17

「チェックメイト、です」


 オリヴィアが恐る恐ると言う#体__てい__#でキングを打ち取ると、王妃は楽しそうにコロコロと笑った。


「あらあら負けてしまったわ。強いのね」


「いえ、妃殿下のほうこそ……」


 それは本当だった。王妃は恐ろしく強かった。何度となく追い詰められて、策を練り直させられた。最初は手加減して適当に負けようと思っていたが、気がついたときには夢中になってうっかり勝ってしまっていたのだ。


(……うまく手加減できなかったの、はじめてだわ)


 オリヴィアがチェスを覚えたのは、王太子アランに相手をさせられていたからだ。アランは負けると腹を立てるため、手加減しているとばれずに負けるため、しばらくの間オリヴィアはチェスをやりこんだ。おかげで誰であろうとも手加減していると気づかれることなく自然に負けられるくらい強くなったが、――王妃は強すぎた。


 だが、どうして王妃はオリヴィアを突然チェスに誘ったのだろう。しかも負けて嬉しそうなのはなぜ?


 オリヴィアは白の駒を箱に収めながら、心の中で首を傾げる。


 王妃は自身の黒い駒を片付けながら、笑顔で言った。


「あなたにとって王太子はどう見えるかしら?」


 またしても唐突な問いだった。どうやら王妃は、無駄話が嫌いなようだ。話す話題の前後に脈絡はなく、突然話が飛ぶ。けれども、王妃の中でその一つ一つが何らかの糸でつながっているようにオリヴィアには感じた。


(……安易に答えないほうがいいやつだわ)


 王妃がどんな意図をもってオリヴィアを呼んだのかはわからない。だが、ここまでの流れでオリヴィアはただ一つわかったことがある。王妃はオリヴィアの「何か」を試している。それに合格を出すべきか、不合格を出すべきか――はたまた、どちらも出すべきでないのか、まだオリヴィアにはわからない。


 まずは、王妃のこの問いだ。王太子がどう見えるか。正直に答えるべきか、否か――。


「忌憚のない意見が聞きたいわ」


 オリヴィアの思考を読んでか、王妃がかぶせる。


 王妃は目の前のスコーンを一つ手に取ると、二つに割って、クロテッドクリームを塗る。オリヴィアはその動作を眺めながら、王妃の真意を探ろうとしたが、王妃の動作に何か気になる点はなかった。本当にただのお茶会で、ただの世間話。始終、その雰囲気を崩さない。


 オリヴィアはあきらめた。


「……矜持の高い方かと」


「そうね。続けて?」


「……。その、矜持が正しい方へと向けばよろしいかと思われますが、正しくないほうへと向いた場合は、その……、王太子殿下という身分からして、少々困ることもあるかと。周りには、殿下が万が一間違った行動をとられたときに、助言ができるものが少ないかと」


「正しくない方向とは具体的に?」


 オリヴィアは深く息を吐き出すと、仕方なく言った。


「矜持とわがままを混同されているときです。また、自身の非をや能力の限界を認められないのは問題かと」


 怒られるだろうか? オリヴィアは叱責も覚悟したが、王妃は相変わらずにこにこと楽しそうに笑っている。


 王妃はスコーンを食べ終わると、ナプキンで口元と手を拭いた。


「でも、王や王太子と言えど人間だもの。欠点はあるでしょう。その場合どうしたらいいかしら?」


「その欠点を補えるものがそばにいるべきでは?」


「そうね。『欠点を補えるもの』が必要だわ」


 王妃がここまでで一番の満面の笑みを浮かべる。


 オリヴィアはその笑みを見て、背筋に一筋、冷や汗が伝うのを感じた。


(……『間違えた』)


 これは直観だ。


 王妃の問いに対する答えを『間違えた』。すぐに話題を変えるか、この場を立ち去らなければ非常にまずいことになる。だが、王妃はオリヴィアが『間違えさせられる』相手だ。逃げようとしたオリヴィアを、あっさり逃してくれるだろうか。否。


(まずい……)


 考えろ、とオリヴィアは自身に命ずる。けれども、考えれば考えるほど、まるで蜘蛛の巣に捕らえられた蝶のように、全身ががんじがらめにされていくような危機感を感じる。もしかしたらはじめから――、そう、チェスの勝敗から王妃の手のひらで踊らされていたのではなかろうか。この人は『危険』だ。


 そのとき――


「妃殿下!」


 外にいる衛兵たちの制止の声とともに、バタン! と扉が開いて、オリヴィアは目を見開いた。


 振り返れば、ティアナ・レモーネ伯爵令嬢が顔を紅潮させて立っている。その背後では、王妃の部屋の前で警護に当たっていた衛兵二人が、真っ青な顔をしていた。彼らが宙に伸ばした手はティアナを止めようとしたのだろうが、間に合わなかったと言ったところか。


 さすがの王妃も驚いたようで、先ほどまでの笑みを消して、目を丸くしていた。


「いったい、何事でしょう」


 けれどもさすが王妃。驚愕の表情を浮かべた直後には、その表情は薄い微笑みに戻っており、泰然とした声で突然の来訪者を問いただす。


 ティアナは真っ赤な顔をしたまま、叫ぶように言った。


「どうしてオリヴィア様をお茶会にお誘いになるのですか! もうオリヴィア様は王太子殿下の婚約者ではございません! 婚約者はわたくしです!」


 オリヴィアはあまりのことに茫然とした。ティアナは何を考えているのだろうか? 許しもなく王妃の部屋へ飛び込んできて、まさかの苦情。


 王妃はわずかに眉をひそめたが、鷹揚に頷いた。


「……そう。あなたの言い分はわかったわ。仕方がないわね。オリヴィア、今日のところはこれでお開きにしましょう。……呼んでいない蝶が入り込んでしまったもの」


 オリヴィアは頷いて、よくわからないがこれは助かったかもしれないと、王妃の部屋を出ながらほっと胸を撫でおろした。

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