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 汽車を降りたあと、終着駅のあるリアリス伯爵領で一泊し、翌日。

 オリヴィアたちリアリス伯爵領の南西部からザックフィル伯爵領へと流れるエディバル運河から船に乗った。


 ザックフィル伯爵領の遺跡は観光地としても有名である。カルツォル国と国境を背にしているが、国境付近に壁が作られてからは治安も落ち着いて、何年も大きな事件や諍いは起きていない。観光客も年々増えており、急速に発展している地域である。そのため、エディバル運河からは観光用の大きな船が出ていて、船内には個室や娯楽スペースなども完備されている。


 領地にしばらく滞在するので、ザックフィル伯爵へは事前に挨拶をしてきた。伯爵は足を悪くしていて、今年のオフシーズンには領地に戻らないそうなので、王都にある伯爵のタウンハウスへ連絡を入れておいたのである。

 伯爵はもう六十半ばの好々爺とした穏やかな老紳士だ。早くに亡くなった最初の結婚相手との間に子供がおらず、後妻との間に生まれた息子もまだ十歳なので、もうしばらく頑張らなくてはいけないと苦笑を漏らしていた。そのため、無理をして領地まで同行できないが、領地では好きにすごしてほしいと言われている。


 二時間程度の船旅でザックフィル伯爵領へ到着すると、オリヴィアたちはそのまま馬車に乗って遺跡のあるベイマールの町に向かった。

 事前にザックフィル伯爵が連絡を入れておいてくれたベイマールの豪華な宿で宿泊手続きを取ると、オリヴィアはサイラスとともに町を見て回ることにした。遺跡を見に行くのは明日の予定だ。


「オリヴィア、見て。白薔薇宮クッキーだって」


 遺跡を前面に押し出しているベイマールの町には、遺跡にちなんだものがたくさんある。たまたま通りかかった焼き菓子店の店先に薔薇の形をしたクッキーを見つけたサイラスが笑った。白薔薇宮クッキーと書かれているが、ただの薔薇の形をしたクッキーにしか見えない。


「あ、見て。あっちにはアドリアン国王の愛したローズティーってある。アドリアン国王ってローズティーが好きだったのかな?」

「どうでしょう。王宮には四十種類を超える薔薇が植えられていたというのは、伝記に書いてありましたけど」

「なるほどね、だから薔薇にちなんだものが多いのか。面白いね。帰るときにお土産に買って帰ろう」


 ベイマールの町はきっちりと区画整理されていて、観光地というだけあって人通りが多い。はぐれないようにサイラスと手をつなぎながら、目についた店を一店ずつ冷やかして回っていると、ふとお香を扱う店を見つけて立ち止まった。

 カルツォル国と隣り合わせだからだろうか。あちらの文化が多少入っているようで、カルツォル国の伝統的な香壺が並んでいる。白磁に複雑な模様が書かれた香壺は華やかで、店頭に並んでいるいくつかの香壺に見入っていると、サイラスが「買う?」と訊ねてきた。


「……ちょっと、見てもいいですか?」

「いいよ。気に入ったものがあったら買ってあげる」


 店の中に入ると、狭い店の中には大小さまざまな香壺が並んでいた。小さいものだとオリヴィアの手のひらに乗るくらいの大きさで、大きなものになると、両腕で輪を作ったほど大きい。

 オリヴィアはつるりとした白磁の表に赤い薔薇の絵が描かれた手のひらサイズの香壺を手に取った。ころんと丸みのある形が何とも可愛い。


「それが気に入ったの?」

「はい」


 オリヴィアが買おうかどうしようかと悩んでいると、サイラスがその香壺をオリヴィアの手から取り上げて店主に渡した。


「これと、それからお香もいくつか見せてくれる?」

「あ、わたくしが、自分で……!」

「だめ。こういうのは、男にかっこつけさせてほしいな」


 サイラスが手の甲でオリヴィアの頬を撫でながら片目をつむる。オリヴィアが真っ赤になると、まだ二十代ほどに見える女性の店主がくすくすと笑った。


「仲がよろしんですのね」


 まさか王子がふらふらしていると思っていないのだろう。貴族が観光に来ているくらいに思っているらしく、店主は気安い。

 店主がお香をいくつか取り出して、商談用の小さなテーブルの上に並べてくれる。


「この香壺は火を使わないものなので、このあたりの香木かポプリが適しています」


 香壺には、火を使うタイプのものと火を使わないタイプの二種類があるそうだ。オリヴィアが手に取った小さな香壺は火を使わないものらしい。これより二回り大きくなると、火を使う香壺ばかりになるそうだ。


「火を使うと香りが一気に広がります。逆にこちらの火を使わないものであれば、さりげない香りを楽しむことができますね。火を使わないものは枕元にもお勧めです」

「枕元に置くなら、リラックスできる香りがいいね」

「それでしたら、このあたりがよろしいかと」


 店主が三つの香りのポプリを取り出した。どれも数種類の香りがブレンドされているという。三つともとてもいい香りがしたが、オリヴィアは特に、甘さの中にさわやかさの残るジャスミンをベースにブレンドされた香りが気に入った。

 サイラスがポプリと一緒に香壺をプレゼントしてくれて、オリヴィアは袋に入れてもらったそれを大切に抱えて店を出る。


「ありがとうございます、殿下」

「ここでは『殿下』は目立つからサイラスって呼んでほしいな」

「……ありがとうございます、サイラス様」


 オリヴィアが言い直すと、サイラスは満足そうにうなずいてオリヴィアと手をつないで歩きだす。


 しばらくいろいろな店を見て回って歩き疲れたオリヴィアたちは、大通りに面したカフェで一休みすることにした。大通りに面したカフェを選んだのは、離れたところからこっそりついてきている護衛たちに見えやすい場所を選んだからである。店の外のオープンスペースに座って、このあたりでよく飲まれているスパイスの入った紅茶を飲んでいると、大通りにフロレンシア姫の姿を見つけた。

 サイラスも気がついたようで、目を丸くしてフロレンシア姫に視線を向ける。

 姫は楽しそうに笑いながら、護衛騎士のレギオンと一緒に歩いていた。


「前から思っていたけど、あの二人、ちょっと距離が近すぎるね」

「わたくしもなんとなくそう思っていました……」


 あの二人の間には、信頼以上の何かがある気がする。


(……もしかして、姫は……)


 楽しそうなフロレンシア姫の顔を遠くに見つめながら、オリヴィアはふと胸の中に浮かんだ疑念を慌てて打ち消した。

 滅多なことを考えるものではない。

 オリヴィアは紅茶と一緒に出されたシナモンクッキーを口に入れて、離れていく二人からそっと視線を外した。


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