29
約束の一か月を終えたオリヴィアは、父である公爵に許可を取って「旅行」に出かけることにした。
行先は、ブリオール国とフィラルーシュ国の国境付近にあるデボラという名前の町だ。デボラはフィラルーシュ国のウィンバルの町と川を挟んで隣にある。
「殿下までついてこなくても大丈夫でしたのに」
ガラガラと車輪の音が響く馬車の中で、オリヴィアは苦笑を浮かべた。
オリヴィアの対面には、サイラスが座っている。オリヴィアがデボラへ向かうと聞いたサイラスは、国王に許可を取ってついてきたのだ。
オリヴィア一人で馬車で十日ほどかかるところまで旅に出ることを心配していた父公爵も、サイラスが行くというと二つ返事で了承した。サイラスがいけば護衛官のコリンをはじめ、何人かの兵士が供につくからだ。
「君にもしものことがあったら大変だからね」
サイラスはそういうが、デボラは治安の悪い場所ではない。ブリオール国とフィラルーシュ国の国交も正常なので、もちろん紛争地帯に行くわけでもない。国境付近に近づけば問答無用で取り押さえられるような、厳重な警備もされてない。何も心配することなどないだろうに。
「それに、宿に泊まるよりも王家の別荘の方が快適でしょう?」
「それは、そうですが」
そう、デボラの町から馬車で二時間ほどのところに、王家所有の大きな別荘があるのだ。宿をとるよりもそちらですごす方が快適なのは間違いない。
別の馬車に乗っている侍女のテイラーは、サイラスがついてくると聞くと歓声をあげたものだ。テイラーはサイラスとオリヴィアをくっつけたくて仕方がないらしい。
「それに、証拠を押さえるなら僕がいたほうが都合がいいでしょ」
それも間違いない。
「あとは、ただ単に僕がついて行きたかっただけ。君と二人きりの旅行なんて、楽しくないはずがないでしょう?」
正確には護衛官たちもいるから二人きりではなく、遊びに行くわけでもないのだが、サイラスがそんなことを言うからオリヴィアは思わず笑ってしまう。
サイラスに求婚されてからおよそ一か月。この間、彼は特別、強引に迫ってくるようなことはなかった。だからだろうか、オリヴィアは徐々にサイラスのそばが居心地よく感じはじめていて、本音を言えば、彼がついてきてくれてよかったとも思っている。
(……求婚だって、本当はお受けしてもいいんだけど)
前々から思っている通り、サイラスとの結婚は、現在オリヴィアが考えうる限りの可能性の中で「最良」だ。これ以上ないくらいに。だから断る理由がない。だがその理由でサイラスの求婚に返事をするのは失礼なような気がしている。
サイラスはオリヴィアが「望んで」求婚を受けるほしいらしい。その「希望」は、家の立場や都合ではなく、彼女の意志を差しているのだと思う。
サイラスのことは嫌いではない。この一か月、彼が優しい青年であることは充分すぎるほど理解できた。一緒にいて楽しいとも思う。だけど、それでは「駄目」なのだ。彼の望む答えではない。
オリヴィアはふと、以前テイラーが言った言葉を思い出した。
――オリヴィア様、たまには勢いのままに突き進むのも大切ですわよ。
勢いとは何だろう。衝動的に行動を起こしたことは、オリヴィアは自分で覚えている限り一度もない。
もしかしたらその「勢い」が答えなのかもしれない。
オリヴィアは馬車の座席においていた本を手に取って開きながら、この旅行中に何らかの答えが出るだろうかと考えた。
(出ればいいな……)
そう思っていること自体、自分の中に小さな変化が起こっているとオリヴィアが気がつくのは、まだ少し先のことになる。
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