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サイラスがオリヴィアに興味を持ったきっかけは本当に些細なことだった。
兄であるアランの婚約者として紹介された六歳の幼い少女は、エメラルド色の瞳を好奇心と知性で輝かせた、利発そうな女の子だった。
事実、オリヴィアは頭のいい少女だったと記憶している。そう感じたのは、六歳の少女が大人の会話を正しく理解していると気がついたときだ。
なるほど、父上は未来の王妃として適任すぎる人材を見つけてきたのだなと、当時九歳だったサイラスは感心した。だが、あの時はただそれだけだった。
サイラスがオリヴィアのある変化に気がついたのは、それから二年ほどたってからだろうか。
サイラスとアランの兄弟仲はさほどよくなく、同じ城で生活していても兄と顔を合わせることは少なかった。基本的に面倒ごとを避けたいサイラスが、アランを避けていたせいもある。
そのせいか、アランの婚約者として定期的に城に顔を出すオリヴィアと会うこともあまりなく、せいぜい彼女が中庭などで本を読んでいるのを遠くから目にすることがあったくらいだった。
どうやらオリヴィアは本が好きらしい。自分と趣味が合いそうだと思ったが、兄の婚約者であることが残念だった。そうでなければ、好きな本の話などで盛り上がることもできただろう。
そんなある日のことだった。
サイラスが剣術の稽古の帰りに廊下を歩いていると、ひそひそと城のメイドたちが噂話をしているのが聞こえてきた。
城のメイドたちが噂話をすることは珍しいことではないが、ふとその会話の中に「オリヴィア」という単語を聞いた気がしてサイラスは足を止めた。
――どうしてオリヴィア様なのかしら?
――お妃教育を拒否したらしいわよ。
――あんなに無知な方が婚約者で、アラン殿下は大丈夫なのかしら?
メイドたちの言葉に、サイラスは耳を疑った。
(どういうことだ……?)
ほとんど面識がないとはいえ、サイラスの中のオリヴィアとメイドたちの話すオリヴィアの人物像が一致しない。
もしもメイドたちの言うことが本当なのであれば、オリヴィアをこのままにしておくことは危険すぎた。看過できない。この国を愚者にゆだねるわけにはいかないからだ。
サイラスは第二王子で、ゆくゆくは王である兄を補佐する立場に回ることになるだろう。だが、あくまでも王弟で補佐。王と王妃が間違った行動をとった時、諫める声に耳を傾けないほどの愚か者であれば、この国がどうなるかわかったものではない。
サイラスは真偽のほどを確かめようと思った。幸いオリヴィアはまだ八歳。充分に修正のきく年だ。大人になってからでは遅いのである。
サイラスはオリヴィアが好んで図書館に出入りしていることを知っていた。
城の裏手に建てられたレンガ造りの二階建ての図書館には、古いものから新しいものまで多くの蔵書が納められている。その中には子供の好む絵本も数多く存在しており、オリヴィアはもしかしたら、妃教育をさぼって絵本ばかり読んでいるのではないかと思った。
汗をかいた服を着替えて、サイラスが図書館に向かうと、オリヴィアは窓際の机について本を開いていた。
サイラスは声をかけようと思って近づき、けれどもオリヴィアの手元にある本のタイトルを見て足を止めた。
オリヴィアが開いている分厚い本。あれは法律書だった。
サイラスは大きく目を見開いた。十一歳のサイラスであっても難しすぎて書いてあることの半分も理解できない、法律書。家庭教師から法律について学んでいるが、教科書として用意されている本はまだ、はじめの六ページしか読んでいない。これを理解するだけでも一か月かかった。
それなのに、サイラスが教科書にしているのと同じ法律書を、オリヴィアはすでに半分以上読み進めているようだ。しかもページを繰る手には迷いがなく、一定間隔で次ぎのページへと進んでいる。
(……稀代の才女)
そう言えば、アランと婚約する前に、オリヴィアについて誰かがそう評価していたことを思い出した。
あの時は冗談で言っていたのかとも思ったが、今、その言葉がサイラスの頭に大きな存在を持って蘇る。
もし、本当にオリヴィアが「稀代の才女」と呼ばれるほどの天才なのであれば、どうしてメイドたちはあのような噂をしているのだろうか。
サイラスは少し離れた席に腰を下ろすと、ぼんやりとオリヴィアの様子を観察することにした。
思えば、このときすでに、オリヴィアはサイラスの中で特別になっていたのだと思う。
その特別がいったいなんであるのかを自覚するのはまだ何年も先のことになるが、少なくともサイラスにとって、オリヴィアが兄の婚約者である以上の存在になったのは、この瞬間に間違いなかった。
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