第四話 邂逅する正義
「いえ、その測定結果はすでに報告されてますよ」
「俺がやれと言ったらやるんだよっ!」
バンッ! 机が激しく叩かれる。
「他の奴の仕事なんて、何も信用するな!さっさと測定して来い!」
俺は分かりましたと返事し機器の測定室に向かう。先輩は、普段は良い人だがたまにヒステリックになり根拠のない仕事を指示してくる。この癖だけはどうにも好きになれない。心の中に黒い影のような物が溜まってゆく感じがする。俺は測定器で機器の状態をチェックする。やはり異常はみられない。測定結果を先輩に電話で報告し、工場の巡回に回る。こんな理不尽な仕事も仕事の内さ。円滑な人間関係を築いてこその社会人だ、俺はそんな風に思いながら一日の業務を終えた。
仕事が終わり、スマホのメッセージをチェックする。加奈子からのメッセージだ。
“今日は仕事早く終わりそう?いつものとこで会えるかな?”
今日の俺は一人で居たい気分だった。そして早くもう寝たいとも思った。
“悪い、今日はひどく疲れたからまた今度にしよう。”
そう返信し帰路につくことにした。
駅からの帰り道、時間はまだ22時ぐらいか。俺はコンビニに寄り缶ビールを買った。そして帰り道からは少しずれて歩き出し、とある公園のベンチに腰を下ろした。この公園は俺のお気に入りの場所だ。夜の公園で桜の木を見てさらに夜空の星々を見上げビールを飲みながら、ぼーっとしていた。静かな夜だ、公園の真ん中にある一本の外灯が暗闇に混ざり合い、自分自身の心と向き合っているという感覚を覚える。心の深部で今にも自分という人間を決める自分会議が始まりそうだ。
しかし、そこに一羽の
飛び去った方向に自然と視線を移動させる。するとその視線の先、公園の入り口近くで声が聞こえてきた事に気づき顔を向けた。若い男性二人組、大学生といった印象の身なりをしている。その男達のそばには二人のと見られるバイクが二台停められている。そして、その二人組は一人の制服を着た女子高生に何か話しているようだった。
「…やめてください…」
距離があったが確かに、この言葉だけが聞こえた。俺は自然と体が動きその三人の所に向かった。近づいていくにつれ、その大学生風の男達は強引なナンパをしているようなのが分かった。
「ちょっと俺達とお話しようよ!君どこの学校?」
「あ、今時間ないなら連絡先教えてよ!てゆうか教えてもらうまでバイクで家までついて行っちゃうかもよ~」
「やめてください、困ります通してください!」
明らかに女子高生は嫌がっているように見える、そして怯えた表情が見てとれた。
俺は彼らに近づき声をかけた。
「おい、その子嫌がってるんだから帰してやれよ」
なんともありきたりな台本のような言葉。次に彼らが答える言葉も容易に想像できる。
「あっ、誰だよお前は!どっか行けよ」
予想通りの言葉だ。そして俺は行動に出る。
「まぁまぁ、そんな事言わずにちょっと俺の話を聞いてよ」
俺は男の一人に歩みより、さり気なく腰に手をあて女子高生には見えないように自分のポケットから財布を取り出し三万ほど男の手に握らせた。
「頼むよ、これ上げるからあの子を帰してあげてよ」
俺は笑顔で肩を叩き、そして男はにやけ顔で答えた。
「おい、もうそんなブス良いからメシ食べに行こうぜ」
「なんだよ急に!」
「良いから行くぞ」
やはり声をかけた男の方が立場は上なようだ、正解だった。二人の男はバイクにまたがり大きなエキゾースト音を鳴らし去っていった。そして女子高生の方を見ると、不満そうでもありさらに少し怒った表情で近寄ってきてこういった。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
「でも、あんなやり方間違ってると思います!いくら渡したんですか?私返します!」
どうやら金を渡したのはバレていたようだ。しかしそんな事よりも近くで見た彼女の瞳はとても綺麗で、まるでさっきまで見上げていた夜空のようであった。
「いや、金で解決できる物は金で良いじゃないか」
「それにお金は返さなくて良いよ、俺がやった事だから…」
俺は彼女の真剣な気迫のようなものを感じ取り、押され気味だ。
「なんで関係ないあなたがお金を払うんですか?絶対に間違ってます!」
彼女はさらに俺に詰め寄る。
「それにお金受け取っても素直に帰ってくれなかったらどうするつもりだったんですか!?」
そう。確かに彼女が指摘するようにリスクはあった。しかし成功する方が確立が高いという根拠があった。あの男達のバイク、一人は400ccのアメリカンもう一人は600ccのレーサーレプリカのスポーツ車だった。スポーツ車の方の後輪タイヤのサイドが殆ど新品状態で削れていなかった。ミドルスポーツを選んでおいてあそこまで削れていないのは稀だ。カーブを攻めない小心者の性格の現れだ。さらにメッキパーツなどの外観のカスタムはしっかりしているが足回りは純正のまま。これは小心者の性格を自覚して虚勢をはりたい者の性格の現れだ。そして問題は二人の内どちらがその小心者かだが、それは髪の毛のつぶれ具合を見ればすぐに分かる。スポーツ車を乗る者は必ずフルフェイスヘルメットで、アメリカンは半ヘルが多い。
このような事から、虚勢を張る小心者が殴り合いの喧嘩は望む所ではないだろうと予想できた。俺もこの年で喧嘩なんてやってられない。だから手っ取り早く金で解決したのだが相手は女子高生だ。バイクの話なんてしたってチンプンカンプンで納得しないだろう。ここは適当にやり過ごし、無難な着地点でごまかそう。
「そうだな、確かに他のやり方があったかもな。でも結果としてトラブルは避けられたんだから良いじゃないか。ほら事故みたいなもんだよ、お金を払って安全を買ったと思ってさ…」
そう一般的な、いわゆる大人の会話を喋ろうとするが、彼女の表情を見て言葉が止まってしまう。
彼女の大きな目は少し涙で潤んでおり、悔しそうに肩にかけたカバンのヒモを握りしめている。そうか、きっと彼女は怒ってるんじゃない悔しいんだ。その表情からどこまでも真っすぐな彼女の強い意思のようなものを感じた。
「今はお金無いんですが、必ず返します。なので連絡先教えてください。」
必死な彼女の眼差しを見て俺は断る事ができなかった。
連絡先を交換すると、彼女は深くお辞儀をして帰っていった。俺はぬるくなった缶ビールを手にまたベンチに腰を落とす。そして見上げるとそこには綺麗な星空が、広がっていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここは近所のファミレスだ。メニューは豊富でなによりデザートがとにかく旨い。そのデザートを口にしたいところだが、今は待ち合わせ中だ。数日前に助けた女子高生、
“お金お返ししますので会えますか?”
もちろん返さなくて良いと断ったのだが、断固拒否されてしまう。そこで俺は折れ、受け取る事にした。そして今日俺の仕事が休みという事で学校終わりにファミレスで待ち合わせしているというわけだ。スマホをいじりながら時間を潰していると、ようやく彼女が現れた。
「すみません。掃除が長引いてしまって、遅れてしまいました」
「ああ、別に気にしなくて良いよ。なに飲む?」
「えっとじゃあ、オレンジジュースで」
俺は店員を呼びオレンジジュースとコーヒーを注文する。改めて彼女を見ると、大きな目と綺麗に肩まで伸びた髪、ナンパされるのも納得する美人な子だ。俺は見つめ過ぎないように視線を他に移した。
「今日お仕事お休みなのに、わざわざすみません」
高校生なのにこういった気遣いには好感がもてる。しっかりした性格なのだろう。
「いやいや特に予定もなかったから大丈夫だよ。ところで花岡さんは年いくつ?」
「私は17才で高校二年生です。えっと病葉さんは?」
「俺は27才だよ」
「えっ!10も上なんですか!?ぜんぜんそんな風に見えなくてびっくりしました!」
「はははっ、知り合いからもよく言われる」
自分が童顔なのは分かっているが、この年になってくるとさすがに恥ずかしいものだ。
「すみません、お待たせしました」
ウェイターが注文したドリンクを運んできた。
ドリンクを一口飲むと彼女から切り出した。
「お金いくら渡したんですか?」
彼女がカバンから財布を取り出した。
「ああ、たしか…千円札と五千円札混ざってて、合計一万円ぐらいだったかな」
彼女は財布から一万円札を抜き出し、俺の方に差し出した。俺はそのお金を受け取ろうとお金をつかんだが
「本当に一万円ですか?」
まただ、この彼女の真っすぐな瞳には何か不思議な力を感じる。しかし俺は大人だ。高校生にとって三万円なんて大金だろう。すまないがそんな大金を学生から奪い取る事は流石にできない。嘘をつかせてもらおう。
「ああ、一万円で間違いないよ」
しばらくの間の後、彼女はお金から手を放してくれた。
「ごめんなさい、助けてくれた事にはすごく感謝しているんです。あの時すごく怖くてどうして良いか分かりませんでした」
「私が子供なだけで、病葉さんの行動も正しい一つの方法って事も…分かるんですが…」
そうだ、この子はなぜこんなに考えているのだろうか?普通ならお金を返そうとする人の方が珍しいし、ああ助かったラッキーと忘れてしまうのが普通ではないのか?
俺はそんな疑問を投げかけてみる事にしてみた。
「花岡さんはなぜそんなに今回の事にこだわるの?その、良かったら理由を聞かせてくれない?」
彼女はじっと俺の目を見つめた後、話し始めた。
「私、目指している夢があるんです。それは国家公務員採用試験というのを受けて警察庁で働く事です」
その言葉に意表を突かれた、女子高生の口から発せられるには予想外の言葉だったからだ。俺は一度止まった思考を再度巡らせ知識の倉庫から情報を掘り起こし返答した。
「えっと、地方公務員で警察官とかじゃなくて?」
「はい!病葉さん意味分かるんですか!?周りの友達はぜんぜん知らなくて、良かった」
「うん、まあ人並みには」
彼女の言っている夢はいわゆる交番にいる警察官ではなく、警察庁で働くキャリア組というやつだ。組織の管理者であり年間10人程度しか受からない難関だ。
「さすが27才ですね!お兄さんですね」
お兄さんという言葉がとって付けたように感じた。なるほど冗談も言える子のようだ。
「はいはい、どうせおっさんですよ、すぐに花岡さんもおばさんになるよ」
「もう~そんな事、誰も言ってませんよ~」
彼女が笑いながら答えた。そして初めて俺の前で見せた笑顔に俺は驚いた。
笑顔が滅茶苦茶可愛いな、おい!天使かよ!いやダメだ俺には大事な彼女が居る、変な気を起こすな。俺は平常心を保ち一般的な大人を演じなければならない。
「で、将来は警察官僚になりたいから今回の事にこだわるって訳かな?」
「理由はそれだけじゃないんですが、自分の志に嘘は付きたくないんです」
「なるほど、なんとなく花岡さんの事が分かって納得したよ」
警察官僚を目指す高校生なんてどれほどの人がいるだろうか、きっと彼女には目指す理由が何かあるのだろう。そこまで現時点で深入りして聞くのはよそう。しかしこの時の俺は、心が震えるような感覚を感じていた。
「良かった!理解してもらえて。友達や先生からは、こんな話すると変な子みたいに見られて、あんまり話せないんですよね」
「俺は警察や犯罪に関して知識があるからね」
「え、そうなんですか?」
しまった口が滑った。これ以上は話すな。
「あー、元警察官の知り合いから話を聞いた事があるだけだよ。今はぜんぜん」
「ふぅーん、そうなんですかー」
「そ、そうだ、警察官僚を目指すなら勉強、沢山頑張らないとね」
「はい、そうなんです、けどうちお金持ちじゃないからアルバイトもしなくちゃで、家にお金入れないとだし」
「親御さんは応援してくれないの?」
「あ、えと父は小さい頃病気で亡くなって、今は母と二人暮らしなんです」
「そうなんだ」
しまった深入りし過ぎたか?
「けど頑張ります!勉強する時間は睡眠時間削れば良いし、なにより目標がありますし!」
そう語る彼女の表情には活気がみなぎっているようだった。まるで夏に咲き誇るひまわりのようで昼間の太陽の日差しのような眩しさを俺は感じた。
「そうか、実は俺も母子家庭でね。その辺りの大変さはよくわかるよ」
「そうなんですか!私たち似た者どうしなんですね!」
彼女が笑顔で答えるのを見て、俺はとっさに顔をそらした。動揺しているのか?まさか高校生相手にバカバカしい。
「あ、そろそろバイトの時間なんで行かないと」
「ああ、支払いは俺がしとくからお金は良いよ」
「え、でも」
「これくらい、おっさんに奢らせてくれ」
俺は笑顔でほほ笑んだ。
「すみません、じゃあ御馳走様です!」
「あの、もしよければまた時間がある時、お話しても…その、良いですか?」
その言葉を聞いて俺は完全に動揺した。
「う、うん良いよ」
「良かった。じゃあ、ありがとうございました」
そう言い残すと、彼女は足早に店を出ていってしまった。
俺は会計を済ませ、動揺した心を落ち着かせながら家までの帰り道を歩いていた。
これが、モテキというやつか?いやいや有り得ない!俺に限ってそれはない。それに俺には彼女がいる。いや万が一の為に花岡さんにはちゃんと伝えておかないとな。汚い大人には思われたくない。
様々な思考を巡らせながら歩き続けた。この動揺は寝るまで止まらないだろう。
「まさか!?美人局じゃないよな!」
俺は、誰にも聞こえない独り言を呟いていた。
次回 【第五話 経験に学ぶな歴史に学べ】
関連情報紹介
*1 レーサーレプリカバイク:主にサーキット走行を目的とし、空力効果の高いフルカウルに覆われ、ハンドルはセパレート形状でハイパワーなバイクの事。排気量400cc以上は大型自動二輪免許が必要。
*2 アメリカンバイク:車高が低く、足つきも良く乗りやすいバイク。アメリカのバイクメーカー、ハーレーダビッドソン車が代表的。126cc~400ccまでが普通自動二輪免許で乗れる。
*3 フルフェイスと半ヘル:フルフェイスは顔全体が覆われたタイプのヘルメットで半ヘルは耳から上半分までのヘルメットの事を指す。バイクに乗る時ヘルメットのあご紐は必ず締めましょう。締めないと死にます。
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