第17章 納骨堂 続き
クエイドはヴァン・ホーテンという男を少々持て余していた。少々どころではないかもしれない。とにかく、せっかちでこらえ性というものがない。まわりの思惑というものを一切考慮しない。一度、ヴァン・ホーテンは気に入りの若い詩人にラブレターを書き、次に早く返事をくれとせっせと電報を打った。あきれたものだ。おのれの欲望に忠実といえば言えるが、それに振り回される方は大いに迷惑する。
ヴァン・ホーテンがピーターを怒らせた時もそうだ。納骨堂に入りたいのなら自分に言ってくれればいいものを、まっすぐにピーターのところに行った。常識で考えてピーターが同意するわけがない。なんとかなだめられたからいいようなものを、下手すれば何もかも水の泡になりかねなかった。
クエイドはため息をつく思いでヴァン・ホーテンをホテルに送り届け、キリヤコス邸に戻ってきた。
玄関ホールに煌々と明かりがついていた。
何か起こったのか?
辻馬車から降りて料金を払う間ももどかしく、玄関へ続く階段を駆け上がった。ドアを開けて出迎えたのはナイトガウン姿の執事だった。
「おかえりなさいませ。このような格好で失礼いたします」
「どうしたんだ?」
「クエイド様がお出かけになりましてすぐ、だんな様が降りてみえられまして、馬車の支度をお命じになりました」
「この時間に?」
「はい」
「どこへ行ったんだ?」
「存じません」
「まだ、戻ってきてないんだな」
「はい」
「わかった。ピーターは僕が待っている。君は休みたまえ」
居間で濃いコーヒーを飲みながら待っていたのだが、ピーターは中々帰ってこない。とうとう、諦めて寝室に引き上げた。
翌朝は、前夜の疲れがたたって日が高く上るまで目が覚めなかった。寝過ごしたことに気がついてあわてて飛び起き、ピーターの様子を執事に尋ねると、昨夜何時に彼が戻ってきたのかは執事も知らないらしかった。ただ、今朝は夜が明けると早々に起き出し、辻馬車を呼んで出かけていったと言う。行く先についても帰る時間についても、執事は何も聞いていない。
「昨夜はどこへ行ったか、聞いているか?」
「だんな様は何もおっしゃいませんでしたが、御者が言うには、ブルック・ストリートのサー・ウイリアム・ガル博士のお屋敷だそうでございます」
ガル博士?
クエイドはあることに思い当たってぞっとした。
ビーフステーキルームでヴァン・ホーテンは、しばしばガル博士とやりあっているらしい。もしかして、ガル博士は気がついたのでは? だとしたら……だとしたら、ヤードが動くかもしれない。くそ、ここまで来てまたやり直しか?
とにかく、ルイズ・キリヤコスの件だけでも大至急に確かめなければ。
クエイドは大急ぎで着替えると、執事に朝食はいらない、お茶だけ持ってきてくれ、と言った。そして、ピーターの書斎に忍びこんだ。
ピーターが納骨堂の鍵を葬儀の後、書斎のデスクの引き出しに放り込んだのを見ている。そのまま、今もそこにあるはずだった。ところが、
鍵はなくなっていた。
わかった。
夜が明けると早々に、ピーターがどこへ行ったのか。
書斎から飛び出すと、メイドにぶつかりそうになった。
「あの、クエイド様、お茶を」
お茶はいらないと叫び、あきれ顔のメイドを後に残して屋敷を飛び出した。
ホテルに寄ってヴァン・ホーテンを拾い、キリヤコス家の納骨堂のある墓地に着いたのは、正午に近かった。辻馬車は返した。ピーターが乗ってきたはずの辻馬車もいない。やはり先に返したのか、それとももう用が済んで立ち去ったのか。
幸い、墓地に人の姿はなかった。つい最近来たばかりだから道は憶えている。曲がりくねった小道を歩いて、特徴のある丸い屋根の石造りの納骨堂を難無く見つけ出すことができた。
納骨堂の扉が半分開いている。
クエイドとヴァン・ホーテンは立ち止って顔を見合わせた。
ピーターはまだ中にいるのだろうか。
半分開いた扉から中を覗いて、クエイドは凍りついた。
半開きのドアから外光が入って、中はうすぼんやりと明るい。入ってすぐの石の床の上に、小柄な老人がうつ伏せに倒れている。そばに医者用の黒い鞄と、弱弱しい光を放つカンテラが置いてある。その向こう、血の海の中にもう一人倒れている。こちらは仰向けで、顔がはっきりと見えた。ピーターだった。
ヴァン・ホーテンはうつ伏せの老人を抱き起こした。老人は固く目を閉じ、荒い息をしていた。
「ガル博士だ。卒中の発作を起こしたらしい」
クエイドは血だまりを避けて慎重にピーターのそばに寄った。こちらはこと切れていた。喉笛を真一文字に横に切られている。かっと見開いた目が、最後の瞬間の苦痛と驚きを表していた。
ヴァン・ホーテンが寄ってきて調べた。
「こいつはすごい。ほとんど首の後ろの皮一枚を残して、すぱっと切っておる。わしでもこううまくはやれんよ」
クエイドは顔をしかめた。
「おや、悲しんでおるのかね?」
「教授、不謹慎なことは言わないでくれ。誰であろうと、死者への礼儀は尽くすべきだろう」
「これは失礼した。死は厳粛なものだ」
ヴァン・ホーテンはもっともらしく言った。
「あんたが言うと、冗談にしか聞こえないな」
「心外だ。わしほど、生と死を真面目に考えておる者はおらんぞ」
「誰がやったと思う? ガル博士だろうか?」
「そうは思わんな。博士は腕のいい医者だが、切り刻みは専門じゃない」
ヴァン・ホーテンは黒い鞄を開けてみた。きちんと手入れされた医療器具が並んでいる。一本だけナイフが欠けているようだが。
「曇りひとつない。いいや、死に損ないのじいさんにできる仕事じゃない。こいつはヴァンパイアの仕事だよ」
「ルイズ・キリヤコス?」
「おそらくな」
クエイドは先に進んでルイズの棺の前に立った。ピンクのリボンを結んだ枯れた花束が棺の上に置いてある。おかしなことに、そのあたりの壁にも床にも血が流れた痕がある。ピーターは最初、ここで襲われたのだろうか? クエイドは錠をはずし、蓋を開けた。
胸にナイフを突き立てたルイズの死体が恨めしげにクエイドを見上げた。
「教授!」
ヴァン・ホーテンは棺を覗き込むなり、失望の唸り声をあげて、どさりと床にすわりこんだ。
「先手を打たれたな」
ややあって、クエイドがぽつんと言った。
「なんということをするんだ! せっかくの不死者を。不老不死の鍵を握るエリクシールの持ち主だぞ! これは人類全体への犯罪だ、裏切り行為だ!」
ヴァン・ホーテンは地面を両手で叩いて悔しがった。
「まだ死んで間もないぞ。この血では役にたたないのか?」
「わしが求めておるのは、不死者の血だ。そこにいるのは、ただの死者に過ぎん」
「生き血でないとだめなのか」
「霊気が抜けてしまう」
「誰が殺した?」
「あの二人のどちらかだろう。まあ、ダーリントン卿だろうな。ご老体にヴァンパイアを殺す力があるとは思えん。ナイフは柄までぐさりと通っている」
「じゃあ、ピーターを殺したのは誰だ?」
「何?」
「ルイズはピーターに殺された。そのピーターを殺したのは誰だ? 博士ではない。あんたはさっき、ピーターはヴァンパイアに殺されたと言った。そのヴァンパイアがルイズでないならば、もう一人、ヴァンパイアがいることになる。それとも、二人が刺し違えたとでも言うか?」
「首のとれかかった男が、どうやってヴァンパイアの喉を裂き、心臓にナイフを打ち込むと言うんだ? 無理な話よ」
「それなら、もう一人、ヴァンパイアがここにいたんだ。僕は前から不思議に思っていた。そもそも、ルイズ・キリヤコスをヴァンパイアにしたのは誰なんだ? あんたのいう、あの娘か?」
ふむ、とヴァン・ホーテンは考えこんだ。
「だが、教授。僕はあの娘に会ってきた。あの娘は英国の生まれだと言っていたよ」
「自分で憶えておらんだけかもしれん」
「まあいい。とにかく、ここにヴァンパイアがいて、ピーターを殺したとする。だけど、今、そいつはどこにいるんだ? ピーターが屋敷を出ていったのは、日が出てからだ。そんな時間にヴァンパイアが活動できるのか?」
「ヴァンパイアが昼の間、日光を避けて棺で眠っているというのは迷信だ。もしヴァンパイアがそんな者なら、とっくの昔に滅びていたろう。一日の半分は棺の中だ。君はそんなモノになりたいと思うかね? わしはごめんだ。ちゃんとベッドで眠りたいし、人間社会の様々な活動にも参加したい」
「人間じゃないだろう」
「違うな。不老不死を手に入れた人間……神だ」
ヴァン・ホーテンの目が光った。いつもの講義が始まる前に、クエイドは急いで話を戻した。
「ヴァンパイアは今、どこに?」
「さて。ダーリントン卿とガル博士は知っておるかもしれんが、ダーリントン卿は喉が痛くてしゃべれんだろう」
ヴァン・ホーテンは自分で自分のジョークにはっはっと笑い、クエイドは顔をしかめた。つくづく趣味の悪い男だ。
「ピーターの死はしばらく隠しておかなきゃならない。手伝え」
二人がかりでピーターの死体を持ち上げ、ルイズの身体の上に重ねて入れた。
気の毒なピーター。家柄を鼻にかけるイヤなやつだったが、こんな形で新床に入るとは夢にも思わなかっただろう。君は悪い友達を持った。婚約者を選び損なった。運が悪かったよ。
「ガル博士はどうする?」
息を切らしながら、ヴァン・ホーテンが訊ねた。
「屋敷に送り届ける。墓地の前をたまたま通りかかって、倒れているところを見つけたと言えばいい。ガル博士の意識が戻れば、ヴァンパイアの居所が聞けるかもしれない」
「そいつはあんまり期待しない方がいいぞ。これは初めての発作じゃない」
クエイドはピーターのポケットから取り出した鍵で、納骨堂をロックした。
「辻馬車を探してきてくれ。ガル博士を送り届けたら、ホテルまで送ろう」
「わしはホテルには戻らんぞ。ホワイトチャペルに行く。ヴァンパイアが現れるとすればあそこだ」
「危険じゃないか? あそこには、あんたの顔を覚えてる者が大勢いる」
「なに、今までばれなかった。大丈夫さ」
ヴァン・ホーテンはかってそこにあった口髭を懐かしむように、鼻の下を撫でた。
「やっと不死者を見つけた。エリクシールは、なんとしても手に入れる」
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