20 - 大事にしてくれるのは

 今日はハンスたち三人とも仕事だという。行ってらっしゃいと三人を見送って、朝食の片付けが終わると、ユキはすることがなくなった。鼻歌まじりにお茶を入れようとしているメグの、服の裾を引っ張って声をかける。


「メグしゃん、文字教えてくだしゃい」

「あら、覚えたい?」


 何度も首を縦に振って、ユキは昨日の買い物や、もらったカードのことを話した。

メグがハンスに渡していた紙はさっぱり中身が読めなかったし、カードに書かれていることもわからない。それは困るし、いくつかの店で、文字の書かれた紙を元にやり取りしているのも見た。読めないと騙されることもありえる。

 そういったことを訴えて、手の空いている時だけで構わないので、文字を教えてほしいとユキは頼んだ。


「いいわよ、紙とペンを持ってくるわね」


 メグに抱っこされてソファまで運ばれ、下ろされる。食卓だとユキはテーブルまで届かないが、ソファの前のローテーブルなら、ユキでも机で書き物といった姿勢が取れるからだろう。

 なお、抱っこの目利きとしては、メグの抱っこはほわほわとして甘えたくなる優しさだ。


「あと、お金のことも教えてほしいでしゅ」


 戻ってきたメグから紙の束とペンを受け取って、ユキはもう一つのお願いをした。


「お金?」

「昨日使ってたの、見たことないお金だったから……」


 村でやり取りされていたお金と、昨日ハンスが使っていたお金は、金属でできていて丸くて平べったい形であることしか、共通点がなかった。書いてある文字も絵も違う。何種類かあるようだが、どれを何枚出せば、どれくらいのものが買えるのかも知っておきたい。

 今のところ、ユキにはお金を稼ぐ手段がないが、そのうち知識は必要になるはずだ。


「……ユキくん、今まで使ってたお金の絵は描けるかしら?」


 メグからの質問に、ユキは首を傾げた。ここで使われていないお金の絵を見て、何の役に立つのだろう。


「絵でしゅか?」

「ええ、知りたいんだけど……だめかしら?」


 取り立てて隠すことでもない。わかりましたと頷いて、ユキは覚えている限りで絵を描いた。そこまで日常的に使うものでもなかったし、じっくり観察して覚えるようなものでもない。それっぽく描くのが関の山だ。

 だいたいこんな感じだっただろうか、というところで、ユキは描き上げた絵をメグに見せた。もしかしたら村で使っていたお金にも、別の種類があったのかもしれないが、見かけたことがあるのは茶色っぽい一種類のみだ。


「これでしゅ」

「ありがとう」


 大して上手くもない絵をじっと眺められるのは少々恥ずかしいが、ユキはメグの気が済むのを待った。文字を教えてもらえなければ困るからだ。それとも、文字より先にお金の話だろうか。ユキとしてはどっちでもいいけれど。


「……ユキくん、グラウィアンデ帝国って知ってるかしら」

「ぐりゃ……ぐぁ……ぐるい、あんで、てーこく?」


 どう頑張っても上手く発音できる気がしない。実際できなかった。聞いたこともない。

 首を横に振るユキに、メグは頬に手を当てて思案気な顔をした。それからペンをとって、紙の上にさらさらと絵を描いていく。


「グラウィアンデ帝国はね、半島の西側のほとんどを支配している国なの。私たちがいるアトヴァルカは、レガレムニス王国の街の一つで、半島の中で言えば南東にあるわ」


 メグの絵には、左上が何かと繋がっているらしい、少し横に長い四角が枠のように描かれていた。その左半分がグラウィアンデ帝国、右下の部分がレガレムニス王国、レガレムニス王国の右下の方の点がアトヴァルカらしい。帝国、王国というのは街よりも大きい括りのようで、半島というのが全体の枠らしい。

 ふうん、とわかったようなわかっていないような相槌を打って、ユキは続きを待った。


「ユキくんが描いてくれたお金はね、グラウィアンデ帝国のお金なの」


 ふうん、とユキは曖昧な相槌を打った。グラウィアンデ帝国とかレガレムニス王国とか言われても、自分の生活とかけ離れすぎて実感がない。


「だから、ユキくんがいたところは、グラウィアンデ帝国の中のどこかだと思うのよ」


 なるほど。そこまで言われてようやく理解できた。

 ユキがいた村の場所がどこなのか、メグは気にかけてくれていたのだろう。メグが描いてくれた絵によれば、今いるアトヴァルカから西に向かえば、グラウィアンデ帝国に行くことができる。


「ユキくんは、帝国に帰りたい?」

「……それは、思ってないでしゅ」


 アトヴァルカが点で描かれているのだから、あの村だってきっと絵の中では点になるはずだ。グラウィアンデ帝国は大きな範囲で表されているし、単純に西に向かえば村に帰れるわけではないのは、ユキにも理解できる。

 それに、帝国というものに対して特に感慨もない。


「イケに会いたいでしゅ」


 会いたいというか、イケの元に帰りたい。イケがいてくれるなら、場所はどこでもいい。帝国だろうが、アトヴァルカだろうが。


 ユキは、物心ついた時からイケと一緒に暮らしていた。食べられるものも教えてもらったし、魔獣への対処方法も教えてもらった。身の回りのことを自分でできるようになったのも、イケが全部教えてくれたからだ。

 いきなり離れることになってしまって、不安しかない。


「……どうしたら会えるか、わかんないでしゅけど」


 自分から探しに行くのが無理であることは、いくら何でもわかる。庭のように歩き回っていた山でもないから、魔獣を倒すことも難しいだろうし、そもそも子供一人で移動しながら暮らすのはたぶん、ありえないことのはずだ。

 ただ、イケが探してくれているかどうかもわからないけれど、仮に探してくれているとして、どうやってユキがここにいるのを知らせたらいいのか、手段が何も思いつかない。


「そう、会いたいのね」


 よしよしとユキを撫でて、メグは膝の上に抱き上げてくれた。

 泣きはしないが、甘えたい気持ちはある。メグにぎゅっと抱きついて、ユキはため息をついた。何かしたいのに、できることがあまりにも少ない。


「今度、ギルドに行ってみましょうか」

「ギルド?」


 メグの言葉に、ユキはオウム返しに聞き返した。イケに会いたいという話と、ギルドが結びつかない。


「ねぇ、ユキくん」


 背中をぽんぽんと撫でられて、ユキは自分の体にずいぶんと力が入っていたのを知った。


「ユキくんのことは、うちでしっかり面倒を見るって、みんなで決めたのよ」


 ハンスから渡されたカードに、そのことが書かれているらしい。ユキのことはアトヴァルカのアーレント家が面倒を見ると、レガレムニス王国全体に通じるように、領主府できちんと手続きをしてくれたのだそうだ。


「どうして……?」

「そうしたかったからよ」


 初めはハンスもユキを怪しんではいたが、話をして、ユキの行動を見て、守ってやろうと判断してくれたらしい。昨日のお出かけは、ユキを観察するためでもあったようだ。


「だからね、ユキくん、私たちのことはきちんと頼ってちょうだい」


 そう言って抱きしめてくれるメグに、ユキは何と返していいかわからなかった。イケがユキを大事にしてくれるのは知っているが、他の人が大事にしてくれる理由が、ユキには思いつかない。

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