見された新素材をさらに研究し早期に実用化すると発表しました”


さすが大企業だ、どんどん新たな技術が生まれるな。そろそろ電車の時間か、コーヒーを飲み干し俺は店を出た。駅に向かう途中の小さな公園の一角に、数人の人だかりがあるのが目に入った。何やら公園に植えられた木の表面が黒く焦げているようだった。俺は気になって立ち止まり少し様子をうかがった。


「こんな悪戯誰がするのかしらね」

「最近は、なんでも放火が多いらしいわよ」


前にいる人たちの会話が聞こえてきた。そういえば隣町で放火が多発しているとテレビで見たな、もう消火活動が終わった後のようだがこの尼宮市まで被害が拡大しているのか?俺は興味本位でその燃やされた木をまじまじと観察してみた。


木の半分だけが燃えたようだが、確か昨日は雨が降っていたはずだ。少し前に出て手をのばし焦げていない部分を触ってみる。やはり木の皮が湿っている。湿った木がこれだけ自然に燃える訳がない。何らかの燃焼促進剤が使われたと考えるべきか、例えば簡単に手に入る灯油かガソリンだが、両者は引火点の温度に大きな違いがある。揮発性の高いガソリンはー40℃でも燃焼する。連続放火犯なら明確に放火という目標があるので恐らく使うのは確実に燃えるガソリンか。


俺はさらなる手がかりがないか辺りを見渡した。すると気になる所が目に飛び込んできた。この公園には俺達が入ってきた出入口とは違い、公園の奥に上手く大きな木々で死角になっているもう一つの出入口があった。これはいかにも見落としそうだ。そして何より犯罪心理学の一つ、人目に付かない場所が重要という犯罪機会論に当てはまる条件だ。その周りからは死角になっている入り口に俺は近づく事にした。出入口の近くで俺は当たりを見渡す。そこでスニーカーのような足跡が残っているのを見つけた。雨でぬかるんでいたのではっきりと残っている。


「まさか犯人のものとは限らないが…」

俺は仕事用のカバンから、スケールとノギスを取り出した。


足跡長27cm、足跡幅11cmのようだ。少し細身で本格的なスポーツ用シューズのようだ。実は足跡から大まかな身長が割り出せる公式というものが存在し、警察でも捜査に用いられるものだ。


確か男性の場合は、身長=3.98×足跡長+65.43


その公式に当てはめると足跡の主の身長は、約172.89cmと推察される。そして、かかとの部分が進行方向に対して綺麗な歩幅で直線上に繋がる。肥満者や妊婦ではこのようにかかとが綺麗に直線には並ばない。そして体重の90%以上がかかとと足の外側にかかる。その位置の地面のめり込み具合を自分の足跡と比べ見ると、大分やせ型なのが推察できる。今いる人だかりにこの条件に一致する者は居ない。土の乾燥具合からみてもこの足跡が付けられたのは深夜だろう。これが仮に犯人の、ものだとしてもなぜ放火を雨の日にわざわざ、濡れるし痕跡を残しやすいのではないか…


いや、ガソリンを用いたとなれば車やバイクを所持している可能性が高い。携行缶への直接給油はセルフスタンドでは禁止されている、フルサービススタンドなんて今では珍しいし、なにより顔を見られる。そう考えると人目や監視カメラに映らずガソリンを持ち歩くには車やバイクに給油した後、そこから抜き取るのが犯人にとっては安全策か…


いろいろな思考を巡らせていたがふと腕時計を見て俺は血の気が引いた。すぐさま駅に向かい電車へと駆け込んだ。


俺は何をしているんだ、もう昔の俺じゃないんだ。あの時に全てが終わったはずだ。


そう自分に言い聞かせ、道中の出来事を考えないように俺は自ら選んだはずの平凡な日常に戻る事にした。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



“ああ、お母さんなんでボクを愛してくれないの?ボクはこんなに良い子なのに、ねぇ寒いよ、とっても寒いよ”


“なんでボクはお外にいるの?ねぇお母さんなんで、”


寒さに凍える少年は目の前に綺麗な色をした物を見つけた、寒さで上手く動かない手でそれを手に取った。そしてそれがなんであるかはすぐに理解した。


かじかんだ手でそのライターで火を付け、ポケットに大事に閉まっておいた母親の似顔絵を燃やした。寒さにより感覚が麻痺した少年の手は温もりを求めて、自らの皮膚をも焼いた。


「お母さん、とっても暖かいね」




次回 【第六話 本物と偽物】

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