第23話

 人生最大の衝撃がサトルをおそった。


「どうぞ、上がって、加瀬くん。ごちゃごちゃした家だけれども」


 なんと伏見家に呼ばれたのである。

 初イベント『女の子の実家』を前にして、サトルの脳みそはサバイバル・モードに切り替わる。


 やべぇ。

 どうすんだっけ?

 マナーとか調べていないのだが……。


 お父さんとかお母さんはいるかな?

 印象が良くなるよう、ビシッとあいさつしないと。


「入っていいの?」

「警戒しなくていいよ。猛犬はいないから」


 けっこう年季の入った一軒家だった。

 手入れされた植木鉢がたくさん並んでいるから、家庭菜園とか好きなのかもしれない。


「ではでは、お邪魔します」


 玄関のところに子ども用シューズが転がっていた。

 サッカーボールや虫かごが無造作に積まれており、絶妙なバランスで重力に抗っている。


 あ、小鳥だ。

 燃えるように真っ赤なカナリア。


 伏見家は、なんというか、木と人の匂いがする。

 柱や壁にキャラクターシールが貼られており、明るい家庭なんだな、というのが伝わってきた。


「あ〜! お姉ちゃんが彼氏を連れてきた〜!」

「本当だ! 恋人だ!」


 リビングから飛び出してきた弟と妹の頭を、エリナは手近にあった新聞紙でペチペチと叩く。


「彼氏じゃなくてお客さん。うるさいから騒ぐな。晩飯つくってやらんぞ」

「ちぇ〜」

「は〜い」


 人生で2番目の衝撃。

 エリナは5人姉弟で、その長女だった。


 小6の妹、小4の弟、小3の妹、小1の弟。

 両親は共働きらしく、エリナがあれこれ面倒を見ているっぽい。


「伏見さんが帰宅部の理由って……」

「ああ、そうそう。これが一番大きな理由かな。絶賛、子育て中だよ」


 客間で待つことになったサトルの元へ、エリナの妹が冷たいウーロン茶を運んでくる。


「どうぞ」

「ありがとう」


 はにかんだ表情がかわいい。

 顔のパーツはお姉ちゃん似だな。


 じぃ〜〜〜。

 首から上だけのぞかせているのは小1の弟。

 熱っぽい視線を送ってきて、来訪者のことを値踏みしている。


「おちんちん、ふりふり〜」

「…………」

「おちんちん、ふりふり〜」

「……………………」


 平静をよそおうサトルに、しつこく腰を振ってきた。


 恐るべし。

 小学1年生。

 ちんことか、うんことか、おしっことか、一番好きなお年頃だよな。


「おちんちん、ふりふり〜」

「…………………………」

「一緒にやって」

「嫌だよ」

「1回だけ」

「1回でも嫌だよ」

「一生に一度のお願い」

「…………」

「お願い! お願い! お願い!」


 はぁ……。

 仕方ないな。


 サトルは立ち上がって腰に手を当てた。

 くそっ……エリナの弟じゃなきゃ、絶対に無視してやるのに。


「おちんちん、ふりふり〜」


 とても冷たいオーラを感じて声がしぼむ。

 ドアの向こうから登場したのは、虫ケラを見下すような目をしたエリナだった。


「おい、テメェ」


 弟の首根っこをつかんで床に押しつけた。

 グーにした拳で股間のあたりをグリグリしている。


「ぼ〜りょく、はんた〜い!」

「お客さんって教えたよね? ちゃんと聞いていたよね? 何やらせとんじゃ、ぼけぇ。お前の昆虫フィギュア、すべて可燃ゴミに出すぞ、こらぁ。それが嫌なら、今すぐ頭を下げなさい」


 エリナは弟を正座させると、


「ごめんね、加瀬くん。うちの弟、救いようのないバカみたいでさ。同じ遺伝子を持った姉として、汗顔かんがんの至りでございます。たぶん、男子高校生が家にくるの初めてだから、舞い上がっちゃったんだよ」


 心底から申し訳なさそうに謝罪してくれた。


「いいよ、いいよ、6歳くらいの男子なら当たり前だし」

「へぇ〜。加瀬くんは心が広いなぁ〜」

「気にしないで、本当に」


 ドキドキが収まらないサトルは、ウーロン茶を飲んで冷静になった。


「はい、これ。約束していた小説」

「ありがとう。なるべく早く読んで、感想を伝えるよ」

「うん、楽しみにしている」


 サトルが玄関でくつを履いているとき。


「ねえねえ、キスは?」

「チューはもうやったの?」


 りないちびっ子が冷やかしてくる。

 もちろん、エリナの拳が炸裂したのはいうまでもない。


「伏見さん、学校と家では全然イメージが違うね」

「うん、学校は心が安らぐ場所だから。子育ての反動で、省エネモードの私になっているかも」

「4人もいたら、さぞかし大変だろうね」

「まあね」


 エリナの口元がふっと笑った。


「上の妹が大きくなってきたから。これまでは1人で4人の面倒を見てきたけれども、そろそろ2人で3人の面倒を見られるかな」

「なら、安心だ」

「今日は買い物に付き合ってくれてありがとう」

「こっちこそ。たくさん本を貸してくれてありがとう」


 バイバイと手を振って別れる。

 夕陽に向かって、サトルは力一杯ペダルをこいだ。

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