街での暮らし

14 - 目が覚めたらそこは

 何か物音が聞こえた気がして、ユキは目を覚ました。


――目を覚ました?


 いつ寝たのか思い出せない。変だなと思いつつ目を開くと、いつもとは違う白い天井だ。


「あら、目が覚めた?」


 かけられた声に慌てて起き上がる。

 声の主は、優しそうな女性だった。手元に持っていた縫物か何かを机に置いて、座っていた椅子から立ち上がって近寄ってくる。


「急に起き上がって大丈夫? どこか痛いところとかない?」


 心配してくれているらしい言葉に瞬きをして、首を傾げる。見覚えのない人だ。村にはいなかったと思う。


「何も怖いことはしないわ。安心して、ね?」


 立ったままだった女性が屈んで、こちらより目線を下にしてくれる。

 どうやら気づかわれたらしいことを理解して、ユキはおずおずと頷いた。わからないことが多すぎて、何を言えばいいのかわからない。


「私はマーガレット。メグって呼んでね」

「……メグしゃん」


 噛んだ。

 ユキは顔をしかめたが、メグは嬉しそうに笑った。


「お名前、聞かせてくれるかしら?」

「はじめまして、ユキでしゅ」


 また。

 と思ってから、ユキは眉間にしわを寄せた。噛んだというよりは、いつもより口が回らないというか、喋りにくいというか。

 考え込みそうになるユキに、メグの声が届く。


「ユキくん、痛いところはない? それか、お腹が空いているかしら?」


 先ほども怪我がないか確認されていたような気がする。そういえば、と、崖から落ちたのを思い出した。あんなところから落ちたのに生きている。すごい強運なのでは。


 強運では済まされない話だったことを知らないユキは、聞かれた通り、自分の体をあちこち触って調べてみた。特に大きな怪我はなさそうだ。


「痛くないでしゅ。お腹、しゅきました」


 口が回らないのもきっと、お腹が空いて力が出ないのだろう。知らない人にごちそうになるのは少し気が引けるが、今度何かお礼を持ってくればいい。


「わかったわ。私がユキくんに触れても、嫌じゃないかしら?」

「いやじゃないでしゅ」


 メグの確認に首を振る。

 こちらの都合を無視して触ってきたり抱きついてきたりしないから、この人はいい人だ。それだけで好感が持てる。ユキとイケが山にいたのも、村から少し離れて住んでいたのも、やたらとべたべたしてくる人たちを避けるためだ。そういう経験を経て移ったあの村には、そんな人は一人もいなかったが。

 触れる前にもう一度断って、メグはユキを抱き上げた。


「それじゃあ、お昼にしましょう」


 苦もなくユキを抱っこしたまま歩く女性に、困惑を押し殺そうと、ユキは視線を合わせないようにした。

 いくら何でも、いくら子供とはいえ、女性が軽々と抱き上げた挙句、すいすい移動できるほど、ユキは小さくなかったはずだ。イケは軽々だったが。いやあれは、イケが大きいからできたのであって、普通の大人は無理だったはずだ。


 ユキが寝かされていた部屋から白い壁の廊下に出て、少し広めの部屋に着く。キッチンと食卓が同じ部屋にあるようだ。キッチンの中には人がいて、スープを煮込んでいるらしい鍋を見張っている。


「ありがとう、エリック」


 メグがキッチンの少年に声をかけた。彼が食事を作っていたのだろうか。野菜と、黄色くてぷるぷるの塊が皿に載っている。


「あ、母さん……その子、起きたんだ!」


 エリックと呼ばれた少年の声に、ユキはびくっと身を縮こまらせた。メグの手があやすようにぽんぽんと背中を撫でてくれて、ちょっと落ちつく。


「ダメよ、驚かせちゃ」

「ご、ごめん……びっくりしたよな、ごめんな」


 エプロン姿で謝ってくれるエリックに、ユキは戸惑ってメグを見上げた。たぶんこの二人は親子なのだろうけど、それにしても、自分への態度がよくわからない。

 それに、怖かったわけではないのに、エリックの声に自分が驚いてしまったのにも戸惑っている。


「エリックが急に大きな声を出すから、びっくりしちゃったわよね?」


 たぶん、そうなのだと思う。でもユキは、そんなに小さな子供ではない、はずだ。

 いや、何となくこの二人の自分の扱いを見て、何となくだけど、小さな子供に見えるらしい、気がしているけど。


「エリックしゃん」


 メグの腕の中から、エプロン姿の少年を見やる。ターニャたちよりも少し年上くらいだろうか。人族だけど、しっかり鍛えているようにも見える。


「はじめまして、ユキでしゅ」


 ひとまずご挨拶。


「ユキくんかぁ……あっ、はじめまして! オレはエリックだよ」


 にこにこと自己紹介を返してくれるエリックに、こくんと頷きを返す。エリックも触れてもいいか断ってから、ユキをメグから受け取った。

 少年だと思った相手に抱っこされる、この切なさ。

 おかしい。明らかにおかしい。ユキは体格がいい方ではなかったが、子供に抱っこされるほど小さかったわけではない。

 実感するのが怖くて見ないふりをしていたが、エリックに抱っこされたまま、自分の手をそっと観察してみる。


「ちっちゃい……」


 記憶の中の手と違う。指が短いし、何だかふくふくして見える。ぎゅっと握って開いてみればその通りに動くから、これが自分の手で間違いない。どういうことだ。


 ユキの体は、いつのまにか小さくなってしまったらしい。

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