第一章 「インシデント」 病葉亮編

第一話 インシデントアクター



――――――1971年(昭和46年) 冬 ――――――




「先輩、もう0時過ぎましたよ。今日はこの辺りで切り上げましょうよ」

車の運転席から外に向かって、寒さに凍えながら男は話しかけた。


「ああ、そうだな…」

体格は良く筋肉質なのが制服の上からでも見てとれるもう一人の男はそう呟くと、ドアにもたれかかった体を起こしタバコを深く吸いこんだ。そして吐く息は白息しらいきと混ざり、一瞬辺りを白く染めた。


「よっこらしょっと!」

大柄な体が革のシートをきしませ、乱暴気味に車のドアが閉められた。


「高木、安全運転で行けよ」


「分かってますって」

車のエンジンがかけられ、そしてゆっくりと進み出した。


「先輩、組んでもう一年立つんですよ?もうちょっと信用してくれてもよくないですか?」


「ああ?何言ってやがるお前なんかまだまだヒヨッコだ」


「そうですか、これでも勤続十年目の立派な警察官のつもりなんですけどね」

やれやれという感じでハンドルにもたれかかりながら運転を続ける。


「はっ、十年ねえ…」

男は窓から外を見つめ呟くだけだった。


「さすが元、鬼の四機と呼ばれた小隊長、月見さんらしいです」


「俺らしいってなんだよ、そう言えばお前もあの時現場に居たんだったか?」


高木は暫くの沈黙の後話始めた。


「ええ、忘れもしません東大安田講堂事件。大学生と警察機動隊、国家権力との戦争だなんてメディアは報道してましたよね。俺はあの時第七機動隊の後方部隊でしたが四機の突入の凄まじさは隊でも話題でしたから」


「後方からしか見えませんでしたが、頭上から降り注ぐ火炎瓶とコンクリートの投石、ガソリンで燃え上がる隊の仲間…正直体が震えっぱなしでした」


「そうかまぁ、無理ないさ」


「中はもっと凄かったんですよね?」


「そうだな、燃え上がるバリケードを消火、撤去しながら講堂まで進み硫酸の異臭と煙で頭がどうかなりそうだったよ。隊員皆、必死だった。それだけさ」


「そうですか…」

高木はそう声を漏らすように答え、暫くの間をおいてから話し出す。


「あの学生達の目的は何だったんでしょうか?学生運動があそこまで過激だとは、その、出動して現場を見て、見ても彼らをあそこまで突き動かしているモノが何なのか俺には分かりませんでした。発端は医学生の待遇改善を求めたデモ活動だったとか聞きましたけど…」


「目的ねぇ…」


「そうだな講堂に突入した時、俺は彼らの目を見た。その時思ったんだが目的が分からないから行動をしているのでは?と」


「目的が分からない行動?ですか?」


「そう、なんと言っていいか…」


「彼らからすればだ。この社会に生まれる前からルールが勝手に決められているという立場なわけだ」


「はあ」


「そうだな例えるな最初から参加していない全く知らないゲームに突然放り込まれて負け続けたら、そんなゲームは楽しくないし納得いかないだろ?」


「ええ、まあ。そうですね」


「そこでゲームなら、新しい人が来たらルールを説明して最初から始めようって出来るが、現実の社会はそうはいかないわけだ」


「なるほど後からゲームに参加する若者は不満が溜まると」


「そう、不満だから行動するし、もがき、あがく。この感覚は若いお前の方が理解出来るんじゃないか?」


「なんとなく…」


「しかしだ、先人達は自分達に不利なルール変更は許可しないわけだ。さらには若くて健康な労働力をコントロールしたいわけだ。若者はそのルールの壁の厚みと高さを知った時、どうしようもなくなり目的を見失った…」


「それがあの時、突入した月見さんが感じたモノというわけですか」


「まぁ、それが全てじゃないがな。俺のように歳を重ねたもんからするとどうしても若者と過ごした世界ってのが体感で違うんだ。全てなんか解ってやれねぇよ」


「そういうもんですか?」


「それに問題は一つじゃない。学生達の中には純粋に未来を危惧し、その根本には愛国心がある者も幾らか居るだろう。しかし皆がそうではないってのも問題だ」


「実際の所、東大でも共産党の青年部組織やセクトといった海外に影響された勢力も入り込んでいやがる。そこが問題だ。不満を抱く若者のに共産主義革命を説き、上手く目的を与えさらに、流されやすい若者達を扇動し組織に取り込んだというのも事実だろうさ。そうさせて日本が混乱して喜ぶ勢力も存在する」


「なんか難しい話ですねぇ。」


「そうだな、社会ってのは複雑極まりない。いや世界か。だが安田講堂事件で俺は思うよ」


「なんですか?」


「将来、これから何十年後の未来の若者はどうやって日本の悪い所を変えられるのかってな。改革勢力も少し前までは世論の支持をある程度受けていたが、今じゃ激しい内ゲバや警察官殺しで世間は冷めてやがる。将来本当に改革が必要になった時、同じ事は繰り返して欲しくねぇってな、娘が大人になった時どうか日本は若者に暮らしやすい社会になってて欲しいもんだ」


「なるほど、何十年後かですか…」


「そういや、聞きにくくて今まで聞いてなかったんですが、その、月見さんはなんで機動隊を辞めて所轄勤務になったんですか?」

高木は申し訳なさそうに質問するが、その雰囲気を察した月見はすぐに口を開く。


「はは、そんな大した理由じゃないさ」

笑いながら答える月見の様子を見て、高木は自らの質問の緊張から解放された。


「女房に泣きつかれちまってな、それこそ安田講堂の件さ。あんな危険な仕事はもうしないで欲しいってな」


「ああ、そうですよね」


「あ、でも意外ですね。鬼の隊長なんて言われてるから、もっとこう家族なんて返り見ない仕事一辺倒なイメージでした」


「ふっ、まぁ昔はそうだったかもな。でもな娘が生まれてからかな、なんか大きく変わっちまうもんなんだよ」


「あ、また娘さんの自慢ですか?」

高木は笑みを浮かべながら質問するが、その返答は予測済みといった感じである。


「子供は絶対男が良いと思ってたが、いざ生まれてみるとこれがどうだい、可愛いったら仕方ねぇ」


「はは、もう娘さんの話は聞き飽きましたよ。もうすぐ五歳でしたっけ?」


「ああ、今年で五歳だ。甘えたで俺が仕事に行くたびいつもグズっちまってさ、お父さんが帰るまで起きてるなんて言い出した日にゃあ…、まぁお前も子供が生まれれば分かるさ」


「俺んとこは妻と話し合って、もうちょい新婚気分を味合うって事になってんですよ」

高木は幸せそうな笑みを交えながら話す。


「あ、昔話ついでに思い出しましたよ。俺!月見さんと組む事聞いた時凄く嬉しかったんですよ。なんせあの四機の月見 たける隊長と組めるなんて思ってませんでしたから!」


「そうかい?そりゃなによりだ」

鼻で笑いながら言葉を返した。


窓の外を眺めながら月見は考えた。

はっ、感謝しなきゃいけないのはむしろ…


二人の会話が途切れ、せまい車内の空間が走行音だけに包まれた。しかしそこに無線を知らせる無線機からの電子音が車内に響いた。


”ビー、ビービビ”


”至急、至急。こちら警視庁。警視庁から本郷2”


月見は素早く無線機マイクを手に取り応答した。


”こちら本郷2どうぞ”


”文京区調査方から110番入電。場所は本郷一丁目16番。安田邸にて不審な音、叫び声が聞こえたとあり、至急そちらに向かわれたし”


”本郷2直ちに向かいます”


”なお当該、安田氏は東大教授であり、頻繁に学生が出入りしていたとの事。十分留意されたし”


”了解”


無線機マイクを月見が置くとほぼ同時に、高木は既に素早くハンドルをきりアクセルを強めに踏んでいた。


「俺達が噂したからですかね」


「馬鹿な事言ってんな、聞いたどうりだ気を引き締めていけ」

その言葉を聞いてさらに車は加速して現場に向かった。曲がりくねった住宅街の道を暫く進み、そして二人を乗せたパトカーは現場の安田邸前に到着した。


「ここですね。さすが東大の先生ですね、デカいお家な事で」


「よし、念の為だ装備確認!」


「あ、はい!」

二人はパトロール業務中でも警棒は勿論、実弾のこめられた拳銃を常に装備していた。過激派と呼ばれる活動家による警察官殺しが実際に起きてしまっている以上万全を期す形である。二人は素早く確認した後安田邸の玄関前、門扉の前に向かった。


門扉に歩みを進める、そこで二人は直ぐに不審な状況に気がづいた。


「先輩、門が開いてますね」

高木が言うように門扉は三分の一ほど開かれ、ごく最近人の出入りがあった事が見て取れた。


「呼び鈴鳴らしますか?」


「そうだな」

高木が呼び鈴を鳴らす。


”ピンポーン”


反応は無い。


月見は開かれた扉の隙間から足元の石畳、そして奥の玄関視まで視線を送る。


「取り敢えず入るぞ」

月見は邸内に侵入しその後を高見も続く。


「すみません警察ですが、誰かおられませんか!」

戸を叩きながら大きめの声で呼びかけた。だが返事は無い。


「どうしましょうか?」


月見は一度ため息をはいて、戸のノブを回し引いてみる。意外にも戸は開かれ、玄関には幾つかの履物が散乱している光景が目に入る、そして二人は顔を見合わせた。


「仕方ない入るか」


「いいんですか?」


「ああ、通報があったんだ仕方ないさ」


「よし、お前は無線で現状報告と応援を呼んで来い。それからこれだけデカい家だ必ず裏口があるはずだ、そこで誰も出てこないか見張れ」


「いいか、お前は入って来るなよ」


「は、はい!了解です」

高木は素早くパトカーえと戻り無線で現状報告と応援を呼ぶ。


「よし。後は裏口と」

塀ずたいに歩き裏口を探す。そして丁度、表門の真裏に裏口をみつける。

中に入るなと言われた高木は何度かジャンプしてみるが塀は高く中の様子はうかがえない、その時である。裏口の戸が開きそこに少年が現れたのだ。年は十歳ぐらいだろうか驚きつつも直ぐに少年の元に駆け寄る。


「君はここの家の子かい?」

少年の肩に手を置き、優しく語り掛けるが少年は無表情ながらもその目は真っ直ぐで何か得体の知れない不安感を感じるものであった、一瞬高木は何故か少年のその眼差しに釘付けになった。


その様子を見てか、少年はゆっくり口を開いた。


「お兄さん、それでいいの?」



次回 【第二話 俺は何をした?】


関連情報紹介

*1 安田講堂事件

1969年1月18日から1月19日 東京大学の安田講堂事件

YouTubeリンク https://www.youtube.com/watch?v=-Ho2LgVW3jk

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