18

 サイラス達が戻ってきたのは夜もだいぶ更けてからだったようだ。

 夜も遅いため、見張りをしていた囚人の監督責任者から話を聞き、今夜の捜索範囲と警備の強化について話をしただけで戻ってきたので、滞在時間はそれほど長い時間ではないが、行って戻るだけでもそれなりに時間を使うので、戻るころには真夜中になってしまったのである。


 オリヴィアはサイラスの帰りを起きて待っているつもりだったが、ベッドに腰かけて本を読んでいるうちに眠ってしまっていたらしい。

 目が覚めたのは空が白みはじめたころだった。

 さすがにこんな早朝ではカフェもレストランもあいていない。テイラーもまだ起きていないし、もちろんサイラス達もまだ眠っているだろう。

 大通りに面している側のカーテンを開けて下を見ても、歩いている人はほとんどいない。


 湯を沸かすための小さな暖炉に火を入れてカモミールティーをいれると、オリヴィアは時間をつぶすために本を読むことにした。

 読みかけの本はこの町の本屋で仕入れた香に関する本である。サイラスに香壺を買ってもらったのと、ワイバル博士に古代王朝の神殿で炊かれていた香の話を聞いたから何となく調べて見たくなったのだ。

 さすがにこの本には古代王朝で使用されていた香については書かれていないが、カルツォル国で流通している香についてはいろいろ書かれている。ワイバル博士が言った通り、カルツォル国では香を薬品のように使用することもあるそうで、神経を麻痺させる作用のある香や、強い催眠作用のある香などを医療現場で用いることも多々あるそうだ。


(カルツォル国には呪術師と呼ばれる人もいるのよね)


 呪術師とは吉兆を占うだけではなく、人を呪い殺したりすることもある恐ろしい集団だと聞くが、その呪術師もこう言った香をよく用いるらしい。

 そんな恐ろしい香には全く興味のないオリヴィアは、そのあたりのことが書かれている箇所を飛ばして、リラックス効果や美容効果のある香について書かれている部分を開いた。その中にはサイラスに買ってもらった香もある。

 オリヴィアが夢中になって本を読んでいるうちにテイラーが起き出してきて、朝から本を読んでいるオリヴィアを見てあきれたように息を吐いた。


「お嬢様、昨夜も遅くまで起きていたのに、こんなに早くに起きて何をしていらっしゃるんですか」

「目が覚めちゃったのよ」

「まったくもう。今日は例の件で遺跡へ向かうのでしょう? 無理をして倒れたらどうするんですか」


 例の件とは、ティアナが逃亡したという件である。

 昨夜は一緒に連れて行ってもらえなかったから、今日は意地でもついて行くつもりだ。さすがに自分だけ蚊帳の外におかれるのは嫌である。


 ぶつぶつ小言を言いながらテイラーがオリヴィアの身支度を整えてくれる。

 オリヴィアが朝食をとるためにレストランへ向かうと、そこにはサイラスとアランの姿があった。寝不足なのか、二人とも眠たそうな顔をしている。


「おはようございます」


 オリヴィアが席につくと、眠気覚ましのためなのか珈琲を飲んでいたサイラスが給仕を呼び止める。二人はオリヴィアが降りてくるまで食事をせずに待っていてくれたようだ。

 テイラーは違うテーブルでコリンたちと食べるので、サイラスは三人分の朝食を給仕に頼むと、小さく欠伸をかみ殺した。


「昨日は遅かったんですか?」

「そうだね。長居をしたつもりはなかったんだけど、やっぱり夜道だから、昼よりも往復に時間がかかるからね」

「周辺の警備強化だけ頼んできたが、大掛かりな捜索はザックフィル伯爵領の軍が到着してからになるだろうな」

「あんまり大ごとにはしたくないけど、仕方ないよね」


 話している間に、給仕が朝食を持ってやってくる。メニューはクロワッサンとソラマメのポタージュ、スクランブルエッグとカットフルーツだ。オリヴィアには充分すぎる量だが、昨夜遅くまで動き回っていた二人には物足りなかったようで、アランは追加でマッシュポテトとハンバーグステーキ、サイラスはサンドイッチを頼んでいる。


「フロレンシア姫の体調はまだすぐれないんですか?」


 フロレンシア姫とその護衛のレギオンの姿が見えない。昨日から体調が悪かったようだが、今朝もまだ調子がおかしいとなると医者を呼んだ方がいいのではないだろうか。


「そうみたいだな。朝食に誘ったが、体調がすぐれないので部屋で食べると言っていた」


 アランが肩をすくめる。立場上、フロレンシア姫はアランの婚約者候補である。アランは婚約を回避したいようだが、だからと言って無碍に扱うことはできない。さらに言えば母である王妃バーバラがこの婚約に大変乗り気なため、アランは本人の意思とは関係なく、姫と親交を深めなくてはならないらしい。面倒だから放置しておきたいのにそれができない彼の心情は複雑なものがあるだろう。


「医者を手配しますか?」

「護衛官のレギオンがいるから大丈夫だと言っていたぞ」

「……彼には医学の心得が?」

「さあ? そうなのかもな」


 アランが興味なさそうに答えて、ハンバーグステーキを頬張る。


「兄上、それはまずいんじゃない? 万が一、姫に何かあったら、さすがにさ」

「だが、本人がいらないというからな」


 サイラスの言い分ももっともだが、アランの言う通り、本人が不要だというのに勝手に医者を手配するわけにもいかない。

 アランは少し苛立っているようだった。フロレンシア姫を押し付けられそうになっているところにむけて、元婚約者のティアナが労役から逃亡ともなれば、イライラするのも仕方がない。


「遺跡から帰ってきてもまだ体調がすぐれないようでしたら、わたくしが姫の様子を見に行ってきますね」


 男性である二人が体調不良で寝込んでいるフロレンシア姫の部屋の中に入るのは憚られるだろうが、同性であるオリヴィアならば大丈夫だろう。オリヴィアが言うと、アランが一つ頷いた。


「そうだな。悪いが頼む。例の件のこともあるから、あまり不調が続くようなら先に王都へ帰ってもらった方がいいかもしれないしな」


 むしろ、ごたごたしているから帰ってほしいと言わんばかりだ。

 ティアナの件だけでも早く解決しなければ、そのうちアランの苛立ちが爆発するかもしれない。


(短気なのは相変わらずなのよね……)


 オリヴィアはやれやれと肩を落とした。

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