閉じ込められたオリヴィア 1

「クァルーツェ、ベルーチェ、ルチェル、カザヴェ……駄目だわ、思いつかない」


 オリヴィアはフィラルーシュの地図を前に、腕を組んで首を左右にひねっていた。

 オリヴィアのために紅茶を用意しながら、テイラーがテーブルの上に広げられている地図を覗き込む。


「隠し部屋にあった地図の、ピンが刺されていた地名ですか?」

「そうなの。何かある気がするんだけど、わからなくて。サイラス殿下に相談したいけどできないし……ユージーナ様たちは地図に興味がなさそうでしょ?」


 来賓客が使っている部屋以外、一階から三階の隠し部屋はほぼ探し尽くした。地図は隠し部屋のすべてにあったわけではなく、今のところ見つけたのは四カ所だけだが、四カ所も古い地図が飾られていたのには何か意味があるはずだとオリヴィアは考えている。しかしこれと言って何かを思いつくわけでもなく、もやもやばかりが募っていく。


「古い地図ですもの、昔この地で何があったのかを調べればもう少しわかりそうなものだとは思うのだけど」


 隠し部屋を探し尽くしたため、することがなくなってしまって、今日は何の予定もない。イーノックとユージーナは、隠し部屋の線を早々に捨てて、別の線から当たるそうだ。今日は庭を調べるという。オリヴィアも手伝おうかと申し出たのだが、庭をぐるりと回るだけだから大丈夫だと言われたのだ。


 サイラスはサイラスでエドワールのチームでの仕事がある。することがなくなったオリヴィアは、図書館への出入りを申請して、初代国王バティスト一世の伝記を持って来た。伝記に選定の剣の隠し場所が記されているとは思えないが、何らかの手掛かりがあるのではないかと思ったのである。


「オリヴィア様は部外者ですのに、そこまで一生懸命にならなくてもよろしいんじゃありませんか?」


 テイラーが苦笑しつつ、濃いめの紅茶をテーブルの上に置いた。テイラーは、オリヴィアが頭を使うときは甘めのミルクティーを好むことを知っているのだ。オリヴィアが頼まなくても、ティーカップにミルクと砂糖を落としてくれる。


「そうはいかないのよ。サイラス殿下に負けるわけにはいかないの」

「サイラス殿下に?」

「あ……いえ、なんでもないわ」


 まさかサイラスと賭け事をしていると知られるわけにはいかない。


(本につられて受けちゃったけど……負けたらキスをして大好きって言わないといけないんだもの。そんな恥ずかしいこと……無理よ。負けられないわ)


 わずか一秒の触れるだけのキスでさえ憤死しそうになるのに、サイラスは最低五秒と時間まで設定した。五秒。長すぎる。その五秒の間に心臓が止まるだろう。


 テイラーに賭けの内容を知られたら、いつもオリヴィアにもっと積極的になるべきだと言っている彼女はサイラス側に回る可能性が高い。テイラーが敵に回れば、オリヴィアの行動はサイラスに筒抜けだ。絶対に知られてはならない。


「でも、ユージーナ王女が勝ったら、それはそれで面倒なことになるんじゃないですか? だって、これは次期王位を決める争いでしょう?」

「それは……そうなんだけど……」


 しかし、ウィルソンの口ぶりでは、ユージーナは王位を望んでいないという話だ。ならば、ユージーナが勝ったところで彼女が王になることはない気がする。


(……ん? そう、よね。ユージーナ王女が勝っても辞退するなら、そもそもこの儀式、する必要はどこにもないんじゃないかしら?)


 オリヴィアは首をひねった。


(これが『選定の儀式』だというのは間違いなさそうなんだけど……、それはそれでおかしいわよね? ウィルソン陛下は何を考えていらっしゃるのかしら……?)


 ウィルソンの狙いは何だろう。『選定の儀式』は本来、時期国王を選出するためにされる儀式だが、本来の意味を持たないのならば、それ以外の目的があるはずだ。


 ウィルソンが言った「置き忘れた」という線はゼロだとオリヴィアは見ている。

 ウィルソンが城の中に置き忘れたと仮定した場合、彼が、絶対に城の中にあると断言したことがそもそもおかしいからだ。城の中に置き忘れたとしても、第三者が見つけて持ち出す可能性はゼロではない。しかしウィルソンはその可能性を端から捨てていた。つまり、ウィルソンは剣がある場所が、第三者が気軽に入ることができない場所だと知っているのだ。場所を知っているならばそれは「置き忘れた」のではなく、故意に置いたことになる。だから、これが『選定の儀式』であることは間違いない。

 だが、かといって、ウィルソンの目的は次期王を決めることではない気がする。


(というか……最初陛下は協力して探せと言わなかったかしら?)


 すると、最初からエドワールとユージーナの二人に優劣をつけることにこだわっているわけではなさそうだ。


(ますますわからなくなってきたわ。……この件を考えるのは後にしましょう)


 とにもかくにも、選定の剣を見つけ出すことの方が先決だ。ウィルソンの真意など、剣を発見すればおのずとわかることである。

 オリヴィアはソファに深く身を沈めると、バティスト一世の伝記を開いた。


(……こうして他国の歴史を見ていくのも面白いわね)


 本に視線を落として集中すると、すっと周囲の音が遠くなる。

 フィラルーシュの初代国王について、オリヴィアも多少の知識はあるけれど、知っているのはせいぜい、彼が高位貴族出身ではなく騎士の出であることと、もともとは帝国に反旗を翻した皇帝の弟に従っていた騎士の一人だったことくらいだった。


 皇帝の弟が戦の途中で病に倒れ命を落としたのち、初代国王が彼の意思を継いで、のちのちフィラルーシュを建国した。


 伝記の最初は、皇帝の弟が自分の妻を兄である皇帝に奪われ、怒りのあまり皇帝に斬りかかったところからはじまる。


 皇帝は命を落とすことはなかったが、腕に重症を負い、皇帝の弟はその場で捕らえられて塔に閉じ込められる。死刑が確定し、刑が執行される前日、初代国王が彼を助けに塔に忍び込み、逃亡。そして二年ほど同志を募り、帝国に対して戦争を仕掛けるのだ。


 すでに帝国に対して反旗を翻し、戦争を起こしていた初代ブリオール国王トルステンの協力を得、彼は次々に帝国の西側の領土を制圧していく。

 最初に制圧した南西のカザヴェから、徐々に東や北に攻め入って、ヴォモーザの地を制圧したとき、皇帝の弟が倒れたそうだ。彼は半年の闘病の末、命を落とす。


 皇帝の弟の意思を継いだ初代国王は勢いを増し、それから八か月と言う短い時間で現在のフィラルーシュ国の国土のほとんどを制圧した。


(カザヴェ……偶然かしら?)


 隠し部屋にあった古い地図の、ピンが刺された地名の一つと、伝記に出てくる地名が一致し、オリヴィアはふとページをめくる手を止めた。

 隠し部屋の地図は古い時代のものだったので、伝記に同じ地名が出てくるのは不思議ではない。

 だが、この儀式をはじめたのがバティスト一世の妃であったことから考えるに、もし地図が儀式と関係していると仮定した場合、バティスト一世と関係性があると見てもおかしくない。


「テイラー、紙とペンを持ってきてくれないかしら?」

「わかりました」


 テイラーがライティングデスクから、何も書かれていない紙とペンとインクを持ってくる。

 オリヴィアは伝記にしおりを挟んで閉じると、隠し部屋の地図のピンが刺されていた地名、クァルーツェ、ベルーチェ、ルチェル、カザヴェの四つを書きだした。


「どうするんですか?」

「地名に何かヒントがある気がするの。せっかく伝記を読んでいることだし、バティスト一世が制圧した地名順に並べ替えてみましょう」


 オリヴィアは紙の空白のページに、まずカザヴェと書く。

 そして伝記を開いてページを追い、次にルチェルと書いた。そしてその次にベルーチェ、最後にクァルーツェと書く。


「カザヴェ、ルチェル、ベルーチェ、クァルーツェ……テイラー、何か思いつく?」

「いえ、これと言って特に……意味のある言葉には思えないです」

「そうね……頭文字をつなぎ合わせても……意味をなさないわね。共通の文字を抜いて呼んでも……うん、ダメみたい」

「まだ言葉が足りないんでしょうか?」

「そうかもしれないけど、でも、隠し部屋はほぼ調べ尽くしたわ。あと残るところは来賓客の部屋だけよ。それは、皆さんが帰ったあとでないと調べられないわね」

「そうですよね。一階から三階まで調べましたもんね。地下室は倉庫とか牢屋とかしか……」


 テイラーが顎に手をあてつつ難しい顔をする。オリヴィアはハッと顔をあげた。


「テイラー、そうよ! 地下を調べていなかったわ」

「え、でも……地下室ですよ?」

「古いお城は、往々にして地下の方が隠し部屋が多いものよ」

「そうなんですか?」

「……物語ではね」


 オリヴィアも、古い城を探検したことはないので、実際のところはよくわからない。しかし、上の階にこれだけの数の隠し部屋があったことから考えて、地下に一部屋もないとは考えにくい。


「どうせ今日はすることがないもの、わたくし、ちょっと調べて来るわ」

「えー……地下牢ですよ?」

「地下牢にはいかないわよ。さすがに勝手に入り込んだら怒られるもの。でも、倉庫ならいいんじゃないかしら?」


 オリヴィアは『選定の儀式』の協力者として、城の中をある程度自由に歩き回る権利を与えられている。地下牢は難色を示されるだろうが、倉庫を調べて回る分には大丈夫だろう。

 テイラーは気乗りしない様子だったけれど、渋々と言った様子で「じゃあ、せめて着替えてくださいね」と言った。


「地下の倉庫なんて埃っぽいに決まってますもん。せっかくの可愛らしいドレスが汚れたら大変です。オリヴィア様のドレスはどれも素敵なので、わたくしの服を着てくださいませ」

「そうしたらテイラーの服が汚れない?」

「わたくしの服は仕事着ですからいいんです」


 ドレスは絶対に汚させないと言うテイラーの剣幕に押されて、オリヴィアはテイラーが差し出した紺色のワンピースに着替えることにした。

 いつもより丈の短いひざ丈のワンピースがちょっぴり新鮮で、オリヴィアはスカートの裾を引っ張って笑う。


「動きやすくていいわね、これ」

「そりゃあ動きにくかったら仕事になりませんから……それにしても、オリヴィア様は何を着てもよく似合いますね」


 飾り気のないワンピースの上に、白いエプロンをつけていると、エプロンの紐を結ぶのを手伝ってくれながらテイラーが苦笑する。


「オリヴィア様、その格好で今度サイラス殿下を『ご主人様』と呼んだら喜んでくれるんじゃないですか?」

「どうして?」


 きょとんとするオリヴィアに、テイラーは少し悪い笑みを浮かべた。


「男は意外と、単純な生き物ですから」


 オリヴィアにはよくわからなかったが、サイラスが喜ぶのなら、そのくらいは別にかまわない。

 テイラーに勧められるままに「わかったわ」と頷くと、テイラー笑みを深くしながら「ふふふ」と楽しそうな声を上げた。




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