隠し部屋 4

「え? エリザベート様がご懐妊?」


 その知らせは、隠し部屋を探しはじめて二日目の朝。サイラスとともに朝食を取っているときにもたらされた。


 夕食はウィルソン国王夫妻やエドワールたちとともに晩餐の席が用意されるのだが、朝食と昼食は部屋に運ばれる。オリヴィアはサイラスの部屋で一緒に食事を取ることにしているので、いつもどおり向かい合って食事を取っていた時、サイラスが「まだ秘密ね」と声を落として教えてくれた。


 体調不良が続いていたエリザベートを心配してエドワールが侍医に診察させたところ、妊娠が発覚したのだそうだ。

 結婚してから五年。ずっと懐妊の兆しがなかったエリザベートは、自身の体調の変化に無頓着で、まさか自分が妊娠しているとは思いもしなかったらしい。


 侍医の見立てでは現在八週目を過ぎたところだろうとのことで、エリザベートはそれを聞いて、「言われてみたら心当たりが……」とぽわんとしたことを言っていたそうだ。


 そんなぼんやりしているエリザベートに、エドワールは危機感を募らせたようで、安定期に入るまで絶対安静を言い渡し、『選定の儀式』のチームから彼女を外した。

 エリザベートはそれを不服としたけれど、君が動くなら四六時中張り付いていると宣言した夫の過保護ぶりに諦めたそうで、しばらくはエドワールの言う通りおとなしくしているそうだ。


「国民に知らせるのは安定期に入ってからだそうだよ。まあ、昨日エドワール殿下が大騒ぎをしたから、城で働いている人のほとんどが知っているだろうけどね」


 結婚して五年も懐妊の兆しがなかったのだ、エドワールの喜びようは周りがあきれるほどらしい。昨日のうちに名前を考えるだの乳母の面接をはじめるだのと言い出して、様子を見に来た王妃リザベッラを唖然とさせたという。


 ちなみに、エドワール以上に興奮しているのが祖父になるウィルソンで、二人目の孫だと騒ぎ出して、リザベッラにエリザベートのストレスになるから静かにしていろと怒られたそうだ。


「だからね、エリザベート妃の代わりに、こちらのチームに補充が入ることになったんだ。エリザベート妃のご友人の、アーネット伯爵夫人だよ」


 アーネット伯爵夫人は名前をモアナというそうで、エリザベートの学生時代の友人だそうだ。


 ブリオール国では、貴族の子女の教育は、家庭教師をつけてそれぞれの家で行う文化が根強く残っているが、フィラルーシュ国は、王立学園が作られてから、そちらで学ぶことが多いという。特に、王族が手本として通うようになってから、ほとんどの貴族の子女が学園に通うようになったそうだ。基本教育が十六歳になる年の春から三年間で、希望者はそこから追加で二年間の高等教育が受けられる。もちろん、基本教育後に、ほかの教育機関――大学などへ進学も可能だ。


 エドワールは高等教育を含めて五年間学園に在籍したそうで、その時に三歳年下のエリザベートを見初めたという。


「学園って楽しそうでいいよね。うちも作ればいいのに」

「そうですね。……ただ、殿下たちは遊ぶ時間がまったくなくなると思いますけど」


 ブリオール国の王子、王女、そして彼らの婚約者に課せられる教育はとても多い。それに、成人してから、勉強だと言って国政に関わることを余儀なくされる王子たちは、学園に通う時間に仕事をすることになるから、ほとんど毎日を欠席することになる。フィラルーシュに倣って学園を設立するのならば、ブリオール国の王族の教育課程を、根本から見直すことになるだろう。一朝一夕で実現できる問題ではなさそうだ。


「ブリオールって面倒くさい伝統とか文化が多いよね」

「トルステン初代国王は、王族出身ですからね」

「なるほどね、確かにそう言うのも関係ありそうだ。フィラルーシュの初代国王は騎士だもんね。きっと、トルステン国王よりは柔軟性に富んだ方だったろうし」

「考えられたのはバティスト一世陛下の王妃殿下だそうですけど、血の流れるような跡目争いではなく、『選定の儀式』という平和な方法で次期国王を選定するのも、他では例を見ないことですからね」

「一方うちは、国の全土を巻き込んで、盛大な跡目争いをした歴史がある、と」

「もちろん、それぞれの国にはそれぞれの長所がありますから、どちらがいいとは、申せませんけどね」


 国が違えば重きを置いている事柄は異なる。ただの傍観者ならそれらを比較して好き勝手な意見もいえるだろうが、実際に国を治める立場になるとそうはいかない。いいものを発見したからと次々に取り入れていては国が混乱するし、かといって何の変革もなければそれはそれで軋轢を生む。


「こういう議論は、ワットールが好きそうだねえ」

「確かに、ワットール様はお好きかもしれませんね」


 王妃教育の教育係の最高責任者であるワットールの気難しそうな顔を思い浮かべてオリヴィアは笑う。オリヴィアは、再び王妃教育を受けるようになってからワットールに教えを乞うているけれど、彼はこういう討論が大好きで、教育と言いながら、何か題材を見つけてはオリヴィアと意見を述べ合って楽しんでいる節がある。今回の話題も、嬉々として乗ってくるだろう。


「オリヴィア様、そろそろお支度をしないと、お時間になりますよ」


 おしゃべりを楽しみながら朝食を取っていると、テイラーが呼びに来た。そろそろ、ユージーナたちとの約束の時間になるらしい。


「あら、もうこんな時間なんですね。ゆっくりしすぎてしまいました」

「僕はいつまででもいてくれてかまわないけどね」

「殿下もエドワール殿下に呼ばれているでしょう?」


 扉のところに立っているコリンがあきれたように言って、サイラスが肩をすくめる。


「わかっているよ。……仕方ない、僕も支度しよう」


 もっとオリヴィアとゆっくりしたいのに、とぼやきながら立ち上がったサイラスに苦笑して、オリヴィアもテイラーに急き立てられるようにして部屋をあとにした。






 ユージーナのところにもエリザベート懐妊の知らせは入っていたようだ。

 彼女たちと合流して隠し部屋調査をはじめたオリヴィアたちだったが、ユージーナが振ってくる話題の大半は、エリザベートの懐妊についてだった。


「本当によかったわ。お兄様は子供なんてできるときにできるものだなんて暢気なことばかり言っていて、危機感がまるでなかったんですもの。ひとまず、子供ができてホッとしたわ」


 ユージーナは心の底からエリザベートの懐妊を喜んでいるようで、オリヴィアはそんな様子の彼女に若干の違和感を覚えつつ同意を示した。


「はい。エドワール殿下もとてもお喜びらしいです」

「でしょうね。でも、こういうとき殿方はちっとも役に立たないものですわよ。オリヴィア様も覚えておいて。わたくしのときも、イーノックは騒ぐだけ大騒ぎして、何の役にも立たなかったの」

「そんなことはないだろう? ベビーベッドとか、いろいろ準備したじゃないか」

「妊娠して三か月も経っていないのに、子供部屋を改装してベッドやおもちゃ、果ては乳母まで手配して来ておいて、何を言うの。まだお腹も大きくなっていないのに、今日からお腹の子供の乳母だよってボニーを連れてこられた時はどうしようかと思ったわ。ボニーもすることがなくて途方に暮れていたじゃないの」

「そ、そうだったかな」

「そうよ。どうせお兄様も同じようなことをするに決まっているわ。あなたとお兄様、変なところでよく似ているもの」


 ユージーナは、はあ、と大げさなため息をついた。


「ちなみに最初は女の子だと勝手に決めつけて女の子用の部屋と用意した結果男の子で、大急ぎでもう一部屋用意することになったの。あの女の子用の部屋はどうするつもりなのかしら」

「二人目ができたときに使えばいいじゃないか」

「二人目も男の子だったらどうするのかって言っているの」

「その時は三人目だね」

「いったい何人産ませるつもりなのかしら。一度話し合いの席が必要のようね」


 じろりとユージーナに睨まれて、イーノックは笑顔ですすーっと後ろに下がった。

 まったく、とユージーナは額を押さえる。


「とにかく、周りが大騒ぎをしてエリザベートにストレスを与えないことね。お兄様もお父様も人の言うことを聞きやしないもの。お母様にしっかり見ていていただかないと」


 ユージーナは同じ女性だからか、エリザベートが――というより、周りの騒ぎ具合が――心配で仕方がない様子だった。オリヴィアは妊娠も出産も当然経験したことはないので、そう言うものなのかと聞くに徹する。


(でも、ユージーナ様がエリザベート様をここまで心配するなんて思わなかったわ)


 エドワールが言うには、ユージーナはエリザベートに対してあたりが強いところがあるという。険悪とは思っていなかったが、てっきり、それほど仲は良くないのだろうと思っていた。


「そんなに心配なら、君がついていてあげればいいのに」


 イーノックが言ったが、オリヴィアも本当にその通りだと思う。エドワールも、ユージーナがエリザベートを心配している様子を見れば、妻と妹の仲を不安視しなくてもいいとわかるだろう。

 ユージーナは顔を曇らせて、首を横に振った。


「いいえ。わたくしはお断りするわ。今はまだ、少し早いと思うの」

(早い?)


 タイミングの問題があるのだろうか。オリヴィアが不思議そうにしていると、ユージーナがハッとして、慌てたように話題を変える。


「おしゃべりはこのくらいにして、部屋を探しましょう。イーノック、城の見取り図を見せてちょうだい」

「ああ、いいよ。ちょっと待ってね」


 ユージーナは違和感の残るような言い方をしたのに、イーノックは疑問を持たなかったようで、笑顔で城の見取り図を取り出した。

 オリヴィアは小さな引っかかりを覚えつつ、二人と一緒に、城の見取り図を覗き込んだ。


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