14

「……笑った」


 アランは目を見開いて立ち尽くした。


 ワットールからティアナの教育のことを言われて、混乱を抱えながら散歩を続けているうちに、図書館の近くまでやってきたアランは、窓の向こうにオリヴィアの姿を見つけた。


 オリヴィアは天才だと、ワットールからにわかに信じがたいことを言われたアランは、この女がどうしてそう評価されるのかと疑問を持って立ち止まった。


 オリヴィアは昔から、あまり表情を変えない女だった。無表情ではないが、大きく感情を荒げることのない女だった。同時に、薄い微笑は見たことがあっても、満面の笑みというものは、アランはついぞ見たことがない。


 そのオリヴィアが、アランの目の前で、突然花がほころぶように笑ったのだ。


 アランとともにいた補佐官のバックスは、アランが何に驚いているのかと首をひねった。


「オリヴィア様がどうかされましたか?」


「どうかってお前、笑っているぞ! ほら! あそこだ!」


「指を差されなくとも見えておりますが……。オリヴィア様が笑ったからどうされたのですか?」


「だから、オリヴィアが笑ったんだ!」


 バックスにはアランの驚愕が通じていないらしい。しきりに不思議そうに首をひねっている。


(笑ったんだぞ! オリヴィアが! ……はじめて見た……)


 作り笑いであれば、確かに見たことがある。彼女は婚約者であったから、他国から要人が来た時の歓迎パーティーなどもアランとともに出席していた。オリヴィアは外面がよく、他国の要人からの受けがよかった。その時によく笑っていたのは見たことがある。だが、心からこぼれるような、自然な笑みははじめてだ。


「……あの女、笑えるのか……」


「殿下、さすがに失礼ではないですか……?」


「うるさいぞ! お前には私の驚きがわからないんだ!」


 別にオリヴィアは、アランに対して反抗的だったわけではない。むしろ従順だったように思う。けれども、アランに自然に微笑みかけたことは、記憶する限り一度もない。


 どうしてだろう、胸の奥がむかむかしてくる。


 オリヴィアと向かい合うように座っているのはサイラスだ。どうしてオリヴィアはサイラスに微笑みかけているのだろう。アランには、微笑まないのに。


「あの部屋は、禁書スペースじゃないのか?」


「そのようですね」


 バックスが頷く。


「そのようですねって、あの部屋は鍵がないと入れないだろう!」


「サイラス殿下が許可を取られたのではないですか?」


「どうしてわざわざ……」


 言いかけて、アランはハッとした。昔一度だけ、オリヴィアがアランに図書館の禁書スペースに入りたいと頼んだことがあったのを思い出したからだ。そのときアランは、「お前の頭では理解できないような本しかないところに行ってどうするんだ」と鼻で笑って相手にしなかった。


「……あそこの本を、読んでいるのか?」


 遠くからでははっきりしないが、オリヴィアの手元には、本があるように見える。いや、考えるまでもない。わざわざ禁書スペースに入って、そこにある本を読まないはずがない。読みたいから許可を得てまで入るのだ。


 オリヴィアが天才というワットールの言葉が脳裏によみがえる。


「オリヴィアは……」


 アランは口の中で何かを言いかけたが、くるりと踵を返すと、早足できた道を戻って行く。


「殿下?」


 バックスが追ってくる気配がするが、アランは振り返らなかった。


 否――、振り返ることが、できなかった。

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