19 - 振りまきすぎに注意
「んー……」
「そろそろ起きろ」
誰かの手が背中を撫でている。お腹いっぱいになって気持ちよく寝ていたのに、起こそうとするなんてひどい。
――気持ちよく、寝ていた。
ユキがはっとして目を開けると、誰かの体の上だった。
誰かじゃない、これは。
「はんしゅしゃん……」
「おう」
慌てて身を起こしてみると、ハンスは木にもたれかかって座っていた。ユキはその膝の上に乗っかっていたらしい。辺りには椅子が置いてあったり、水が吹き上がる池があったりして、子供が走り回る様子をその親らしい大人が見守っている。
「アトヴァルカの公園だ。手続きの途中で寝ちまったからな、連れてきた」
言われて思い出した。
昼食が終わった後、ユキはハンスに連れられて、領主府という建物に向かった。出てきた人とハンスが何やら小難しい話をし出して、あちこち連れ回された上にお腹もいっぱいのユキは、必然的に眠りに誘われたわけだ。
抗えずに寝てしまったユキを、どうやらハンスがここまで連れてきてくれたらしい。
「ご、ごめんなしゃい……」
話の内容がユキに関係ありそうだったのは理解していたので、素直に謝る。きちんと話を聞かなかったのは、よくないことだろう。
「疲れたんだろ。とりあえず、今はこれが大事なもんだってことだけ覚えとけ」
カードを渡されて、文字は読めないながらも眺めてみる。右上の隅に色のついた透明な石が嵌っていて、あとは一通り文字が書いてある。裏返してみると、そちらにも文字だ。早めに文字を読めるようになった方が良さそうだ、とユキは結論づけた。
「大事なもの、でしゅか?」
「そうだ。なくすなよ」
「わかりました」
左上に開いていた穴に紐を通し、ハンスが首に掛けてくれた。人によってポケットにしまったり、手荷物入れにしまったりするらしいが、ユキはまだ小さいので、うっかりなくさないように、首から提げていた方がいいだろうとのことだった。
もう諦めて子供扱いに慣れていった方が、気が楽だろうか。
内心の落胆をよそに、ユキはもう一度カードを眺めた。
「お前をうちで預かってるってのを、証明するためのカードだ。それがないと、変なやつに連れて行かれるかもしれないから」
面倒かもしれないが、出かける時は必ず持って出るように。
そう言われて、ユキは眉をひそめた。わざわざ証明とか何とかをしないと、街では生きていけないのだろうか。山の暮らしと違って、ずいぶんと手間がかかる。
「変なやつって、誰でしゅか?」
人を勝手に連れて行くのは、悪いことのはずだ。それこそ、警備隊が捕まえるような人物ではなかろうか。思い当たる相手がいるのかとハンスに尋ねたが、何とも言えない表情になって言葉を濁すだけだった。
「あー…………まあ、その、なんだ……知らない方が幸せなこともある……」
「……しょうでしゅか」
本当に知らない方がよさそうで、ユキも深くは追及しないことにした。
ハンスの上から降ろしてもらい、襟を引っ張ってカードを服の中にしまい込む。外側にぶら下げているのは、さすがに体裁が悪い。
屋台で飲み物でも買ってくる、と立ち上がったハンスを見送り、背負い袋をクッション代わりに待っていたユキは、近づいてくる人間に気がついた。
知らない気配だ。この街で会ったことのある人間でもなければ、ユキが今までどこかで目にしたことがあるような人物でもない。ハンスの方に視線を向けるが、気づいている様子はなさそうだ。わざわざ気配を殺しながら近づいてきているのだろうか。
だとしたらこれこそ、ハンスの言っていた変なやつなのかもしれない。
「こんにちは、一人なの?」
にこにこと話しかけてきた女性の顔に、ユキは見覚えがなかった。ここまで親しげな雰囲気を醸し出されるような相手ではない。少々面食らいつつ、首を振って答える。
「一人じゃないでしゅよ」
目的は何だろう。子供を攫って売ったり、身代金というものを要求したりする商売があるらしいから、それだろうか。ユキが高く売れるのかどうか知らないが、身代金というお金を払ってくれる人はいない。
「そうなの。でも今は一人よね」
咄嗟にどう動くべきか、ユキは躊躇した。イケだったら行動指針を教えられているが、ハンスとは、荷物を捨て置いていいのか、個別に逃げていいのか、何かあった場合にどこで合流するか、細々したことを話し合っていない。
一人で勝手にいなくなった時に、ハンスが困らないのかわからない。
得てして、そういう間というものは命とりだ。ユキは頭から袋を被せられ、上下も気にせず持ち上げられた。
首が苦しい体勢になってもがく。息がしづらい。げふ、とむせたところで、横からものすごい音がした。それから一瞬の浮遊感があって、誰かにがっしり抱えられる。
「うちの子供に何しやがる!」
ハンスの声だ。それからまた大きな音がして、そっと地面に降ろされた。袋の出口はどっちだ。足の方だろうか。
「悪い、無事か」
がばっと空気が入ってきて、ハンスが袋から出してくれた。
抱っこの目利き的には、ハンスの抱っこはイケの次に安定感がある。自分の呼吸が荒くなっているのに気がついて、ユキは大きく息を吸って、吐いてをくり返した。過ぎ去ったからわかるが、それなりに焦ったようだ。
「……びっくりした以外、無事でしゅ」
「……悪かった。一人にするんじゃなかった」
背中を撫でられていると、だんだんと気持ちも落ちついてくる。さすがに泣きはしないが、ぎゅっと抱きつくのは許してもらいたい。
ばたばたと人が走ってきた頃には、ユキにも周りを観察する余裕が出てきていた。
「たいちょ……っ、お疲れ、さまです」
「おう、こいつら頼む」
こいつら、のところでハンスが蹴り飛ばしたので、足元に二人ほど転がっているのがわかった。おそらく、声をかけてきた女性と、その仲間だろう。ハンスの蹴り方に容赦がなかった。二人でユキをどうにかしようとしていたのだろうか。
「いや隊長、やりすぎ……」
隊長、ということは、ハンスが今喋っているのは、警備隊の人だ。そっと顔を向けると、昨日のハンスたちと同じ服を着ている。
「うちの子供に手ぇ出しやがったからな」
困っているのか、目線がさまよっている青年に、ユキは声をかけた。
「はじめまして、ユキでしゅ」
まずは挨拶から。礼儀正しく挨拶するのは大事なことだ、とイケに教わったからなのだが、嬉しそうな青年と、渋面のハンスに挟まれることになった。
「ユキくんて言うんだ! 可愛いねぇ!」
えっ、思ってたのと違う。
戸惑って目を瞬かせたユキを青年から隠すように、ハンスが体の向きを変えた。後ろから上がる残念そうな声に、仕事しろと怒鳴って、ユキの背中を撫でる。
何だか、ハンスの行動も思ってたのと違う。
「あんまり愛想を振りまくんじゃない」
「あいしょ……?」
ため息をつかれて、ますますユキは困惑した。よくわからないが、ユキの行動の何かでハンスは困っているらしい。
後始末を警備隊の青年に任せ、背負い袋を拾い上げたハンスは、ユキを下ろす様子がない。このまま抱っこで移動するのだろうか。
「自分で歩きましゅ」
これ以上苦労させてはいけないと主張したのだが、どうやら欲しい提案ではなかったらしい。
「……いいから、抱かれとけ」
ため息交じりに近い言葉に、ユキは首を捻るしかなかった。
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