第21話

 小さな奇跡が起こった。


「おはよう、加瀬くん」

「おはよう、伏見さん」


 いつもはサトル⇨エリナの順にあいさつするのだが、この朝はエリナ⇨サトルの順だった。

 嬉しすぎる気持ちを隠すため、サトルはさりげなく腕を組む。


「そうそう、伏見さんがお勧めしてくれた本、読んだよ」

「あ、そうなんだ。図書室で借りたの?」

「いや、古本屋へいって見当たらなかったから、新品を買ってきた」

「え〜、もったいない。教えてくれたら、家から持ってきたのに」


 ツーンと唇を尖らせるエリナがかわいすぎて、サトルの頬っぺたが熱くなる。


 触れるなんてとんでもない。

 エリナの手垢がついたページに、サトルの手垢もついちゃうじゃないか。


 うっかり手垢と手垢が妊娠したら……。

 て、アホか⁉︎ ドーテイか⁉︎


「いや、悪いよ。本を貸してもらうとか。汚すかもしれないし」

「そうかな。ちょっとくらい本を汚すなんて、よくある話だと思うけれども……」

「いやいや、ニンニク醤油ラーメンの容器に落とすかもしれない」

「その発想はなかった。取り返しのつかない大事故だね」

「でしょう」


 本の感想について2人で語らった。

 エリナは幸せそうな表情をしており、慣れない活字を追いかけた時間がちゃんと報われた気がした。


 よし! 決めた!

 また新しい小説を読もう!

 エリナの好みを追いかける限り、彼女のことに詳しくなるし、何より話のネタが手に入る。


 そんなサトルの本心を知ってか知らずか、エリナはキョロキョロすると、


「ねえねえ、交換条件」


 突拍子のないことを切り出してきた。


「ちょっと私の買い物に付き合ってくれないかな? お礼といっては何だけれども、3,000円相当の本を貸してあげるからさ」

「はぁ? 買い物?」

「うんうん」


 もうすぐ、ちびっ子の誕生日。

 プレゼントのゲームソフトを買い与える。

 それを一緒に選んでほしい、とエリナはお願いしてきた。


「加瀬くんって、ゲームに詳しいよね。私の友人、そういうのにうとい人しかいなくて。だから、放課後、一緒にお店まで同行してほしいんだよね」


 エリナと一緒に買い物する。

 これは正夢じゃないか。


 夢の中では文房具を選んでいたけれども、この際、何でもいいだろう。

 好きな子から頼りにされるのは、いつだって楽しい。


「俺なんかでよければ。いつでも付き合うよ」

「やった。じゃあ、今日の放課後ね」


 エリナはハムスターみたいに周囲を警戒する。


「ただし、学校を出るときは別々にしよう」

「いいよ。知人に見られたくないってやつだろう」

「そうそう。私なんかと一緒に下校しているところを見つかったら、加瀬くんの株が下がっちゃうよ。怪しい宗教の勧誘でもやってんじゃないの〜、みたいな」

「そんなことは断じて起こらないと思うけどね」


 サトルは苦笑いしておいた。


「待ち合わせ場所はね……」


 帰り道にある交差点のコンビニ。

 そこの駐車場で落ち合うことに決まった。


「じゃあ」

「また」


 やりましたよ、ライダーさん。

 なんとA子さんの方から誘ってくれました。

 雨の日も風の日も声をかけ続けた成果というやつです。


 やってて良かったな、ゲーム。

 こんな風に役立つなんて。


 世の中まだまだ捨てたもんじゃない。


 一日中、サトルは有頂天だった。

 授業中に手を挙げて、


「先生、英単語のつづりが間違っています。aggressiveアグレッシブのgは2つ必要です」


 父親くらい歳の離れた男性教師に恥をかかせてしまった。


 エリナがぷっと笑っている。

 かわいい、目が合った、とろけそう。


「加瀬くん、よく気づきましたね、ありがとう。皆さんも試験のとき、aggressiveのつづりには注意してください」


 サトルは大手柄をあげた武士みたいに手をさげる。


「どうしたんだよ、加瀬、張り切っちゃってさ。小学生みたいだな」

「うるさい、黙れ。間違いを正すのは良いことだ」


 後ろの席の友人が冷やかしてきたけれども、サトルは冷たくあしらっておいた。


「ふ〜ん、いうな。最近の加瀬、やる気だよな」

「ゲームの時間を確保するために、授業中はいつも全力なのだよ」


 女の子の前では立派なところを見せたい。

 そんな瞬間、半年に1回くらい存在しても許されるだろう。

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