38
アランはオリヴィアの手元を見やって、ゆっくりと目を閉じた。
この部屋に入ってきてから今まで、オリヴィアの手はサイラスのそれと、指を絡めるようにしっかりとつながれている。
(……私は、馬鹿だった)
何もかもが、遅すぎた。
胸に広がるのはどうしようもない痛みと――、そしてあきらめ。
今まで何でも思い通りにしてきたアランが、はじめて感じた、あきらめだ。
☆
大臣たちが部屋から出ていくと、国王の視線がまずアラン王太子に向いた。
アランは顔を上げ、静かに国王を見返した後で、どこか疲れたように微笑んだ。
「正式な手順は後から取りますが、先にお伝えしておきます。私はこの度の前責任を取って王位継承権を放棄いたします。オリヴィアとの婚約破棄からレモーネ伯爵令嬢との婚約を決めた私の落ち度です。危うく王家にふさわしくない血を取り込むところでした。陛下、ならびに妃殿下、申し訳ございませんでした。そしてオリヴィア――いや、アトワール公爵令嬢、サイラス、迷惑をかけてすまなかった」
オリヴィアは目を丸くした。あのアランが謝った。いつも自分がすべて正しいと思っているような男だったアランが、だ。
国王はふむ、と小さく頷いて王妃をみやった。
王妃は嫣然と微笑んだまま、夫の視線を受け止めた。
「わたくしは王位継承権の放棄は認めないわ」
「母上――」
「今回のあなたは巻き込まれただけよ。あなたが非を詫びる必要はない。覚えておきなさい、上に立つものはそう簡単に頭を下げたらいけないの」
王妃は微笑んだまま、ちらりとサイラスとオリヴィアを見た。正確にはつながれた二人の手を。
「サイラスは王位には興味がないのでしょう。アランが王位継承権を放棄してしまうと、次の国王は誰になるのかしら。陛下の従弟の子供でも持ち出してくるつもり?」
「それは……」
「バーバラ、その件だが、サイラスは王になってもいいと――」
王に名前で呼ばれた王妃は、頬に手を当てて首を傾げる。
「あら、そうなの。どうして?」
訊ねられたサイラスが身を固くしたのがわかった。オリヴィアの手をぎゅっと握り締めて王妃を見返す。
「あなた、どうして王になる決心がついたの? どうして王になりたいの?」
王妃に重ねて訊ねられて、サイラスは一度口を開きかけたが、何も言わずに一文字に引き結ぶ。
王妃は嘆息した。
「あなた、別に王になりたいわけじゃないんでしょう? そこのオリヴィアが欲しくて陛下に上手く乗せられただけだわ。ひどいことをするのね、陛下」
王妃は国王に向けて避難するような一瞥を投げて、視線をサイラスに戻す。
「わたくしは別に、意地悪で言っているわけでも、もちろんあなたが嫌いなわけでもないのよ。それだけは勘違いしないで頂戴。ただ、あなたは昔から王位には興味がなくて、アランにはあった、それだけよ。向き不向きで言えば、もしかしたらあなたのほうが向いているかもしれないわ。でもわたくしはね、息子の意志を無視してまで玉座に縛り付けることはしたくないの。資質なんで努力で補える、足りなければ支えることができる人物をそばにおけばいい。だからわたくしはアランを王にしたいの。アランには足りないものがあるけれども、王になりたいという意思は本当だもの」
サイラスもアランも、息を呑んで王妃を見つめた。
王妃がアランを王にと望んでいたのは、そういう背景があったのかとオリヴィアはどこか納得した。たりなければ誰かが補えばいいという王妃の意見には賛成だ。完璧な人間などどこにもいない。
「もちろん、アランが責任を取りたいと言うのであればそれまでは止めないわ。でも、王位継承権の放棄はやめておきなさい。一度王太子の身分を返上するくらいにとどめておきなさい」
王妃はそれだけ言うと椅子から立ち上がった。言うだけ言って出ていこうとした彼女は、途中で思い出したように振り返る。
「それからサイラス。あなた、自分の母親を鬼か何かだと思っているのかしら? 別にわたくしはオリヴィアとあなたの邪魔はしないわよ。オリヴィアがあなたを選ぶならそれでもいいでしょう。だから、わたくしがオリヴィアに会おうとするのを、あの手この手で邪魔をするのはやめて頂戴。オリヴィアがあなたとアランのどちらを枝んでも、わたくしの義娘になるのよ」
「……すみません」
サイラスがバツの悪そうな表情を浮かべて、ついと母親から視線をそらす。
王妃は扉に手をかけて、笑った。
「ということですから陛下。しばらく賭けは続行ですわ」
王妃に言いたいことを言いたいだけ言われた国王は、どこか子供のような拗ねた顔をして「むぅ」と唸った。
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