第12章 不死者
クエイドがキリヤコス邸に戻ると、もう十一時を過ぎていた。客間からヴァン・ホーテン教授の声が聞こえた。今夜、教授はライシアム劇場に出かけたはずだが、と不審に思う間もなく、ピーターの興奮した大声が聞こえてきた。二人の間に何か意見の合わないことがあるらしい。玄関のドアを開けた召使も、困りきった顔をしている。朝の早い召使たちは普通なら寝室へ引き上げている時間だが、論争に熱中しているピーターは、時間を忘れているらしい。召使の方も寝みたいのだろうが、客間から聞こえてくる大声、いや、怒鳴り声だーに、怖れをなしているらしい。
いったい何を騒いでいるんだ?
「クエイド様」
執事がほっとしたように寄ってきて、帽子とコートを受け取った。
「教授がいらしているようだな」
「はい。半時間ほど前に見えられました。緊急の要件で、ご主人様にぜひともお話しになりたいことがあると」
「そうか。遅くて済まないが、お茶を頼む。それが済んだら、君らはもう引き取っていいよ」
「はい、かしこまりました」
執事はキッチンの方に急ぎ足で消えた。客間のドアを開けると、中で言い争っていた二つの声がぴたりと止んだ。
「こんばんは、教授。ライシアムはいかがでしたか」
長椅子にすわっているヴァン・ホーテン教授と、暖炉の前に突っ立っているピーターの双方がじろりとこちらを睨んだ。クエイドは赤くなった二つの顔に気付かないふりをして、ことさらに朗らかに続けた。
「今、執事にお茶を頼んだんだよ、ピーター。君も飲むだろう?」
「いらない。もう遅すぎる……ああ」
ピーターは暖炉の上の時計を見て、うっかりしていたことに気がついたようだった。執事がティーポットの載った盆を下げて入ってくると、後はいい、もう休みなさい、と言った。執事は感謝の目をちらとクエイドに投げて、おやすみなさいませ、と言って出ていった。
「さて、いったいどうしたっていうんだ? 教授、お茶はいかがですか?」
ティーポットからカップに茶を注ぐと、教授はわしはいらん、と答えた。
「ピーター、これはなんの騒ぎなんだ?」
「こちらの教授は、幻想と現実の区別がつかなくなっておられるんだ。キリヤコス家の納骨堂の鍵を貸してくれとおっしゃるんだよ」
「わしの頭は確かだ。ちゃんと理由はある。さっきから言っておる通り……」
「馬鹿馬鹿しい」
「何を。ひとの話をちゃんと聞かんで…」
「まあ、お待ち下さい、教授」
再び声が高くなってきた教授をクエイドは制した。「ピーター、君も。しばらく黙っていてくれ。話が見えない」
ピーターはむっとした顔でそっぽを向いた。
「教授、鍵を借りてどうなさるんですか?」
「決まっとる。納骨堂に入って、ミス・キリヤコスの棺を開けてみる」
「そんなことは絶対に許さない!」
ピーターが振り向いて大声を上げ、クエイドはあわててドアの方を見た。
「静かに! 召使の噂になりたいのか?」
ピーターは再び黙りこみ、クエイドはようやく教授から、今晩、ビーフステーキルームで話されたホワイト・レディの話を聞くことができた。
「わしはそのホワイト・レディはミス・キリヤコスだと思っている。彼女はヴァンパイアになった。わしはそれを確かめたいのだ」
「クエイド、君はこんな気狂いじみた話に耳を貸すつもりじゃないだろうな」
ピーターの声は怒りを無理矢理に押し殺したように低かった。
「気狂いじみた話とは恐れ入る。自分の頭で考えてみたまえ。誰がキリヤコス夫人を殺したのかね? ミス・キリヤコスの首の傷は? どうして彼女は突然、命を失うほどの貧血を起こしたのかね?」
「誰かが外から侵入したに決まってる」
「鍵のかかった二階の部屋にかね? あんた自身、鍵をかけたと言っておったろう。ヴァンパイア以外の誰が…」
「クエイド、なんとか言ってくれ。この男は気が狂っている」
クエイドはカップに茶を注ぎ足し、ミルクを加えた。
「クエイド!」
「大声を出すなよ、召使に聞こえるぞ。僕はこいつを飲んだら、教授をホテルまでお送りしてくるよ。君は先にやすんでくれ。あとの話は明日にしよう」
クエイドがなだめるように言うと、ピーターは足を踏み鳴らして部屋を出て行った。
「まったく、教授」
ピーターの荒い足音が階段を登って消えるのを待ってから、クエイドは口を開いた。「少しは気をつけてくれ。あの男は怒りっぽい。出入り禁止になるぞ」
「わしはかまわんよ。わしが興味を持っとったのは、あの男じゃなく、女の方だからな」
「すると、やはり?」
「わしはまちがいないと思うとる。とうとう、本物の不死者を見つけた! これがどういうことかわかるかね?」
教授は喜びの余りじっとしていられないように、部屋の中を歩き回った。
「ルイズを捕えれば、不死者の血が手に入る! 人類が太古から求めてきたエリクシールが手に入る。我々は不老不死の鍵を手に入れることになるんだ!」
教授は天井を向いて大声で笑い出した。両手を振り回しながら暖炉の前を行ったり来たりしたあげく、不意に笑いを納めた。
「それをあの馬鹿はわからんのだ。世紀の発見の邪魔をしようとする。クエイド、わしは、ああいう馬鹿者は我慢ならん。絶対に邪魔はさせんぞ。何があろうとだ。たとえ君の友人だとて、わしは容赦せんぞ」
「わかってる」
クエイドは教授の興奮をおさめようと、わざと静かな口調で言った。「だが、教授、あの時、窓に鍵はかかってなかった」
「なんだと?」
「ブラインドを上げた時に、僕がとっさに鍵をかけたのさ。そうすれば、ピーターは自分以外にあの部屋に出入りできたものはいないと思いこむ。あとは僕らの思い通りになると思ってね。事実、そうなった」
「ふむ。すると、ヴァンパイア以外でもあの部屋に出入りできたことになる」
教授はがっかりした顔をして、椅子にどさりと腰をおろした。
「そんな顔しなくてもいい。僕はあんたの御説を信じるよ。多分、キリヤコス夫人は窓の外に不審を感じて、夜中に一度窓を開けたんだ。気の強い人だったからね。それがヴァンパイアを招き入れることになって、彼女の死につながった。でも、確かめなきゃならない。納骨堂の鍵は僕が手に入れる。初めから僕に言ってくれていたら、こんな騒ぎにならずに済んだんだ」
「一刻も早く確かめたかったんでな」
「いずれにせよ、今晩には無理だ。ホテルまで送ろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます